婚約破棄は、貴方様が切り出したことですから

芹沢莉緒

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5話 嫉妬と失墜

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 リリィが貴族界を躍進していた頃、彼女の元婚約者であるカインは、新たな婚約者であるオフィリア・ヴァルディスとの交際を順調に進めていた。

 オフィリアは王の三人目の娘、この国の第三王女である。
 カインの政治的な立場を強化するための最適な相手だった。
 オフィリアが才色兼備で政治手腕にも長けていたカインに一目惚れしたのが、そもそも婚約破棄騒動の発端であった。

 まだ、カインとオフィリアの婚約は表沙汰にはされていない。
 以前の婚約破棄から、ある程度時間を置く必要があるためだ。
 そのため半年経った今でも婚約を表にこそ出していないが、裏ではほとんど婚約の儀の日取りまで決まっている。

 オフィリアは賢く、美しい娘だ。
 貴族社会においての評価も高い。
 人の結婚は順調に進展していった。

 最初は、カインもその婚約に満足していた。
 オフィリアと結びつくことで、彼の家族はより多くの権力を手に入れ、政治的な影響力を強化できると考えていたのだ。

 カイン自身、オフィリアの目的のために手段を選ばない狡猾さや、その自立した精神性に惹かれていた。
 彼女は、おぼこく騙されやすく、自分に憧憬を抱いて引っ付いてくるリリィとは正反対であった。

 しかし、婚約破棄から数ヵ月が経った今、次第にカインの心の中に不安と嫉妬が芽生え始めた。
 それはリリィが見せる急速な成長によるものだった。

 婚約破棄からしばらく経ち、リリィはかつての彼女とはまるで違う存在となっていた。
 彼女は名門アスター家の一員として、その力を活かし、商業や政治的な結びつきを確立していた。
 リリィの名は貴族社会の中で次第に広まり、彼女の存在感は日に日に増している。

 アスター侯爵家は、地味で落ち目の貴族だとカインは考えていた。
 だが、カイン自身がオフィリアと婚約し、政治や商業の知見を深めていくに従い、アスター侯爵家の影響力の強さを日々感じるようになっていた。

 アスター侯爵家は地味で落ち目の貴族ではない。
 目立たぬ地下から王国を支える、縁の下の力持ちだ。
 わかりやすい実績がないと感じていたのは、自分の未熟さ故だった。

 リリィもここ一年でその精神性は急成長していた。
 以前の彼女や、新しい婚約者のオフィリアにはない、意志の強さと気高さを有していた。
 彼女の成長を妨げていたのは、そうあるように抑えつけていた、カイン自身であったのかもしれない。

 カインは最初、その変化を無視していた。しかし、彼女が自らの力で成功を収める様子を見て、徐々に嫉妬心と劣等感が湧き上がるようになった。
 リリィが自分を超えていくのではないかという恐れと、それに伴う怒りが彼の心を支配し始めた。

 婚約破棄騒動で自身に傷がつくのを避けるための、王家の一門を利用した、監査による冤罪工作。
 今思えばあまりに杜撰で稚拙なもので、アスター侯爵家から報復の矛先が向いてもおかしくはない。
 
 オフィリアは多少腹黒いところはあれど、知略に長けた、成熟した精神の持ち主だとカインは考えていた。
 ただ、婚約していてわかった。
 彼女は愛情を持ち合わせていない。
 それはカインに対してという話ではなく、誰に対してもだ。
 
 近くから見たオフィリアは、ただの我が儘で残虐で幼稚な女だった。
 カインに一目惚れしたのも、貴族界で名を上げていた美男子がほしくなったというだけだ。

 オフィリアは聡明なわけではない。
 自惚れに近い自信があり、そこに裏打ちされた行動力を持つだけだ。
 そこに王家の権力が合わされば、多少無茶な計画でも通ってしまう。

 そして別に王家の中で力があるわけでもない。
 立場を利用して無茶ができるが、それは他の王家の目がなければ、だ。
 我が儘で何をしでかすかわからないから一部が怖がっているのと、彼女の悪巧みに乗って王家と繋がりを作りたい質の悪い連中がいるだけだ。

 オフィリアの手引きでアスター家を罠に掛けて貶めた。
 カインは当時、この計画がもっと緻密で完璧なものに思えていた。
 ただ、今思い返せば彼女のこの計画は、あくまで王家の権威に頼ったゴリ押しであり、政治手腕に長けたアスター家が本気で反撃に掛っていれば、逆にこちらが追い込まれていた可能性もある。

 オフィリアではなく、あのままリリィと婚姻していれば。
 そんな考えが頭を過ぎり、カインは首を振った。
 過ぎたことだ。考えても仕方がない。

「リリィめ……今更私の視界を飛び回るとは。目障りな蠅だ」

 カインは一人で書斎に座り、ひとしきり自分の怒りを噛み締めていた。
 オフィリアはそばにいるが、カインの心は既に彼女に向かっていなかった。
 彼の心を占めるのは、常にリリィであり、彼女の成功が自分を凌駕しそうになることへの恐怖だった。

 カインの心には、リリィが自分に何も告げずに成し遂げた成功に対する嫉妬心が渦巻いていた。
 彼女が自分の力でアスター家の名を再び世に広めていることが、彼にとっては計り知れない脅威となった。
 リリィが手にした成功は、彼が一度は手に入れたはずの未来を奪うように感じられた。

「私はこのまま生涯、何も為せぬまま、アスター家の反撃に脅え、あの根暗女の機嫌取りに終始するのか……?」

 カインは深く沈み、冷徹な眼差しでデスクの上に散らばる書類を見つめた。
 その中には、いくつかの政治的な書簡や商業的な契約書も含まれていた。
 彼はオフィリアとの結婚によって得た利益を最大化しようと努力していたが、心の中ではリリィに対する強い不安と嫉妬を感じていた。

 リリィは、カインの予想に反して、婚約破棄をきっかけに失敗することはなかった。
 彼女はどんな困難にも立ち向かい、貴族としての成長を続け、確実に成功を収めていった。

 アレクシオスという美青年がリリィの補佐としてついていることも、カインの苛立ちの理由の一つであった。
 複雑な貴族社会においても優れた才能を発揮し、彼女のサポートを行っている。

「フ……そんな男のどこがいいというのだ。うだつ上がらぬ、伯爵家の次男だぞ。女の影に隠れるなど、男しても二流も二流だ。この私の方が……!」

 カインはそこまで口にし、自身の言葉を止めた。
 くだらない嫉妬を吐くことは、彼のプライドが許さなかった。
 ましてや彼女は、自分が袖にした元婚約者だ。

「それよりも危惧すべきは、リリィやアスター家の報復だ。オフィリアは思いの他、王族内での影響力はない。アスター家が本気になれば、第三王女の喉元へと手が届きかねない。そうなれば、私は破滅だぞ!」

 カインはデスクを叩き、頭を抱えた。
 何か、何か対策を考えなければならない。

 ――一方その頃、リリィは次第にカインの動向を無視するようになっていた。
 彼女は、もはやカインの存在を気にすることなく、自分自身の道を歩んでいた。

 リリィが成し遂げた成功と成長が、カインにとってはどれだけ重荷であったかなど知る由もない。
 そして、リリィが社会で築き上げたものが、カインの心にさらに嫉妬と劣等感を抱かせる要因となり、彼をますます追い詰めていった。
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