晴天に輝く

Chi

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第三話

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 近年、ハロウィンのイベントが激化している。一ヶ月も前からハロウィンパーティのためにコスチュームの準備を始める人がいるというので驚いた。自分じゃない何かに化けて、一晩中飲み明かす。結果生まれる驚異的な経済効果。そうかと思えばすぐにクリスマスがやってくる。イルミネーションは年々派手になっていき、どこもかしこもきらきらしていて、どこが一番電球の数が多いかを競い合っているようだった。ハロウィンやクリスマスの本当の意味を知っている日本人はどのくらいいるんだろう。
 ジングルベルが街中で流れている。日下部さんがいなくなって三ヶ月が経った。もう松葉杖も大げさな装具もない。
 何か変わったかなとショーウィンドウに映る自分の姿をまじまじと見てみる。少し痩せた。見た目は今も昔も大して変わらない。でも自分の中で何かが大きく変わったのは確かだ。
日下部さん家族は引っ越しを終え、幸せそうに暮らしている。一度遊びに行った時に見た写真の日下部さんは、なんだか嬉しそうに見えた。初めて「見える」ことを口外した他人に、そのことを信じてもらえたのは、大きな出来事だった。体中をぐるぐる縛っていた縄が解けたみたいに、心が軽くなった気がした。
 サッカーを辞めたら、自分は知らないことが多すぎるということに気づいた。いつもの帰り道にある数々のブランドショップ。気に留めたことなんてなかった。イタリア、フランス、ベルギー、スイス、世界中から集まったバッグと靴の数々。あんな値段で一体誰が買うんだろうと思っていると、目尻がつり上がったサングラスをした、いかにも金持ちそうな若い女性がいくつも袋をぶら下げているのが見えた。屈強な体つきの、スーツに身を包んだ黒人が二人、ドアを開けると颯爽と歩いて行くその女性は歩きづらそうなピンヒールで待たせている黒塗りの高級車に乗り込んでいった。甘い残り香が鼻をつく。
 交差点にあるビルの電光掲示板で世界中のニュースが流れる。つい先程どこかの国でテロが起きて多くの人が死んだらしい。街を見渡す。サラリーマン、OL、学生、カップル、外国人。色んな人種が混在している。ここはこんなにも平和なのに、テレビの向こう側はまるで映画の世界だ。
 世界は広い。イッツ・ア・スモールワールドとはつまり、自分の住んでいる世界が自分の手の届く範囲にしかないと言う意味だと知った。
 道行く人のほとんどの手に携帯電話が握られている。情報社会において、「知らない」「分からない」は言い訳だ。大概のことは分からないはずがない。何でも指一本で解決だ。人間は便利なツールのおかげで、いつか考えることをやめてしまうのではないかと、心配になる。
「お兄ちゃん」
 不意に子供の声がした。振り返ると男の子が立っていた。
「どうし……」
 言いかけて、やめた。冬の寒空の元、その少年は薄手のパジャマを着ているだけだった。どう考えてもおかしい。きっとこの少年は、もう生きていない。
「君……」
 言いかけて、ある視線に気づいた。視線の主は、この辺でよく見かける制服を着た二人の女子高生だった。一人は黒髪のロングヘア。真っ黒な瞳。顔がマフラーで半分隠れていてもわかる、はっきりとした目鼻立ち。もう一人はポニーテールに髪を結った小柄な子だった。彼女達は不思議そうにこちらを、じっと見ている。
「……散歩……そう、散歩しよう」
 不自然な言い訳が彼女に聞こえるように、わざとらしく少し声を張った。彼女に背を向けて、そそくさとその場を離れると、そこら辺を歩き、人目につかない路地を探した。周りを見渡し、人が来ないことを念入りに確認する。
「もう話していいよ。君、名前は? 」
「……直樹」
「直樹君か。いくつ? 」
「七才」
 今にも泣き出しそうな顔をしている。七才。こんな小さな少年が、自分の死をちゃんと理解しているんだろうか。何も分からずただ彷徨っているだけ、という可能性もある。なんて声をかけていいのかわからない。
「……僕、死んじゃったんだ」
 わかっているのか、とほっとした。死んだことがない者に、死んだということを説明するのはどう考えたって無理がある。
「ママがね、ずっと泣いてるんだ。ママを助けて」
 ずっと我慢していたんだろう、大きな声で泣く子供にかける言葉が見つからない。
「……わかったよ。お兄ちゃんの家においで。お話、聞くからさ」
 家に着くと、母さんが夕飯の準備をしていた。今夜の献立はなんだろう。ニンニクの香りがほのかにする。
「ただいまー」
「お帰り。ご飯もう少しでできるから」
「うん。わかった」
 自分の部屋につくなり、少し大きめの音で音楽をかけた。曲は何でもよかった。誰がどう聞いても独り言にしか聞こえない会話を、母さんに聞かれないための対策だ。頭のおかしい息子の母親にはしたくない。
 受験勉強をするに当たって初めて音楽をダウンロードした。日本の曲は歌詞が耳に入って集中できなくなりそうで、海外の有名ソング特集から選んだ。勉強をしている間ひたすらリピート再生をしている。ついでに英語の勉強になればいい。それが意外なところで役に立つ。
「さて、ママはどうして泣いてるのかな」
 二人でベッドに並んで座り、早速本題に入る。
「僕は生まれた時からずっとびょうきで、にゅういんしてたんだ。なんどもしゅじゅつしたし、いっぱいクスリも飲んだ。でも治らないムズカシイびょうきってお医者さんが言ってた。イタいのも、ひまなのも、ママが毎日びょういんに来てくれるからがまんできた。いつもぜったいだいじょうぶって笑って言ってくれるんだ」
 絶対大丈夫。大人の優しさはどこの家庭にもあるもんだなと思った。想像するに、その言葉は直樹君のお母さんが、自分自身のために言っていた言葉でもあるんだろう。
「ママはいつも元気で、笑っていて、大好きなママだったの。なのに、僕が死んじゃったから、ずっと泣いてる」
 泣き出す直樹君の手を握ろうとした。実際握れるわけじゃない。実態がないその体に触れることはできない。でも手と手が重なった瞬間、直樹君が見た、泣いているお母さんの姿が見えた。ここにないのに見える、不思議な感覚。まるで脳に直接プロジェクターで映し出された映像のようだった。
「ごめんね、ごめんね。健康に生んであげられなくてごめんね。みんなと一緒に遊びたかったよね。学校行ったり、旅行に行ったり。どうして直樹なんだろう。ママが代わってあげたかった。痛いのも、苦しいのも全部。ママが死んで、直樹がその分生きてくれたらどんなによかったか。直樹。直樹。直樹」
 若いお母さんだった。やつれてしまっているが、綺麗な人だ。ずっと我慢してきたんだろう。絶対大丈夫と自分に言い聞かせて耐えて、耐えて、耐えたんだろう。結果、報われることなく無残にも息子を失った。たった七年の人生しか与えてやれなかった、だめな母親だと自分を責めているようにも見えた。
「わかった。お兄ちゃんがなんとかするよ。信じて」
 直樹君は涙を拭って大きく頷いた。
「ママはおうちかな? 連れてって」
 来ていた制服からジーンズとセーターに着替える。ダウンジャケットを着てさらにマフラーを首に巻いた。外は寒い。薄着の子供に何か着せてやりたいが、寒さはきっともう感じないんだろう。
「あら、出かけるの? 」
「ちょっとそこまで。夕飯までには帰るよ」
「行ってらっしゃい」
 心配性なクセに変に詮索しない母さん。この距離の取り方が心地いい。
「行ってきます」
 直樹君に案内されるがまま歩いた。冬の冷たい風が頬を刺す。自分の目の前を歩いている子供を見て胸が痛んだ。七才だ。七才で死ななきゃいけない理由が、一体どこにあったんだろうか。いいや、理由なんてきっとどこにもない。理不尽だ。不条理だ。神様、もし本当にそんな存在がいるのなら、どうしてこんなにも純粋無垢な少年が死ななければならなかったのか、この子の母親に説明できますか。
僕にはできない。
「ここだよ」
 徒歩十五分ほどで、あるマンションにたどり着いた。三階建ての綺麗な低層マンション。その一階の一番奥の部屋に直樹君のお母さんは住んでいると言う。
 今回、輝はいない。一人で大丈夫。きっとできるはず。日下部さん一家を思い出した。インターフォンを鳴らすと、しばらくして目を真っ赤に腫らした女性が、ドアを顔が半分見えるだけ開けた。
「こんにちは。初めまして。永井晴天と言います」
「……何か? 」
「実は……息子さんのことでお話しが」
「……直樹……どうぞ」
 愛する息子を亡くしたばかりで涙腺の制御ができないのか、名前を呼んだだけで目頭を押さえ、家に招き入れてくれた。
「……あの……何もなくて……」
 小さなテーブルに烏龍茶を入れて出してくれた。
「お構いなく」
このやりとりは毎回やるんだろうなと思った。目の前に座る女性の服を見ると、ぶかぶかだった。急激に痩せたんだろう。頬も少し痩けている。
「……息子とは、どこで? 」
「……病院で」
 少しくらいの嘘は許してほしい。お母さんの隣にいる直樹君に心の中でそう言った。直樹君はそんなことはまったく気にも留めず、お母さんのことを心配して、顔をのぞき込んでいる。
「とても素直でいい子でしたね。直樹君、お母さんのこと大好きみたいで……お母さんがそんな顔していたらきっと悲しむと思いますよ」
「……えぇ……わかってはいるんです……でも……」
 こらえきれない涙は止めどなくあふれ出てくる。
「会いたいんです。会いたくて堪らないんです。あの子に……」
 会えない。会いたいのに、会えない。もう二度と。
「直樹君がお母さんはいつも元気で笑っていて、何があっても絶対大丈夫と励ましてくれると言っていました」
 今は見る影もない。自分の涙に溺れてしまいそうだ。
「でも今はそうやって毎日直樹君を想って泣いている……直樹君も泣いていますよ」
「……だから! 分かっているんです……! 」
 何も知らないであろう赤の他人を睨み付ける目。薫さんを思い出した。
「分かっていません。直樹君もあなたを想って泣いているんです。……そこで」
 泣いている直樹君を指さした。
「……あなた……何を……」
 言っているのか分からないという顔だった。
「いるんです。そこに。あなたが信じなくても、そこにいるんです」
 もちろん彼女の目には見えない。でもそこにいる。
「ほら、直樹君。自分の気持ちを言ってごらん」
 あふれ出しそうな気持ち。親が子を思う気持ちを当たり前だとは思わないけれど、子供が親を思う気持ちは、これ以上のない愛情だと思う。
「ママ、もう痛くないよ。苦しくない。みんなと一緒に遊べなかったけど、旅行も行けなかったけど、ママと一緒にいられたよ。ママがママでよかったよ。ママが死ぬのも、痛いのも、苦しいのも、嫌だよ。お願いだよ。もう泣かないで」
 直樹君の言葉をそのまま復唱し終えると、直樹君はお母さんに力一杯抱きついた。
「……な、おき? 」
 何かを感じたんだろうか。見えない息子をその腕に抱きしめた。直樹君は笑って、消えていった。
 再びお母さんと二人きり、向かい合って座った。
「一度もあの子の前で泣いたことも、弱音を吐いたこともありませんでした。絶対大丈夫って……あれは自分に言い聞かせていた言葉だったのかも知れません」
「前に進んでください。直樹君もそう望んでいるはずです」
「あの子が見ていますもんね」
 そう言った彼女はとっても優しい笑顔を見せた。今回は意外とすんなり受け入れてくれたなと、安堵した。
帰り道、珍しく鼻歌なんて歌っていることに気づく。街はすっかりクリスマスイルミネーションで埋め尽くされていて、少し夢心地。
腕を絡ませ歩いているカップル。スマホ片手に歩くサラリーマン。友達と冗談言いながら走る大学生。前より色んなものが見える。世界が少しずつ変わっていく。
「あの!」
 振り向くと、ここら辺でよく見かける制服の女子高生。さっき数秒目を合わせただけの、名前も知らない子達。まさか、あとをつけてきたのか?
「永井先輩……ですよね」
「なんで……」
「ハルー! 」
 輝の呼ぶ声がして、声の方を振り返ると、遠くから大きく手を振っている輝が見える。輝がこちらに駆け寄ってくると彼女達は逃げるように走り去っていく。
「ハル、知り合い?」
「いや……、練習終わったのか? 」
「おぅ。あー、疲れた。腹減った! 」
「……食ってくか? 」
「え! いいの? ラッキー! 今日のメニューは? 」
「なんか、ニンニクの匂いがしたな。中華とかじゃん? 」
「いいねぇ」
 輝が笑う。手にはサッカーボール。子供のころと何も変わらない。
「ハル、なんかいいことあった? 」
「え? なんで? 」
「すげぇ嬉しそうな顔してるから」
「……そうかな」
「聞かせろ、この! 」
「わかった、わかった! 実はさ……」
 一通りの流れを話す間、終始輝は優しい顔をして聞いていた。
二人で空に光る星を見た。直樹君、君の話を聞かせてくれてありがとう。頼ってくれてありがとう。また一つ踏み出す勇気をありがとう。

 日常はまるで連続再生しているDVDみたいだ。毎日同じ事の繰り返し。朝起きて、学校に行って、勉強して、寝て、また朝が来る。でも何故だろう。充実している。子供のころ、学校が嫌で仕方なかった。あのころも日常は同じ事の繰り返しだったはずなのに、今のそれとはまったく違う。
それはそうと、世の中がクリスマスモードであろうと、受験生には関係がない。勉強、勉強、勉強の日々。塾には通わない。自力でやる。元々そんなに成績は悪い方じゃない。
「な・が・い・君! 」
「……おはよう」
 幸村真一(ゆきむら しんいち)。クラスメイト。某大手旅行会社の社長の息子で、正真正銘のお坊ちゃん。ろくに勉強もしないのに成績学年トップの秀才。いつも女子生徒に気安く声をかける軟派な奴。
 サッカーばかりやっていて、まったくと言っていい程、輝以外のクラスメイトとは関わってこなかった。幸村が輝以外で、初めてちゃんと会話をしたクラスメイトだ。最初のきっかけは輝だった。勉強が苦手な輝はテスト前になると、幸村に勉強を教えてもらっていた。おかげでビリからは脱出できたらしい。
 正直苦手なタイプで、何故こんなに慕われているのかが分からない。
「クリスマスパーティをやらないか? 」
 さすが学年トップ。呑気なもんだ。うらやましい奴。
「俺勉強あるから」
「連れないなぁ。一日くらい大丈夫だろう? 」
「お前なぁ。パーティって、ただ合コンやりたいだけだろ? 」
「あはは、バレたか」
 幸村はぺろりと舌を出した。わかりやすい奴。
「いいじゃないか、永井君のファンクラブの子達と合コン! 」
「お前、そのためだけに俺と仲良くしようとしてないか? 」
 懐いてくる理由が明白な方がいっそスッキリもする。
「失礼だな、そんなわけないだろう」
無邪気に笑う幸村がいる。子供みたいな笑顔。憎めない。表情がコロコロ変わる奴。
 輝の席を見ると、輝はいない。きっと朝練だ。サッカー部を辞めてから輝と会う機会がめっきり減った。輝は毎日授業の時以外ずっと練習に明け暮れている。噂ではプロからスカウトの話があるらしい。
 学校からの帰り道を一人で歩く。いつも隣にいた輝がいないことに慣れてきた。あまりにもいつも一緒だったからな。これでいい。
「おーい、永井くーん」
 黒塗りの車が目の前に停まる。
「……幸村。お前なぁ」
 高校生のくせに運転手付きの黒塗りの車で登下校。どういう教育方針なんだ。
「クリスマスパーティの件だけど……」
「しつこい! 」
 無視して歩くも、歩行スピードに合わせた運転でどこまでもついてくる。
「連れて行ってあげてくださいまし」
 すると聞いたこともない低くしゃがれた、女性の声がした。足を止めた。振り返ると、薄紫色の着物に綺麗な真っ白な髪を結い上げている、小さなかわいいおばあちゃんが立っていた。
「真一を連れ出してあげてくださいまし」
「……」
 だんだんわかってきた。生きた人間とそうじゃない「彼ら」の判別方法。影だ。「彼ら」には影がない。そして多分亡くなった瞬間の服装で出てくる。そう言えば「彼ら」はどうやって「見える」人間を見つけ出しているんだろう。実は自分の知らないところで、頭に目印の見えない旗でも立っているんだろうか。
 とにかくこのおばあちゃんには影がない。それはつまりそういうことだ。
「お願いします」
 おばあちゃんは丁寧に頭を下げて頼む。小柄な体が更に小さくなる。
「永井君、どうしたんだ? 」
 幸村の声で我に還った。どのくらいの時間、人から見れば何もない一点を見つめて、ぼぅっとしていたんだろう。声を出さなくなっただけましだが、やはりまだ慣れない。
「……いや、別に」
 反省。幸村に変に思われなかっただろうか。急に心細くなった。不安が押し寄せる。幸村から逃げるように歩き出した。ほっといて欲しい空気を全身から放つ努力をしてみたものの、車は結局家の前までついてきた。
「ここが永井君の家か。よし、覚えた。今度遊びに来るな。じゃ! 」
 幸村が小さな声で、「出して」と運転手に伝えると、車は走り去っていった。
「……で、おばあちゃんは、幸村のおばあちゃん、ですよね? 」
 車が見えなくなったことを確認して、おばあちゃんに話しかけた。おばあちゃんは頷いた。
「とりあえず僕の部屋までどうぞ」
 家に入ると母さんはまだ帰ってなかった。
「ただいまー」
 もちろん返事はない。
 部屋に入るとやはり音楽をかける。母さんがいつ帰ってきてもいいように準備は怠らない。
「さてと」
 ベッドに腰掛ける。おばあちゃんはいつの間にか床に正座している。
「話してください。僕に何か伝えて欲しいことがあるんでしょう? 」
「……幸村サワと申します。幸村真一の祖母でございます」
 丁寧な言葉遣い。幸村家が名家であることを再認識する。
「私の息子、純一が今の幸村グループの社長でございます。真一は一人息子でその跡取り。将来を約束された身でございます」
 今時そんな話、ドラマの中にしかないと思っていた。跡取り息子やらグループやら、まったく現実味がない。
「それ故、勝手気ままに見えますが、ほとんど自由が許されておりません。行動は常に運転手と共に。家に帰ればメイドがおります。常に誰かに見張られ、行く学校も、将来も、すべて決められているのです」
 お坊ちゃんも大変だな。どんな気分なんだろう。世の中の大多数が、自分で自分の道を決められるという自由を手にしながら、あまりに自由すぎて何も決められないまま、流されて行く。対して、生まれた瞬間からすべて決められていて、外れることを許されないのは楽なようで厳しい環境だ。想像もつかない。
「なぜ連れ出して欲しいんですか? 」
「それが、来年十八才になる真一は、このクリスマスにお見合いをすることになっているのですが」
「お見合い⁉ 」
 何から何までドラマの世界の話だ。こんなことが現代の日本社会であり得るのか。
「はい。純一が勝手に決めたことでございます。相手はアメリカの、ある企業のご令嬢で、それは美しいお方なのですが、私は反対なのです」
 開いた口が塞がらない。お見合いの相手はやはり名家のお嬢さんで、しかも外国人。とは言え親が勝手に決めた相手。ろくに知らない相手と結婚するというのは、どんなものなんだろうか。普通の結婚ですらまったく想像がつかないのに、そんなイレギュラーケースはキャパオーバーだ。
あいつ、そんなに大変な状況下にいたのか。明日からもう少し優しく接してやろう。
「真一の結婚相手は真一が決めるべきなのです」
 そこにいるのはおばあちゃんなんかじゃなく、凛々しく、逞しい女性だった。
「ですから何卒、クリスマスに真一を連れ出してやってくださいまし」
 だからクリスマスパーティにあんなに拘っていたのか、と頭を掻いた。
「それは違います」
 ぎょっとした。頭の中を読まれた……? 
「真一はお見合いのことはまだ知りません。真一が逆らわないことをいいことに、純一が勝手に決めて押し付けようとしているのです」
「……今、僕の考えを読みました? 」
「いいえ、ですがあなたの考えていることくらいわかります」
 年の功か。なんとなく納得した。怖い人だ。
「クリスマス、どうか真一を連れ出してください」
「はぁ……」
 どうしたものか。大体クリスマスパーティってなんだ? 何をしたらいい? 七面鳥を焼くとか? サンタに扮してプレゼントを渡す? 考えを巡らせるも、パッとした答えが見つからない。スマホにクリスマスパーティと入力して調べてみても飲み放題の居酒屋やカラオケの広告が出て来るだけで何の解決にもならない。
 子供のころからクリスマスとか関係なく、ただひたすらサッカーばかりしていたからパーティーとは無縁だ。サンタさんにねだるクリスマスプレゼントも、ボールとかスパイクとか、サッカーにまつわるものばかりだった。サッカーから離れるとこうも悩まなくてはならない。不自由だ。
 今までの人間関係もサッカーを通して成り立っていたものばかりで、よくよく考えてみれば幸村が初めてサッカーとは無関係の友人だ。
「……わかりました。なんとかしてみます」
「よろしくお願いします」
 サワさんは深々と頭を下げ、姿を消した。
 クリスマスまであと一週間。時間がない。こういうことを誰に相談していいのかも分からない。
「……」
 考えに考えを巡らせ、結果本人に聞くのが一番という結論に至った。パーティなんてきっと誰よりも慣れているだろう。確か女子との合コンとしきりに言っていたな。ファンクラブの子達とまともに話したことはないけれど、つきあってくれるだろうか。
 翌日学校に行こうと家を出ると、家の前に幸村の車が停まっていた。運転手がドアを開けると幸村が奥に座っていた。
「おはよう、永井君。乗ってよ。一緒に行こう」
 昨日までなら断っていた。今日はなんだか幸村を少し理解った気がして、黙って車に乗り込んだ。
「出して」
 幸村の一言で車が動き出す。これが幸村の見ている世界か。
「……クリスマスパーティ、やってもいいよ」
「え! 本当に? 」
「でも、俺はパーティなんてやったことないから幹事はお前な。女子は聞いてみてやるから」
「……やったぁ! 」
そんなに女子と戯れるのが嬉しいのだろうか。無邪気に足をばたつかせながら喜んでいる。
「ところで永井君は、どうして気が変わったんだ? 」
 昨日幸村のおばあちゃんの話を聞いたから、とは言えないな。
「……なんとなく」
「まぁ、なんでもいいや。嬉しいよ。ありがとう」
「お前こそ、なんでそんなにクリスマスパーティがやりたいんだ? 」
 もしサワさんの話が本当なら、幸村はクリスマスのお見合いの件はまだ知らないはず。だとしたらどうしてここまでクリスマスパーティをやりたがるのか、その理由は何なんだろう。
「……僕はね、永井君。すべて持ってるんだ」
 いつもの幸村からは想像もつかないほど落ち着いた声だった。二重人格かと疑うほど、そこにいた幸村は別人のようだった。
「約束された将来、何一つ不自由ない生活。でもそれって何も持っていないのと変わらないと思わないか? 」
 エブリシング・ミーンズ・ナッシング。確か最近聞く曲の一つだ。
「自分で手に入れた物は何一つないんだよ。親の金、親の会社、親のコネ、親の車。僕の物は何一つない。友達ですら僕を通して親や会社を見ている奴がほとんどだよ」
「それとクリスマスパーティとなんの関係があるんだよ」
「うちの親のことだ。そろそろ政略結婚でも企んでいるんじゃないかと思ってね。できるだけ家族行事に参加したくないって言うのが本音なんだけど」
 勘のいい奴。親の性格を正確に把握している。
「他のことはともかく、結婚相手……生涯の伴侶も自分で選べないのは、ちょっとね。そんなの虚しいだけだろう? 」
 そりゃそうだ。
「まぁこれはあくまで僕の想像なんだけどね。どちらにせよ、僕にはもう時間がないんだ」
「時間がないって? 」
「大学を卒業したら、父の元で跡取りとして修行するために会社に入る。そしたらずっと、会社を退くまでグループを守らなきゃならない。だから自由が許されるのは、せいぜいあと五年なんだ」
 五年後には鳥かごの中の自由すら失くすのか。違う世界の人間だ。見ているものも、考えていることも、プレッシャーも、覚悟も、器も、何もかもがかけ離れている気がした。同い年で、同じ学校で、同じクラスで、同じ授業を受けているはずなのに、何も共感できない。
「……孤独だな」
 子供のころの自分を重ねた。まったく違う話だけど、孤独という点だけは理解できる。
「……君なら分かってくれると思ったんだ」
「え? 」
「君は他とは違うと思ったんだよ」
 少しドキッとした。幸村には何が見えているんだろう。
 学校に着くなり、サッカー部の朝練を見に行った。先輩達が走る姿を見るのは久しぶりだ。輝の姿を探した。
「お、頑張ってるな」
 輝は相変わらず全力投球だ。そんな輝のファンなのか、グラウンドの隅から女子の黄色い声が聞こえてきた。
「せんぱーい! ファイト! 」
 女子が数人、練習を見ている。輝は実はモテる。本人にその自覚はないけれど、よくそういう話を聞く。
 ここへ来たのは彼女たちのいずれかを、どうにかクリスマスパーティに誘うためだった。もうサッカー部員じゃないのに、彼女たちに声をかけるのはどうにも気が引けるが、仕方がない。
「輝のファンだしな……どうしよう」
 頭の中でシュミレーションを重ねる。
「君たち、クリスマス何してる? 一緒に遊びに行かない? 」
 軽すぎる。
「クリスマスに集まるんだけど、一緒にどう? 」
 これも却下。女子との話し方は習ってない。なんて声をかければいいんだ。この役を引き受けたはいいが、自分が軟派なやつを演じなくてはならないことに今気がついた。
「あの……」
 背後から急に声をかけられ、また思考を読まれたのかとドキっとした。
「永井……先輩……ですよね? 」
 振り向くと女子が一人、立っていた。小さくて、ボブカットのかわいい子。
「そうだけど……」
「インターハイ、見に行きました! もう怪我は大丈夫なんですか? 」
「うん、この通り」
 膝を曲げ伸ばしして見せる。実はまだ曲げ伸ばしをすると少し軋む。
「……でも、もう……サッカーは辞めちゃったんですよね」
「……うん」
「あ、私、一年の渡辺美耶子(わたなべ みやこ)と言います。先輩のファンでした! 」
「え? あ、うん。ありがとう……」
「あの、先輩がサッカー辞めちゃっても応援してますから。もし何かあったら何でも言ってください。お役に立てたら嬉しいです」
 では、とお辞儀をして立ち去ろうとする彼女を慌てて呼び止めた。
「ちょっと、あの渡辺……美耶子ちゃん? 」
「はい! 美耶子でいいです」
「あ、あのさ……実はちょっと……相談があるんだけど……」
 内心申し訳なさと、恥ずかしさで一杯だったが背に腹は代えられない。幸村の素性は隠して、大体のことを話した。
「それってつまり……誘ってくれてます? その、クリスマスパーティに」
「まぁ……そういうことになるのかな……」
「なぁんだ! そんなこと。ありがとうございます。嬉しいです。友達も誘っていけばいいんですよね? 」
「うん」
 いい子だ。いい子で助かった。その笑顔の下にもし悪魔がいたとしても、今しばらく欺いていて欲しい。
「じゃあ連絡しますね」
 番号を交換して、美耶子ちゃんと別れた。なんとか幸村の希望を叶えられそうだ。
 教室に戻ると、幸村がご主人様を待っている忠犬のように今か今かと待ち構えていた。高速で振っている尻尾が見えそうだ。その期待の眼差しにVサインで応えた。
「永井君! やっぱり君は友達だ! 」
「ちょっ! くっつくなよ、気持ち悪い! 」
 本当に犬みたいな奴。
「メンツは揃ったとして、パーティって何をするんだ? 」
「そうだな、では僕のプランを聞いて、意見をくれたまえ」
 そう言って幸村は自信満々に演説を始めた。
「まず車でレディをお出迎え」
 車で、レ、レディ? 
「それからクルージングディナー。これはフレンチのフルコースがいいだろう」
 クルー……? フレンチ? 
「もちろんロマンティックな音楽とダンスは欠かせないな。当然、フルオーケストラだ。それから」
「ちょっと待て」
「なんだい、永井君」
「そんなパーティ、ギャツビーかマリーアントワネットしかやらないだろ! 」
「なるほど、永井君は僕が言った地味なパーティよりも、もっと華やかなパーティの方がお好みなんだね? 」
 とんだ誤解だ。誰か幸村真一に世の中の常識を教えてやってくれ。
「そうじゃなくて、もっとこう、高校生らしい、普通のパーティを」
 パーティに関して情報がゼロの頭から、どうにかアイディアをひねり出そうと、必死に思考を巡らせる。咄嗟に昨日携帯で見たカラオケの広告を思い出した。
「ほら、ケーキ買って、カラオケボックスでみんなで歌って盛り上がるとかさ」
「……」
 幸村は目をまん丸にして固まった。きっと聞き慣れない一般的な意見に、一時思考が停止しているんだろう。まさしく先程の自分と同じ状態なんだと理解した。
「永井君! 君は素晴らしい! なんて斬新なアイディアなんだ! 是非そのプランでいこう! 」
 再び犬と化した幸村に抱きつかれた。斬新とは何か、もうわからない。
 こちらから提案しておいてなんだが、クリスマスパーティ自体やったことがないとは言えなくて、これからする店の予約すら緊張して、自分の部屋の中をうろうろしながら、電話の通話ボタンを押した。三回目の呼び出し音で相手が出た。
「お電話ありがとう御座います、カラオケの館、駅前店でございます」
「あ、……あの、予約をお願いしたいんですが」
「かしこまりました。まずお客様のお名前とお電話番号をお願いします」
 店に予約電話を入れるのは人生初めてのことだ。目の前にいない、会ったこともない相手と話すのは、不思議な感じがした。
「では十二月二十四日、午後五時からフリータイムでご予約を承りました。ありがとう御座います」
 無事予約を終え、美耶子ちゃんに場所と時間を送る。考えてみれば女子にこうして連絡をするのも初めての経験だ。
「永井さん」
 サワさんの声がして、振り向く。どうして「彼ら」はいつも背後から現れるんだ。
「真一を連れ出してくれて、ありがとう御座います」
 サワさんは深々と頭を下げた。
「サワさん、少し話しませんか? 」
「はい? 」
「というか、教えてもらえませんか? 幸村……真一君のこと」
 あいつのこと、何にも知らない。知るべき、いや、知りたいと思う自分がいる。サワさんは床に正座した。目線を合わそうと床に座った。膝への負担を考えて、右足は伸ばしたまま。
「私の主人はとても厳格な人でした。だから息子の純一はとても苦労したと思います。いつも叱られてばかりで……。孫の真一はとても素直でいい子です。頭もいい。でも……子供のころからどこか達観していて、わかりやすく言うと可愛くない、子供らしくない子でした」
 それはなんとなく想像がついた。
「私はもっとわがままを言って欲しかった。普通の子供のように、おもちゃを欲しがったり、駄々をこねたり、好き嫌いをしたり。でも純一がそれを許しませんでした。厳しく育てられた子でしたから、我が子にはそれ以上に厳しく接しました。体罰こそありませんでしたが、真一はいつもどこか怯えていました」
「……」
「私はそんな真一が気の毒で、中学はアメリカに留学させることにしました」
 あのパーティの発想はアメリカ仕込みなのか。なるほど、合点がいった。
「そして主人が他界し、帰国後高校に入ってすぐ私が他界して、真一は純一の完全なる操り人形になってしまいました。純一が右と言えば右、左と言えば左。空を飛べと言われれば、飛ぶ方法を必死で模索してしまうほどに、真一にとって父親とは絶対的なのです」
 現代的ではない環境。逃げ出さずにいるあいつの精神力は想像を絶する。常に学年トップでいるのもきっと父親がそれを望んだから。そしてそれに当たり前に応えてしまう実力と才能。
「……私は真一が壊れてしまうのではないかと心配しているのです」
 それでは家にいる時間、まったく気が休まらないじゃないか。常に緊張して、常にプレッシャーを感じて、親の顔色うかがって。なんだ、それ。頭がおかしくならない方がどうかしてる。
「クリスマスは毎年家族で過ごすのが決まりなんですか? 」
「決まりというわけではありませんが、純一は真一が家で当たり前に過ごすと思っています。だからお見合い話まで持ち込む気で……。私はその流れを断ち切りたいのです」
「なるほど……」
「あの子には選択の自由がありません。最高の教育、最高の食事、最高の結婚、最高の暮らし。何もかもが約束されていますが、他は一切許されません。ですから今この瞬間だけでも、あの子に普通の子として接してやって欲しいのです」
 つまり幸村はお父さんには逆らえないのか、逆らわないのか定かではないが、いい子に言うことを聞いているわけだ。幸村の希望は何なんだろう。
「……サワさんはどう思っているんですか? 」
「え? 」
「つまり……真一君がこのまま会社を継ぐことを望みますか? 」
「……正直私にはどちらでもいいのです」
 やっぱり。
「私は可愛い孫が元気いっぱいに育って、豊かな人生を歩んでくれれば……それ以上は望みません」
「……それだけ聞けたら十分です」
 あとは本人の気持ちを聞くだけだ。

 十二月二十四日午後五時の待ち合わせまで、あと少し。足早に店に向かう。人込みはあまり得意じゃない。
「永井君!」
 店の前に着くと、幸村が美耶子ちゃんとその友達と、ちょうど店に入る所だった。
「早いな」
「楽しみでね。早めに出てきて、この辺をぶらぶらしていたんだ」
 無邪気な少年の顔。
「初めまして、安藤未来(あんどう みく)です」
「未来ちゃん、よろしく」
「みく、こちらが永井先輩」
 美耶子ちゃんが慣れた様子で紹介してくれるから助かった。
「じゃあ、入ろうか」
 店員さんに案内され、予約したカラオケルームに入る。四人では持て余すくらい広い部屋だった。中はクリスマス仕様になっていて、リースが飾られ、サンタやトナカイのシールが壁に貼られている。
 飲み物と食事を頼もうとメニューを開いた。
「えーと、永井先輩、何飲みますか? 」
「俺、アイスティ」
「はーい。私はクランベリージュースにしようっと」
「幸村先輩は? 」
「ジンジャエールをもらおう」
「私グァバジュース! 」
 女子が好きな飲み物は聞いたこともない物ばかりだ。変わっているなと思いながら、幸村の様子を伺う。楽しそうで安心した。
「あ、唐揚げとポテトは絶対ね! 」
 未来ちゃんは甘え上手で明るい。美耶子ちゃんはおしとやかだけど、しっかりしたお姉さんタイプ。女の子とこんなに近くで接するのは緊張というよりも違和感を覚える。同じ人間なのに女の子と言うだけでまったく別の生き物みたいだ。
「先輩はパスタ好きですか? 」
 美耶子ちゃんがこちらを振り向くと髪が舞って、甘い香りがした。覚えがある香りだった。
「この香り……」
「あ、わかります? ラブフォーエバーって言う、新作の香水です」
 そうだ。前に高級ブランドから出てきた女性と同じ香りだ。全身ブランドを纏った大人の女性と後輩が同じ香水をつけている。女性は年齢問わず女性なんだと思った。そしてこの香りを覚えていた自分に少し驚いた。
「モデルのアンナが宣伝してて、今流行ってるんですよ」
「そうなんだ」
「アンナ、可愛いよね。超お嬢様だし、モデルもやってるし、アパレルブランドもやってるし。憧れるなぁ」
「……へー……」
 だめだ。まったくついて行けない。世間知らずの自覚はあったけれど、相槌がやっとだ。
「幸村は知ってる? 」
「……アンナ・L・ダーウィン。アメリカのダーウィンホテルのご令嬢だよ。まだ僕たちと同い年なのにも関わらず、事業の才能を持ち、その才能を開花させる環境に生まれた幸運の持ち主。その美しさから現代の女神と呼ばれているよ」
「せ、先輩、詳しいんですね」
「ニューヨークで中学時代を共に過ごしたからね。同じ学校だったんだ」
 普通だろうという口ぶり。幸村からしたら日常の一部。でも美耶子ちゃんと未来ちゃんはすっかり羨望のまなざしを幸村に注いでいる。
「先輩、すごーい! じゃあ先輩は英語もペラペラなんですね」
「どんな学校だったんですか? 」
 元々女子との合コンが目的だったんだ。幸村もさぞ嬉しかろうとその顔を見ると、さっきとは打って変わってどこか寂しそうな表情を垣間見せた。心の底から楽しんでいるようには見えない。その時、幸村の携帯が鳴った。
「……はい……はい……はい……申し訳ありません」
 口調で相手が父親であることは容易に想像できた。
「……はい」
 電話を切ると、近づきがたい空気を放つ幸村に後輩女子二人は怯えている。
「……ごめん、帰らなきゃ」
 幸村はそれだけ言い残すと部屋を出た。
「お、おい! あ、美耶子ちゃん、未来ちゃん、ごめん、これ、お金。……おい! 幸村! 」
 ぽかんとした顔の二人を部屋に残したまま、幸村を追いかけた。
「待てって! 」
 膝がまだ軋む。幸村がスポーツ選手でなくて本当に良かった。これが輝ならとっくに見失っている。幸村の腕を掴んだ。店の外で待っていた運転手が車の準備をしようとするので、手を振って「まだ大丈夫」と合図した。
「外、歩こうぜ」
「……」
 見渡すと、クリスマスのせいか周りはカップルだらけだった。イルミネーションで飾られた木を見上げる。幸村は店を出てからずっと俯いたままだ。
「なぁ、聞いていいか? 」
「……」
 返答はない。
「どうして俺を誘ったんだ? 」
「……」
「輝は明るいし、楽しいし、いい奴だけど、俺はその、真逆と言うか。どう見てもパーティって感じじゃないだろう。なんで輝じゃなくて、俺を誘ったのかなって」
「……」
 俯いた顔をゆっくりと上げ、幸村と目が合った。
「……本当はね、君に頼みたいことがあったんだ」
「クリスマスパーティ……じゃなくて? 」
「永井君、君、「見える」のかい? 」
「……っ! 」
 輝か。それしか考えられない。でも輝が何の意味もなく「見える」ことを言いふらす訳がない。
「……クリスマスパーティに誘ってやってくれって頼まれたんだよ。幸村のおばあちゃんに」
「え」
「サワさん、いい人だな」
「お祖母様が……見えるのか? 」
「疑わないんだな」
「……嘘なのか? 」
「嘘ついてどうすんだよ」
 信じてくれるだけでいい。それだけですべて正直に話せる。
「他にはなんて? 」
「もっとわがまま、言って欲しかったって」
「……」
「聞き分けがよくていい子で……そのうち壊れてしまうんじゃないかと、心配なんだって」
「……今もここにいるのか? 」
 こういう時、大体後ろにいるんだ。辺りを見渡す前に後ろを振り返った。ほらね。
「いるよ。そこに」
「……やはり僕には見えないんだね……」
「見えなくても、いるよ」
「……さっき言った、アンナ……僕の初恋の人なんだ」
「……! 」
「日本人で英語もあまり話せなかった僕に優しくしてくれて……可愛くて、本当に大好きだったんだ。でも相手はあのアンナだ。勇気がなくて告白なんてできなかった。そうこうしているうちに、高校は日本の高校へ行けってお父さんの命令で……」
 羽を一枚一枚むしり取られて行く鳥のようだ。
「今日僕の家に、僕の見合い相手としてアンナが来てる」
「……なんでアンナだってわかるんだよ? 」
 幸村は今日のお見合いの話は知らないはずじゃなかったのか。
「アンナからメールが来たんだ。クリスマスにうちに来るって」
「それだけじゃお見合いかどうかなんてわからないだろう? 」
「君は僕の父を知らないから……。父は事業拡大のため、ダーウィンホテルに兼ねてから目をつけていたんだ。僕らが同じ学校にいたことと、僕らの年齢を考慮すればあり得ない話じゃない」
 本当によく回る頭だな。頭がいいっていうのは実は損をすることもあるらしい。
 大好きなアンナが会いにきて、しかも婚約者になれるのに何故、幸村は泣いている? 
「その……アンナが好きなんだろう? なら喜ぶべきじゃないのか? 」
「喜べるわけがないだろう! アンナは僕を好きなわけじゃない! ただ親同士がお互いの企業の利益を考えて決めた結婚だ。そんなもの……」
 虚しいだけだろう? 幸村が車で言った言葉を思い出した。幸村は脱力し、膝をついた。涙は頬を伝い、地面を濡らす。こういう時かける言葉を知らない。
「……サワさんはこのことを知ってたんですか? 」
 サワさんは俯いたまま何も言わない。否定しないのか。
「……お祖母様……僕はどうしたらいいのでしょう。今まで僕はすべての自由を諦めてきました。お父さんの言いつけを守り、期待に応え、今日までやってきた。なのに、今更たった一人、アンナだけはどうしても諦められないのです」
「幸村……お前さ」
 幸村がアンナを想っていることも、父親の期待に応えるために必死に努力してきたこともわかった。勘が鋭いのも、無邪気に振る舞おうとするのも、きっと弱さを見せたり、甘えたり、頼ったりすることが許されない環境で育ってしまったから。それは想像に難くない。だとしたら、弱音はいつ吐くんだ?
「それ、親父さんに言ったことあるか?」
 幸村は頭が良いから、先回りして「きっとこうだ」と決めつけて、無意識に色々なことを諦めている。
「何もかも諦めてるって。守りたくない言いつけもあるって。逃げ出したいときがあるって、ちゃんと伝えたのか? 」
「……え? 」
 クリスマスを家族で過ごす決まりはないけれど、父親は過ごすものだと思っていると、サワさんは言っていた。決まり事じゃない。つまり誰もそのことについて話していないはずなのに、この家の人はみんな空気を読むことに慣れすぎて、そうだと決めつけているんだ。
「……バカ」
 結局のところ、すべては想像でしかない。人の気持ちなんて、話し合わなきゃ理解しようがない。全部ひとり相撲。イライラしてきた。もう我慢の限界だ。
「お前は生きてんだろう! いいか! ここにいるお前のばあちゃんはなぁ! とっくに死んでんだよ! 死んでるのに伝えたい気持ちがあって、それをどうにか伝えようと俺のところに来てんだよ! お前も父親もそのアンナも生きてんだろう! 生きてんのになんで伝えようとしないんだよ! 」
 目頭が熱い。なんだ、この涙は。悲しくない。苦しくない。ただ悔しいんだ。日下部さんも直樹君もサワさんも、生きている最愛の人に幸せになって欲しくて、死んだあともずっと彷徨って、どうにか伝えようと努力して、二年も無視し続けるガキにつきまとったり、たった七才の子供が必死に泣くのを我慢したりしてるのに、立ち止まって、ただただ羽をむしり取られるのを許している幸村にとんでもなく腹が立った。
「お前、何もしてないじゃん」
「……うるさい……」
「あ? 」
「うるさい! うるさい! うるさい! 何も知らないくせに! 」
「知るかよ! 」
 子供じみた幸村の行動に思わずその頬を撲った。
「いい子振るなよ! もっと我が儘になれってサワさんも言ってんだよ! お前が幸せになってくれれば、グループのことなんて二の次だって言ってくれてるサワさんの言うこともっと聞けよ! 大事なばあちゃんなんだろ! 」
 気付けば街中の視線を一手に集めていた。辺りはざわついている。やばい。幸村は撲たれた頬を手で覆って呆けているし、喧嘩だと騒いでいる野次馬もいる。制服を着ていないことが唯一の救いだ。
 そこへ一台の黒塗りの車が急ブレーキで停まった。幸村の車だった。中から人がばたばたと出てきて、一人はスーツを着た紳士、あと一人はドレスを着た女性だった。
「真一!」
「お、お父さん⁉」
 あれが純一さんか。どことなく幸村に似ている。髪はきっちり七三分けで、めがねをかけた細身の紳士。
「Shin! 」
「……Anna! 」
 流暢な英語の発音に即時反応できなかったが、間違いなくアンナと言った。英語での会話を生で聞いたのは初めてで、何を言っているのか分からないが、二人は駈け寄り、再会を喜んでいるようだった。
言葉は理解できないが、表情から大体の想像はついた。二人の会話は字幕なしの映画を見ているようで、アンナは真一を抱きしめ、二人は見つめ合い、頬を擦り寄せ、唇を重ねた。
 その場面を直視できず、目を逸らした。日本の高校生には少し刺激的だ。
なんだ、両思いじゃん。最初から素直に生きていれば、こんなに苦しむこともなかったのに、回り道をして、バカな奴。
「サワさん、よかったですね」
 今回は振り向かない。あなたがすでにそこにいないことを知っているから。
「あ」
 雪が舞い始めた。二人を祝福するサワさんからのクリスマスプレゼント、だなんて都合のいい解釈かも知れないけれど、せっかくのクリスマスに奇跡を信じてみるのも悪くない。
 これは映画なら完璧なハッピーエンド。リアルライフでは完璧な幕開けだ。純一さんを見ると、やれやれと言った表情で、でも少し優しい父親の顔をして車に戻っていった。幸村とアンナは寄り添い合い、幸せを噛み締めているようだった。
「永井君! 」
 こちらに駆け寄ってくる幸村の手は、しっかりとアンナの手を握っている。
「お前、俺の存在すっかり忘れてただろ」
「あはは、申し訳ない」
 否定しろよ。顔が緩んで、やっと同級生の友人らしくなった。
「本当にありがとう。君に感謝してるよ。ところでお祖母様は? 」
「……もう行ったよ」
「……そうか」
 空を見上げる。雪は舞い続け、人々に幸せを運ぶだろう。
「前に本郷君に相談したことがあるんだ。悩み事や辛いことがあると、いつもお祖母様に話を聞いてもらっていたのに、亡くなってしまってどうしたらいいのかわからないって。そしたら永井君に相談してみなよって。力になってくれるだろうって」
 輝の奴、勝手なことを。たまたまサワさんが来てくれたからよかったようなものの、自ら死んだ人の霊を探せるわけじゃないんだ。
「お祖母様の気持ちを知ることができてよかった。これからはもっとわがままに生きるよ。そしてお祖父様に恥じない後継者になるよう努力する」
 終わりよければすべて良し。結果的にサワさんも幸村も救われた。輝の判断は結果的に間違ってなかったというわけだ。
「心配しないで、誰にも言わないから」
 人が頼む前に幸村は人差し指を唇の前に立ててウインクをする。
「ありがとう」
 また一人味方が増えた。信じてくれる人。今自分がやっていることが無駄じゃないんだと思わせてくれる。ありがとう。ありがとう。最高のクリスマスだ。
 幸村はアンナと車に乗り込むと見えなくなるまで手を振った。
「あの」
 振り向くと、見覚えのあるポニーテールの女の子。私服姿だと少し印象が変わる。ポニーテールの毛先を指で遊びながら、もじもじと恥ずかしそうに、顔を赤らめる彼女の隣には、いつも通り黒髪ロングヘアの友達もいた。
「先輩……お一人ですか?」
「……そうだけど……」
 シャイなのか、彼女はなかなか話し出さない。
「早く言いなよ。先輩も困ってるよ」
「あの……私、先輩のファンで、いつも試合見てました!」
「……そうなんだ……ありがとう」
 少しほっとした。悪意は感じられない。
「私、親の都合でもうすぐ遠くに引っ越しちゃうんです……だから、その……思い出が欲しくて……サイン、もらえますか? 」
 彼女はそう言うと、カバンから色紙とペンを取り出した。
「サイン……ってしたことないんだけど……下手でもいい?」
 一生懸命な彼女を見ていると嫌とは言えない。
芸能人でもないのにサインを求められるなんて、そう経験できるものではないし、それっぽく書いてみた。彼女は飛び跳ねて喜んでくれて、サイン色紙を胸にしっかりと抱えて去っていった。
「……君は? 僕に何か用があるんでしょ?」
「……やっぱり見えてるんですね」
「まぁ……」
 さりげなく人目につかない場所に移動しながら、視線を足元に落とす。やはり彼女には影がない。
「あの子のことは警戒するのに、私を警戒しないんですね」
 言われてみれば可笑しな話だ。誰もいなことを確認してから、彼女の目を見た。
「警戒した方がいい?」
「……」
「あの子に何か伝える?」
「……いいえ……」
「遠慮はいらないよ。俺にできることなら、なんでもするから」
「……二つあるんです。思い残したこと」
 彼女は俯いた。
「いいよ。言ってみて」
「……あなた、なんでサッカー辞めたんですか?」
 意外な問いに言葉が詰まった。彼女の思い残しと、サッカーを辞めたことになんの因果関係があると言うのか。
「なんでって……怪我しちゃってさ」
「それは知ってます。その試合、私も見てましたから。そうじゃなくて。怪我をしても復帰しようとは思わなかったんですか?」
「……」
 まったく考えなかったわけじゃない。でもあのとき、復帰のためのリハビリじゃなくて、受験生に転身することを選んだ。そう、すんなりと選んだ。
「……本郷先輩が可哀そう」
「え?」
「私、あなたと同じ中学校出身なんです。中学生のころから本郷先輩が好きで……。だからあなたのことも知っています。いつも見ていましたから。幼馴染なんですよね」
「うん」
「私、生まれつき心臓の病気で。お医者さんにもあまり長くないって言われてたんです。だから、死ぬ前にどうしても話してみたくて、部室に行ったことがあるんです。先輩、練習で疲れてるのに、笑顔でお話してくれて……嬉しかった」
 噛みしめるように話す彼女は目を閉じて、記憶に思いを馳せる。
「でも先輩ったら、あなたの話ばかりで」
「……え」
「あいつは天才だ、とか。誰よりも努力家で、サッカー愛がある奴だ、とか。楽しそうに、自慢してくるんですよ、あなたのこと」
「……」
 チクリと胸が痛んだ。そんなのは過大評価だ。俺はあいつの夢に便乗しただけ。
「少し妬けちゃいました」
 寂し気な声。なんだか申し訳なくなってきてしまった。
「……今の本郷先輩、寂しそうなんです。悔しいけど、それはきっと、あなたが隣にいないから。最近のプレイはなんて言うか……荒れてるんです」
 そう言えば、サッカー部の練習をしばらく見ていない。気づけば受験勉強ばかりしていた。いつの間にか、サッカーを過去に置き去りにしてしまっていた。
「本郷先輩、苦しんでるんですよ。だからあなたが支えてあげてください。これが一つ目です」
「……」
 輝が苦しむなんて、想像もできない。あいつは今もサッカーの練習に明け暮れていて、相変わらず世界を目指しているはずなんだ。そうだ。まだちょっと慣れないだけ。ずっと一緒だったんだ。見える風景が変わって戸惑っているだけ。
「……もう一つは?」
「……あの日、話しただけで満足したつもりでいたんですが、その……告白を……」
「……わかった。じゃあ明日の朝、俺の家の前に来て」
「……ありがとう」
 それだけ言って彼女は姿を消した。
「……さむっ……」
身体がブルっと震える。ゆっくりと歩きだし、吐いた息が白くなるのを見つめた。
 家までの道のり、輝のことを考えた。サッカーを辞めてしまった今の自分に、できることなんてあるんだろうか。支えろと言われても、もう練習相手にもなれない。
もちろん、応援はしている。できることは、なんでもしたいと思っている。世界に行って、夢を叶えて欲しい。
思えば、最近は輝に頼ってばかりで、頼られることもない。また遠のいてしまったと、自覚したくなかっただけ。もしかしたら、要らないと言われるのが怖かったのかもしれない。
暗闇に一人、置いてけぼり。声が出ない。手を伸ばしても輝は振り向かず、その背中はどんどん遠ざかっていく。
 ハッと目を覚ますと自室のベッドの上だった。
「なんだ、夢か」
 嫌な夢だ。
「あら、ハル? 今日は早いのね」
「うん、ちょっとね」
 時計はまだ六時を指していて、父さんのお弁当を作るために早起きしている母さんがまだ眠気まなこでコーヒーを飲んでいるところだった。
「朝ごはんは? 」
「食べるよ。すぐ戻るから」
 玄関を出ると、黒髪のロングヘアの女子が立っている。
「おはよう」
 二人で肩を並べて歩く。影は一つ。
「……あれから考えてみたんだけどさ。輝と話してみるよ」
「そうですか」
「うん、善処する」
 携帯の時計を見ると、六時十五分。
「もうすぐだよ」
あいつは毎日同じ時間にここを通る。
「ほら、来た」
 肩からスポーツバッグを掛けて、ダッシュで走って来る輝はいつもの笑顔だった。
「ハル! 今日は早いんだな」
 輝はスピードを落として、目の前まで来ると、足を休めることなく動かし続けたまま話す。
「今日から朝練? 」
「おぅ! 」
「頑張れよ」
「……じゃ、俺行くわ」
「輝! この子! お前のファンなんだって! 」
 走り去ろうとする輝を呼び止め、叫んだ。
「ほら、言いなよ。見えなくても、ちゃんと伝わる。保証する」
 彼女は大きく息を吸った。
「本郷先輩! 大好きです! 」
輝には彼女の姿は見えない。案の定、キョトンとした顔を見せた。でも次の瞬間。
「ありがとう! 」
 いつもの笑顔で大きく手を振った。彼女は感激のあまり今にも泣き出しそうだ。小さくなった輝の背中を見送る。
「……これでよかった? 」
「はい……」
 彼女はもういない。
「安らかに……」
 昨日の雪が嘘みたいだ。空は青く、雲一つない。こんないい天気なら、あとで散歩でもしよう。家に入ろうと玄関を開けたその瞬間、車の急ブレーキの音と共に、ものすごい衝突音がした。
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