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「死神と過ごした三日間」

第3話

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《三日目》
 目を覚ます。三度目だとさすがに慣れを感じた。
 辺りを見回す。アリサの姿は近くにないようだった。
 昨日変な話をしたから気まずいのだろうか。死人相手にそんなことを考える必要はないと思うが。
 呼んでみようと息を吸い……後ろからガツンと頭を殴られ、地面に顔からぶっ倒れた。
「な、なんだよ!」
 痛みは無いが視界がぐわんぐわんしてイラっとくる。文句を言ってやろうと振り返ると、そこにはアリサと同じ格好の女が立っていた。
「あれ、何あんた。すでに担当ついてんの?」
「はぁ? わけわかんねーけどお前誰だよ」
「死神」
 さらりと言われる。その格好からなんとなく予想はしていたが、驚かずにはいられなかった。アリサ以外の死神が現れるとは思っていなかったから。
 女はアリサの持っているものと同じ手帳をぺらぺらと捲り、ああ成程と勝手に納得する。
「あんたの担当、アリサなのね。どうりでグズグズしてると思った」
「な、なんのことだ……?」
「だいたいね、こんなに好条件で転生できるやつは稀なのよ? さっさと心決めて生まれ変わりなさいよ」
「だ、だから何の話だよ。何が何だかサッパリだぞ」
「……ああ、またあの子何も言ってないのね」
 女はパタンと手帳を閉め、それでぺしぺしと俺の頭を叩く。

「宮御河翔。あなたは特別なの」
「とく、べつ……?」

「そう。あなたには、転生条件を少しだけ決められる権利があるの」
「転生って本来千年くらいかけてするものなんだけど、貴方は何年後がいいかを自分で決められる。それと、どんな人から生まれたいかとか、そんな希望も少しなら通るわ。素敵でしょ?」
「…………いや、いきなりそんなこと言われても」
 転生先が決められるからなんだというのだろうか。そんなことを考えていると、女はさらにため息をはいて説明してくれた。
「虐待のない優しい親を選べるんだから、幸せでしょって言ってるの」
「あ……ああ、そういうこと……。でも何で俺にそんな権利があるんだよ」
「あんた、自殺でしょ?」
 言い当てられたことに驚きはしない。あの手帳に俺のことが書いてあるのは知っている。
「そうだけど、自殺者は地獄行きって聞いてるぞ」
「普通はそうよ。でもあんたは特別」
「俺だけ特別とか言われても信じられない」
 そう言ってやると、女はにやーっと笑って顔を近づける。
「貴方のような人の魂を、私たち地界公務員は『死亡適合者』って呼ぶわ」
「死亡……適合者……?」
「死んだほうがいい人間ってこと。身に覚え、あるんじゃない?」
 ゾッとした。それは昨日、俺がアリサに言ったことだった。
「私達には時間の概念がないから、あなたの死ななかった世界も見ることができる。死んだ場合と生きてた場合を見比べて、死んだ場合の方が全てにおいてプラスになるのが、死亡適合者。もう少し詳しいデータも聞く?」
 もう一度手帳を開き、ぺらぺらとめくりながら続けられる。
「あなたの両親、大企業社長なのね。それをあなたが継ぐ場合と、あなたが死んで妹が継ぐ場合は、後者の方が業績が上がるわ。妹さんはあなたの死を乗り越えて、それだけの力を身につける。その他貴方に関わった人間皆似た感じ。死を悲しむ人は多いけど、誰かの人生をマイナスにすることはない」
 それも、全部、感じていた。
 俺が生きていなくても、みんな前を向けている。俺の死は、ちっぽけだと。
「死亡適合者が自殺した場合、私たちはその魂にご褒美をあげるの。それが転生条件の決定権」
 俺の死は、意味があった。
 俺が死んだほうが、みんなが幸せになれた。
 ……分かっていたことだ。二日間、見てきたこと。
「転生条件は担当死神がついてから三日以内に決めないと、なかったことにされて地獄に落ちるわ。あなた今日で三日目みたいだし、さっさと決めちゃったほうがいいわよ」
 それだけ言って、女は消えた。俺はただその場に立ち尽くすだけだった。
 しばらくして、いつものように営業スマイルを浮かべたアリサがやってくる。
「ごめんなさい、ちょっと遅れちゃいましたねー。今日が最後ですから頑張りましょう!」
「…………」
 そうだ。アリサはさっきの話を隠していた。
 どうしてだろう。俺に転生条件を聞くのが仕事なら、そうすればよかったのに。仕事ですからとハッキリ言っていたんだから。
「なあ、アリサ」
「はい?」
「俺……死んだご褒美貰えるんだって?」
 我ながら最低な聞き方になったと思う。
 アリサは普段肌身離さず持っていた手帳をバサリと落とし、大きく目を見開いた。
「……どうして…………誰から、それを」
「なんか、他の死神。名前は聞いてない」
「そう……ですか」
 苦虫を噛み潰したかのような顔。
 時折見せていたこの表情は、アリサの本心を表していたようだ。
 死神としてではなく、アリサとして、俺に真実を教えなかったということか。
 昨日「私は、翔のことを理解できる」と言っていた。
 彼女は俺を理解していて、このことを隠していた……?
「何で、言わなかったんだ? いつも営業スマイルしてんだから、仕事はしっかりこなすのかと思ってたけど」
「言えるわけ……ないじゃん……」
 ぼそりと、それでいて地からひねり出したかのように響く声。
 嫌悪に歪んだ表情で、目にいっぱいの涙を溜める。そんな醜い姿なのに、何故か少しだけ安心感を覚えた。
 ああ、俺は今、アリサと話せてるんだと。死神ではなく、アリサと。
 三日間ずっと、まるで意思のない人工知能と会話しているような違和感があった。あの無理な敬語も、笑顔も、人のものと感じなかった。
 アリサはぼろぼろ涙を零し、色が変わるほど強く拳を握る。
「翔は……っ、そんなこと言われてどうなの!? 嫌でしょ!?」
「生きるのが辛くて、苦しくて、これ以上耐えられなくて死んでるのに! 死んでくれてありがとう、お礼にもう一度人生をあげるとか言われて、嬉しいわけないでしょ!」
 まるで咆哮のように吐き出される言葉。彼女の心からの言葉。
 それは俺の本心そのものだと思った。
 生きることから逃げたら、それを褒められて、もう一度生きろと言われる。一度逃げ出した場所に戻って。
 そんなの、滑稽でしかない。サーカスでわざと転ぶピエロみたいだ。
「死神どもには分かんないの……人生ってのが、吐き気がするくらい気持ち悪いものなんだって思ってる人のことなんか……。生きることが、どれだけ苦しいのかも」
「……そうだな。生きるのは、苦しい」
 俺は弱者だ。自分の心に押しつぶされて、ただひとつだけ現れた大きな壁が越えられないだけで全てを諦めた。
 死んだ今でも、人生に未練すら持てない。
 あんな話をされても、悲しいとすら思えない。
 死んだほうがよかった……本当に、その通り。
 だからこそ、次の生なんて、認められない。
「地獄を通らないで転生すれば、当然罪を抱えたままになる。同じような人生になるのが目に見えてるの……馬鹿みたいでしょ、そんなの……! 私は許せない、そんなのご褒美じゃなくて罰じゃない!」
 俺が言いたいことは、アリサが全て言葉にしてくれた。
 きっとこの少女も同じような体験をしているのだろう。
「なあアリサ、良かったら聞かせてくれないか? お前のこと」
 自然と、そんなことを言っていた。
「私の、こと……?」
「そんな風に怒ってくれてるから気になってさ。昨日言ってたじゃん、俺のこと理解できるって。それ本当みたいだし、ただの死神じゃないんだろ?」
 「死神ども」という言葉。自分も死神なのに、死神を侮蔑している。今朝会った死神も、アリサにいい印象を持っていないようだった。
「……そう、だね。私は普通の死神とは違う」



 それはアリサというちっぽけな少女の話。
 アリサは少し気が弱くて、周りの人に合わせながら生きていくタイプの人間だった。
 誰かが言ったことに賛成する。誰かが言ったことをする。誰かが言ったことを信じる。
 それは他人からしたら、とても都合のいい存在。
 時を重ねるごとに、周囲から何かを頼まれることが多くなった。
 アリサならやってくれるでしょ。
 アリサはこういうこと好きだから。
 アリサは私たちのためなら何だってできるもんね。
 当然、断る勇気が持てるはずもなく、全て頷いた。最初は頼られることが嬉しかった。期待されてるなら応えようと頑張った。
 けれど人間には限界がある。できないことは、できない。それでも生きた分だけ頼み事は数と質を増していく。飽和するのは目に見えていた。
 もちろん周囲の人間もそんなこと分かっていた。別にアリサを虐めているわけではない。いつまで断らないか、若さゆえの好奇心と行動力で試していただけだ。限界がきたら「しっかりしてよ」と少しからかって、その後でフォローすればいいと考えていた。
 アリサはそんなことを知る由もない。
 頑張って、頑張って、限界を感じても頑張った。
 そうしていると、頑張ること以外しなくなった。
 人に頼まれたことをする。そのために努力する。それがアリサの本質になった。
 それができない私は、私じゃない。頑張らなきゃ頑張らなきゃ頑張らなきゃ。
 当然どれだけ意思が強くとも、限界はやってくる。
 ある日、頼まれたことをひとつ、どわすれしてしまった。
 「しっかりしてよ」と言われる。冗談交じりの言葉だったが、アリサには刃物のように鋭く感じられた。
 期待を裏切った。頑張れなかった。頼まれたのに、できなかった。どうしよう、どうしよう、どうしよう。ぐるぐると駆け巡る思考。すぐに目の前が真っ暗になった。
 何が何だかわからなくて、気がついたら夜中に街を歩いていた。
 知らない男の人に声をかけられた。
 よく分からないまま、持っていたお金の半分と白い錠剤を交換した。
 目の前は、ぐらぐらと揺らぐ。
 揺れて、揺れて、そのままその中へと溶けていく。



「馬鹿みたいに、あっけない話。ただちょっとからかわれただけで私の人生は終わったの。しかも最後は覚せい剤が切れたことに耐え切れずに手首を切って……救いようがないでしょ」
「……そうだな」
 否定はしなかった。その通りだと、すでに知らされているから。無駄な慰めは無意味だ。
「目が覚めて言われた。あんたが死んだおかげで、警察は覚せい剤密売を取り締まり、友人たちは自分の罪を自覚して心を入れ替え、親は離婚したけど、それぞれ再婚していい家庭を築いた。あんたは死ぬべきだった。正しい選択をした。お礼に新しい人生をあげましょう、だって」
「馬鹿にするなって怒鳴った。死ぬべきだった? そんなの分かってる。生きてても苦しいだけだったもん。だから死んだのに、また同じことを繰り返すなんて冗談じゃない」
 俺と全く同じ思考。本当に、この少女は俺とそっくりだ。
「最初は三日経過させて地獄に落ちようと思った。けど、私にあんなことを聞いてきた死神が許せなくてね……言ったの。転生するならもう人は嫌。死神にしてって」
 それが、アリサが死神になった理由。
「死神になって、死神たちに気付かれないように、私と同じ人達をちゃんと地獄に送ろうって決めたの。こんな馬鹿みたいな真実、知らなくてもいいように」

 同族だから、苦しいことを理解できる。

 同族だから、これ以上苦しみたくない事を知っている。

 アリサは、ただ優しいだけの女の子だったんだ。

「わざわざ家族とかを見せてたのはどうしてだ?」
「そこは死神の規則通りに動いただけ。親しかった人を見せれば早く転生先を決めるだろうって考え方みたい」
 確かに、未練がある人間ならそれで決心を早めるかもしれない。
 けど、おかしい話だ。転生先を選べるといっても、同じ人間として生まれるわけじゃない。結局未練は未練のまま、何も解決しない。
 死神たちは効率しか考えてないから、早く転生してくれるなら何でもいいの。アリサが吐き捨てるようにそう言った。
「そっか……なら、俺達もはやく行かないとだな」
「え……?」
「今日は三日目だ。妹、両親ときたら、次は誰なんだか」
「あ……ああ、そう、でしたね」
 ごしごしと乱暴に涙を拭い、聞きなれた敬語もどきに戻す。それから、パッと笑ってみせた。
「今日行くのは、墓地になります。あなたが死んでから十二年後の」
 死神を欺くために死神の仕事をする少女。
 今度は可哀想ではなく、強いんだな、と思った。




※この作品はPC用同人ゲームとして製作した「死神と過ごした三日間」のノベル版です。
ゲームは無料で公開しています。PCを持っていない方のために、プレイ動画もございます。
詳しくは「はとごろTIMES」のホームページをご覧下さい。
また、漫画も投稿しています。そちらも是非ご覧下さい。
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