会計帳簿で悪を斬る!45歳元官吏、失われた大帳簿と虚数魔術を巡る逆転劇

乾為天女

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第31話_白帳派の開帳

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 正午、王宮の大広間。高さ十数メルトもの天井からは、透き通る銀糸の幕が垂れ、空中には数百の帳票幻灯が浮かびあがっていた。
  儀礼用の会計魔道陣――その中心で、白い長衣を纏った七人の主計官たちが並ぶ。彼らこそ〈白帳派〉の中核、国家財政の神託者とされる者たちだった。
 「――これより、王国第七百九十二期決算祭、開帳の儀を執り行う」
  先頭に立つ老主計・レインベルが、荘重な声で宣言すると、天井から帳票の雨が降り始めた。それらは過去一年の国家予算、歳入、歳出の全履歴を幻視化するものだった。
  しかしその数字列は、明らかにおかしい。
 「まただ……収支が“均衡”している」
  広間の隅で腕を組んでいた暖大が、眉間を寄せた。歳入と歳出の整合率が“ぴたりと一致”するなどありえない。これは虚数精算による改竄の兆候だった。
  暖大の鞄の中では、本物の“大帳簿”が微かに揺れていた。
 「幻想の均衡で人々を安心させ、帳簿の裏で国家を喰う……。くだらん見せかけだ」
  彼の口調には怒気ではなく、諦観に似た冷たさがにじんでいた。
  そのとき、白帳派の壇上の一角で、ひとりの主計官が前に進み出る。
 「次に、国家貯蔵魔力の“虚数精算”を執り行う」
  薄緑色の魔道陣が広がり、浮かぶ数字たちが次々と虚数空間へと書き換えられていく。
  ――その瞬間だった。
 「その精算、少々待っていただこう」
  会場のどよめきを押し切るように、声が轟いた。
  その声を放ったのは、式場の南扉からゆっくりと歩み出た男、暖大だった。
 「……誰だ! 身分を示せ!」
 「元・帳簿局第一計算室、暖大。今はただの流浪者です」
  ざわつく場内をよそに、彼は肩から革鞄を外し、錠をひとつひとつ外していく。
  パチリ。パチリ。
  最後の錠を外したとき、光の中から一冊の古帳簿が姿を現した。
  背表紙に記された刻印を、主計官たちが見逃すはずがなかった。
 「……まさか……千年前の、“大帳簿”……」
  会場が静まり返る。
  暖大は大帳簿を高く掲げた。
 「虚数精算の根拠が、どこにあるか――皆さん、この帳簿を見ればわかります」
  彼の声は穏やかで、しかし決して折れなかった。
 「国家の収支は均衡などしていない。むしろ長年にわたって、ある特定の貴族層と財団へ、不自然な“逆流”が発生していた。大帳簿はその証拠です」
  幻灯の帳票がざわめき、まるで空間自体が驚いているように波打った。
 「私がいまから行うのは、“虚数精算”の逆算入力。国家がどれほど搾取されていたか、逆に“戻して”みせましょう」
  白帳派の顔が一斉に青ざめた。
  だが、もう遅かった。
  暖大の手が、儀式陣の副演算台へ伸びる。
 「虚数関数、項を逆転――負荷を市民側へ、ではなく“国庫側”へ還元する」
  彼が入力した数式が魔道陣に走り、今まで曖昧だった精算術の数列が次々と“元に戻されていく”。
  空中に浮かぶ数字たちが、ひとつ、またひとつと「真の姿」を見せ始めていた。


 床下の装置から唸るような共鳴音が響き出す。通常ならば、虚数精算の演算結果は“見えない”はずだった――だがいま、逆算入力によってそれが“見える形”で実体化しつつあった。
  民衆の口々から驚愕と怒りが交錯する声が漏れる。
 「……我々の年金、こんなに削られて……?」
 「診療費が年々上がってたのは、このせいか!」
 「魔力配給が削減された理由が“貴族の納屋”の維持費だと?」
  広間の帳票は、すでに“虚数”ではなく“実数”として、民衆に牙を剥いていた現実を可視化していた。
  暖大は静かに続けた。
 「“虚数精算”とは、民衆から取った税を、どこにも“帳簿上で残らない方法”で消す魔術です。しかし、帳簿が存在している限り、その痕跡は必ず残る。だからこそ、私はこの“大帳簿”を持ち出しました」
  壇上では、白帳派の主計官のひとりが慌てて操作盤に手をかけたが――すでに遅かった。
  演算装置の主要中枢は、先ほど暖大が副演算台から“根式”を書き換えたことで、完全に逆転モードへと移行していた。
  まるで国そのものが、口を開けて搾取を“吐き出す”かのように、空間の中の光が反転してゆく。
  そしてその瞬間――
 「市民各位の口座に、“国庫返還”が始まりました」
  祐香の声が、幻灯塔の通信網を通じて全市域に響き渡った。
 「これは決算祭の記念配布ではありません。正真正銘、あなたたちが“取り戻した”資産です!」
  歓声が、一拍置いて、爆発した。
  民衆の中から、涙ぐむ老女がいた。握る通帳には、見覚えのない五桁の数字。隣の青年が呟く。
 「……これで……妹の手術、受けられる……!」
  暖大はその光景を見て、胸の奥で何かが静かに溶けていくのを感じていた。
  ここまで長かった。誰にも理解されなかった帳簿の細部。腐った数字の裏に隠された声なき犠牲。
 「もう大丈夫だ……お前たちの声は、帳簿の中に刻まれている」
  暖大は大帳簿をそっと閉じ、深々と一礼した。
  その姿に、誰からともなく拍手が起こる。やがてそれは会場全体に広がり、まるで王国全体が、新しい“計算”へと進もうとしているようだった。
  そして――白帳派は、ついに沈黙した。
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