日常(?)ショートショート集

新床成実

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月のない日のお月見うさぎ

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 わたしの頭上に、星いっぱいの夜空が地の果てまで続いている。
 足元には、同じく地の果てへと続く白い土。
 世界はただ一本の線を境にして、黒と白のふたつにくっきりと塗り分けられていた。

 わたしが足を一歩踏み出せば、積もり固まった雪のように地面がへこんだ。足を離せば、地面をくり抜いた後みたいに輪郭がそこに残った。

 わたしは次々と足を踏み出していく。辺りの景色は、一向に変わる気配すら見せていない。



「ねぇ、うさぎさん! ほんとにこっちで合ってるの?」

 わたしより数歩だけ前を、一匹のうさぎさんが跳ねている。
 うさぎさんは動きを止めて振り返ると、首を大きく上に向けた。
 プチトマトのようなつぶらな赤い目に、わたしの姿が反射して映った気がした。

「ああ! オレたちの集落が、すぐそこだ」

 うさぎさんが足を一本持ちあげて、進む先へと指を向ける。
 何度目を凝らしても、そこには真っ白な台地が広がっているだけだ。いったいいつまで歩けば、その集落とやらに着くのだろう。

「それにしても、ツイてないな。今は新月だ」

 うさぎさんの呟きを聞いて、わたしは空を見渡した。
 きらきら輝く小さな星は無数にあるけど、大きな星は太陽らしき星が一つだけ。

 勉強がきらいなわたしでも、新月が月の見えない日、ということくらいは分かる。

「いつもなら、きれいな青い月を見せてやれんだがなぁ」
「月は、白じゃないの?」
「ああ、白いもやを纏っているな」

 わたしの知らない月の話を聞きながら、わたしはまた一歩一歩と足を進めた。





「おっと、着いた」


 台地の先に、わたしの視界が突然開けた。
 急な下り坂のその先に、無数のうさぎさんの姿がある。十、二十……百匹はいるかもしれない。その傍らに、真っ白なお団子の山がいくつもあった。
 さらにその奥の方には、稲穂だろうか、銀色の畑が広がっている。

「人間だー」
「にんげんー」
「よくきたねー」
「いつぶり?」

「わぁっ。こ……こんにちは? こんばんは?」

 歩いていくと、何匹ものうさぎさんが足元にすり寄ってきた。近くで小さく跳ねたり、左右からわたしの体に飛び乗っては降りてを繰り返してはしゃぐ子もいる。

 ぺたん、ぺたんと何かをたたくような音が、かすかにわたしの耳に届いていた。

「今は、お日様が出ているから、こんにちは!」
「いらっしゃい、かも?」
「お月見できなくて、ざんねん」

 左からも右からも、うさぎさんが答えてくれた。
 ここはいったい何なのだろう。あちらを見てもこちらを見ても、うさぎさんでいっぱいだ。
 遠くの方ではわたしの方を気にしながらも、体長と同じくらいの長さのきねを持ち、うすの中をたたいて餅つきをしているうさぎさんが何匹もいた。


「えっと……みんなは、ここで、なにしてるの?」
「お餅を、つくってるよ!」
「こんなに、たくさん食べるの?」

「お月見しながら、たべるの。月の見えない間のうちに、頑張ってたくさん作っておくの」
「月が見えるときには、貯めたお餅をたべながら、のんびりお月見したいからね!」
「満月のお月さまは、青くてとってもきれいなのー」
「天帝さまにあげる分も、一緒に貯めておけたら安心するよー」

 たくさんのうさぎさんが口々に話をする。なるほど、月の見えない今が頑張り時らしい。


「よかったら、おひとつどうぞ?」
「見えないけど、お月見しよう? ほんとは、今はお日様の近くにあるんだよ」

 うさぎさんに誘われるまま、わたしは地面に腰を下ろした。
 太陽の輝くそばに、ちかちかと光る点の集まりが見える気がする。

「お月様にはねー、じつは人間が住んでいるんだよー」

「そうなの?」

「お月様にいる人間たちはね、ずっと離れた場所なんだけど、ずっと僕らを見守ってくれているんだよ」
「だから僕らも、頑張れるよねー」

 うさぎさんがくれたお団子は柔らかく、中にはほんのりとした甘みがあった。



           *



「――、――! こんなところで寝ちゃったら、風邪ひくわよ?」

 お母さんに揺り起こされて、わたしはハッとあたりを見回した。
 わたしは家の庭にかかる縁側に座りながら、どうやらうたた寝をしていたらしい。

 今日は十五夜。
 空は晴れていて、真っ黒な中に浮かぶ満月が、すごくきれいだなと思った。


「見てごらん。月の表面に、模様が見えるでしょ?」
「うん」

「あれは、うさぎが餅つきをしているの。今年もたくさんお米がとれたことに感謝して、お祝いをしているのよ」
「ふーん」

 お母さんが子供だましみたいなことを言いだした。
 面倒でしばらく聞き流そうと思ったけど、不意にさっきの夢のことが頭に浮かんだ。少しだけ、話を聞いてみたいかもしれない。

「お母さん。うさぎさんから地球って、どう見えてるのかな」

「うふふ。月が満月のときにはね、月から地球は見えないの。新月の時みたいに、真っ黒になっているのよ」

「そうなの!?」
「逆に、月が新月の時は、月から地球はくっきり見えるの。いつか、学校で習うと思うわ」

 あごが外れそうになった。
 ……もしかすると、うさぎさんが言ってた『青い月』って、地球のことなのだろうか。
 わたしはさっき、満月のうさぎさんと話していたのかもしれない。


「母さん、あんまり夢のないこと言わんでくれ。この子がますます勉強しなくなるだろう」

 お父さんがなにか言ってるけど、無視した。
 わたしは眠気を我慢して、もう少しこの月の姿を見守っていることにした。



           *



「――おい、今日も勉強してるぞ。何があったんだ」
「しっ、静かに、あなた。めずらしくやる気なんだから、邪魔しちゃだめよ」

 部屋のドアがかすかに開いて、その奥から二人の話し声が聞こえてくる。
 ちらりとドアの隙間に目を向けると、二人はすぐに隠れてしまった。

 ……ええい、黙っててほしい。面倒だ。
 今は貯蓄の時期なんだ。貯めた知識や学力は、きっとこの先いつでも使える。
 次の満月をゆっくり眺めるために、今できることをやってるだけだ。



 今日は新月。
 きっと月のうさぎさんたちが、のんびりと、きれいな青い月のお月見をしている頃だろう。
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