宛名のない手紙

泉谷なぎ

文字の大きさ
上 下
1 / 3

No.1

しおりを挟む
ぼくはあなたをお慕いしております。

きっかけは些細なことです。あなたは憶えていらっしゃらないかもしれません。その時分からあなたの笑顔が、声が、忘れられないのです。

斜向かいのお家へ若い女性が引っ越して来たらしい、ということはお隣りに住まわれている奥様から聞いておりました。

ある晴れた朝、アスファルトの割れ目から咲いた黄色い花を愛でるあなたがそこにいました。あれは確かカタバミだったと思います。花の名前に疎い僕が知っているようなありふれた花でした。ぼくを含め、普通、そのようにありふれたものにはまず目が行かないものでしょう。

その時のぼくはまだあなたのことを存じ上げておりませんでしたので、お隣の奥様からうかがった方だろうかと大体の検討はつきました。(ご存知の通りここは大変な田舎ですから、朝から顔を合わせる方といえば全員が見知った顔なのです)

はじめましてのご挨拶をしようかと考えましたが、どうやらあなたは、道端に咲く花とあなたとの2人きり、といえばいいのでしょうか、(花ですから「2人」という表現はおかしいのでしょうが)そんな世界に入り込んでいたように思われました。

ぼくはそんな世界を壊してしまうことが何だか惜しく思われてその時分はすぐに立ち去ってしまいました。

あなたと、道端に咲く僕から見れば何の変哲もない花との間にはどんな世界が広がっていたのですか。あの時からぼくはずっと考えておりますが正しいと思われる答えは一向に思いつきません。

いつか、あなたにその答えを問うことのできる日が来ると良いのですが。実は案外、ぼくが考えているよりも簡単な答えだったりするのでしょうか。

いつか来たるその日まで、ぼくはあの日のあなたを思い出してはあなたとあの花との世界のことについて考えていることでしょう。
しおりを挟む

処理中です...