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第2話_パン屑を数える昼下がり
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昼下がりの陽光が差し込む貧民街の食堂。小さな窓から入る光は埃を浮かび上がらせ、木製のテーブルには長年の傷が刻まれていた。
誠人と美心は、ひび割れた皿の上に乗った黒く固いパンを分け合っていた。安パンと薄いスープだけの質素な昼食だが、二人にとっては日常だった。
「このパン、今日で最後の仕入れ分なんだってさ」
美心がぽつりと言うと、誠人は黙ってパンをちぎり、口に運んだ。
味はほとんどしない。それでも、胃を満たすだけで生きられる。
向かいの席では、樹が湯気の立たないスープをかき混ぜながら苦笑していた。
「また試験、受けるんだろ?」
「ああ」誠人は迷いなく答える。
「俺、もう落ちた回数なんて数えてないぞ」
「それでも挑戦する。……諦めたら、本当に終わりだからな」
樹は少し視線を伏せ、口元だけで笑った。
「そういうとこ、お前らしいな」
その横で、睦が椅子を引いて座った。いつものように落ち着きのない視線をあちこちに向けながら、彼女はパンを一口でかじる。
「でもさ、何回受けても同じじゃない? 結果が出ないなら違うことすればいいのに」
彼女の言葉は冷たく響いたが、誠人は動じなかった。
「違う。今度は勝てる。……いや、勝つ」
睦は肩をすくめるだけで、それ以上は何も言わなかった。だが、その沈黙の中で樹が小さく笑い声を漏らす。
「お前らのやり取り、昔から変わらないな」
「変えなきゃいけないのは、俺自身だ」
誠人はそう言って、最後のパン屑を拾い上げ、強く噛み締めた。
食堂を出ると、陽射しは少し傾き始めていた。路地の影が伸び、洗濯物を干す匂いと、遠くから聞こえる商人たちの呼び声が混ざり合う。
誠人は手をポケットに突っ込み、歩きながら空を見上げた。青空の向こうに浮かぶ白い雲が、どこか自由に見えた。
「……あの試験、いつだっけ?」
美心が並んで歩きながら問いかける。
「三日後。朝一番から」
「じゃあ、準備は?」
「もちろんするさ」
その答えに美心は眉をひそめる。
「この前は“もちろん”って言ってたけど、杖が暴発したでしょ」
「……あれは事故だ」
そう言いながらも誠人は苦笑を浮かべた。
角を曲がったところで、健が壁に寄りかかっていた。彼は欠伸をしながら、手元の紙を誠人に突き出す。
「なあ、これ見てみろよ。試験の課題、ちょっと変わってる」
誠人が目を通すと、魔力制御試験の項目に“応用術式の即興使用”という文言があった。
「即興……か」
「俺はルールそのものを変えたいけどな。こういうのは燃えるだろ?」
健はにやりと笑った。だが誠人は紙を握りしめ、真剣な表情を浮かべた。
「なら、なおさら負けられない」
彼はポケットの中で拳を握る。昨夜見た“縫い目”の力――あれがあれば、もしかしたらこの課題を突破できるかもしれない。
ただの偶然ではない。これは自分の眠っていた力だ。
「誠人、顔が怖いよ」
美心の声で、誠人ははっと我に返った。
「……大丈夫。絶対にやれる」
そう言い切った彼の瞳に、揺らぎはなかった。
夕刻が近づく頃、誠人たちは小さな橋のたもとで立ち止まった。川面に映る空は朱色に染まり、涼しい風が吹き抜ける。
睦が橋の欄干に腰掛け、足をぶらぶらと揺らしながら言った。
「ねえ誠人、本当に諦めないんだ」
「何度でも言うけどな。諦める理由がない」
「でも失敗するたびに傷つくだけでしょ?」
「傷ついたっていい。動き続けなきゃ、何も変わらない」
その声は、昼間の睦の冷たい調子とは違い、静かで力強かった。
樹は欄干に手をかけて、そんな誠人を横目で見つめる。
「……お前、そういうとこだけは昔から変わらないな」
樹は微笑んだが、その表情には羨望の色があった。
そこへ、美心が小さな紙袋を差し出す。中には先ほどの食堂で余ったパン屑が詰められていた。
「これ、孤児院に持っていこう。あの子たち、最近まともに食べてないから」
誠人は頷き、紙袋を受け取った。
「ありがとう。……俺たちも底辺だけど、下を見るのはもうやめる。これからは前だけ向く」
その言葉に、睦が目を細める。
「前だけ向く……か。あんた、本当に変わるかもしれないね」
彼女の声は、少しだけ柔らかくなっていた。
夕暮れの川辺を歩き出した誠人の足取りは、昼よりもずっと軽かった。
誠人と美心は、ひび割れた皿の上に乗った黒く固いパンを分け合っていた。安パンと薄いスープだけの質素な昼食だが、二人にとっては日常だった。
「このパン、今日で最後の仕入れ分なんだってさ」
美心がぽつりと言うと、誠人は黙ってパンをちぎり、口に運んだ。
味はほとんどしない。それでも、胃を満たすだけで生きられる。
向かいの席では、樹が湯気の立たないスープをかき混ぜながら苦笑していた。
「また試験、受けるんだろ?」
「ああ」誠人は迷いなく答える。
「俺、もう落ちた回数なんて数えてないぞ」
「それでも挑戦する。……諦めたら、本当に終わりだからな」
樹は少し視線を伏せ、口元だけで笑った。
「そういうとこ、お前らしいな」
その横で、睦が椅子を引いて座った。いつものように落ち着きのない視線をあちこちに向けながら、彼女はパンを一口でかじる。
「でもさ、何回受けても同じじゃない? 結果が出ないなら違うことすればいいのに」
彼女の言葉は冷たく響いたが、誠人は動じなかった。
「違う。今度は勝てる。……いや、勝つ」
睦は肩をすくめるだけで、それ以上は何も言わなかった。だが、その沈黙の中で樹が小さく笑い声を漏らす。
「お前らのやり取り、昔から変わらないな」
「変えなきゃいけないのは、俺自身だ」
誠人はそう言って、最後のパン屑を拾い上げ、強く噛み締めた。
食堂を出ると、陽射しは少し傾き始めていた。路地の影が伸び、洗濯物を干す匂いと、遠くから聞こえる商人たちの呼び声が混ざり合う。
誠人は手をポケットに突っ込み、歩きながら空を見上げた。青空の向こうに浮かぶ白い雲が、どこか自由に見えた。
「……あの試験、いつだっけ?」
美心が並んで歩きながら問いかける。
「三日後。朝一番から」
「じゃあ、準備は?」
「もちろんするさ」
その答えに美心は眉をひそめる。
「この前は“もちろん”って言ってたけど、杖が暴発したでしょ」
「……あれは事故だ」
そう言いながらも誠人は苦笑を浮かべた。
角を曲がったところで、健が壁に寄りかかっていた。彼は欠伸をしながら、手元の紙を誠人に突き出す。
「なあ、これ見てみろよ。試験の課題、ちょっと変わってる」
誠人が目を通すと、魔力制御試験の項目に“応用術式の即興使用”という文言があった。
「即興……か」
「俺はルールそのものを変えたいけどな。こういうのは燃えるだろ?」
健はにやりと笑った。だが誠人は紙を握りしめ、真剣な表情を浮かべた。
「なら、なおさら負けられない」
彼はポケットの中で拳を握る。昨夜見た“縫い目”の力――あれがあれば、もしかしたらこの課題を突破できるかもしれない。
ただの偶然ではない。これは自分の眠っていた力だ。
「誠人、顔が怖いよ」
美心の声で、誠人ははっと我に返った。
「……大丈夫。絶対にやれる」
そう言い切った彼の瞳に、揺らぎはなかった。
夕刻が近づく頃、誠人たちは小さな橋のたもとで立ち止まった。川面に映る空は朱色に染まり、涼しい風が吹き抜ける。
睦が橋の欄干に腰掛け、足をぶらぶらと揺らしながら言った。
「ねえ誠人、本当に諦めないんだ」
「何度でも言うけどな。諦める理由がない」
「でも失敗するたびに傷つくだけでしょ?」
「傷ついたっていい。動き続けなきゃ、何も変わらない」
その声は、昼間の睦の冷たい調子とは違い、静かで力強かった。
樹は欄干に手をかけて、そんな誠人を横目で見つめる。
「……お前、そういうとこだけは昔から変わらないな」
樹は微笑んだが、その表情には羨望の色があった。
そこへ、美心が小さな紙袋を差し出す。中には先ほどの食堂で余ったパン屑が詰められていた。
「これ、孤児院に持っていこう。あの子たち、最近まともに食べてないから」
誠人は頷き、紙袋を受け取った。
「ありがとう。……俺たちも底辺だけど、下を見るのはもうやめる。これからは前だけ向く」
その言葉に、睦が目を細める。
「前だけ向く……か。あんた、本当に変わるかもしれないね」
彼女の声は、少しだけ柔らかくなっていた。
夕暮れの川辺を歩き出した誠人の足取りは、昼よりもずっと軽かった。
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