雨に薫る

はなの*ゆき

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2.Yellow star jasmine

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 ざあああ―――と、風が吹いて。


 明け方まで降っていた雨の名残を、街路樹から振り下ろした。
 ランニングで汗ばんだ肌に心地良く感じながら、少しピッチを上げて角を曲がる。
 最後の坂道は住宅街になっているが、まだ6時前の歩道は人気無く、タッタッタッという足音だけがやけに響いていた。

 ふと、甘い香りが鼻先を掠める。
 思わず立ち止まり辺りを見回すと、庭先で鋏を片手に作業していた年配の女性と目が合った。

「おはようございます。」

 と言って、ペコリと頭を下げる。この年代には礼儀正しくするのが鉄則だ。果たして、女性が嬉しそうに微笑む。

「おはよう、精が出るわね。成陵の生徒さん?」
「はい。」
「プチトマト食べる?」

 女性が手に持ったビニール袋を掲げて言った。
 好物なので、ありがたく受け取り、早速1つを口に入れる。
 思いの外甘く、味が濃い。

「うまいです。」
「あらあら」

 素直な感想に、女性が頬を綻ばせた。

「良かったら、またあげるわ。採っても採っても出来るんだけど、うちはお父さんと2人だし、あんまり食べてくれないから。」
「いいんですか?」
「もちろん、棄てちゃわないといけないぐらいなんだもの。」
「ありがとうございます。」

 よし、おやつゲット。
 こういう愛想を振りまくのは大事なことだと、母親がよく言っていた。どうでもいいヤツ―――特に同年代の女共にはしないが、必要な時はしておくに超したことはない。

 そこへ、不意にまた風に乗って、甘い薫りが掠めた。

「どうかした?」
「あ、いや、花の…匂い?」
「…あぁ、そこの」

 そう言って、女性が指さした先、フェンスに絡まるように伸びた緑に、沢山の白い花が付いていた―――あの花とは違ったようだ。

「定家葛って言うのよ。」
「テイカ、カズラ…?」
「そう、藤原定家って分かる?」
「あー、百人一首の…」
「それそれ」

 益々嬉しそうに、女性が続けた。

「何でも、定家は天皇の姫君に恋をしてね、まぁ、身分が違うから報われなくて、でも諦められずに、死んだ後この花になって、お姫様のお墓を覆い尽くしちゃったっていう伝説があるのよ。そこから付いた名前なんですって。」

 へー…と、心の中で呟いた。可憐な見た目とは裏腹に、ずいぶんとおどろおどろしい伝説なような…。

「でも、いい匂いがするし、私は好きなのよね。」

 確かに5弁の白い花が鈴なりになっている様は可愛らしい。
 だが、フェンスに絡み付く茎は太く、頑丈そうで、素手で取り払うことは出来なさそうだ。
 何の気なしに手を伸ばしたところで、

「あ、毒があるから気を付けて」

 と言われて固まる。何をどう気を付けるんだろう?
 ていうか、やっぱヤバいカンジがするんだけど、この花。

 ピピッと腕時計が鳴った。
 ―――6時になったようだ。

「あら、ごめんなさいね、引き留めちゃって」
「いえ、これ、ありがとうございます。」

 さっき貰ったビニール袋を掲げて会釈する。

「どういたしまして、練習、頑張ってね。」
「はい。」

 もう一度頭を下げて、走り出した。
 寮の建物が見え始めたあたりで、もう一つ口に入れる。
 去年のは、味が薄くて、水っぽかった事を思い出す。



「買うと結構高いんだよ?」

 そう言って、少し残念そうにしていた。今年もベランダで作っているんだろうか?

 それとも、そんな余裕、無いかな―――?

 そうだといい。
 暗い願望に、口角が上がる。




 3ヶ月前、あの細い体に、いやというほど刻みつけた。物理的な印は、もう消えてしまっただろうけれど。

 寮までの階段を一息に駆け上った。
 ランニングは小さい頃からの習慣だったが、今は別の意味で必要なものになっている。

 家を出るのは賭けだった。連絡を取らないのも、殆ど意地になっているとしか言い様がない。

 ぶるっと頭を振るって汗を吹き飛ばす。

 あの日、あの白い肌に散っていたのは自分のだったのか、スミのものだったのか。じわじわと、欲望が奥底から湧き上がり、体中を這うように絡み付いていく。


 3ヶ月―――


 限界なのは、自分か、スミか。

 分からないまま、靴ロッカーに置いておいた着替えを持って、シャワー室へ飛び込んだ。
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