大都市RPG 〜失われた輝きを取り戻せ〜

乾為天女

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第四十七章「浦安市」

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 干潟の朝は、本来なら生命に満ちているはずだった。だがこの日の三番瀬は、潮が引かず、波も音を立てない。貝たちは泥に潜ったまま姿を見せず、空には鳥の影もなかった。
 その浜辺に、輝は立っていた。潮風が頬を撫でる感覚は残っていたが、どこか、空虚だった。
「“漁火の珠”が……消えたんだって」後ろから紗那の声がした。足元の砂を確かめるように踏みしめながら、彼女は隣に立った。
「海が……引かないなんて、考えたこともなかった。だけどこれが、失われた“力”の代償なのよね」
 輝は黙って、遠くの水平線を見ていた。海はそこにあったが、命を宿していなかった。
「勇輝から聞いた。“潮呼びの詠唱”が、清瀧神社に残されてるって。昔から、漁火の珠を守るために唱えられていた言葉があるんだってさ」
「なら、行こう。神社で何か掴めるなら、早く手を打たなきゃいけない。三番瀬だけじゃない、浦安全体が止まってしまう前に」
「潮風が止まるとね……人の心からも“軽さ”がなくなるんだって。猫実の町の人たちがそう言ってた」
 二人は静かに歩き出した。干潟を背に、清瀧神社へと向かうその道中、潮干狩りの看板が外され、商店街には静寂が支配していた。焼き蛤の屋台も閉まり、佃煮屋からは香りがしなくなっていた。
「勇輝が言ってたわ。“浦安三社祭囃子のなかに、封印の詠唱が隠されてる”って」
「つまり、音と舞で……珠を呼び戻すんだな」
「そう。あの人なら、リズムを知ってる。絵里。私の……昔からの仲間」
「呼ぼう。力を借りよう」輝は迷わず頷いた。
 二人が清瀧神社にたどり着いたとき、そこに待っていたのは、白い服を纏った絵里だった。
「来ると思ってたよ」彼女は微笑んで言った。「浦安の囃子と、私の詠唱——合わせれば、“潮呼び舞”を完成させられる。珠は、それに応えて戻ってくるはず」
「じゃあ、やるだけだな」
「うん。オオワタヅミ・カムイは、真心の音にしか応えない。ごまかしは通じないよ、輝」

 清瀧神社の境内には、ほのかに潮の香りが残っていた。だがそれは、かつて三番瀬から吹いていた豊かな海風の残り香にすぎなかった。
 社務所の奥に伝わる古文書の前で、輝は立ち止まった。文の色は褪せ、紙の端は湿気でふやけていた。だがそこに記された言葉は、まだ確かに生きていた。
「“潮の珠、干潟の心なり。潮呼び舞と詠唱によりて、海路正しく導かれん”」
 絵里が読み上げると、空気がわずかに揺れた気がした。
「この“詠唱”って、祭囃子の節のなかにあるのよ。リズムじゃなくて、“間”の中に言葉が隠れてるの」
 彼女はそう言うと、境内の中心に進み、足袋の音を確かめるように静かに地を踏んだ。
「潮はね、乱れてるように見えて、ちゃんとリズムがあるの。“寄せて、引いて、寄せて、溜めて”……この順に合わせて、囃子を鳴らすの」
 紗那は小さく息を吐いた。「つまり、詠唱を音と間で挟むようにして伝えるのね」
「そう。囃子だけじゃ足りない。舞がなければ、カムイは耳を傾けないわ」
 輝は太鼓の準備を始めた。彼の背中には迷いがなかった。自信があるのではなく、やるべきことがはっきりしているだけ。
「祭りってのは、誰かを喜ばせるためのもんだと思ってた。でも違った。“神様とつながる時間”だったんだな」
「それに気づける人は少ない。でも、あんたならやれる」絵里が微笑む。
 三人が立つ境内に、淡い光が差し込む。太鼓が鳴り始めた。笛が風のように絡む。舞の足音が石畳を滑る。
 “潮呼び舞”——その始まりだった。
 拍が揃うにつれて、空気の密度が変わっていく。神社の奥から、ひんやりとした霧が広がりはじめる。
「来た……水霊……!」紗那が声を上げた。
 霧の中から現れたそれは、過去に千葉で見た“潮霊”にも似ていたが、より深く、より静かな存在だった。海そのものが形を持ったような、底知れぬ重さと美しさがあった。
「止めるな、輝!」絵里が舞を続けながら叫ぶ。「これが、珠を呼ぶ“最後の詠唱”なんだから!」

 霧のなかに浮かぶ水霊は、まるで海底から現れた幻のようだった。動きは緩やかで、けれど確かな意志がそこには宿っていた。絵里の舞に呼応するように、霧は左右に揺れ、空気の重さが変わった。
 輝は太鼓を叩きながら、その動きをじっと観察していた。水霊の鼓動と自分の鼓動を合わせるように、打つリズムを調整していく。
「これが“潮呼び”……呼吸と、拍と、詠唱の調和か……」彼の額に汗がにじんでいたが、動きに迷いはなかった。
 紗那が吹く笛が、その間を滑るように差し込んでいく。高く、細く、透明な旋律が、霧を切り裂き、やがてその中央に小さな輝きが現れ始めた。
「……見える……!」絵里が叫んだ。「“漁火の珠”が、目覚めようとしてる!」
 その声に応えるように、水霊が膨らんだ。怒りでも憎しみでもない、ただ試すような、慎重な眼差しを輝たちに向けていた。
「オオワタヅミ・カムイ……私たちは、忘れてた。潮の流れも、海の命も、神様の声も……でも、もう一度向き合うよ」絵里が舞を止め、両手を胸の前に合わせた。
 輝は最後の一打を打った。空気が裂けるような音が神社に響き、霧が風に散るように消えていく。
 残されたのは、淡い青緑の光に包まれた“漁火の珠”。
 それは、波の光を集めたように優しく輝きながら、空中を漂い、ゆっくりと輝の手の中へと降りてきた。
「これが……“浦安市の輝”」
 珠を手にした瞬間、遠く三番瀬から潮が引きはじめる音が聞こえた。浜の貝が口を開き、潮の香りが風に乗って町に戻ってくる。猫実の古い漁師町にも、若い声が響き、清瀧神社の鳥居には再び朝の光が射した。
 干潟には人が集まり、焼き蛤の屋台が開かれ、笑い声が波に混じった。町には確かに“海の命”が戻っていた。
【アイテム:浦安市の輝】入手
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