会計帳簿で悪を斬る!45歳元官吏、失われた大帳簿と虚数魔術を巡る逆転劇

乾為天女

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第32話_虚数精算反転

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 王宮大広間の帳簿壇上、淡い青光を放つ“計算陣”が起動し始めた。白帳派の帳将たちが円陣を組み、千年帳簿を囲む。壇の中央に立つのは総長エルヴェ。金刺繍のローブを翻し、口元に冷笑を浮かべる。
 「国家の余剰は、時を超え我らの糧となるべし。いざ、“虚数精算”を!」
  詠唱とともに陣の結節点が光を増し、空間がねじれ始める。壇下では貴族と官僚が立ち並び、民衆代表は遠巻きに見守っていた。
  そこへ、壇へ踏み出した男が一人。
  暖大だった。
  その手には、褐色の革表紙で綴じられた巨大な帳簿があった。脇に控える萌衣、誠、祐香、一成、愛弓の五人は、それぞれ緊張の面持ちで場を囲む。
 「その精算、国家の命脈を喰らう逆算だ。ならば――我々はその関数を反転させてもらおう」
  ざわつく会場。エルヴェが冷ややかな目で笑った。
 「哀れな元帳簿係が、何を寝言を。これは千年前の契約と術式だ。我ら以外、扱えるはずもなかろう」
  暖大は静かに返す。
 「ならば試してみるといい。この千年前の大帳簿……お前たちの術式の起点となる“原式典型”には、反転値もまた刻まれている」
  彼は帳簿を開き、中央の“虚数仕訳頁”に掌を添えた。淡く文字が浮かび上がると同時に、背後の計算陣が一瞬脈動を止めた。
 「詠唱を開始します。萌衣、補助を」
 「了解」
  萌衣の治癒術式が、暖大の脳内に直接数式を投影する。思考の迷いを消すための補助魔法だ。彼は一息吸い、低く語り始めた。
 「負の等比、零点関数、そして市民一人一人の税源口座へ――」
  指先が計算陣をなぞるように動き、数式が空間に刻まれてゆく。
 「“虚数精算”、反転入力。開始」
  次の瞬間、空間が震えた。
  計算陣が、音もなく逆回転を始めたのだ。
  白帳派の陣形が崩れ、数人が尻餅をつく。エルヴェは信じられぬという顔で叫ぶ。
 「ば、馬鹿な! 逆算など――国庫の制御は我らの術式下にあるはず!」
  祐香が会場の片隅から声をあげた。
 「暖大さんは“原式典型”を元に、国家会計の関数モデルを構築していたの。すべての帳簿改竄は、逆転可能な形式で蓄積されていた」
  一成がすぐさま続ける。
 「そして民衆の口座へ、自動再分配が始まっている。証拠も送った。王都各地の通貨魔石が応答してる」
  会場の誰かが叫ぶ。「俺の家の口座、光ってるぞ!」――次々と歓声が起きる。
  愛弓が静かに壇の端へ進み、手を高く掲げた。
 「これが、我らの“大返却”です! 搾取された税が、民に還る――それこそが、国家の真なる決算!」
  民衆の歓声が一気に広がり、貴族たちの一部も思わず立ち尽くした。
  壇上の暖大は、重い一歩を踏みしめるように語る。
 「私たちは、帳簿を数字として扱うが、そこに記されるのは人の命の重みだ。君たちはそれを、ただの利得としか見なかった。ならば、その重さを思い知るがいい」
  エルヴェが憤怒に震え、魔術剣を抜こうとした刹那、誠が盾を構えて前へ出た。
 「これより先は、真剣の問答だな」
  冷気が空気を裂き、計算陣は静かに収束へ向かっていた。空中に浮かんだ“分配記録”が、自動的に王都のすべての口座へ伝達されていく――


 白帳派の結界が軋む音を立てて崩れ始めた。
  計算陣の中央には、まるで天体の運行を模すような幾何魔術が展開され、空間に浮かぶ帳簿群がひとつひとつ民衆の口座と接続されてゆく。空を埋め尽くす青光の糸――それは、かつて隠されていた“搾取の証拠”が、今まさに“還元の根拠”として変化した瞬間だった。
 「これは……こんな魔術、前例がない……!」
  壇上で膝をつく白帳派の記録係が、蒼白な顔で呟く。暖大は、眉一つ動かさず静かに言った。
 「君たちは、前例があることしかやってこなかった。それが腐敗を生んだ」
  エルヴェはなおも叫ぶ。「民に金を返せば、王国の蓄積が崩壊するぞ! 今後の戦費も、王家の威光も、何もかも!」
  暖大は振り返らず、応える。
 「それでも民が生き残れる国家のほうが、“収支”として正しい」
  その言葉は、数値を扱う者の確信だった。
  決算陣が最終段階に入る。萌衣が補助魔法を切り替え、暖大の意識を支え続ける。高密度の魔力運算が脳を焼きかねない状況だが、彼は平然と式を組み替え続けていた。
  会場のあちこちから歓喜の声が響く。
 「娘の入院費が返ってきた……!」
 「今年の種籾が買えるぞ!」
 「借金が……帳消しになった……」
  それらの声が、まるで祝詞のように天井へ昇っていく。
  愛弓が高らかに宣言する。
 「この日をもって、灰雲峡国の決算体系は、白帳派による特権制度から解き放たれました! 市民一人ひとりが納めた税は、記録され、照合され、正しく還元されます!」
  それは、ただの制度変更ではなかった。
  それは、国家という巨大な魔術機構を、人の手に取り戻すための“逆魔術”だった。
  計算陣が、最後の点灯を示した。
  すべての転送処理が完了し、原式帳簿が再封印される。暖大は、その場に膝をつく。彼の呼吸は浅く、しかし満足げだった。
 「……終わった。あとは、君たちがやればいい」
  萌衣がすぐに駆け寄り、肩を支える。
 「まだ立っていただきますよ、暖大さん。次は、平和な世界の構築です」
  誠が剣を下ろし、祐香がそっと魔符を仕舞う。一成は周囲を警戒しながら、静かに微笑んだ。
 「“国家”という数字の集合体に、人間の尊厳を取り戻した。それは、あなたの功績だ、暖大さん」
  大広間には、もはや白帳派の支配の気配はなかった。
  暖大はふと、遠くの壁に掛けられた古い王国憲章の額縁を見やり、微かに口角を上げた。
 「じゃあ次は……“引き算”の時間かな」
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