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「死神と過ごした三日間」

第1話

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 実際に起こった出来事に対して「ありえない」という言葉を使ってはいけない。それは現実から逃げようとする弱さの現われだから。
 父にそう教わった俺は、今までの人生でずっと「ありえない」という言葉を封印してきた。
 どれだけ信じたくないことが起ころうと、それだけは言わなかった。
 逃亡は弱者のすること。
 俺は強者になりたかった。
「ありえ、ない……」
 けれど、強者になりたいなんて憧れを抱くのは弱者で、やっぱり俺は弱者だった。
 目を覚ましてすぐ、目の前の現実が理解できずに頭を抱える。
 まさか失敗したのか。いや、それにしては痛みも何も感じない。明らかにおかしい。
 手も足も、とくに変わった様子はない。
 そんなこと、ありえないのに。
 目を覚ますことも、目の前に現実が広がっていることも、ありえない。
 ずっと封印し続けてきた言葉が、今となっては抵抗なく頭に浮かぶ。


「えっと、みや……? みやご……なにこれ、読めないんですけど」


 すぐ後ろから聞こえる声。
 咄嗟に振り返る。そこには、妙な格好をした女が立っていた。
「あの、みやごかわさん? みやごかわ……しょうさん、です?」
「……いや、人違いです」
 多分俺のことだろうけど、見事に名前を間違っているのでそう答えた。
 女は手に持った小さな手帳と俺を交互に見て「でも顔は一致してるはずなんだけど、おかしいなー」と呟きながら頭を掻く。
 あの手帳、俺の名前と顔写真が載ってるのか? この女、危ない仕事でもしているのか、もしくはストーカーか……。後者だったとしても、俺はそれを咎められるような人間じゃないけど。
 このまま白を切ろうと思ったが、現状を思い出して考え方を変える。
 この女は今の俺に話しかけてきた。ありえない状況下にいる俺に。
 何かを知っていると考えるのが妥当だろう。それに、逃げたところで行くあても無い。
「あっ、もしかして名前違いました? みやおがわさん?」
「宮御河。みやみかわって読むんだよ」
「はぁー……めんどくっさい名字ですねぇ」
 親切に答えてやったのに、とんでもなく失礼な女だ。
「あと名前も違う。ショウじゃなくて、カケル。宮御河翔」
「あーそこの二択迷ったんですよねー。どっちもよくいる名前ですし?」
「……人の名前間違えてたんだから謝るとかねーのかよ」
「おっと、それもそうですね。申し訳ない」
 ぺこりと頭を下げられる。嫌味な感じではない。どうやらこういう性格のようだ。
「で、あんたは何者で、何の用で俺に話しかけてきたわけ?」
 名前を間違って読まれるのはよくあることだったし、俺もそこまで気にしていたわけじゃない。変に突っかかったりせず話の先を促した。
「おおっとそうでした。それを語らねばいけませんね」
 ごっほん、なんてワザとらしい咳払いをひとつしてから、女はようやく素性を明かす。
「私、アリサといいます。地界公務員をしておりまして……って、それじゃ分かりませんよね。わかりやすく言うと、死神ってやつです」
 死神。
 普通ならそれこそ「ありえない」と言いたくなる単語だったが、今の俺にはすんなりと受け入れられた。
 そして同時に安堵する。

 ああ、死神ね。そりゃ納得だ。

 ってことは、俺はちゃんと死ねたのか。

「宮御河翔さん。今の貴方は、俗に魂とか残留思念とか言われてるものです。そこらへんは理解してますか?」
「今言われて納得したところだな」
「それはよかった。結構多いんですよ、自覚ない人。お前はもう死んでいる、なーんて言っても信じてもらえないから困るんですよねー」
 自覚がないわけがない。これは、俺が自ら望んだことなんだから。
「なら、死因は学校の屋上からの飛び降りってことも覚えてますか?」
「……ああ」
 そう、俺は自ら命を絶った。家族に遺言めいたものを残し、片思い相手に謝罪と欲望をぶちまけた手紙を送りつけて。
 見上げると、自分が飛んだ屋上が視界に入る。
 自殺なんて我ながら最低だと思う。けど、あんな風に生き続けることに耐えられなかった。
 たった十四年の人生。辛かったのは、最後の一年だけ。それでも生きることが辛くて仕方なかった。
 弱者は、どう足掻いても弱者だった。
「普通自殺した人は問答無用で地獄に送られて、七百年くらいかけて罪を清めた上で全く関係ない生き物へと転生するんです。自殺と人殺しは同じですからね。あなたは、宮御河翔という人間を殺した罪人です」
「そういうことね……で、あんたは俺を地獄に連れてくために来たのか?」
「……そんなところです」
 死んだからって、全てから開放されるわけではないらしい。それでも、もう生きなくていいならなんでもいい。地獄なんかより、生き続けることの方がよっぽど怖い。
「宮御河翔さん。あなたはこれから三日間、私と行動を共にしてください」
「……? すぐに地獄行きってわけじゃないのか?」
「はい。最初の三日はここに留まり、私と色々なものを見なければいけません」
「そういうものなのか」
「そういう決まりです」
 何を見せられるのかは知らないが、その間に心の整理をしろということだろうか。
「三日間ですが、よろしくしてくださいね。宮御河翔さん」
 死神は笑顔でそう言った。
「よく笑ってられんな、自殺したやつ目の前にして」
「仕事ですからね」
 ハッキリと言い切られる。その言葉には、仕事でなければこんなことはしていない、という意味が込められているようだった。
 当たり前か。死神だろうと何だろうと、死人を目の前にして普通に笑えるはずがない。この笑顔は、いわゆるビジネススマイルというやつだ。
 そんな仕事をしているのは少し可哀想だな。なんて、勝手な同情を抱いた。
「まあ、よろしく。アリサだっけ。俺のことも名前呼び捨てにしていいよ」
「あ、そうですか? いやーフルネームで呼ぶのめんどくさかったんで助かります」
 ……そんなに可哀想でもないか。



 目を覚ましたのは早朝だったらしく、しばらくしたら少しずつ学生が登校してきはじめた。
 人が一人死んだ場所だなどと気にする様子もない生徒達。見知った顔は見あたらない。俺の命なんてやっぱりちっぽけだったんだと思い知らされる。
 けど、それでいい。そうじゃなかったら死ねなかった。
「さて、人も増えてきましたし私達は出ましょうか」




 アリサの後ろをついて住宅街を歩く。すれ違う人達は誰もこっちを見ない。
 さっきの学校でも思ったが、俺とアリサの姿は生きている人間には見えていないらしい。
 俺の死も、アリサが死神だということも、疑わなくてよさそうだ。
「どこに行くんだ?」
「もう少し先にある高校です」
「高校……? なんでまた」
「それは行ってからのお楽しみってことで」
 もう死んでて、しかも地獄行きが決まってるのに、今更何を楽しめばいいんだか。
 そう思ったが、死神として仕事をしているだけのアリサに伝えたところで意味はないだろう。無駄な悪態は引っ込め、別の話題に切り替える。
「そういえばさ、俺って何で考えたり喋ったりできてるんだ? 死んでるから脳とかないはずなのに」
「魂に時間という概念はありませんからね。思考は生きている頃の脳内で処理されてるんですよ。生前、理由もなく頭痛がしたこととかあるでしょ? そういうのって、死後の魂と繋がってる時が多いんですよ」
「へぇ……なかなか面白い仕組みになってんだな」
「ちなみに地獄に落ちた後は脳との繋がりが切れるんで、思考はできなくなります。感覚もなくなるから結構楽ですよー」
「地獄がそれでいいのかよ」
「地獄が恐ろしいところっていうのは元々人の想像ですからね。実際はあんなもの、洗濯機と同じですよ。ぐるぐる回して罪を洗い落として、綺麗になったら天界へ送って転生させるだけ。というか、ただでさえとんでもない数の魂があるのに、いちいち一人ずつ罰を与えて苦しめる意味が分かんないですね」
 この世だろうとあの世だろうと、効率の悪いことをあえてするメリットがないのは一緒ということか。当たり前のようなことだけど、なかなか面白い話だ。
「さて、そろそろ着きますよ」



 見たこともない高校の前に立つ。
「ここからはちょっと飛ぶので、私の腕でも掴んでてください」
「わかった」
 言われるがまま、差し出された手を握った。
「……手を繋ぐのに躊躇しないんですねー。ちょっと傷つく」
「別にアリサが可愛くないわけじゃねーよ。俺、好きだった人いるだけ」
「知ってます。翔のデータは一通り見てるんで」
 マジかよ。それでよく笑ってられるな。
 俺なんて、俺自身の気持ち悪さに耐えられずに死んでるのに。
「じゃ、行きますよー」
 アリサの身体がふわりと宙に浮き、それに引っ張られるように俺も浮いた。重力から開放されている感覚は新鮮だった。死んでからそんなことを体験しても仕方がない気がするが。



 空を飛び、校舎の壁をすりぬけ、長机が並べられている教室に入る。
 会議室のようだが、それにしては狭い。中にいるのは5人ほどの学生だけ。
 その学生の中に、見覚えのある顔を見つけた。
「会長。これ、佐野先生からです」
「ありがとう月宮さん。もう、部活動の予算申請書は先週が期限だって言ったのに佐野先生ったら」
「あはは、渡す時は申し訳なさそうにしてましたよ」
「あの人いつもこうなのよ。もちろん、それを見越してあえて一週間期限を早く設定したんだけどね。そうそう、去年の卒業式のときもね……」
 俺と同じ色の髪と瞳。耳に馴染む聞き取りやすい声。そして無駄に続く話。
 間違いない。俺の妹、宮御河みちるだ。
「あいつ、高校生なのか……? しかも何、生徒会長なんて腕章つけちゃってさ」
 俺の知っている妹はまだ小学生だった。子供らしく純粋で愚直で、よくからかって遊んでいたのを覚えている。
「さっき言ったと思うけど、魂に時間の概念はないんです。この光景は翔が死んだ七年後のものです」
 七年。短いのか長いのかよく分からない数字だが、俺の中のみちると目の前のみちるを比べると、とてつもなく長く感じた。
 最後に見たみちるの姿を思い出そうと目を閉じる。ぷーっと頬を膨らませて、お兄ちゃんの意地悪、とか言ってそうな顔が浮かんだ。
 いい兄だったとは、思われてなかっただろうな。
 いつも俺の後ろにひっついてて、何かがあると俺の背中に隠れるような、少し気が弱くて控えめな子。からかいながらも、俺が守ってやらなきゃ、なんて小さな兄心を少なからず抱いていた。
 そんな妹が自分よりも大きくなっている。それを目の当たりにし、なんとも言えない虚脱感に包まれる。
 俺が死んだ後、残された人が生き続けているのは当然のことだ。落ち込む必要なんてどこにもない。それでも気が沈むのは、俺の想像よりも現実の方が重かったということだろう。
 しかし……立派に育ったもんだな。兄貴が自殺してるのに、ちゃんと前を向いてる。
 こんなに強くてしっかりした妹だったなんて全然知らなかった。死んでから知ったところで意味がないけれど。
「あなたの妹さん、宮御河みちるさんは、この時点で高校三年生。死んでしまった貴方の分まで生きようと、勉強にも部活にも手を抜くことなく励んでいます。成績首位、弓道部部長でインターハイ出場歴あり。生徒会長を一年間つとめる……絵に描いたような優等生ですね」
 手帳を開き、すらすらと事務的に語るアリサ。俺のことだけでなく、俺の周りのことも調べられているらしい。死神に隠し事はできなさそうだ。
「我が妹ながらパーフェクト超人だな」
 俺も生きている時は似たような人間だった。親や周囲の期待通り勉強して、部活も頑張って、当たり前のように尊敬される絵に描いたような優等生。
 けど、そんな生き方は嫌いじゃなかった。頑張った分だけ周りは自分を認めてくれる。十分楽しいと思えていた。
「……みちるは、楽しんでるんだよな?」
「はい」
 なら、よかった。心からそう思う。
 その生き方を貫けたら、俺みたいにはならないだろう。
「今日一日は妹さんを見守ってください。そういう決まりなんで」
「自分が死んだ後の家族とかを見せるための三日間ってわけか……なんか納得した」
「……未練とか感じないでくださいね。多分、ないと思うけど」
 ぼそりと呟くようにそう言われる。
 その時アリサは、今まで貼り付けていた仕事用の笑顔を引っ込めた。
 苦虫を噛み潰したかのような顔。
 それはほんの一瞬だけで、すぐにパッと笑って見せた。
「私は姿消してますんで、何かあったら『死神アーリサ、出ておいでー。出ないと目玉をほじくるぞー』と叫んでくださいね」
「そんな煤玉みたいな扱いでいいのかあんた」
「私好きですよ、ジ○リ作品」
 最近の死神はアニメ映画もチェックしているらしい。
「それではっ!」
 びしっと敬礼をしてから、すーっと風景に溶けていく。
 飛べるし消えるし、死神って便利だな。
「……俺も義務を果たしますか」
 一日かけて妹の様子を見守る。みちるは本当によくできた女になっていた。
 俺が死んでから、色々なことがあっただろう。けど、死んだ俺がそれを想像するのはおこがましい気がした。
 俺の死は多くの人に迷惑をかけたはずだ。悲しんだ人もいる。喜んだ人もいる。誰にも影響しない死なんて存在しない。
 ……それを理解していても、俺は死を選んだ。
 大切な人たちに茨の道を強いることになろうとも、生きることを放棄した。もうあんな生き方をしたくない……そんな我侭を突き通してしまった。
 見届けよう。俺の我侭の成れの果てを。
 死んだ俺にできることは、それだけなんだから。
 まっすぐ未来を見据える妹の姿は、ただただ眩しかった。



※この作品はPC用同人ゲームとして製作した「死神と過ごした三日間」のノベル版です。
ゲームは無料で公開しています。PCを持っていない方のために、プレイ動画もございます。
詳しくは「はとごろTIMES」のホームページをご覧下さい。
また、漫画も投稿しています。そちらも是非ご覧下さい。
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