隠した想いのその先に

ミヅハ

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壊れていくもの

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 繋いだままの手が折れそうなほど強い力で引っ張られた。

「⋯っ、千晃⋯!」

 尻もちをついた俺の目の前を、トラックが風切り音を立てて通り過ぎる。
 自分の身に起こった事が信じられなくて、呼吸も忘れて固まる俺を啓介が抱き締めてくれるけど、俺はそれに応える事が出来なかった。

(⋯誰かに背中を押された⋯)

 明らかに故意だった。トラックが来ているのを見計らってた。
 どう考えても、俺を殺す気だった。

「大丈夫ですか!?」
「あ、はい。俺は大丈夫です。千晃、怪我は⋯」
「⋯⋯どうしてまだ生きてるの?」

 周りの人が心配して駆け寄ってくれて啓介が俺の代わりに答えてたんだけど、不意に抑揚のない声が聞こえて俺は息を飲んだ。
 恐る恐る顔を向け、そこに立っている人の顔を確認した瞬間、ショックと恐怖で身体が震え始める。
 痩せてこけた頬、生気のない顔、ボサボサな頭。でも、俺を見る目の冷たさだけは確かで、さっきの言葉と併せて考えると俺をトラックの前に押し出そうとしたのはこの人で間違いなかった。

「⋯母、さん⋯」
「絶対死んだと思ったのに」
「ど⋯して⋯」
「〝どうして〟? おかしな事を聞くのね⋯⋯お前に消えて欲しいからよ」
「⋯⋯⋯」

 淡々と話す母さんが怖くて堪らない。
 母さんにぶたれそうになった時よりも、父さんに怒鳴られた時よりも、今が一番怖くて喉の奥に何かが張り付いたように上手く息が出来なくなる。

「お前のせいで千紘は出て行った⋯お前さえいなければ、こんな風に家族がバラバラになる事なんてなかったのよ⋯⋯ああ⋯本当に邪魔な存在。どうして産んでしまったのかしら⋯もっと早くにこうしておくべきだった⋯」
「千晃、聞かなくていい」

 母さんの声に被せるように啓介が口を挟む。
 俺が生まれたから⋯俺がいたから⋯全部おかしくなった⋯? 俺さえいなければ、あの家は⋯家族は、変わらずにいられたのか?

「もうお前に出来る事は、死んで詫びる事だけよ」
「千晃!」

 もう何が正解か分からなくて、いっそ俺がいなくなれば元に戻るのかななんてぼんやり考えてたら、大きな声で名前を呼ばれて抱き締められた。
 ふわりと淡いシトラスの香りが舞う。

「俺の声聞こえる? 千晃は何も悪くないよ。お兄さんも言ってたでしょ? 家族がバラバラになったのは千晃のせいじゃない。だからそんな心ない人の話なんて鵜呑みにしないで、俺の言葉だけ聞いて」
「⋯⋯け⋯すけ⋯」
「大丈夫、俺が傍にいるから」

 俺の存在を否定するばかりだった言葉の上から啓介の優しい声が降ってきて、浅く短くしか出来なかった呼吸がゆっくりと落ち着いていく。
 だけど俺が顔を上げるよりも早く啓介が覆い被さってきて、そのすぐあとに母さんの金切り声と鈍い音が俺の耳に入ってきた。

「ふざけるな! 悪いのは全部そいつだ! そいつが千紘を洗脳したんだ!    許さない!    絶対に許さない!!」
「ちょっと、やめなさいよ!」
「子供相手に何してるんですか!」
「誰か! 警察!」

 音だけで啓介が殴られてるのが分かる。それも何度も。
 周りの人が止めに入ってくれたおかげで嫌な音は止んだけど、痛いのか眉根を寄せる啓介に俺は申し訳なさでいっぱいになった。

「ごめ⋯っ⋯俺のせいで⋯母さんが⋯」
「⋯っ⋯千晃のせいじゃない。千晃が謝る事なんて何一つないんだよ」
「⋯啓介⋯」
「千晃が殴られなくて良かった」

 どこまでも優しい啓介に涙が溢れて言葉が出なくなる。
 女の人の力だって言っても、今の母さんは加減なんてしないだろうから相当強く殴られたはずだ。
 のちのち痣になるかもしれないのに。
 ヒステリックな母さんの声を聞きながらなおも守るように抱き締める啓介にしがみつき、俺は声を殺して泣き続けた。


 あのあと警察が来て暴れる母さんを連れて行き、話が聞きたいからって別のパトカーに乗せられた俺と啓介は聴取のあとソファに座って迎えを待ってた。
 啓介が俺を離してくれないから膝に横抱きにされてるけど、周りには誰もいないから今は遠慮なく体重を預けてる。
 今日は啓介の家族に、お世話になってるお礼を買おうと思ってたのに。

「千晃」
「⋯ん⋯?」
「母さんが、千晃の好きなハンバーグ作ったって」
「え?」
「目玉焼きが乗ってるよ」
「目玉焼き⋯」
「帰ったら、一緒に食べようね」

 いきなり何だと目を瞬いたら、いつもしているような他愛ない話をされて若干戸惑う。でも少しして、それが俺を和ませようとしてくれてるんだって気付き強張っていた頬を緩めて頷いた。
 こういうとこ、本当に好きだな。
 額にキスされ啓介の肩に頭を寄り掛からせたら、慌ただしい足音が聞こえてきた。

「千晃⋯!」

 近付いて来たと思った時には名前を呼ばれて、顔を向けると走って来たのか息を切らした兄さんが立ってた。
 俺と目が合うなりよろけながら駆け寄り、啓介の膝から降りようと前を向いた俺に抱き着く。

「無事で良かった⋯っ」
「兄さん⋯」
「警察から電話がきて⋯話を聞いてゾッとした⋯⋯まさか、母さんがそんな行動に出るなんて⋯」
「⋯⋯母さん⋯おかしくなってた⋯」
「だからって千晃を殺そうとするのは違うでしょ⋯!」

 確かにあれはやりすぎだろって俺も思ってる。
 でも母さんはそれくらい兄さんを深く愛してて、悪く言えば依存していたんじゃないかな。
 そこまで想ってた兄さんに見捨てられて、自暴自棄になって、もともと息子とさえ思っていなかった俺が心底憎くなったからあんな事をしたんだろう。
 泣きながら身を案じてくれる兄さんの背中を撫でてたら、気を遣って離れてくれていた警察が頭を下げながら戻ってきた。

「すみません、ご家族の方ですか? お話をお伺いしたいのですが⋯」
「⋯はい、行きます」
「こちらにお願いします」
「兄さん⋯」
「行ってくるね」

 きっと同じような事を聞かれるだろう兄さんが心配で離れた腕を掴むと、ふわりと笑ってその手を外し啓介の手と繋がせる。それから俺の頭を撫でて立ち上がり、声をかけた警察と取調室がある方へと歩いて行った。
 俺よりも内情を知ってるから、もしそれを話して兄さんが傷付くような事があったらどうしよう。

「啓介⋯ごめん。お父さんが来ても、ここで兄さんを待ってたいんだけど⋯」
「分かった。父さんには伝えておくよ」
「ありがとう」

 もう兄さん一人に背負わせないって決めたから、どんな結果になっても兄さんとは面と向かって話をする。言わないなら泣き落としすら辞さない。
 そんな俺の我儘を快諾してくれた啓介にお礼を言った俺は、兄さんが消えて行った方を見つめながら待つ事にした。
 この場に啓介がいてくれて本当に良かった。
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