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第1話 帰ってきた颯馬と雪杜駅
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電車が雪をかき分けるたび、窓の外で粉雪がさらさらと滑り落ちていった。真冬の夕方、山の影が早く伸び始めたころ、ローカル線の終点・雪杜駅のホームが、ゆっくりと視界に近づいてくる。
座席に腰を沈めたまま、颯馬は膝の上のレザーバッグを片手で押さえた。中には、雪杜町の人口推移と観光客数のグラフを印刷した資料がぎっしり詰まっている。折れ線グラフはきれいに右肩下がりで、その形に見覚えのありすぎる都会の出身地を思い出し、思わず息が漏れた。
「……俺の地元まで、同じカーブ描かなくていいんだけどな」
小さくこぼした独り言は、走行音にかき消される。車内アナウンスが「まもなく終点、雪杜」と告げた。顔を上げると、ホームの屋根から太い氷柱が何本もぶら下がっているのが見える。
電車が停まり、ドアが開いた瞬間、冷たい空気が容赦なく流れ込んできた。都会の乾いた寒さとは違う、湿った雪の匂いを含んだ冷気だ。颯馬はマフラーを引き上げ、ホームに降り立つ。靴底の下で、雪がざくりと音を立てた。
「さーつーまー! 時間ぴったり!」
改札の向こうで、大きなボードを掲げている人影が跳ねた。丸文字で「おかえり 颯馬」と書かれたボードには、雪だるまと小さな駅舎のイラストまで描かれている。
「……そのボード、絶対に役場の備品だろ」
「バレました? 会議用の模造紙一本、うまく再利用しました」
ボードを掲げていた瑠奈が、得意げとも申し訳なさそうともつかない顔で笑う。コートのポケットには、いつものようにペンと付箋が何本も挿さっていた。
「体調は? 電車乗り継ぎっぱなしでしょ。今日は駅→役場→仮住まいの順で回るから、覚悟してね。はいこれ、今日の段取り」
彼女は、寒さもものともせずに手帳を広げてみせた。時間ごとに細かく区切られたマス目には、「迎え」「役場挨拶」「鍵受け渡し」「夕飯候補店」といった文字がびっしりと並んでいる。
「五分刻みかよ」
「冬の五分は貴重です」
口ではそう言いながらも、彼女は颯馬のコートの襟についた雪をさりげなく払う。その指先の動きに、ここにいる一年間が、単なる里帰りでは終わらない予感が混ざった。
駅を出ると、タクシーが一台、エンジンをかけたまま待っていた。車窓から見える駅前ロータリーには、シャッターを下ろした店が目立つ。かつて土産物屋だった店には「テナント募集」の紙が貼られ、喫茶店の看板は文字がかすれて判読しにくい。
「……一、二、三、四、五」
無意識のうちに、閉まっている店の数を数えている自分に気づき、颯馬は口を閉じた。隣で瑠奈が、ちらりと横目でこちらを見る。
「また数えてるでしょ。東京でも、空きフロアの数、よく数えてたもんね」
「職業柄ってやつだ」
「じゃあ、その数もあとでメモに落とし込みます。『現状把握シート・駅前編』ね」
彼女は冗談めかしながら、すでに小さなメモ帳を取り出していた。タクシーは坂を上り、灰色の庁舎の前で停まる。「雪杜町役場」と刻まれた金属の看板が、曇り空を映して冷たく光った。
通された会議室は、ストーブの熱が机の片側だけを温めていて、窓際はひんやりしている。長机の向こうには、観光担当の課長と財政係の樹佳、それに企画係の職員たちが並んでいた。
「遠いところ、戻ってきてくれてありがとう」
課長が、少し照れたように頭を下げる。颯馬も椅子から立ち上がり、軽く会釈した。
「資料は拝見しました。観光案内所の来客数、ここ数年は厳しいですね」
壁に貼られたグラフには、案内所の利用者数と維持費が並んでいる。右肩下がりの棒グラフと、ほとんど変わらない支出の折れ線。数字だけ見れば、結論は簡単だ。
「正直なところ、このまま閉めてしまおうという話も出ている」
課長の声には、ため息が混じっていた。
「だがな、駅を降りて最初に見える窓口を完全になくしてしまうと、町の印象がどうなるか……それが怖くてね」
「窓口自体の形を変えるという案もあるが、うちの人数じゃ手が回らない」と、樹佳が静かに付け足す。彼女の前には、予算書の分厚いファイルが積み上がっていた。
「そこで、だ」
課長は姿勢を正し、颯馬を真っすぐ見る。
「一年間だけでいい。今ある資源と人手で、何ができて何が無理なのか、まとめてほしい。駅前の案内所をどうするかも含めて、だ」
会議室の空気が、少しだけ重くなる。一年。短いようでいて、町の空気を変えるにはぎりぎりの時間だ。
「……一年後、『何も変わりませんでした』じゃ済まないですよ」
冗談半分のつもりで口にした言葉が、思ったより固く響いた。自分の声に自分で苦笑する。瑠奈が、隣でそっと頷いた。
「何もしないまま閉めるよりは、ずっといい」
課長の言葉に、樹佳も静かに頷く。その手元で、予算書のページが一枚めくられた。
承諾の返事をした頃には、外はすっかり群青色の空に変わっていた。役場を出た颯馬は、仮住まいへ向かう道をわざと外れ、子どものころによく通った小さな神社へ足を向ける。
石段には薄く雪が積もり、踏みしめるたびにぎゅっぎゅっと音がした。鳥居をくぐり、社に小さく頭を下げてから、横手の山道を少し登る。そこから町を見渡せる小さな開けた場所に出た。
薄暗い空の下で、雪杜町の灯りが点々と浮かんでいる。駅前のロータリー、商店街のアーケード、温泉街の湯気を含んだ光。遠くには龍泉酒造の煙突あたりの明かり、反対側にはりんご園の作業小屋の灯りがぽつりと見える。川沿いには、等間隔の街灯が細い線を描いていた。
「一、二、三、四、五、六、七、八、九」
つい、声に出して数えてしまう。ポケットから手帳を取り出し、ページの隅に丸を九つ描いた。
雪杜駅前広場。
杉ノ町商店街。
雪見社。
湯ノ杜温泉の足湯。
龍泉酒造。
杜の丘りんご園。
白波岬の展望台。
旧・雪杜小学校。
川沿いの雪灯ろう通り。
丸と丸の間を線でつないでみる。雑な線なのに、見下ろす町の灯りと重なった瞬間、不思議と胸の奥が温かくなった。
「一年」
白い息と一緒にこぼれた言葉は、すぐに夜空に溶ける。九つの灯りを結ぶ線が、この一年の行き先を、どこか遠慮がちに教えてくれているように思えた。
座席に腰を沈めたまま、颯馬は膝の上のレザーバッグを片手で押さえた。中には、雪杜町の人口推移と観光客数のグラフを印刷した資料がぎっしり詰まっている。折れ線グラフはきれいに右肩下がりで、その形に見覚えのありすぎる都会の出身地を思い出し、思わず息が漏れた。
「……俺の地元まで、同じカーブ描かなくていいんだけどな」
小さくこぼした独り言は、走行音にかき消される。車内アナウンスが「まもなく終点、雪杜」と告げた。顔を上げると、ホームの屋根から太い氷柱が何本もぶら下がっているのが見える。
電車が停まり、ドアが開いた瞬間、冷たい空気が容赦なく流れ込んできた。都会の乾いた寒さとは違う、湿った雪の匂いを含んだ冷気だ。颯馬はマフラーを引き上げ、ホームに降り立つ。靴底の下で、雪がざくりと音を立てた。
「さーつーまー! 時間ぴったり!」
改札の向こうで、大きなボードを掲げている人影が跳ねた。丸文字で「おかえり 颯馬」と書かれたボードには、雪だるまと小さな駅舎のイラストまで描かれている。
「……そのボード、絶対に役場の備品だろ」
「バレました? 会議用の模造紙一本、うまく再利用しました」
ボードを掲げていた瑠奈が、得意げとも申し訳なさそうともつかない顔で笑う。コートのポケットには、いつものようにペンと付箋が何本も挿さっていた。
「体調は? 電車乗り継ぎっぱなしでしょ。今日は駅→役場→仮住まいの順で回るから、覚悟してね。はいこれ、今日の段取り」
彼女は、寒さもものともせずに手帳を広げてみせた。時間ごとに細かく区切られたマス目には、「迎え」「役場挨拶」「鍵受け渡し」「夕飯候補店」といった文字がびっしりと並んでいる。
「五分刻みかよ」
「冬の五分は貴重です」
口ではそう言いながらも、彼女は颯馬のコートの襟についた雪をさりげなく払う。その指先の動きに、ここにいる一年間が、単なる里帰りでは終わらない予感が混ざった。
駅を出ると、タクシーが一台、エンジンをかけたまま待っていた。車窓から見える駅前ロータリーには、シャッターを下ろした店が目立つ。かつて土産物屋だった店には「テナント募集」の紙が貼られ、喫茶店の看板は文字がかすれて判読しにくい。
「……一、二、三、四、五」
無意識のうちに、閉まっている店の数を数えている自分に気づき、颯馬は口を閉じた。隣で瑠奈が、ちらりと横目でこちらを見る。
「また数えてるでしょ。東京でも、空きフロアの数、よく数えてたもんね」
「職業柄ってやつだ」
「じゃあ、その数もあとでメモに落とし込みます。『現状把握シート・駅前編』ね」
彼女は冗談めかしながら、すでに小さなメモ帳を取り出していた。タクシーは坂を上り、灰色の庁舎の前で停まる。「雪杜町役場」と刻まれた金属の看板が、曇り空を映して冷たく光った。
通された会議室は、ストーブの熱が机の片側だけを温めていて、窓際はひんやりしている。長机の向こうには、観光担当の課長と財政係の樹佳、それに企画係の職員たちが並んでいた。
「遠いところ、戻ってきてくれてありがとう」
課長が、少し照れたように頭を下げる。颯馬も椅子から立ち上がり、軽く会釈した。
「資料は拝見しました。観光案内所の来客数、ここ数年は厳しいですね」
壁に貼られたグラフには、案内所の利用者数と維持費が並んでいる。右肩下がりの棒グラフと、ほとんど変わらない支出の折れ線。数字だけ見れば、結論は簡単だ。
「正直なところ、このまま閉めてしまおうという話も出ている」
課長の声には、ため息が混じっていた。
「だがな、駅を降りて最初に見える窓口を完全になくしてしまうと、町の印象がどうなるか……それが怖くてね」
「窓口自体の形を変えるという案もあるが、うちの人数じゃ手が回らない」と、樹佳が静かに付け足す。彼女の前には、予算書の分厚いファイルが積み上がっていた。
「そこで、だ」
課長は姿勢を正し、颯馬を真っすぐ見る。
「一年間だけでいい。今ある資源と人手で、何ができて何が無理なのか、まとめてほしい。駅前の案内所をどうするかも含めて、だ」
会議室の空気が、少しだけ重くなる。一年。短いようでいて、町の空気を変えるにはぎりぎりの時間だ。
「……一年後、『何も変わりませんでした』じゃ済まないですよ」
冗談半分のつもりで口にした言葉が、思ったより固く響いた。自分の声に自分で苦笑する。瑠奈が、隣でそっと頷いた。
「何もしないまま閉めるよりは、ずっといい」
課長の言葉に、樹佳も静かに頷く。その手元で、予算書のページが一枚めくられた。
承諾の返事をした頃には、外はすっかり群青色の空に変わっていた。役場を出た颯馬は、仮住まいへ向かう道をわざと外れ、子どものころによく通った小さな神社へ足を向ける。
石段には薄く雪が積もり、踏みしめるたびにぎゅっぎゅっと音がした。鳥居をくぐり、社に小さく頭を下げてから、横手の山道を少し登る。そこから町を見渡せる小さな開けた場所に出た。
薄暗い空の下で、雪杜町の灯りが点々と浮かんでいる。駅前のロータリー、商店街のアーケード、温泉街の湯気を含んだ光。遠くには龍泉酒造の煙突あたりの明かり、反対側にはりんご園の作業小屋の灯りがぽつりと見える。川沿いには、等間隔の街灯が細い線を描いていた。
「一、二、三、四、五、六、七、八、九」
つい、声に出して数えてしまう。ポケットから手帳を取り出し、ページの隅に丸を九つ描いた。
雪杜駅前広場。
杉ノ町商店街。
雪見社。
湯ノ杜温泉の足湯。
龍泉酒造。
杜の丘りんご園。
白波岬の展望台。
旧・雪杜小学校。
川沿いの雪灯ろう通り。
丸と丸の間を線でつないでみる。雑な線なのに、見下ろす町の灯りと重なった瞬間、不思議と胸の奥が温かくなった。
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