瀬戸内の小さな港町で僕らは働く意味を探す――おしごとフェア、青春協奏曲

乾為天女

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【第3話 造船所の蒸気と汗】

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 四月最後の土曜日。朝から晴天。春というより初夏のような陽ざしが、真白町の港に差し込んでいた。
 潮の香り、鉄と油のにおい。遠くでカンカンと金属を叩く音が響く。
 真白造船ドック。真白町を代表する地元企業であり、海に面したこの町の“背骨”ともいえる存在だ。
 蒼馬は作業服に着替えた姿で、敷地の入り口に立っていた。ヘルメットのあご紐をきっちり締め、片手にはメモ帳、もう一方にはICレコーダー。準備は万端だった。
「……来たか。じゃあ、案内するぞ」
 姿を現したのは、技術主任の榊原だった。先週、蒼馬が一人で訪問した際に直接話をつけた相手だ。渋い声と年季の入った作業着。だがその目には、現場を知る者だけの静かな熱が宿っている。
 今日は、取材本番。しかも蒼馬だけではない。
「おーい、こっちか?」
 ドックの門の前に、もう二人の影が現れた。森大成と桐谷勇介。先週の学習室で、視察班をテーマごとに分けた結果、今日の「造船班」はこの三人となった。
 大成は麦わら帽子を首から提げ、日焼け止めの匂いを漂わせながらゆるりと歩いてくる。対して、勇介はスポーツ用のリュックに水筒と着替えを二重に詰め、完全に「やる気まんまん」状態だった。
「うわー、でっかいなー! あれが船の……どこ?」
 入口近くの巨大な鉄のブロックを見て、勇介が目を丸くする。
「下部構造、いわゆるキールだ。船の“背骨”に当たる部分だな。これがないと、バラバラに崩れる」
 榊原が当然のように説明し、それを聞いて蒼馬がすかさずメモを取る。
 勇介は、「すげーな」とつぶやいていたが、少しずつ表情が真剣になっていった。
 安全靴に履き替え、構内の立ち入り許可証を首にかけた三人は、榊原の案内でゆっくりと工場内へ足を踏み入れる。
 巨大なクレーンが軋む音、どこかで火花が飛び散る音、そしてあちこちで交わされる作業員同士の無駄のないやり取り。
 その全てが、蒼馬の脳に深く焼きついた。
「すげえ……これ、全部“人の手”なんだな」
 勇介のぽつりとした言葉に、蒼馬も無言で頷いた。
 榊原が立ち止まり、二人に向き直る。
「機械は補助だ。どれだけ自動化しても、最後に頼れるのは“勘”と“目”と“技術”だ」
「……それって、誰かに教わるんですか?」
 大成が質問する。
「もちろん。でも、“教わった通りにやればうまくいく”なんてことは、ほとんどない。その日、その材料、その気温で、違うやり方を選ばなきゃならん」
「毎日、変わるんですか?」
「そう。だから“考えてるかどうか”がモノを言う。ルールの上に、自分の判断を重ねられるかどうか。それが“職人”だ」
 蒼馬は、食い入るようにその言葉を聴いていた。
(“決まったやり方をなぞるだけ”では、成果にならない——それは、俺が一番嫌うことだ)
 榊原は、ふと笑った。
「お前たちが来るって聞いた時、最初は正直“またか”と思った。でも……こっちは、仕事を見せるつもりじゃない。“仕事の意味”を見せるつもりだ」
 その言葉が、蒼馬の胸の奥を、不意に揺らした。
(……“意味”?)
 それが何を指すのか、まだ答えは出なかった。
 だがこの日、彼は“自分のための素材収集”という動機とはまったく違う感情を、初めて抱くことになる。



 その日の午後、蒼馬たちは工場棟の見学を終え、休憩室に通された。
 壁際には麦茶のピッチャー、テーブルの上には工具メーカーのカレンダー、奥では扇風機がうなりを上げている。
 蒼馬は、撮りためた写真とメモを確認しながら、静かに手帳に要点をまとめていた。
 勇介はというと、出された麦茶を3杯目まで飲み干し、大成と一緒にソファに腰を沈めている。
「なあ蒼馬。あんだけ資料とって、何に使うんだ?」
「企画の“骨”にする。“どうやって働いているか”じゃなくて、“なぜこの仕事が必要なのか”まで掘る。そうでなければ、見学じゃなくて観光と同じだ」
「う……耳が痛ぇ」
 勇介は頭をかきながらも、少し笑った。
「でも、見てて思ったよ。“誰がどこにいても、ちゃんと機能するように”って、めちゃくちゃ工夫されてるよな。溶接班も、設計室も、連携してる感じがあった」
 それを聞いて、大成も軽く頷いた。
「榊原さんが“考える力”って言ってたけど、あれ、多分“自分が今、どこの役割を担ってるかを理解して動く”って意味だよな」
 蒼馬は、それを聞いて一瞬黙った。
(……“自分の成果だけが大事”って、ずっと思ってた。でも、ここで見たのは……)
 榊原が、紙コップ片手に再び部屋に戻ってきた。
「そろそろ現場戻るわ。あと30分くらいなら、お前たち自由に構内を回っていいぞ。ただし、くれぐれも作業区域には立ち入るな。あぶねぇからな」
 「はい、ありがとうございます」と大成と勇介が同時に返す。その横で、蒼馬は一度だけ深く頭を下げた。
 構内を回る許可を得て、三人は再び作業棟の外へ出る。
 鉄の匂い、溶接の火花、汗の粒が生む蒸気のような熱気。
 そのすべてが、どこか“人の営み”を支える実感に満ちていた。
「……あの榊原さん、なんかカッコいいよな。怖そうなのに、ちゃんと俺たちの質問に答えてくれてさ」
「ただ“技術者”ってだけじゃない。“伝える人”でもある。そういう人がいるから、仕事の意味が次に受け継がれる」
 蒼馬の言葉に、大成と勇介が顔を見合わせる。
「おまえさ、ちょっと変わったな」
「は?」
「前は“個人の成果がすべて”って感じだったのに、今日は“仕事の意味”とか“チームワーク”とか、なんか話す内容がちょっとずつ変わってきてんじゃん」
 蒼馬はしばし沈黙したが、やがてぼそっと返した。
「……変わったんじゃない。“見たことがなかっただけ”だ」
 その一言に、大成がくすっと笑う。
「まあ、どっちでもいいけど、正直、今のおまえのほうが好きだな。こっちも話しやすいし」
「……勝手にしろ」
 蒼馬はそっぽを向いたが、その耳はうっすら赤く染まっていた。



 午後三時過ぎ。ドックを離れた三人は、港近くのベンチに腰を下ろしていた。作業場を背に、穏やかな海が広がる。漁船が一隻、白波を切って戻ってきた。
「……ああ、あっちの船も、ここの造船所で作ったのかな」
 勇介がつぶやく。大成がうなずいた。
「たぶんそう。さっき榊原さん、地元の船の6割以上が“ここの生まれ”って言ってたし」
「それ、取材メモに入ってた?」
「ちゃんと録音してる」
 蒼馬が答えた。ICレコーダーをポケットから取り出す。
「ただ、“作った船がどう使われてるか”まで追えるともっと良い。“働く”ってのは、作って終わりじゃない。“誰かが使って、活かされて初めて完結する”」
「……お前、ほんとに考え方変わったよな。というか、変化のスピード速すぎて逆にビビる」
 勇介が茶化すように言ったが、蒼馬は無表情のまま「そうか?」と返す。
「“事実”を見たら、考え方が変わるのは当然だろ」
「はいはい。まっすぐだなー、ほんと」
 蒼馬は一瞬、言い返そうとしたが、なぜか喉の奥で止まった。勇介の言葉には軽さがある。でも、その軽さが妙にありがたく感じるのは、自分がずっと“張り詰めていた”からだと気づいていた。
 そのとき、大成が手帳を取り出した。
「で、次の課題。“今日の視察内容を、どうやって企画書に組み込むか”だよな」
「ああ。“工程紹介”だけじゃ弱い。“意味”を伝える必要がある」
「でも、子どもも来るワークショップなんだよね? “意味”だけじゃ難しくない?」
 勇介が疑問を投げる。蒼馬は少し考えてから答えた。
「たとえば、“ミニチュアの船体パーツを組み立てる体験コーナー”を用意する。その前に、“実際の現場の音と映像”を短く流す。五感で体感させたあとに、“働く人の声”を重ねる。そうすれば“体験”が“理解”に変わる」
「おお……マジで企画書書けそうじゃん、それ」
 「すごいな」と素直に言う大成の声に、蒼馬は「……まあ」とだけ返した。
 照れているのだと、勇介も大成もすぐ分かった。
   ◆
 翌週の放課後、図書館学習室。
 蒼馬は、造船所での取材を元にした草案を持ち込んだ。それは、現場視察の構成案だけでなく、ワークショップでの体験型展示に関する設計図まで添えられていた。
「……これ、すごく具体的。“現場で何が行われてるか”だけじゃなくて、“なぜ子どもたちに見せる価値があるのか”がちゃんと書いてある」
 菜央が素直に称賛の声をあげた。
「榊原さんの言葉が大きかった。“仕事の意味を見せる”って、こういうことだって思った」
 蒼馬の言葉に、チームの空気がふっと変わる。
 真奈美が、静かに頷いた。
「造船班の視点、かなり説得力ある。診療所の取材結果も、こういう構成に近づけられるかもしれない。やってみる」
「……なんか、いい感じだな、今のうちら」
 勇介の軽口に、全員が少しだけ笑った。
 蒼馬も、ほんの少し口元をゆるめた。
(これが、“分かち合う”ってことかもしれない)
 まだ言葉にするには照れくさすぎたが、彼の中で確実に何かが芽生え始めていた。
——第3話・了(End)
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