5 / 16
シモーヌの場合は、あまりにもおばかさん。----ヴェイユ素描----〈5〉
しおりを挟む
ヴェイユ自身にも、自分自身では選んで出て行くことができないような、彼女自身の不幸という孤島があった。短い工場体験の中で彼女が直面したのは、他人である工場労働者たち一般の不幸であるより、なおさらのこととして自分自身に染み込んでいる自分自身の不幸ではなかったか。
彼女の終生の持病だった、慢性的な激しい頭痛。それは「潜伏性竇炎(とうえん)」あるいは「全副鼻腔炎」に起因するものであったと考えられている。思春期の頃から、事あるごとに頻繁に繰り返し彼女を苦しめ続け、そのさなかでは話すことも食べることも眠ることさえ困難になるような激しい痛み。それはやがて彼女自身の感覚において、我が身の不幸そのものの象徴であるかのように見出されていったと思われる。
「…身体の素質の方からヴェイユの思想の旋回をみてゆくと、このはげしい頭痛の発作は、大切な契機になっていることがわかる。〈慢性の肉体的苦痛〉は、たんにその都度の肉体の苦痛とまったくちがう、とヴェイユはいっている。それは根源的な不幸のひとつなのだ。ヴェイユの言葉でいえば、〈生命が根こそぎにされる不幸〉にほかならない。そして〈生命が根こそぎにされる不幸〉は、不幸という概念をテコに、肉体的なところからはじまって精神にも、社会にもおしひろげられ、徹底してゆく。不幸な魂の状態によって、人間のかんがえはピンでとめられて、遠くまで行けなくなってしまう。逆にいえば、生命が根こそぎにされることの根源的な不幸にふれえないような不幸は、ほんとの不幸とはいえないというかんがえにヴェイユはたどりつく。…」(※1)
ヴェイユ自身は「不幸」なるものについて次のように言っている。
「…不幸は、人生を根だやしにするものであり(中略)いわば死と相等しいものであり、肉体的な苦痛をともなっておそいかかったり、または、肉体的な苦痛の接近を不安がらせたりして、否応なくたましいの目の前に立ちはだかるのである。…」(※2)
「…苦痛の度合がどんなに軽いものであっても、肉体的な苦痛におそわれて、否応なく、不幸の現存を思考の中でみとめなければならなくなるとき、いわば、死刑囚がやがて自分の首を切断するはずの断頭台を、何時間もの間じっと眺めていなければなならない状態と、同じすさまじい状態が生じる。…」(※3)
ヴェイユは無論「肉体的苦痛そのもの」を不幸と言っているわけではないし、「どの程度の苦痛ならば不幸に該当するか?」などということを言っているのでもない。むしろヴェイユは、もし苦痛が肉体的なものにとどまるならば、それはあくまでも「個人的な不幸」であり、いわばそれは「半分だけの不幸」なのだとする。
人は、ある肉体的苦痛を現に感じるときばかりでなく、それが「まだ我が身に襲いかかってきてはいない」のにもかかわらず、あるいはそれが「すでに我が身から過ぎ去った」のにもかかわらず、再び、あるいは初めてか、そのいずれにせよ「その我が身への接近が予感されるだけ」でも、不幸はその人の魂の中で、あるいはまたその社会的関係の中で再現され、彼はその不幸の中で身動きすることもできず、自分自身では避けることもできないようなものとして、不幸は彼の目の前に立ちはだかる。たとえ苦痛が現に感じられているものでなくとも、それが繰り返しおとずれるのが「予感」され、なおかつ「その予感がほぼ確実である」という、その状態全体が、人を不幸の真っ只中に押し留める=閉じ込めることとなる。
予感の只中で苦痛の訪れをあたかも自分自身として待っているかのような、「その状態そのもの」が彼を不幸にしている。予感は、思考=精神=魂において感じられている不幸であり、「待っている」という行為は、「社会的なものに関連づけられる不幸」であると言える。このようにして不幸は、「苦痛それ自体」である以上に、「その人の人生、あるいはその生命全体」に対して、一体となって襲いかかってくるものなのだと言える。
(つづく)
◎引用・参照
(※1)吉本隆明『甦えるヴェイユ』
(※2)ヴェイユ「神への愛と不幸」(『神を待ちのぞむ』所収)
(※3)ヴェイユ「神への愛と不幸」(『神を待ちのぞむ』所収)
◎参考書籍
シモーヌ・ヴェイユ
『抑圧と自由』(石川湧訳 東京創元社)
『労働と人生についての省察』(黒木義典・田辺保訳 勁草書房)
『神を待ちのぞむ』(田辺保・杉山毅訳 勁草書房)
『重力と恩寵』(田辺保訳 ちくま学芸文庫)
『シモーヌ・ヴェイユ アンソロジー』(今村純子編訳 河出文庫)
吉本隆明
『甦るヴェイユ』(JICC出版局)
冨原真弓
『人と思想 ヴェーユ』(清水書院)
彼女の終生の持病だった、慢性的な激しい頭痛。それは「潜伏性竇炎(とうえん)」あるいは「全副鼻腔炎」に起因するものであったと考えられている。思春期の頃から、事あるごとに頻繁に繰り返し彼女を苦しめ続け、そのさなかでは話すことも食べることも眠ることさえ困難になるような激しい痛み。それはやがて彼女自身の感覚において、我が身の不幸そのものの象徴であるかのように見出されていったと思われる。
「…身体の素質の方からヴェイユの思想の旋回をみてゆくと、このはげしい頭痛の発作は、大切な契機になっていることがわかる。〈慢性の肉体的苦痛〉は、たんにその都度の肉体の苦痛とまったくちがう、とヴェイユはいっている。それは根源的な不幸のひとつなのだ。ヴェイユの言葉でいえば、〈生命が根こそぎにされる不幸〉にほかならない。そして〈生命が根こそぎにされる不幸〉は、不幸という概念をテコに、肉体的なところからはじまって精神にも、社会にもおしひろげられ、徹底してゆく。不幸な魂の状態によって、人間のかんがえはピンでとめられて、遠くまで行けなくなってしまう。逆にいえば、生命が根こそぎにされることの根源的な不幸にふれえないような不幸は、ほんとの不幸とはいえないというかんがえにヴェイユはたどりつく。…」(※1)
ヴェイユ自身は「不幸」なるものについて次のように言っている。
「…不幸は、人生を根だやしにするものであり(中略)いわば死と相等しいものであり、肉体的な苦痛をともなっておそいかかったり、または、肉体的な苦痛の接近を不安がらせたりして、否応なくたましいの目の前に立ちはだかるのである。…」(※2)
「…苦痛の度合がどんなに軽いものであっても、肉体的な苦痛におそわれて、否応なく、不幸の現存を思考の中でみとめなければならなくなるとき、いわば、死刑囚がやがて自分の首を切断するはずの断頭台を、何時間もの間じっと眺めていなければなならない状態と、同じすさまじい状態が生じる。…」(※3)
ヴェイユは無論「肉体的苦痛そのもの」を不幸と言っているわけではないし、「どの程度の苦痛ならば不幸に該当するか?」などということを言っているのでもない。むしろヴェイユは、もし苦痛が肉体的なものにとどまるならば、それはあくまでも「個人的な不幸」であり、いわばそれは「半分だけの不幸」なのだとする。
人は、ある肉体的苦痛を現に感じるときばかりでなく、それが「まだ我が身に襲いかかってきてはいない」のにもかかわらず、あるいはそれが「すでに我が身から過ぎ去った」のにもかかわらず、再び、あるいは初めてか、そのいずれにせよ「その我が身への接近が予感されるだけ」でも、不幸はその人の魂の中で、あるいはまたその社会的関係の中で再現され、彼はその不幸の中で身動きすることもできず、自分自身では避けることもできないようなものとして、不幸は彼の目の前に立ちはだかる。たとえ苦痛が現に感じられているものでなくとも、それが繰り返しおとずれるのが「予感」され、なおかつ「その予感がほぼ確実である」という、その状態全体が、人を不幸の真っ只中に押し留める=閉じ込めることとなる。
予感の只中で苦痛の訪れをあたかも自分自身として待っているかのような、「その状態そのもの」が彼を不幸にしている。予感は、思考=精神=魂において感じられている不幸であり、「待っている」という行為は、「社会的なものに関連づけられる不幸」であると言える。このようにして不幸は、「苦痛それ自体」である以上に、「その人の人生、あるいはその生命全体」に対して、一体となって襲いかかってくるものなのだと言える。
(つづく)
◎引用・参照
(※1)吉本隆明『甦えるヴェイユ』
(※2)ヴェイユ「神への愛と不幸」(『神を待ちのぞむ』所収)
(※3)ヴェイユ「神への愛と不幸」(『神を待ちのぞむ』所収)
◎参考書籍
シモーヌ・ヴェイユ
『抑圧と自由』(石川湧訳 東京創元社)
『労働と人生についての省察』(黒木義典・田辺保訳 勁草書房)
『神を待ちのぞむ』(田辺保・杉山毅訳 勁草書房)
『重力と恩寵』(田辺保訳 ちくま学芸文庫)
『シモーヌ・ヴェイユ アンソロジー』(今村純子編訳 河出文庫)
吉本隆明
『甦るヴェイユ』(JICC出版局)
冨原真弓
『人と思想 ヴェーユ』(清水書院)
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
冷遇妃マリアベルの監視報告書
Mag_Mel
ファンタジー
シルフィード王国に敗戦国ソラリから献上されたのは、"太陽の姫"と讃えられた妹ではなく、悪女と噂される姉、マリアベル。
第一王子の四番目の妃として迎えられた彼女は、王宮の片隅に追いやられ、嘲笑と陰湿な仕打ちに晒され続けていた。
そんな折、「王家の影」は第三王子セドリックよりマリアベルの監視業務を命じられる。年若い影が記す報告書には、ただ静かに耐え続け、死を待つかのように振舞うひとりの女の姿があった。
王位継承争いと策謀が渦巻く王宮で、冷遇妃の運命は思わぬ方向へと狂い始める――。
(小説家になろう様にも投稿しています)
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
壊れていく音を聞きながら
夢窓(ゆめまど)
恋愛
結婚してまだ一か月。
妻の留守中、夫婦の家に突然やってきた母と姉と姪
何気ない日常のひと幕が、
思いもよらない“ひび”を生んでいく。
母と嫁、そしてその狭間で揺れる息子。
誰も気づきがないまま、
家族のかたちが静かに崩れていく――。
壊れていく音を聞きながら、
それでも誰かを思うことはできるのか。
包帯妻の素顔は。
サイコちゃん
恋愛
顔を包帯でぐるぐる巻きにした妻アデラインは夫ベイジルから離縁を突きつける手紙を受け取る。手柄を立てた夫は戦地で出会った聖女見習いのミアと結婚したいらしく、妻の悪評をでっち上げて離縁を突きつけたのだ。一方、アデラインは離縁を受け入れて、包帯を取って見せた。
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
【bl】砕かれた誇り
perari
BL
アルファの幼馴染と淫らに絡んだあと、彼は医者を呼んで、私の印を消させた。
「来月結婚するんだ。君に誤解はさせたくない。」
「あいつは嫉妬深い。泣かせるわけにはいかない。」
「君ももう年頃の残り物のオメガだろ? 俺の印をつけたまま、他のアルファとお見合いするなんてありえない。」
彼は冷たく、けれどどこか薄情な笑みを浮かべながら、一枚の小切手を私に投げ渡す。
「長い間、俺に従ってきたんだから、君を傷つけたりはしない。」
「結婚の日には招待状を送る。必ず来て、席につけよ。」
---
いくつかのコメントを拝見し、大変申し訳なく思っております。
私は現在日本語を勉強しており、この文章はAI作品ではありませんが、
一部に翻訳ソフトを使用しています。
もし読んでくださる中で日本語のおかしな点をご指摘いただけましたら、
本当にありがたく思います。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる