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出発の日

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「やっと帰ってきたか」


 レイナと共にアノーロワ商会へと帰ってくると、大きなため息を漏らすリト。
 そしてシスリルは、レイナをジッと見つめて笑顔を浮かべる。


「お二人で、どこで何をしていたのですか?」
「少し外で──」
「──ふんっ、どこでもいいでしょ?」


 俺の返事を邪魔するようにレイナが言葉を被せる。
 どこか敵対心を含んだレイナの態度に、シスリルは笑顔を崩すことなく言葉を返す。


「魔界への移動で疲れているユクス様に、戻ってきてすぐに外を歩かせるなんて……眷属として失格ですわね」
「べ、べつに、ユクスだって疲れてなかったみたいだし! それに帰りを待たず寝ている方がよっぽど」
「起きてましたよ?」
「え?」


 レイナが目を大きく開いて驚く。


「寝たフリをしていたのですわ。全員で起きて待っていたら、ユクス様に無駄な気を遣わせてしまうではないですか」
「そ、そうだったの……へえ、そう」
「はい。そしてユクス様とレイナさんが出ていくのを、わたくしとリトさんで見てましたの」


 シスリルがリトへと視線を向けると、彼は大きくため息をつく。


「そして、あなたが住民区のど真ん中でユクス様にキスをせがむ姿もばっちり見てました」
「なっ!?」
「もう、わたくしは驚きで心臓が止まるかと思いましたわ。まさかあんな場所でキスをせがむなんて……ねえ、リトさん?」


 唐突に話を振られたリトは、困り顔を浮かべる。


「ま、まあ……」
「見て、たの……?」
「わたくしと一緒にばっちりと。それにしてもさすがですわね。あのような人通りのある場所で……さすが、首にマーキングを付けた眷属ですわね」
「なっ、これは、ちがっ!」
「わたくしにはそんな度胸ありませんわ。疲れたユクス様に足を運ばせ、人通りのある場所で堂々とキスをせがみ、首に誰の女であるかアピールする紋章。さすがですね、レイナさん?」
「ぐぎぎぎっ! ふ、ふんっ! そうよ、私はユクスの眷属だから、キスだって、ユクスが望めばどこでもするわよ! それに比べてあなたは、まだしてもらっていないんだって!?」
「……これから、ですわ。わたくしは二人っきりでお部屋でしますから。もちろん、その後のことも望めばもちろん」
「そ、そそそ、その後も!?」


 二人の会話を聞きながら「ほお」と声を漏らすと、隣に立ったリトがボソッと呟く。


「……いいかい、こういう状況のことを人間界では『修羅場』と呼ぶんだ」
「修羅場?」
「ああ、そうだ。一人の男性を複数人の女性が取り合う光景のことだ」
「それはなかなか素晴らしい」
「いや、実はこれ、思ったほど素晴らしいことではないんだよ」


 リトは、二人を見ながら言葉を付け足した。


「これだけは忠告しておくよ。こういう修羅場に立たされたとき、男は──」
「──ユクス!」
「──ユクス様!」
「絶対に、どちらか片方の女性に肩入れしては駄目だ」


 リトはそれだけを言い残し、俺から離れるように部屋を出た。
 そして入れ代わりといったように、ふくれっ面のレイナとシスリルが詰め寄ってくる。


「ユクスはどっちの眷属の血が美味しかったの!?」
「どちらということは……」
「当然、わたくしですわよね!?」
「いいえ、私よね!? キスしたときも、あんなに私を求めたもんね!? ねっ!?」
「いや、それは……」
「それは初めてだったからですわよね!? もちろん、今から好きなだけわたくしのことを味わっても構いませんわよ? その時は当然、レイナさんよりわたくしの方が大切だと仰ってくれればのことですけど!」


 二人からの凄まじい圧を受けながら、俺はリトの言ったことが本当なのだとわかり、大きくため息をつく。

 










 ♦












「──要するに、管理理事は生きているということなんだね」
「魔王ガルデモア……歴史書を開けば必ず出てくる名前ね」
「ですわね。そんな魔族の配下を召喚したなんて」


 レイナとシスリルが落ち着いた頃、俺は魔界で得た情報を三人に伝えた。


「だけどひとまず、カーラさんが生きていたことを喜ぶべきだね」
「ああ、そうだな。ただ目を覚ましていないから、人間界に戻ることは当分は無理だろう」
「そうだね。そしておそらくこの件について、学園側は公表しないだろう」
「えっ、それってどういうこと?」


 レイナの疑問に、リトは難しい表情をする。


「彼女が亡くなったというのは事故や病気じゃなく、何者かによって行われた魔族召喚で殺された。それを知るのは僕たちの他に、当事者の仮面を付けた連中と、最初に知らせてくれたマリーナが関係している集団だけだ。そして、彼女の体は魔界にある。それなのに学園側が発表したら、自分たちが関わっていると言っているようなものだからね」
「確かにそうだな。だがカーラがいないことを不審に思って何らかの形で捜索なんかするんじゃないのか?」
「いや、おそらく何も言わないだろう。中立国にとっては公表すれば三国に『いま中立国の代表はいないです、無法地帯ですよ』とアピールすることになり、三国からしてみれば、知らないフリして行動した方が都合がいい」


 リトの言葉を受け、俺は「なるほど」と返す。


「それで、今日はどうするんだい?」
「学園に行くかどうかか?」
「おそらく君は、以前ほど無視された状況ではなくなるだろう。そして君と一緒にいる僕らも、どこにいても誰かに見られていると思っていた方がいい」


 リトの言葉に、レイナとシスリルが神妙な趣で頷く。


「それでも、行くかい?」
「ふっ、そんなの行くに決まっているだろ」


 俺が立ち上がると、三人は笑った。


「そう言うと思っていたよ」
「ええ、ビクビク震えていたくないわね。それに連中には借りを返してやらないと」
「わたくしも同じです。ただ、レイナさんはいいのですか?」
「何が?」
「違う意味で、好奇の眼差しにさらされると思うのですが……」


 シスリルは口下を手で抑えながら笑う。


「うっ、うるさいわよ! あんただって太股の紋章を見せびらかしながら歩きなさいよ!」
「そんな痴女みたいなことできませんわ。ユクス様の前でだけ、わたくしがあなたの女だとアピールするからいいのに、そんな……ぷぷっ」
「あんた、人の首を見て笑うんじゃないわよ!」


 賑やかな二人を眺めながら、俺たちは学園へと向かった。
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