大都市RPG 〜失われた輝きを取り戻せ〜

乾為天女

文字の大きさ
61 / 61

【第六十一章「台東区」】

しおりを挟む
 雷門の大提灯が、重たく沈黙していた。まるで空から雷が消え、風が止まったことを知らせるかのように。浅草寺の仲見世通りも、普段のような観光客の声で賑わうはずの時間帯に、今はただ空虚なざわめきが残っていた。人形焼きの甘い匂いは途切れ、雷おこしの試食台も誰も立ち寄らぬまま並び続けている。無音の喧騒――それが、今の台東区を表していた。
 勇人は雷門の前で足を止め、その異様な静けさに目を細めた。何かがおかしい。ただの観光地の閑散期ではない。空気そのものが鈍く、乾ききっている。雷霆の気配が、消えていた。隣にいた里菜は、肩にかけたショルダーバッグから一枚の小さな紙片を取り出した。それは、仲間の純一が寄席で手に入れてきた情報だった。
「三社様に奉納された“雷鳴の珠”が、なくなったの。影のような何かが現れて、珠の飾られていた台座を黒く焼いた跡だけ残して消えたって。……雷門の鳴り響く音が、最初に消えた」
「風も、止まった」勇人は空を見上げた。雲が動かない。風がないと、雷は鳴らない。鼓動のようなリズムが街から奪われていた。
「上野東照宮の方向で、妙な気配があるらしい。谷中霊園を越えたあたりの古碑から、“三社祭囃子”の節が一部抜け落ちてた。まるで……誰かがそれを持ち去ったみたいに」
「囃子と舞、それが珠の封印になってたなら、それを解いた者が珠を奪ったということになる」
「なら、取り戻すには、囃子を再現しなきゃ」
 勇人が頷くと、里菜の目が鋭く光った。「鈴本演芸場の前、純一が囃子の演目表を探してくれてる。奈都美は今、そっちに向かってる。私たちはまず、谷中の霊園の古碑に行くわ。封印の旋律がどこで崩されたのか、見つけないと」
 谷中霊園は、夕暮れの光に包まれていた。長く伸びる墓標の影がまるで音を吸い込むかのように静まり返っている。風はない。鳥の声さえしない。だが、空気は不穏に動いていた。
「ここ……いつもはもっと、静かでも温かい場所だったのに」里菜が囁くように言った。「雷って、本当は人の“目覚め”を促すものよね。音で、世界を揺さぶって、眠った感情を起こす。でも……この街がそれを失ったら、人々の心は……」
「ぬるま湯のまま、何も変わらず流れていくだけになる」勇人の声は冷静だったが、その内側には熱があった。「雷が鳴らなければ、火も雨も生まれない」
 古い石碑の前に、抜け落ちたような文字の跡があった。かつては祭囃子の歌詞が彫られていたのだろう。そこには、明らかに“間”が存在していた。
「ここが、始まりだ」勇人が指先で彫り跡をなぞった。「失われた節は、“風雷呼び”の一節だ。雷神を呼ぶ舞の冒頭……ここが消されたから、珠も応じなくなった」
「じゃあ、そこを取り戻せば……」
「囃子を再現できる」
 その瞬間、背後から奈都美の声がした。「できるよ。演芸場前で、昔の演目帳が見つかった。“風雷呼びの舞”、正式な節回しと振りの説明付きで」
 奈都美の手には、黄ばんだ和紙があった。昭和初期に作られた演芸脚本の抜粋らしく、三社祭の舞が舞台演目として奉納されたときのもので、そこには詳細なリズム、掛け声、手振りが記されていた。
「この舞、私がやる。感覚だけで動ける私だからこそ、できる。雷は、一瞬で空気を変える。……私も、そうなれると思うの」
 勇人は静かに頷いた。「じゃあ、場所は……上野東照宮。そこで、珠が眠ってるはずだ。囃子と舞で、雷を呼び戻す」
 三人は霊園を後にし、朱塗りの灯籠が並ぶ参道を抜け、上野の杜へと向かった。夜が迫る中、空は未だ無音のまま。雷鳴の気配はどこにもなく、ただ都市の音だけが虚しく響いていた。



 上野東照宮の境内は、異様なまでに静かだった。参道を照らすはずの灯籠は半分以上が消えており、社殿の金箔も月明かりを反射せず沈んでいた。勇人は社殿を見上げながら、ここに眠る“雷鳴の珠”の気配がただの物ではないことを、はっきりと感じ取っていた。表面に現れないが、確実にこの場所には“何か”がいる。珠を奪った者か、それを隠した存在か――どちらにせよ、囃子と舞なくしては扉を開く鍵は手に入らない。
「ここで、やるのよね」奈都美が前に出て言った。風はない。夜の空気は膨らんだまま動かず、まるで彼女の動きを試すように周囲が息をひそめている。
「うん。囃子は俺が打つ。里菜が笛、純一は囃子の調律、奈都美は舞を」勇人は淡々と構成を伝えたが、その言葉の中に微かな緊張があった。「雷は、怒りじゃない。生命を起こす叫びだ。だから……舞ってくれ、“命の音”を」
「わかってる。……感情に響くもの、それしかできないけど」奈都美は深呼吸をし、風もない境内の中央に立った。「わたし、確実じゃないものを信じるのって苦手だった。でも今は、それが必要な気がするの。“確かな感覚”なんて、何かを揺らさなきゃ始まらない」
「それが“雷”だよ」里菜が、笛の穴をそっと指で押さえながら言った。「誰かを目覚めさせること。誰かの“何か”を変える音」
 奈都美は頷き、和紙に描かれた“風雷呼びの舞”の所作を脳内に再構築した。直線的な動きと螺旋を描くような手の軌跡、それらが合わさり、瞬間的な破裂を生み出す舞。足さばきは軽やかで、間を詰めすぎてはならない。舞うごとに空気を裂くような力を感じるように踊ることが重要だった。
 太鼓が一打。勇人の手が振り下ろされ、空気が跳ねた。
 笛が鳴り、囃子の節が場に満ちていく。純一が音の高低を調整し、二の拍子で奈都美が動き出す。手のひらが宙を切り裂き、足が地面をすくうように滑る。雷を呼ぶ舞――それは音と舞、心と気配をひとつに束ねる祈りだった。
 踊るごとに、社殿の扉の隙間からうっすらと白い霧が漏れ出してくる。霧は夜空に向かって延び、雲を引き寄せるかのように頭上で渦を巻き始めた。風が動き出す。社殿の鈴が初めて鳴った。
「来てる……雷が」
 そして最後の一歩。奈都美の身体が跳ね上がり、宙で一度静止したかのように見えた刹那、舞の最後の型が地に刻まれた。
 その瞬間、空が裂けた。
 音ではない。振動だ。空間が波打ち、境内の地面から雷の光が噴き出すように広がる。社殿の扉がゆっくりと開き、中から淡い黄雷の光をまとった珠が姿を現した。勇人が一歩前に出て、その珠を手に取る。
「これが……雷鳴の珠。いや、“台東区の輝”だ」
 雷の音が遠くで鳴った。やがて、浅草寺の大提灯がわずかに揺れ始め、仲見世通りにふたたび人の声が戻る。雷おこしの店先では、まだ焼き足りなかった香ばしさが蘇り、人形焼きの甘い香りが風に乗った。
「街が目を覚ました」
 奈都美はうっすらと汗を滲ませた額をぬぐい、しばらく天を見上げていた。
「踊ってよかった。私、少しだけ、自分のこと信じられた気がする」
「それが雷の力だよ」勇人が珠を懐に収めながら応えた。「目覚めは、怖い。でも、怖くても起きなきゃいけないことって、ある」
 雷門の灯が、戻った。
 アイテム:台東区の輝入手
しおりを挟む
感想 0

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

妾の子だからといって、公爵家の令嬢を侮辱してただで済むと思っていたんですか?

木山楽斗
恋愛
公爵家の妾の子であるクラリアは、とある舞踏会にて二人の令嬢に詰められていた。 彼女達は、公爵家の汚点ともいえるクラリアのことを蔑み馬鹿にしていたのである。 公爵家の一員を侮辱するなど、本来であれば許されることではない。 しかし彼女達は、妾の子のことでムキになることはないと高を括っていた。 だが公爵家は彼女達に対して厳正なる抗議をしてきた。 二人が公爵家を侮辱したとして、糾弾したのである。 彼女達は何もわかっていなかったのだ。例え妾の子であろうとも、公爵家の一員であるクラリアを侮辱してただで済む訳がないということを。 ※HOTランキング1位、小説、恋愛24hポイントランキング1位(2024/10/04) 皆さまの応援のおかげです。誠にありがとうございます。

ねえ、テレジア。君も愛人を囲って構わない。

夏目
恋愛
愛している王子が愛人を連れてきた。私も愛人をつくっていいと言われた。私は、あなたが好きなのに。 (小説家になろう様にも投稿しています)

冤罪で辺境に幽閉された第4王子

satomi
ファンタジー
主人公・アンドリュート=ラルラは冤罪で辺境に幽閉されることになったわけだが…。 「辺境に幽閉とは、辺境で生きている人間を何だと思っているんだ!辺境は不要な人間を送る場所じゃない!」と、辺境伯は怒っているし当然のことだろう。元から辺境で暮している方々は決して不要な方ではないし、‘辺境に幽閉’というのはなんとも辺境に暮らしている方々にしてみれば、喧嘩売ってんの?となる。 辺境伯の娘さんと婚約という話だから辺境伯の主人公へのあたりも結構なものだけど、娘さんは美人だから万事OK。

英雄の番が名乗るまで

長野 雪
恋愛
突然発生した魔物の大侵攻。西の果てから始まったそれは、いくつもの集落どころか国すら飲みこみ、世界中の国々が人種・宗教を越えて協力し、とうとう終息を迎えた。魔物の駆逐・殲滅に目覚ましい活躍を見せた5人は吟遊詩人によって「五英傑」と謳われ、これから彼らの活躍は英雄譚として広く知られていくのであろう。 大侵攻の終息を祝う宴の最中、己の番《つがい》の気配を感じた五英傑の一人、竜人フィルは見つけ出した途端、気を失ってしまった彼女に対し、番の誓約を行おうとするが失敗に終わる。番と己の寿命を等しくするため、何より番を手元に置き続けるためにフィルにとっては重要な誓約がどうして失敗したのか分からないものの、とにかく庇護したいフィルと、ぐいぐい溺愛モードに入ろうとする彼に一歩距離を置いてしまう番の女性との一進一退のおはなし。 ※小説家になろうにも投稿

お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます

菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。 嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。 「居なくていいなら、出ていこう」 この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

さようなら、お別れしましょう

椿蛍
恋愛
「紹介しよう。新しい妻だ」――夫が『新しい妻』を連れてきた。  妻に新しいも古いもありますか?  愛人を通り越して、突然、夫が連れてきたのは『妻』!?  私に興味のない夫は、邪魔な私を遠ざけた。  ――つまり、別居。 夫と父に命を握られた【契約】で縛られた政略結婚。  ――あなたにお礼を言いますわ。 【契約】を無効にする方法を探し出し、夫と父から自由になってみせる! ※他サイトにも掲載しております。 ※表紙はお借りしたものです。

処理中です...