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第15話 飲食店スタッフとして働いていた時の思い出・凱理
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凱理は、椅子の背にもたれたまま、ゆっくりと視線だけをみんなの方へ向けた。
「……いやその、俺、さっきから聞き役でバランス取れてる感じしません?」
「しません」
即答したのは璃音だった。
「ここまで全員話したのに、凱理くんだけ『ノーエピソードです』は許されません」
「そうだぞ」
絵斗も、マグカップを指先で回しながら乗ってくる。
「この流れで黙ってたら、逆に気になるからな。『あいつだけ過去がない』って」
「そういう厨二な感じじゃないんで」
凱理は、両手を挙げて降参のポーズをした。
「分かりましたよ。言えばいいんでしょ、言えば」
花春が、期待を隠さない顔で身を乗り出す。
「どこの店で働いてたんですか?」
「駅前の、あのチェーンのハンバーガー屋です。
改札出てすぐ右の。やたらポテトの匂いさせてるところ」
「ああ、分かります」
璃音が、すぐに頷いた。
「高校のとき、よく友達と行ってました」
「俺はカウンター側でしたね。制服の帽子かぶって、『スマイルなんちゃら』とか言わされるやつ」
凱理は、頭の上で空中にキャップの形を描いてみせる。
「『いらっしゃいませ~!』ってテンションで言えと言われるけど、心の中では『バイト代早く振り込め』しか思ってなかったです」
「正直だね」
絵斗が苦笑した。
「で、その店で、一発目からやらかしたわけ?」
「一発目じゃないです。二発目くらいです」
「そこは誇るところじゃない」
奏斗の静かなツッコミに、テーブルの空気が一度和んだ。
「えっとですね……」
凱理は、マグカップを指先でくるくる回しながら、少しだけ目を伏せた。
「問題を見なかったふりして、さらにでかくした話、してもいいですか」
◇
高校を卒業してすぐの春。
凱理は、「楽そう」という理由だけでハンバーガー店のアルバイト募集に応募した。
ふわふわのパン。
揚げたてのポテト。
マニュアル完備。
(メニュー少ないし、ボタン押せばなんとかなるだろ)
面接のときも、そこそこ愛想よく受け答えしたつもりだった。
「シフト、土日の昼入れる?」
「入れます入れます。がっつり稼ぎたいんで」
そう答えた自分を、未来の自分は全力で止めたくなる。
初出勤の日、店長は、やたら元気な声で言った。
「今日、クーポン配布の最終日だからね! お客さんいっぱい来るよ~! 大丈夫、すぐ慣れるから!」
(いや、それはたぶん慣れてから聞きたい情報)
心の中でつっこみながら、凱理はレジの前に立った。
制服の帽子をきっちりかぶり、胸の名札には大きく「かいり」と書かれている。
「最初はオーダーだけ取ればいいから。ボタンは横でフォローするからね」
先輩のバイトが隣に立ち、にこにこしている。
(心強い。……はず)
昼近くになると、入口の前にあっという間に行列ができた。
「いらっしゃいませ~!」
「お持ち帰りですか、お召し上がりですか~?」
店内には、あちこちのレジから声が飛び交う。
紙袋の音。
ポテトフライヤーの油の音。
ドリンクマシンの氷の音。
その全部が重なって、頭の中がぐらぐらしてくる。
「次のお客さま、どうぞ~」
いつの間にか、自分の番が回ってきていた。
「えっと、てりやきバーガーのセットを二つと……」
「はい、セット二つで……」
ボタンを押す指が、わずかに滑った。
本来押すべき「セット」のキーの隣。
「単品」という文字が、チカチカと光る。
(……今、単品押した?)
確認する前に、背後から店長の声が飛んできた。
「ドリンクは何にしますか~?」
先輩の助け舟に乗り、会計まで強行突破した。
トレイの上には、バーガー二つ、ポテト二つ、ドリンク二つ。
見た目だけなら、何の問題もない。
が、レジの画面には「単品×2」と「ポテト×2」がバラバラに打ち込まれている。
(まあ……出てるのは合ってるし、よくない?)
その瞬間、凱理の中の「問題から距離を取る癖」が顔を出した。
(忙しいし。いちいち直してたら回らないし。後で先輩がなんとかするだろ、多分)
そうやって、自分の中で強引に納得させた。
——それが、油断の一歩目だった。
◇
昼のピークが落ち着いたころ。
店長が、レジ横の棚から何かの紙を引っ張り出して、「ん?」と眉を寄せた。
「今日、クーポン使用率高いねえ。いいことだけど……あれ?」
横で見ていた先輩が、画面を覗き込む。
「店長、この時間帯、セットの数よりドリンクの数が妙に多くないですか」
「ほんとだ。なんでだろ」
嫌な汗が、背中をつっと伝う。
(あ、これ、さっきの『単品×2』を無理やりセットっぽく出したやつ……だけじゃない気がする)
強引なごまかしをしたのは、一回ではなかった。
似たようなミスをするたびに、頭の中で同じ言い訳を繰り返していた。
(見た目合ってるし。お客さん困ってないし。後でまとめて直せば……)
しかし、「後で」はいつまでたっても来なかった。
その結果、「ドリンクとポテトだけ妙に多いレシート」が数枚重なり、売上の数字と在庫の数が微妙にずれ始めていた。
「凱理くん、ちょっとバックヤード来れる?」
先輩に呼ばれた瞬間、心臓が嫌な跳ね方をした。
◇
バックヤードの空気は、店内よりひんやりしていた。
ソースのボトルや紙袋のストックが整然と並んだ棚の前で、凱理は立たされる。
向かい側には、店長と先輩。
(うわ、完全に『反省会』の配置)
頭の中で変なナレーションが流れる。
「今日のレジ、どうだった?」
店長は、普段と変わらない調子で尋ねた。
「えっと……まだ慣れてなくて……。でも、先輩がフォローしてくれて」
「そうだね。最初にしては頑張ってたと思うよ」
褒められた。
そこだけ聞けば安心できるはずだった。
が、店長はすぐに続けた。
「ただ、『単品押してからセットっぽく出す』の、何回かやったよね」
先輩が、申し訳なさそうに横から口を挟む。
「レシート、ちょっと変だったから、気になって」
「……すみません」
認める言葉は、意外とすぐ出てきた。
問題は、そのあとだ。
「どうして、その場で言わなかった?」
店長の声は、怒鳴るでもなく、淡々としていた。
「忙しくて……直す時間が、ないかなって」
「忙しいのは分かる。
でも、君が『まあいいか』と思って通した一回が、何枚も重なると、こうなる」
店長は、数字の書かれた紙を一枚見せた。
「この時間帯、本来出ているはずのセット数と、実際に打たれた数が合ってない」
「……」
「お客さんの目には見えない。けど、数字には全部残る。
それを、レジ担当の君が一番よく知ってるはずだよね」
ぐうの音も出なかった。
(そうなんだよな。レジって、全部残るんだよな)
問題を見なかったふりをしても、記録の中からは消えてくれない。
「間違えたこと自体は、そんなに珍しいことじゃない」
先輩が、少し柔らかい声でフォローする。
「私だって最初の頃、バグレベルで打ち間違えたし」
「ただね」
店長が言葉を引き継いだ。
「『間違えたの、バレなきゃいいや』って思うとさ——」
そこで、一度だけため息をつく。
「だいたい、バレたときに面倒くささが十倍になる」
それは、怒鳴り声よりよほどこたえる言い方だった。
「……はい」
「君が『楽な方に逃げた』結果、今こうして、わざわざ時間を取って話してる。
この時間、別の仕込みに使えたかもしれない」
その指摘は、妙に具体的だった。
何に使えたかまで想像してしまうから、余計に刺さる。
「じゃあ、どうするか」
店長は、紙を指で折り曲げながら続けた。
「このズレを、一緒に埋めてもらう」
「……え?」
「在庫の数、全部数え直す。
ポテトも、ソースも、バンズも。今日の分のレシートも見直す」
「全部、ですか」
「全部」
先輩と視線が合う。
彼女は、苦笑いを浮かべて肩を竦めた。
「一人でやると朝になりますから、私も付き合います」
「すみません……」
「謝る相手は、最後まで付き合う人じゃなくて、ミスを隠された人の方ですよ」
その一言は、ぐさりと来た。
◇
その日の閉店後。
他のスタッフが帰ったあと、バックヤードには三人だけが残った。
「ポテト、冷凍庫から一袋ずつ出して確認ね」
先輩の指示に従い、凱理は箱を開ける。
冷気が顔に当たる。
袋の端に書かれた個数を確認しながら、数を合わせていく。
バンズの袋。
紙ナプキン。
ドリンクのシロップ。
地味な作業が延々と続いた。
「……俺、今まで、こういうの全部『上の人がやること』だと思ってました」
手を動かしながら漏らすと、先輩は軽く笑った。
「まあ、そう思いたくなるよね」
「思いたくなる、ってことは違うんですよね」
「そうだね。
でも、『違うよ』って言われるまでは、自分から気づかないことの方が多いかな」
先輩は、バンズの袋を一つ手に取り、指先で軽く叩いた。
「私ね、前のバイト先で、レジの差額千円をごまかしたことあるよ」
「え」
思わず顔を上げる。
「『自分のミスかどうか分かんないし』って思って、黙ってた。
そしたら翌月、謎のマイナスが積み重なってて、社員さんが徹夜で原因探してた」
「……」
「そのとき、めちゃくちゃ怒られた。
『千円で済んだ話を、一ヶ月放置したら、もう千円じゃ済まなくなる』って」
先輩は、少しだけ苦笑する。
「だから、今日凱理くんのレシート見た瞬間、昔の自分思い出したんだよね」
「俺だけじゃないって聞いて、ちょっと安心しました」
「安心するポイント、そこじゃない」
そこでようやく、三人の間に笑い声が生まれた。
全部数え終わる頃には、時計は日付の境目を少し越えていた。
「ふう……お疲れ」
店長が、冷蔵庫をそっと閉める。
「数字は何とか帳尻合わせられた。
でも、一番大事なのはここからだ」
「ここから?」
「次、同じことが起きそうになったとき、どうするか」
その問いに、凱理は少し考えてから答えた。
「……その場で『間違えました』って言います」
「嫌でも?」
「嫌ですけど」
一瞬、黙る。
「でも、今日みたいに残業で在庫数えるのは、もっと嫌なんで」
正直な答えだった。
店長は、ふっと吹き出した。
「まあ、それも立派な動機だ」
先輩も笑いながら頷く。
「『面倒なことを増やしたくない』って気持ちを、ちゃんと未来の自分の方に向ければ、わりと使えるよ」
「今日までの俺、使い方間違えてたってことですね」
「そういうこと」
その会話で、ようやく背中の強張りがほぐれていった。
◇
「……というわけで」
凱理は、「川べり文庫」のテーブルに肘をつきながら話を締めくくった。
「俺の『飲食店スタッフ時代の思い出』は、『レジのミスをごまかしたら地獄の在庫カウントが待っていた』っていう教訓話です」
「タイトル、長いですね」
璃音が、肩を震わせる。
「でも、すごく凱理くんらしいです。
『怒られたくない』より、『残業が嫌』で学ぶタイプ」
「結果オーライってことで」
凱理は、居直るように胸を張った。
「それからは、ミスったらすぐ言うようにしたんですか?」
花春が尋ねる。
「……九割くらいは」
微妙な数字に、テーブルがざわついた。
「残り一割は?」
「『いや、気のせいかも』って思って様子見してるうちに、先に誰かが気づいてくれることもあるんで」
「それ、人任せって言うんですよ」
奏斗の落ち着いたツッコミが飛ぶ。
「でもさ」
凱理は、少しだけ真面目な顔になった。
「ここに来てからは、前よりマシになったと思います」
「ほう」
「この店って、誰かがミスしたとき、『犯人探し』じゃなくて、『どうやって片づけるか』の方に話が進むじゃないですか。
それ見てると、『とりあえず言っといた方が被害少なそうだな』って思えるんで」
それは、凱理なりの最大級の評価だった。
「この前も、オーダー伝票一枚飛ばしかけたときに、すぐ言ってましたね」
絵斗が思い出したように言う。
「『今ならまだ間に合う気がします!』って、めちゃくちゃ元気に」
「元気だけはありましたね」
璃音が笑う。
「だって、あのとき黙ってたら、絶対またバックヤードで『在庫の数え直し大会』になると思ったんで」
「トラウマの活用法としては、わりと健全ですね」
花春が感心したように頷いた。
「少なくとも、『問題を見なかったふりした結果、面倒くささ十倍』は回避できてるわけですし」
「まあ、まだ三倍くらいにはなってますけどね」
凱理は、自嘲気味に笑った。
「ほんとは、最初からちゃんと向き合えればいいんですけど。
俺、根本的に『楽な方に逃げたい生き物』なんで」
「自分で分かってるだけでも一歩前進ですよ」
奏斗が、穏やかな声で言う。
「逃げ癖がある人は、『今逃げたら、あとでどれくらい面倒になるか』を一度味わっているかどうかでだいぶ違いますから」
「味わいましたね、冷凍ポテトの箱の前で」
凱理は、肩をすくめた。
「だから、ここではできるだけ、逃げる前に一回誰かに相談するようにしてます。
どうせ一人でごまかそうとしても、あとでバレるんで」
「いいですね、その方針」
花春が、嬉しそうに頷いた。
「『逃げるときは、誰かと一緒に』っていうのは、ある意味この店らしいかもしれません」
「それ、ちょっといい言い方に聞こえますけど、内容的には問題あるやつでは」
璃音の指摘に、テーブルの笑い声が一段高くなる。
◇
窓の外では、川面の灯りがさらに少なくなっていた。
終電の時間が近づき、街の明かりそのものが、少しずつ寝支度を始めている。
「……じゃあ、ラストは阿紗美さんですね」
璃音が、マグカップを持ち上げながら言う。
「走り続けてきた人の『飲食店時代』、気になります」
視線が、今度は阿紗美に向かう。
彼女は、少しだけ背筋を伸ばし、照れ隠しのように笑った。
「私は、走るのをやめた場所で働き始めたので、その話になると思います」
酒の流れる川のほとりで、閉店後の小さな座談会は、
まだもう一つ、「働いていた頃の自分」の物語を待っていた。
「……いやその、俺、さっきから聞き役でバランス取れてる感じしません?」
「しません」
即答したのは璃音だった。
「ここまで全員話したのに、凱理くんだけ『ノーエピソードです』は許されません」
「そうだぞ」
絵斗も、マグカップを指先で回しながら乗ってくる。
「この流れで黙ってたら、逆に気になるからな。『あいつだけ過去がない』って」
「そういう厨二な感じじゃないんで」
凱理は、両手を挙げて降参のポーズをした。
「分かりましたよ。言えばいいんでしょ、言えば」
花春が、期待を隠さない顔で身を乗り出す。
「どこの店で働いてたんですか?」
「駅前の、あのチェーンのハンバーガー屋です。
改札出てすぐ右の。やたらポテトの匂いさせてるところ」
「ああ、分かります」
璃音が、すぐに頷いた。
「高校のとき、よく友達と行ってました」
「俺はカウンター側でしたね。制服の帽子かぶって、『スマイルなんちゃら』とか言わされるやつ」
凱理は、頭の上で空中にキャップの形を描いてみせる。
「『いらっしゃいませ~!』ってテンションで言えと言われるけど、心の中では『バイト代早く振り込め』しか思ってなかったです」
「正直だね」
絵斗が苦笑した。
「で、その店で、一発目からやらかしたわけ?」
「一発目じゃないです。二発目くらいです」
「そこは誇るところじゃない」
奏斗の静かなツッコミに、テーブルの空気が一度和んだ。
「えっとですね……」
凱理は、マグカップを指先でくるくる回しながら、少しだけ目を伏せた。
「問題を見なかったふりして、さらにでかくした話、してもいいですか」
◇
高校を卒業してすぐの春。
凱理は、「楽そう」という理由だけでハンバーガー店のアルバイト募集に応募した。
ふわふわのパン。
揚げたてのポテト。
マニュアル完備。
(メニュー少ないし、ボタン押せばなんとかなるだろ)
面接のときも、そこそこ愛想よく受け答えしたつもりだった。
「シフト、土日の昼入れる?」
「入れます入れます。がっつり稼ぎたいんで」
そう答えた自分を、未来の自分は全力で止めたくなる。
初出勤の日、店長は、やたら元気な声で言った。
「今日、クーポン配布の最終日だからね! お客さんいっぱい来るよ~! 大丈夫、すぐ慣れるから!」
(いや、それはたぶん慣れてから聞きたい情報)
心の中でつっこみながら、凱理はレジの前に立った。
制服の帽子をきっちりかぶり、胸の名札には大きく「かいり」と書かれている。
「最初はオーダーだけ取ればいいから。ボタンは横でフォローするからね」
先輩のバイトが隣に立ち、にこにこしている。
(心強い。……はず)
昼近くになると、入口の前にあっという間に行列ができた。
「いらっしゃいませ~!」
「お持ち帰りですか、お召し上がりですか~?」
店内には、あちこちのレジから声が飛び交う。
紙袋の音。
ポテトフライヤーの油の音。
ドリンクマシンの氷の音。
その全部が重なって、頭の中がぐらぐらしてくる。
「次のお客さま、どうぞ~」
いつの間にか、自分の番が回ってきていた。
「えっと、てりやきバーガーのセットを二つと……」
「はい、セット二つで……」
ボタンを押す指が、わずかに滑った。
本来押すべき「セット」のキーの隣。
「単品」という文字が、チカチカと光る。
(……今、単品押した?)
確認する前に、背後から店長の声が飛んできた。
「ドリンクは何にしますか~?」
先輩の助け舟に乗り、会計まで強行突破した。
トレイの上には、バーガー二つ、ポテト二つ、ドリンク二つ。
見た目だけなら、何の問題もない。
が、レジの画面には「単品×2」と「ポテト×2」がバラバラに打ち込まれている。
(まあ……出てるのは合ってるし、よくない?)
その瞬間、凱理の中の「問題から距離を取る癖」が顔を出した。
(忙しいし。いちいち直してたら回らないし。後で先輩がなんとかするだろ、多分)
そうやって、自分の中で強引に納得させた。
——それが、油断の一歩目だった。
◇
昼のピークが落ち着いたころ。
店長が、レジ横の棚から何かの紙を引っ張り出して、「ん?」と眉を寄せた。
「今日、クーポン使用率高いねえ。いいことだけど……あれ?」
横で見ていた先輩が、画面を覗き込む。
「店長、この時間帯、セットの数よりドリンクの数が妙に多くないですか」
「ほんとだ。なんでだろ」
嫌な汗が、背中をつっと伝う。
(あ、これ、さっきの『単品×2』を無理やりセットっぽく出したやつ……だけじゃない気がする)
強引なごまかしをしたのは、一回ではなかった。
似たようなミスをするたびに、頭の中で同じ言い訳を繰り返していた。
(見た目合ってるし。お客さん困ってないし。後でまとめて直せば……)
しかし、「後で」はいつまでたっても来なかった。
その結果、「ドリンクとポテトだけ妙に多いレシート」が数枚重なり、売上の数字と在庫の数が微妙にずれ始めていた。
「凱理くん、ちょっとバックヤード来れる?」
先輩に呼ばれた瞬間、心臓が嫌な跳ね方をした。
◇
バックヤードの空気は、店内よりひんやりしていた。
ソースのボトルや紙袋のストックが整然と並んだ棚の前で、凱理は立たされる。
向かい側には、店長と先輩。
(うわ、完全に『反省会』の配置)
頭の中で変なナレーションが流れる。
「今日のレジ、どうだった?」
店長は、普段と変わらない調子で尋ねた。
「えっと……まだ慣れてなくて……。でも、先輩がフォローしてくれて」
「そうだね。最初にしては頑張ってたと思うよ」
褒められた。
そこだけ聞けば安心できるはずだった。
が、店長はすぐに続けた。
「ただ、『単品押してからセットっぽく出す』の、何回かやったよね」
先輩が、申し訳なさそうに横から口を挟む。
「レシート、ちょっと変だったから、気になって」
「……すみません」
認める言葉は、意外とすぐ出てきた。
問題は、そのあとだ。
「どうして、その場で言わなかった?」
店長の声は、怒鳴るでもなく、淡々としていた。
「忙しくて……直す時間が、ないかなって」
「忙しいのは分かる。
でも、君が『まあいいか』と思って通した一回が、何枚も重なると、こうなる」
店長は、数字の書かれた紙を一枚見せた。
「この時間帯、本来出ているはずのセット数と、実際に打たれた数が合ってない」
「……」
「お客さんの目には見えない。けど、数字には全部残る。
それを、レジ担当の君が一番よく知ってるはずだよね」
ぐうの音も出なかった。
(そうなんだよな。レジって、全部残るんだよな)
問題を見なかったふりをしても、記録の中からは消えてくれない。
「間違えたこと自体は、そんなに珍しいことじゃない」
先輩が、少し柔らかい声でフォローする。
「私だって最初の頃、バグレベルで打ち間違えたし」
「ただね」
店長が言葉を引き継いだ。
「『間違えたの、バレなきゃいいや』って思うとさ——」
そこで、一度だけため息をつく。
「だいたい、バレたときに面倒くささが十倍になる」
それは、怒鳴り声よりよほどこたえる言い方だった。
「……はい」
「君が『楽な方に逃げた』結果、今こうして、わざわざ時間を取って話してる。
この時間、別の仕込みに使えたかもしれない」
その指摘は、妙に具体的だった。
何に使えたかまで想像してしまうから、余計に刺さる。
「じゃあ、どうするか」
店長は、紙を指で折り曲げながら続けた。
「このズレを、一緒に埋めてもらう」
「……え?」
「在庫の数、全部数え直す。
ポテトも、ソースも、バンズも。今日の分のレシートも見直す」
「全部、ですか」
「全部」
先輩と視線が合う。
彼女は、苦笑いを浮かべて肩を竦めた。
「一人でやると朝になりますから、私も付き合います」
「すみません……」
「謝る相手は、最後まで付き合う人じゃなくて、ミスを隠された人の方ですよ」
その一言は、ぐさりと来た。
◇
その日の閉店後。
他のスタッフが帰ったあと、バックヤードには三人だけが残った。
「ポテト、冷凍庫から一袋ずつ出して確認ね」
先輩の指示に従い、凱理は箱を開ける。
冷気が顔に当たる。
袋の端に書かれた個数を確認しながら、数を合わせていく。
バンズの袋。
紙ナプキン。
ドリンクのシロップ。
地味な作業が延々と続いた。
「……俺、今まで、こういうの全部『上の人がやること』だと思ってました」
手を動かしながら漏らすと、先輩は軽く笑った。
「まあ、そう思いたくなるよね」
「思いたくなる、ってことは違うんですよね」
「そうだね。
でも、『違うよ』って言われるまでは、自分から気づかないことの方が多いかな」
先輩は、バンズの袋を一つ手に取り、指先で軽く叩いた。
「私ね、前のバイト先で、レジの差額千円をごまかしたことあるよ」
「え」
思わず顔を上げる。
「『自分のミスかどうか分かんないし』って思って、黙ってた。
そしたら翌月、謎のマイナスが積み重なってて、社員さんが徹夜で原因探してた」
「……」
「そのとき、めちゃくちゃ怒られた。
『千円で済んだ話を、一ヶ月放置したら、もう千円じゃ済まなくなる』って」
先輩は、少しだけ苦笑する。
「だから、今日凱理くんのレシート見た瞬間、昔の自分思い出したんだよね」
「俺だけじゃないって聞いて、ちょっと安心しました」
「安心するポイント、そこじゃない」
そこでようやく、三人の間に笑い声が生まれた。
全部数え終わる頃には、時計は日付の境目を少し越えていた。
「ふう……お疲れ」
店長が、冷蔵庫をそっと閉める。
「数字は何とか帳尻合わせられた。
でも、一番大事なのはここからだ」
「ここから?」
「次、同じことが起きそうになったとき、どうするか」
その問いに、凱理は少し考えてから答えた。
「……その場で『間違えました』って言います」
「嫌でも?」
「嫌ですけど」
一瞬、黙る。
「でも、今日みたいに残業で在庫数えるのは、もっと嫌なんで」
正直な答えだった。
店長は、ふっと吹き出した。
「まあ、それも立派な動機だ」
先輩も笑いながら頷く。
「『面倒なことを増やしたくない』って気持ちを、ちゃんと未来の自分の方に向ければ、わりと使えるよ」
「今日までの俺、使い方間違えてたってことですね」
「そういうこと」
その会話で、ようやく背中の強張りがほぐれていった。
◇
「……というわけで」
凱理は、「川べり文庫」のテーブルに肘をつきながら話を締めくくった。
「俺の『飲食店スタッフ時代の思い出』は、『レジのミスをごまかしたら地獄の在庫カウントが待っていた』っていう教訓話です」
「タイトル、長いですね」
璃音が、肩を震わせる。
「でも、すごく凱理くんらしいです。
『怒られたくない』より、『残業が嫌』で学ぶタイプ」
「結果オーライってことで」
凱理は、居直るように胸を張った。
「それからは、ミスったらすぐ言うようにしたんですか?」
花春が尋ねる。
「……九割くらいは」
微妙な数字に、テーブルがざわついた。
「残り一割は?」
「『いや、気のせいかも』って思って様子見してるうちに、先に誰かが気づいてくれることもあるんで」
「それ、人任せって言うんですよ」
奏斗の落ち着いたツッコミが飛ぶ。
「でもさ」
凱理は、少しだけ真面目な顔になった。
「ここに来てからは、前よりマシになったと思います」
「ほう」
「この店って、誰かがミスしたとき、『犯人探し』じゃなくて、『どうやって片づけるか』の方に話が進むじゃないですか。
それ見てると、『とりあえず言っといた方が被害少なそうだな』って思えるんで」
それは、凱理なりの最大級の評価だった。
「この前も、オーダー伝票一枚飛ばしかけたときに、すぐ言ってましたね」
絵斗が思い出したように言う。
「『今ならまだ間に合う気がします!』って、めちゃくちゃ元気に」
「元気だけはありましたね」
璃音が笑う。
「だって、あのとき黙ってたら、絶対またバックヤードで『在庫の数え直し大会』になると思ったんで」
「トラウマの活用法としては、わりと健全ですね」
花春が感心したように頷いた。
「少なくとも、『問題を見なかったふりした結果、面倒くささ十倍』は回避できてるわけですし」
「まあ、まだ三倍くらいにはなってますけどね」
凱理は、自嘲気味に笑った。
「ほんとは、最初からちゃんと向き合えればいいんですけど。
俺、根本的に『楽な方に逃げたい生き物』なんで」
「自分で分かってるだけでも一歩前進ですよ」
奏斗が、穏やかな声で言う。
「逃げ癖がある人は、『今逃げたら、あとでどれくらい面倒になるか』を一度味わっているかどうかでだいぶ違いますから」
「味わいましたね、冷凍ポテトの箱の前で」
凱理は、肩をすくめた。
「だから、ここではできるだけ、逃げる前に一回誰かに相談するようにしてます。
どうせ一人でごまかそうとしても、あとでバレるんで」
「いいですね、その方針」
花春が、嬉しそうに頷いた。
「『逃げるときは、誰かと一緒に』っていうのは、ある意味この店らしいかもしれません」
「それ、ちょっといい言い方に聞こえますけど、内容的には問題あるやつでは」
璃音の指摘に、テーブルの笑い声が一段高くなる。
◇
窓の外では、川面の灯りがさらに少なくなっていた。
終電の時間が近づき、街の明かりそのものが、少しずつ寝支度を始めている。
「……じゃあ、ラストは阿紗美さんですね」
璃音が、マグカップを持ち上げながら言う。
「走り続けてきた人の『飲食店時代』、気になります」
視線が、今度は阿紗美に向かう。
彼女は、少しだけ背筋を伸ばし、照れ隠しのように笑った。
「私は、走るのをやめた場所で働き始めたので、その話になると思います」
酒の流れる川のほとりで、閉店後の小さな座談会は、
まだもう一つ、「働いていた頃の自分」の物語を待っていた。
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