家出した伯爵令嬢【完結済】

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　私はグレンデル王国の伯爵令嬢カノン＝エレステン。名家とは言わないけど薬学でかつて大成した家に生まれ、11歳の時になんと！　この国の第二王子の婚約者として指名されました。

　今日はそんな18歳になった私と、王子との婚約セレモニーのパーティーだったのだけど、現在は一年ほど前から殿下に付きまとっている令嬢を、殿下がエスコートしながら現れて現場は大混乱です。

「カノン！　貴様は伯爵令嬢の分際で、今日まで病に冒された余をよくも蔑ろにしてくれたな！」

「クレヒルト殿下、誤解です。我が家は代々薬学に秀でている家であって……」

「弁明など不要だ！　そのようなものなど我が妃にはふさわしくない。今日をもって婚約を破棄する！」

「おおっ……」

「何という事を……」

　いきなり殿下は何を言われているのか。さっき、言いかけていたけど、我が家は代々薬学に長けた家系だ。殿下の婚約者となったのも、我が家の名誉にかけて殿下の持つ『魔力病』の治療法を見つけよという政略的なものだったはずだ。

　『魔力病』とは人が大小持つ魔力をコントロールできずに、体内で巡る魔力が体外に自然に出ていき衰弱死するという恐ろしい病気だ。治療法はなく、これまでは魔力回復薬を飲み続けることでしか生き永らえなかった病だ。
　ただし、魔力回復薬は平民の一か月分の給料にも相当し、大商家や貴族以外では生き延びることができないと言われてきた。これに王族が罹ったことで特効薬を作れという意思表示の為の婚約だった。

「皆も知っている通り、私はこれまで『魔力病』に悩まされてきた。それがこの度、このエディン子爵令嬢の献身のおかげで治癒したのだ！」

「そ、そんな……」

「はぁ……」

　頭を抱える貴族、本当なのかとびっくりする貴族など反応は様々だ。でも、確かにクレヒルト殿下の『魔力病』は治っている。もちろん、あそこの王子に取り入って笑顔を振り撒く女ではなく私の薬で。
　11歳のころから家中の書物を読み、王宮図書館に通いつめ、淑女教育も学園生活も捨てて、七年間必死に王都の研究所で所員たちと頑張った成果だ。

「全部諦めて王子のために頑張ったのにな」

　それを、あの女は最後の治験中に薬を盗み出し王子に与えたのだ。水溶性の為、飲み物にでも混ぜたのだろう。治ったから良かったものの、治験の結果によっては後遺症も考えられた危険な行為だ。
　もちろん、治験の患者にはちゃんと説明してあるし、彼女たちにはもうそれしか道はなかったのだ。庶民では魔力回復薬など買い続けることは不可能なのだから。

「クレヒルト殿下。確かに私は二か月に一度しか殿下のところには行きませんでした。しかし、それも薬の開発の為だったと、以前からお話していたはずですが？」

「その成果が生きた試しがあるのか！　現に私はお前の薬ではなく彼女の愛によって回復したのだ！」

　いや、それ以外にも研究中に他の薬も開発していますけど。体調が悪い時も栄養が取れる薬や、痛みを和らげる薬も。

「お待ちください殿下。確かに娘は殿下に対して無礼を働いておりました。しかし、この娘も研究員として一定の成果を上げております。なにとぞ、ご容赦を……」

　いや、お父様。私は無礼を働いていないよ。殿下へのお見舞いだって、それよりも元気に歩きたいという思いを汲んで、私だって必死に殿下のために頑張ってきたんだから。

「エレステン伯爵。では、貴公はエディンの献身をふいにせよというのか？」

「いえ、ただ婚約をいきなり破棄というのはあまりにも……」

　おお、お父様が権力を手放さないよう珍しく頑張ってる。

「私の耳にまでカノンの名声は聞こえておらぬ。そのような一介の研究員と不治の病を治したエディンの功績が並ぶものだというのか！」

「も、申し訳ございません」



　結局、この後も殿下の勢いは収まらず、私とは婚約破棄という流れになってしまった。私としては一年前から気持ちがエディン子爵令嬢に傾いた殿下と別れられて問題はないんだけど、伯爵家の令嬢としては大問題だ。

「破棄されたのはどうでもいいけど、これじゃあ次の相手も見つからないし、どうしよう……」

　邸に帰ってきて机の前で考え事をしていると、バンッと大きな音とともにお父様が入ってくる。

「カノン！　なんということをしてくれたのだ。これまでお前にどれだけ金をかけたと思っている！　このままのうのうと生きられると思うなよ！」

　言いたいことだけ言うとお父様はまたまたバンッとドアを閉めて出ていった。

「いやいや、お父様には家に代々伝わる蔵書を見せてもらったのと、王宮図書館の立ち入り許可をもらっただけなんだけど」

「お嬢様、また言葉遣いが乱れております」

「だって、リーナ。私、これまで研究研究で何も他の習い事してないんだよ。分かるわけないでしょ？」

「しかし、どういたしましょう。旦那様のあの調子ではこの後どうなるか……」

　確かにリーナの言う通りだ。お父様は結構すぐキレるから思い付きで何をするか判らない。『魔力病』の薬の作り方は私しか知らないから死ぬことはないと思うけどね。研究員の人も最後の工程は知らない。まさか、あんな作り方なんて誰も思わないだろう。

「こうなったら、隣国に逃げる！」

「お嬢様正気ですか？」

「うん、正気も正気。今ならお父様も監視とか思いつかないだろうし、クレヒルト殿下も無茶はしないと思うの。幸い、殿下に会いに行くための装飾品や宝石はいっぱいあるし、隣国まで入れたらそれを売って何とかなると思うの」

「……分かりました。では、私も協力します」

「いいのリーナ？　でも、迷惑かけちゃうよ」

「構いません。夫にも一緒についていくよう話しておきます」

　リーナの夫はライグといい、この邸でコックをしている。なんと、料理長なのだ！　私の薬学の知識にも興味を持ってくれて、協同で薬膳料理の研究もしている。

「でも、料理長がいなくなっても大丈夫なの？」

「構いませんよ。どうせ、戻ってきませんし」

　リーナは若干21歳にして私よりずいぶん大人びて見える。この邸についても未練はなさそうだ。

「あら、誰かしら？」

　微妙なタイミングでドアがノックされた。珍しい、この時間にはほとんど誰も来ないのにお母様かしら？

「お嬢様失礼します」

　入ってきたのは二年前からメイドをしてくれているアーニャだった。たまに音を消してひょっこり現れる心臓に悪いメイドだ。

「お話は聞きました。ぜひ、私もご同行させて下さい」

「アーニャ、盗み聞きですか？」

「申し訳ありません。旦那さまのでかい声がしましたので」

　ん？　何か言葉遣い変じゃない？

「あ、ええ。心配してくれたの。でも、あなたは男爵家の三女でしょう？」

　勝手についてきちゃったら家に迷惑がかかると思うんだけど…。

「家は大丈夫です。三女で特に何もさせてやれないからと、この邸に来て以降は好きにして良いと言われておりますので」

「分かった。それじゃあ、決行は明日ね。すぐに荷物をまとめないと。あなた達も準備して」

「分かりましたわ。ライグにも伝えてきます」

「私はお嬢様の荷造りを手伝います」

「アーニャ、自分の分は？」

「このような日が来てもいいように荷物はいつもまとめてます」

　このメイドは普段から何を想定していたのだろうか……。



　翌日、早めに仕込みと朝食を終えたライグは、他の料理人たちに殿下へのお詫びの品を見繕うという名目で私と一緒に馬車に乗り込む。
　御者を務めるのはアーニャだ。

「いよいよですね。お嬢様」

「ライグもごめんなさい。私がもっとうまくやっていれば……」

「いえいえ、日ごろから旦那様たちはお嬢様に厳し過ぎたのです。貴族が通う学園にさえ通わせないなんてありえないですよ。それに、お嬢様がいないと薬膳料理の研究は進みませんからね」

「あなたったら。お嬢様に失礼ですよ」

「リーナ、いいの。隣国に行ったら私は貴族でも何でもない。あなたたちの給料だって払えないよ」

　今の私が一番心配なのは、この忠義に厚い元使用人たちへ払うお金がないことだ。しばらくは宝石を売るなりして凌げると思うけど……。

「心配いりませんお嬢様。いざとなれば私たちが働いて、お嬢様にはこれまでの代わりにゆっくりとお休みをあげます」

　馬車を引きながらアーニャが励ましてくれる。でも、彼女だって私と同じ18歳で働いているのに甘えられない。

「そうですよ。安心してしばらくはゆっくりしてください」

　リーナにも励まされながら馬車は普段よりは早いスピードで領地を駆けてゆく。そして隣の領に入った。この領地は縦長なので、その向こうにある隣国まで馬車なら三時間程度だろう。

「にしてもアーニャは多芸だね。メイドの仕事もできるし、調合手伝ってもらったし、御者までできるなんて」

「男爵家は基本的にあまり使用人が雇えませんから。子どもも手が足りないところを手伝ったりするんです。そのおかげです」

　その後ろ姿を見つめるが、片手間とはとても思えない。うちの普段からやってくれている御者よりも、乗り心地はいい位だ。

「心配なのは隣国に入れたとしてどうするかですね。お嬢様、どこかの領主に保護を訴えますか？」

「う～ん、確かに私の研究成果を知っていたらそれでも大丈夫だと思うんだけど、閉じ込められて研究生活っていうのも嫌だし悩んでるの。だけど、隣国のことなんて知らないし、立ち寄った町で噂を聞いて回るしかないかな？」

「お嬢様の言う通りですね。まずは後ろ盾を得ないといけません」

　リーナの疑問に自分の考えを伝える。アーニャのお墨付きも出たし、最初はこの方針で行こう。

「最悪は俺が働くから心配はいらない」

「あなた……」

　リーナとライグが二人の世界に入ってる。うらやましいけど今はそういう時でもないんだけどなぁ。

「おほん」

　あっ、自分たちで気づいたみたい。

「まあ、とりあえず関所を通してもらうことが先決ですわね。他国の貴族と警戒されて待ちぼうけをくらっては計画が水の泡です」

「そればっかりは運よね」

　それから私たちは中天に日が差しかかったところで馬車を止め食事をする。料理はライグが前日から用意してくれていたものだ。それ以外にも馬用に新鮮な野菜も持ってきている。

「はい、どーぞ！」

《ヒヒン》

　馬たちも美味しそうに野菜を食べてくれる。うんうん、こうやって元気な生活ができるのが一番よね。




「しかし、アーニャ。昨日の話は本当か？」

「心配無用です。父の許可も取ってあります。何より弟も治験者だったんです……」

「そうだったのね。安心したわ。で、つけられてはいないのよね？」

「そのはずです。昨日の今日ですが、王家もそこまで人をよこすほどあの家を重要視していませんでしたので……」

「なら、必ず今日中に入ってしまわないとな」

「いざとなれば私が身をもって守りますので」

　なんだかあっちは使用人たちで盛り上がってるみたいだし、あなたたちもちょっとは休んでね。私は馬たちに声をかけながら二頭の馬の毛並みを綺麗にしてあげる。たまの気晴らしでこうやってブラッシングを手伝っていたのだ。ほとんど外に出ない私の少ない楽しみだった。

「さあ、お嬢様出発しますよ」

　リーナの掛け声で私たちはまた馬車に乗り込み、隣国へのルートを走る。さっきよりもやや速いペースだが、馬たちも休憩したから大丈夫なようだ。やがて、二時間と少し走ったところで関所が見えてきた。まだまだ昼過ぎという事であまり混雑はしていない。

「アーニャ」

「はい、お嬢様」

　私たちは迷いなく貴族用の入り口へと進む。関所は出国時には簡単な審査が、入国時は入る国の検問がある。出国に関しては伯爵家の身分もあり、簡単に通してもらえた。

「いよいよだね」

「頼んだわよ、アーニャ」

「お任せ下さい、リーナ様」

　国内側の通用門が開き、私は生まれ育った国の大地を後にする。これからが本番だ！

「止まられよ。どこの貴族の方でしょうか？」

　呼びかけられたので馬車から降り答える。

「私はグレンデル王国の伯爵令嬢カノン＝エレステン。この度は貴国への入国を希望いたします」