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〔11〕認識は、事象から本質的な部分を切り離し、それを目指して意識する。
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意識は何らかの対象を意識し、その対象が何であるかを認識する。
一般に、現実から認識を切り取ろうとする意識は、その現実を構成する本質的な部分と、そうではない非本質的な部分とに切り分けて認識しようとしているのだとも考えることができる。そのように現実を認識すると、その現実にとってはそういった本質的な部分のみが意味のあるものとして実在していて、そうではない非本質的な部分は現実にとって全く不要なもので、本質的な部分から切り離された後においては、すっかり見放されてまるで最初から存在しなかったかのように思えてくる。
このような認識のしかたを、アルチュセールは、純金の粒を含有する鉱石に例えて語っている。
「…実在。それは、内部に純金の粒を含有するこの地中の鉱石のように、構造化されている。…」(※1)
「…実在は二つの実在する本質、純粋な実在と不純物、金と金鉱石、あるいはこう言いたければ(ヘーゲルの用語で)本質と非本質から成り立っている。…」(※2)
「…実在=対象はその内部に、本質と非本質という二つの異なる実在の部分を現実に含んでいる…。」(※3)
「…認識すること、それは実在の対象からその本質を抽出することであり(中略)この本質の所有が認識と呼ばれ(中略)実在の本質を所有させる実在の抽象である。…」(※4)
「…実在の抽象とは何を意味するのだろうか。実在の抽象は、実在する事実であると宣言されたものを説明する。…」(※5)
「…認識とは、本来の意味での抽象作用、つまり本質を包含する実在からの本質の抽出であり、隠しながらも本質を包蔵する実在からの本質の分離である。…」(※6)
「…本質とは、金が地中の鉱石や、その内部に金が混合あるいは含有されている砂から抽出される(または引き離される、したがって分離される)という抽出という言葉の本来の意味において、実在の対象から抽象されたものである。…」(※7)
「…非本質は(中略)「無」またはそれ以外のものでもありうる。…」(※8)
対象が何であるかを認識しようとする意識、その対象の本質を認識しようとする意識においては、現実の中からそれぞれに、本質とそれ以外つまり非本質として認識される実在の対象が、その認識の対象として「抽出」され、また、そのそれぞれがその実在から「分離」されることによって、そのそれぞれが本質と非本質として認識されるところとなり、また、そのそれぞれが実在に含まれていたところの、その実在のそれぞれに異なる部分としてその実在の中に含まれていたものであると見なされることとなる。
実在からの本質と非本質の分離はまた、その分離「以前」を、つまりその未分離の状態を説明することにもなる。それが「分離されること」によって、その分離以前においてはそれらが「未分離であった」ということを説明することができるようになる。実在の中で本質と非本質が混合あるいは含有されていた状態からの分離または抽出によって、しかしその分離または抽出「以前において」も、それは「本質的には」分離されていたのだが、「その以前」には、それは未分離な状態の中に、その「すでに分離されていたという事実」が隠されていたのだ、ということを説明することができるようになる。しかし実際にそれができるようになるのは、それが「分離された後」になってからのことではある。本当にその「以前」からそれらは分離されていたのか、あるいは単に混合していただけだったのかということは、それらが実際に分離された後となっては確かめようもない。それらは現にすでに分離されているのだから、それらを認識する意識は、それらを「分離されたもの」としてしか意識することがもはやできない。
だから認識は、純金はたまたま鉱石の中に含まれていて、それをたまたま見つけ出したというのではなく、最初から、「それは純金として見つけ出されるべきもの」としてその中に含まれており、それ以外のもの、砂礫や岩塊はそれから分離されて廃棄されるべきものとして最初からその中に含まれていたのだ、と思うようになる。
「…認識は常にはっきりとした目的を追求している…。」(※9)とアレントは言う。とすれば認識は対象の本質を、すなわち純金を、最初から目指していたのだ、ということだろうか?
本質を目指す認識にとって、実在の実在性はあくまでも「その本質にしかない」のであって、その限りで非本質的実在は「本質的に」実在から除去されて然るべきと考えることができるものとなる。そして除去された非本質は、もはや「それ以前には存在すらしなかったもの」であるかのように実在から取り除かれてしまう。これによってはじめて認識は、実在の「本質のみ」を「実在そのもの」として認識しうるところとなる。あたかも「最初からそれが実在していたもの」であるかのように。
しかし認識が最初から本質を目指しているとするならば、むしろその認識が「非本質を生み出している」とは言えないだろうか?本質に非本質を混合させて「実在を構造化している」のは、純金を砂礫や岩塊で覆い隠して「鉱石として構造化している」のは、それらを分離させた認識の方だと言えないだろうか?
認識が見出すのが実在の本質であるのならば、あるいはその本質の実在性であると言うのならば、むしろそれは同時に「非本質の実在性」をも見出しているのではないだろうか?そのように、いずれかが「本質的な実在である」と認識するのは、実は認識とその認識の対象との「関係に依存している」と言えないだろうか?隠されているのは、砂礫や岩塊に混合された「鉱石の本質」である純金ではなく、その純金を「鉱石の本質として抽出しよう」とする、また、砂礫や岩塊を「鉱石の非本質として分離し排除しよう」とする目的あるいは欲望の方ではないのだろうか?
◎引用・参照
(※1)~(※8) アルチュセール「資本論を読む」第一部10 権・神戸訳
(※9) アレント「人間の条件」第四章23 志水速雄訳
一般に、現実から認識を切り取ろうとする意識は、その現実を構成する本質的な部分と、そうではない非本質的な部分とに切り分けて認識しようとしているのだとも考えることができる。そのように現実を認識すると、その現実にとってはそういった本質的な部分のみが意味のあるものとして実在していて、そうではない非本質的な部分は現実にとって全く不要なもので、本質的な部分から切り離された後においては、すっかり見放されてまるで最初から存在しなかったかのように思えてくる。
このような認識のしかたを、アルチュセールは、純金の粒を含有する鉱石に例えて語っている。
「…実在。それは、内部に純金の粒を含有するこの地中の鉱石のように、構造化されている。…」(※1)
「…実在は二つの実在する本質、純粋な実在と不純物、金と金鉱石、あるいはこう言いたければ(ヘーゲルの用語で)本質と非本質から成り立っている。…」(※2)
「…実在=対象はその内部に、本質と非本質という二つの異なる実在の部分を現実に含んでいる…。」(※3)
「…認識すること、それは実在の対象からその本質を抽出することであり(中略)この本質の所有が認識と呼ばれ(中略)実在の本質を所有させる実在の抽象である。…」(※4)
「…実在の抽象とは何を意味するのだろうか。実在の抽象は、実在する事実であると宣言されたものを説明する。…」(※5)
「…認識とは、本来の意味での抽象作用、つまり本質を包含する実在からの本質の抽出であり、隠しながらも本質を包蔵する実在からの本質の分離である。…」(※6)
「…本質とは、金が地中の鉱石や、その内部に金が混合あるいは含有されている砂から抽出される(または引き離される、したがって分離される)という抽出という言葉の本来の意味において、実在の対象から抽象されたものである。…」(※7)
「…非本質は(中略)「無」またはそれ以外のものでもありうる。…」(※8)
対象が何であるかを認識しようとする意識、その対象の本質を認識しようとする意識においては、現実の中からそれぞれに、本質とそれ以外つまり非本質として認識される実在の対象が、その認識の対象として「抽出」され、また、そのそれぞれがその実在から「分離」されることによって、そのそれぞれが本質と非本質として認識されるところとなり、また、そのそれぞれが実在に含まれていたところの、その実在のそれぞれに異なる部分としてその実在の中に含まれていたものであると見なされることとなる。
実在からの本質と非本質の分離はまた、その分離「以前」を、つまりその未分離の状態を説明することにもなる。それが「分離されること」によって、その分離以前においてはそれらが「未分離であった」ということを説明することができるようになる。実在の中で本質と非本質が混合あるいは含有されていた状態からの分離または抽出によって、しかしその分離または抽出「以前において」も、それは「本質的には」分離されていたのだが、「その以前」には、それは未分離な状態の中に、その「すでに分離されていたという事実」が隠されていたのだ、ということを説明することができるようになる。しかし実際にそれができるようになるのは、それが「分離された後」になってからのことではある。本当にその「以前」からそれらは分離されていたのか、あるいは単に混合していただけだったのかということは、それらが実際に分離された後となっては確かめようもない。それらは現にすでに分離されているのだから、それらを認識する意識は、それらを「分離されたもの」としてしか意識することがもはやできない。
だから認識は、純金はたまたま鉱石の中に含まれていて、それをたまたま見つけ出したというのではなく、最初から、「それは純金として見つけ出されるべきもの」としてその中に含まれており、それ以外のもの、砂礫や岩塊はそれから分離されて廃棄されるべきものとして最初からその中に含まれていたのだ、と思うようになる。
「…認識は常にはっきりとした目的を追求している…。」(※9)とアレントは言う。とすれば認識は対象の本質を、すなわち純金を、最初から目指していたのだ、ということだろうか?
本質を目指す認識にとって、実在の実在性はあくまでも「その本質にしかない」のであって、その限りで非本質的実在は「本質的に」実在から除去されて然るべきと考えることができるものとなる。そして除去された非本質は、もはや「それ以前には存在すらしなかったもの」であるかのように実在から取り除かれてしまう。これによってはじめて認識は、実在の「本質のみ」を「実在そのもの」として認識しうるところとなる。あたかも「最初からそれが実在していたもの」であるかのように。
しかし認識が最初から本質を目指しているとするならば、むしろその認識が「非本質を生み出している」とは言えないだろうか?本質に非本質を混合させて「実在を構造化している」のは、純金を砂礫や岩塊で覆い隠して「鉱石として構造化している」のは、それらを分離させた認識の方だと言えないだろうか?
認識が見出すのが実在の本質であるのならば、あるいはその本質の実在性であると言うのならば、むしろそれは同時に「非本質の実在性」をも見出しているのではないだろうか?そのように、いずれかが「本質的な実在である」と認識するのは、実は認識とその認識の対象との「関係に依存している」と言えないだろうか?隠されているのは、砂礫や岩塊に混合された「鉱石の本質」である純金ではなく、その純金を「鉱石の本質として抽出しよう」とする、また、砂礫や岩塊を「鉱石の非本質として分離し排除しよう」とする目的あるいは欲望の方ではないのだろうか?
◎引用・参照
(※1)~(※8) アルチュセール「資本論を読む」第一部10 権・神戸訳
(※9) アレント「人間の条件」第四章23 志水速雄訳
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