50 / 84
2.Yellow star jasmine
1
しおりを挟む
ざあああ―――と、風が吹いて。
明け方まで降っていた雨の名残を、街路樹から振り下ろした。
ランニングで汗ばんだ肌に心地良く感じながら、少しピッチを上げて角を曲がる。
最後の坂道は住宅街になっているが、まだ6時前の歩道は人気無く、タッタッタッという足音だけがやけに響いていた。
ふと、甘い香りが鼻先を掠める。
思わず立ち止まり辺りを見回すと、庭先で鋏を片手に作業していた年配の女性と目が合った。
「おはようございます。」
と言って、ペコリと頭を下げる。この年代には礼儀正しくするのが鉄則だ。果たして、女性が嬉しそうに微笑む。
「おはよう、精が出るわね。成陵の生徒さん?」
「はい。」
「プチトマト食べる?」
女性が手に持ったビニール袋を掲げて言った。
好物なので、ありがたく受け取り、早速1つを口に入れる。
思いの外甘く、味が濃い。
「うまいです。」
「あらあら」
素直な感想に、女性が頬を綻ばせた。
「良かったら、またあげるわ。採っても採っても出来るんだけど、うちはお父さんと2人だし、あんまり食べてくれないから。」
「いいんですか?」
「もちろん、棄てちゃわないといけないぐらいなんだもの。」
「ありがとうございます。」
よし、おやつゲット。
こういう愛想を振りまくのは大事なことだと、母親がよく言っていた。どうでもいいヤツ―――特に同年代の女共にはしないが、必要な時はしておくに超したことはない。
そこへ、不意にまた風に乗って、甘い薫りが掠めた。
「どうかした?」
「あ、いや、花の…匂い?」
「…あぁ、そこの」
そう言って、女性が指さした先、フェンスに絡まるように伸びた緑に、沢山の白い花が付いていた―――あの花とは違ったようだ。
「定家葛って言うのよ。」
「テイカ、カズラ…?」
「そう、藤原定家って分かる?」
「あー、百人一首の…」
「それそれ」
益々嬉しそうに、女性が続けた。
「何でも、定家は天皇の姫君に恋をしてね、まぁ、身分が違うから報われなくて、でも諦められずに、死んだ後この花になって、お姫様のお墓を覆い尽くしちゃったっていう伝説があるのよ。そこから付いた名前なんですって。」
へー…と、心の中で呟いた。可憐な見た目とは裏腹に、ずいぶんとおどろおどろしい伝説なような…。
「でも、いい匂いがするし、私は好きなのよね。」
確かに5弁の白い花が鈴なりになっている様は可愛らしい。
だが、フェンスに絡み付く茎は太く、頑丈そうで、素手で取り払うことは出来なさそうだ。
何の気なしに手を伸ばしたところで、
「あ、毒があるから気を付けて」
と言われて固まる。何をどう気を付けるんだろう?
ていうか、やっぱヤバいカンジがするんだけど、この花。
ピピッと腕時計が鳴った。
―――6時になったようだ。
「あら、ごめんなさいね、引き留めちゃって」
「いえ、これ、ありがとうございます。」
さっき貰ったビニール袋を掲げて会釈する。
「どういたしまして、練習、頑張ってね。」
「はい。」
もう一度頭を下げて、走り出した。
寮の建物が見え始めたあたりで、もう一つ口に入れる。
去年のは、味が薄くて、水っぽかった事を思い出す。
「買うと結構高いんだよ?」
そう言って、少し残念そうにしていた。今年もベランダで作っているんだろうか?
それとも、そんな余裕、無いかな―――?
そうだといい。
暗い願望に、口角が上がる。
3ヶ月前、あの細い体に、いやというほど刻みつけた。物理的な印は、もう消えてしまっただろうけれど。
寮までの階段を一息に駆け上った。
ランニングは小さい頃からの習慣だったが、今は別の意味で必要なものになっている。
家を出るのは賭けだった。連絡を取らないのも、殆ど意地になっているとしか言い様がない。
ぶるっと頭を振るって汗を吹き飛ばす。
あの日、あの白い肌に散っていたのは自分のだったのか、スミのものだったのか。じわじわと、欲望が奥底から湧き上がり、体中を這うように絡み付いていく。
3ヶ月―――
限界なのは、自分か、スミか。
分からないまま、靴ロッカーに置いておいた着替えを持って、シャワー室へ飛び込んだ。
明け方まで降っていた雨の名残を、街路樹から振り下ろした。
ランニングで汗ばんだ肌に心地良く感じながら、少しピッチを上げて角を曲がる。
最後の坂道は住宅街になっているが、まだ6時前の歩道は人気無く、タッタッタッという足音だけがやけに響いていた。
ふと、甘い香りが鼻先を掠める。
思わず立ち止まり辺りを見回すと、庭先で鋏を片手に作業していた年配の女性と目が合った。
「おはようございます。」
と言って、ペコリと頭を下げる。この年代には礼儀正しくするのが鉄則だ。果たして、女性が嬉しそうに微笑む。
「おはよう、精が出るわね。成陵の生徒さん?」
「はい。」
「プチトマト食べる?」
女性が手に持ったビニール袋を掲げて言った。
好物なので、ありがたく受け取り、早速1つを口に入れる。
思いの外甘く、味が濃い。
「うまいです。」
「あらあら」
素直な感想に、女性が頬を綻ばせた。
「良かったら、またあげるわ。採っても採っても出来るんだけど、うちはお父さんと2人だし、あんまり食べてくれないから。」
「いいんですか?」
「もちろん、棄てちゃわないといけないぐらいなんだもの。」
「ありがとうございます。」
よし、おやつゲット。
こういう愛想を振りまくのは大事なことだと、母親がよく言っていた。どうでもいいヤツ―――特に同年代の女共にはしないが、必要な時はしておくに超したことはない。
そこへ、不意にまた風に乗って、甘い薫りが掠めた。
「どうかした?」
「あ、いや、花の…匂い?」
「…あぁ、そこの」
そう言って、女性が指さした先、フェンスに絡まるように伸びた緑に、沢山の白い花が付いていた―――あの花とは違ったようだ。
「定家葛って言うのよ。」
「テイカ、カズラ…?」
「そう、藤原定家って分かる?」
「あー、百人一首の…」
「それそれ」
益々嬉しそうに、女性が続けた。
「何でも、定家は天皇の姫君に恋をしてね、まぁ、身分が違うから報われなくて、でも諦められずに、死んだ後この花になって、お姫様のお墓を覆い尽くしちゃったっていう伝説があるのよ。そこから付いた名前なんですって。」
へー…と、心の中で呟いた。可憐な見た目とは裏腹に、ずいぶんとおどろおどろしい伝説なような…。
「でも、いい匂いがするし、私は好きなのよね。」
確かに5弁の白い花が鈴なりになっている様は可愛らしい。
だが、フェンスに絡み付く茎は太く、頑丈そうで、素手で取り払うことは出来なさそうだ。
何の気なしに手を伸ばしたところで、
「あ、毒があるから気を付けて」
と言われて固まる。何をどう気を付けるんだろう?
ていうか、やっぱヤバいカンジがするんだけど、この花。
ピピッと腕時計が鳴った。
―――6時になったようだ。
「あら、ごめんなさいね、引き留めちゃって」
「いえ、これ、ありがとうございます。」
さっき貰ったビニール袋を掲げて会釈する。
「どういたしまして、練習、頑張ってね。」
「はい。」
もう一度頭を下げて、走り出した。
寮の建物が見え始めたあたりで、もう一つ口に入れる。
去年のは、味が薄くて、水っぽかった事を思い出す。
「買うと結構高いんだよ?」
そう言って、少し残念そうにしていた。今年もベランダで作っているんだろうか?
それとも、そんな余裕、無いかな―――?
そうだといい。
暗い願望に、口角が上がる。
3ヶ月前、あの細い体に、いやというほど刻みつけた。物理的な印は、もう消えてしまっただろうけれど。
寮までの階段を一息に駆け上った。
ランニングは小さい頃からの習慣だったが、今は別の意味で必要なものになっている。
家を出るのは賭けだった。連絡を取らないのも、殆ど意地になっているとしか言い様がない。
ぶるっと頭を振るって汗を吹き飛ばす。
あの日、あの白い肌に散っていたのは自分のだったのか、スミのものだったのか。じわじわと、欲望が奥底から湧き上がり、体中を這うように絡み付いていく。
3ヶ月―――
限界なのは、自分か、スミか。
分からないまま、靴ロッカーに置いておいた着替えを持って、シャワー室へ飛び込んだ。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
17歳男子高生と32歳主婦の境界線
MisakiNonagase
恋愛
32歳の主婦・加恋。冷え切った家庭で孤独に苛まれる彼女を救い出したのは、ネットの向こう側にいた二十歳(はたち)と偽っていた17歳の少年・晴人だった。
「未成年との不倫」という、社会から断罪されるべき背徳。それでも二人は、震える手で未来への約束を交わす。少年が大学生になり、社会人となり、守られる存在から「守る男」へと成長していく中で、加恋は自らの手で「妻」という仮面を脱ぎ捨てていく…
なお、スピンオフもございます。
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。
ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。
真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。
引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。
偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。
ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。
優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。
大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる