雪杜ナインプレイス 〜キミと雪見酒と、声にならない好き〜

乾為天女

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第16話 暮らしを見せる寄り道

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 朝の商店街は、観光客よりも通勤途中の人たちのほうが多い時間帯だった。

 シャッターが半分だけ開いた店先から、掃き掃除やダンボールを運ぶ音がこぼれてくる。観光案内所の前には小さな立て看板が出ていた。

 『本日の特別コース 暮らしを見せる寄り道ルート』

 「……名前、ちょっと長かったかな」

 看板を見上げながら、颯馬が首をひねる。

 「内容が分かりやすいのがいちばんですよ」

 瑠奈は迷いなく言って、看板の下の説明文をもう一度確認した。

 『駅前~川沿い~足湯~商店街~酒蔵
 +商店街の八百屋・理髪店・駄菓子屋にちょこっと寄り道』

 「『ちょこっと』が全部でどれくらいの時間になるか、が問題なんだけどな」

 「それは、颯馬さんの腕次第です」

 さらりと言われ、颯馬は思わず天を仰いだ。

 今日の参加者は十五人。町外からの親子連れや、カメラを下げた若い女性二人組、ノートを片手にした中年男性が並んでいた。

 「おはようございます。本日のご案内を担当します、九つの場所担当の高城と申します」

 颯馬がいつものように頭を下げると、参加者たちもそれぞれ軽く会釈を返してくれる。その横で、瑠奈が笑顔で続けた。

 「今日は、雪杜で暮らしている人たちがふだん使っているお店にも、少しだけ寄り道をしながら歩いていきます。観光名所ではないけれど、『またここを通りたいな』と思っていただけるような場所を、いくつかご紹介できたらと思います」

 「暮らし」という言葉に、参加者たちの表情が少し柔らかくなるのが分かった。

    *

 最初の寄り道は、商店街の中ほどにある「青果・藤本」だった。店先には段ボール箱がいくつも積まれ、朝採れのきゅうりや土のついた人参が顔を出していた。

 「藤本さーん、いつもの寄り道組、連れてきました」

 颯馬が声をかけると、店の奥から「今行くー」という返事が返ってきた。すぐに、エプロン姿の藤本が顔を出す。年季の入った手ぬぐいで首筋の汗をぬぐいながら、参加者たちを見回した。

 「おはようございます。わざわざ寄り道してもらって、ありがとうございます」

 「お邪魔します」

 親子連れの母親が頭を下げると、藤本は「いえいえ」と手を振った。

 「うちは、有名なお土産は置いてないんですけど、そのかわり、町の人がふだん食べてる野菜なら、だいたい揃います」

 そう言うと、藤本はきゅうりの箱から一本を取り上げた。

 「県外から来たお客さんによく聞かれるんですけどね。『旅先で野菜を買ったら、どうやって持ち帰ればいいですか』って」

 参加者の何人かが、思わず顔を上げる。

 「たとえば、きゅうりなら、こうやって新聞紙にくるんでから、ポリ袋にふわっと入れてあげると、冷蔵庫の中でも長持ちします。ホテルの小さい冷蔵庫でも大丈夫」

 藤本は、手際よく新聞紙を折り、きゅうりをくるんで見せる。

 「家に帰るまでに二、三日かかる方もいますよね。そういうときは、一本だけでも、水分の多い野菜をこうやって連れて帰ってもらえたら、あとで旅行のこと思い出せるんじゃないかなあって」

 「なるほど……」

 ノートを持った中年男性が、真剣な顔でメモを取り始めた。カメラを提げた女性は、新聞紙に包まれたきゅうりをそっと写真に収める。

 「あと、冷蔵庫に入れる前に、こんなふうに一本かじっちゃうのもおすすめです」

 藤本は、別のきゅうりを半分に切り、塩をひとつまみ振った。

 「朝ごはんがパンだった日でも、きゅうり一本かじれば、ちょっとだけ『この町の味』を口にできますからね」

 親子連れの男の子が、おそるおそる一切れを口に運ぶ。

 「……しゃきしゃきしてる」

 「それ、報告書にはどう書く?」

 背後で、樹佳が小さくささやいた。

 「『しゃきしゃき』までは書けても、『旅先のきゅうり一本でこの町を思い出す可能性』のパーセンテージは……」

 「無理にパーセンテージにしなくていいから」

 颯馬は苦笑しつつも、藤本と客とのやりとりを横目で見守る。

 「今の『また買って帰りたい』って言葉、チェック一つ分な」

 心の中で、マップの上に小さな印をつけるような感覚があった。

    *

 次の寄り道は、商店街の角にある古い理髪店「ヘアーサロン・カジワラ」だった。

 ガラス戸の向こうには、赤と青と白のサインポールが回っている。店内には年季の入った床屋椅子が二台並んでいた。

 「今日は髪を切る人はいませんから、ご安心ください」

 颯馬が冗談交じりに言うと、参加者から小さな笑い声が漏れる。

 「ようこそ。ここは、雪杜でいちばん古い床屋ですよ」

 カジワラは、白いケープを肩に掛けたまま顔を出した。年齢の割に背筋がまっすぐで、手にはまだ鋏の感覚が残っているようだった。

 「写真、撮らせてもらってもいいですか?」

 カメラを持った女性が尋ねると、カジワラは「どうぞどうぞ」と床屋椅子を指さす。

 「せっかくなら、座って撮りなさい。ここ、昔から『変身前』と『変身後』の写真を撮る場所だからね」

 「変身前と後?」

 「卒業式の前に、初めて髪を整えに来た子とか、就職の前に、『大人の髪型』にしてくださいって言いに来た子とか。ここに座るときの顔と、鏡から立ち上がるときの顔、だいぶ違うんですよ」

 カジワラは、片方の床屋椅子を軽く叩いた。

 「最近は、スマホで『ビフォーアフター』撮る子もいるけどねえ」

 「じゃあ、観光の人は『今の自分』を写しておく場所ってことですね」

 瑠奈がそう言うと、女性二人組が顔を見合わせた。

 「せっかくだから、座ってみる?」

 「うん。いつか本当に髪切りに来たとき、『あのとき観光で座った椅子だ』って思えるかもしれないし」

 二人が順番に椅子に座り、互いの写真を撮り合う。その様子を見ていた樹佳が、メモを取りながら小さく首をひねった。

 「『将来また来るかもしれない椅子』……どうやって数えるんだろう」

 「数えなくていいから」

 二度目のツッコミに、颯馬は自分でも笑ってしまう。

 けれど、女性たちが写真を確認しながら「いつか本当に髪切りに来ようね」と話しているのを耳にした瞬間、心の中のマップに、また一つ印が増えた。

    *

 三つ目の寄り道は、商店街の端にある駄菓子屋「おやつの森」だった。

 ガラス戸を開けると、ベルがからんと鳴る。中には色とりどりの袋菓子やくじ引きの箱、ラムネの瓶が棚いっぱいに並んでいる。

 「わあ……」

 子どもたちだけでなく、大人たちの口からも感嘆の声がこぼれた。

 「いらっしゃい」

 カウンターの奥から顔を出したのは、小柄なおばあさんだった。白いエプロンには、ラムネの瓶のイラストが描かれている。

 「今日は、通りがかりじゃなくて、通りに寄ってくれたんだって?」

 「はい。九つの場所の寄り道で、お邪魔しています」

 瑠奈がそう言うと、おばあさんは「まあ」と目を丸くした。

 「うちは、観光のお客さんはたまにしか来ないからねえ。子どもたちが減ってきて、昔ほどは賑やかじゃないけど」

 そう言いながらも、おばあさんの手は慣れた動きで棚から駄菓子を取り出していく。

 「今日は特別に、『三十年前から変わってないおやつセット』にしようかね」

 透明なビニール袋に、小さなあられ、ソース味のスナック、当たり付きのチョコ。どれも、ずっとこの町の子どもたちの口に入ってきたものだ。

 「三十年前から変わってないんですか?」

 親子連れの母親が驚くと、おばあさんは「少しだけ値段は変わったけどね」と笑った。

 「でも、味はほとんど同じ。たまに町の外に出ていった子が帰省して、『まだこのお菓子ありますか』って聞きに来るのよ」

 「それ、すごく分かります」

 女性二人組の一人が、ラムネの瓶を手に取りながら言った。

 「私、子どものころ通ってた駄菓子屋が閉まっちゃって。だから、どこかの町でこういう店を見つけると、つい寄り道したくなるんです」

 「じゃあ、雪杜に来たときも、またここを通りなさい」

 おばあさんは、少し得意げに言った。

 「うちは、急いで通り過ぎる場所じゃなくて、『今日はどれにしようかな』って迷うための場所だからね」

 その言葉を聞きながら、颯馬は心の中でまた静かに印をつけた。

 「……『またここを通りたい』、って自分で言ってくれたな」

    *

 昼過ぎ、ツアーは予定どおり酒蔵前で終わった。

 龍泉酒造の売店前で解散の挨拶をすると、参加者たちはそれぞれ川沿いへ向かったり駅に戻ったり、商店街に引き返したりした。

 「今日はありがとうございました。また雪杜に遊びに来てください」

 瑠奈が一人ひとりに声をかける横で、颯馬はこっそりとメモ帳を開いた。

 「……何を書いてるんです?」

 いつの間にか背後に立っていた樹佳が、覗き込む。

 「今日、お客さんが『またここを通りたい』とか『明日も寄れるかな』って言った店の名前」

 メモ帳には、「青果・藤本」「ヘアーサロン・カジワラ」「おやつの森」と、簡単な印が並んでいた。

 「数字じゃなくて、言葉のほうでチェックしておきたくてさ」

 「なるほど……でも、報告書にはやっぱり何か形にしないと」

 樹佳は腕を組んだ。

 「『また通りたい発言回数』って項目、ありですかね」

 「名前はもうちょっとどうにかしたほうがいいと思う」

 「『寄り道満足度』とか」

 「それもぎりぎりだな」

 そんなやりとりをしていると、さっきの中年男性が少し遠慮がちに近づいてきた。

 「あの、今日はありがとうございました」

 「こちらこそ、ご参加ありがとうございました」

 「実は、明日の午後も少し時間が取れそうでして」

 男性は、商店街のほうを振り返る。

 「さっき寄らせてもらった八百屋さんと床屋さんに、もう一度行ってみようかと。髪を切るかどうかは、まだ迷っているんですけど」

 「ぜひ迷ってください」

 颯馬が即答すると、男性は照れたように笑った。

 「それと……こういう寄り道のルート、また別の形でもやってほしいです。『暮らしを見せる』っていうのが、なんだか落ち着くというか」

 その言葉に、樹佳が「……はい」と深くうなずいた。

 「その『落ち着く』を、どう文章にするか、頑張って考えます」

 「報告書の目線だな、それ」

 颯馬は笑いながらも、その一言を心の中で太字にしておいた。

    *

 夕方、観光案内所に戻ると、「今日の九つ」のボードの隅に小さな紙が貼られていた。

 『暮らしを見せる寄り道 試験運用中
 ※八百屋さん・床屋さん・駄菓子屋さんの混み具合によって、立ち寄れない場合があります』

 「南さんが貼ってくれたみたいです」

 瑠奈が紙を指さす。

 「体育館の鍵を返しに行ったとき、『今日はどうだった』って聞かれたので、ちょっと話したら」

 「仕事が早いなあ」

 颯馬は、ボードの紙を見つめた。

 「『試験運用中』って言葉、嫌いじゃないんだよな」

 「結果を決める前に、まずは歩いてみる、って感じがしますからね」

 樹佳が言う。

 「今日一日の感想、まとめられそうですか?」

 「うーん……『また通りたい』の回数と、『落ち着く』って言葉の出現頻度と……それから」

 樹佳は、しばらく考えてから、小さく笑った。

 「報告書の最後に、一文だけ足してもいいですかね」

 「どんな一文?」

 「『この寄り道は、雪杜の町が“観光地”になる前から続いている暮らしを、少しだけ覗かせてもらうためのものです』って」

 颯馬と瑠奈は、顔を見合わせた。

 「いいと思う」

 「それ、ボードの説明にも使わせてください」

 暮らしを見せる寄り道は、まだ始まったばかりだ。ルートも寄る店も、これから少しずつ変わっていくだろう。

 けれど、「またここを通りたい」という小さな声と、「どう書けば伝わるのか」と悩む報告書の行間は、同じ方向を向き始めていた。

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