1 / 15
マインド山の薬草
しおりを挟む
ランデル候とその長子ルースは山岳部族の討伐のため、小規模の軍を率いマインド山に出征していた。
エマは、母を救えるはずの薬草を探しに独りその山に入っていた。その薬草は険しい場所にしか生えないので、運よく目視できたとしても、持ち帰られるかは怪しい。事実、薬草を求めて山に入った幾人もが、そこで命を落としていた。
しかも、彼らは実際には薬草を見つけたわけではなく、その幻を見てしまったのだろうといわれていた。
エマはほんとうに幸運にも薬草を手にしたが、そのために運を使い果たしたのか、足を滑らせてしまい、後は谷底に向かって落ちてゆくばかりだった。
途中でエマを助けようとしたのがルースだ。
彼は咄嗟にエマの腕に手を伸ばした。勢いのままに、エマの腕は彼の手をすり抜けてしまうと思われた。だが最後のところで、エマは彼と手を繋ぐことができ、ぶら下がった。
彼は力を込めて、エマを引き上げようとした。そのとき、彼の父親、つまりランデル将軍が近づいてきて、彼に何やら目配せをした。エマを引き上げようと力を込めるルースの奮闘が小休止した。
ランデル将軍はエマを見下ろし、
「お嬢さん、その手に持っておられるのはもしかして……」
「はい。母の病を治してくれる心岳草です」
「ほう……」ランデル将軍の細い目が鈍く光った。「やはりそうでしたか。ならば落としてしまっては大事ですな。先にこちらによこしなさい」
とランデル将軍は崖に膝をつき、身を乗り出して手を伸ばした。
「ありがとうございます」
エマは素直に従い、心岳草を差し出した。
心岳草を手にしたランデル将軍は立ち上がると、ポンポンと膝の土を払った。ランデル将軍はおもむろに、
「何をしているのだ、ルース。早くその手を放してしまいなさい」
ルースは驚愕の表情を彼の父に向けた。ランデル将軍は焦れたように、
「わからないのか。この心岳草は王妃様への土産とせねばならない」
「しかし……」
「まだわからないか。ランデル家の未来がかかっているのだぞ」
ルースはハッとした顔をし、それから唇をかみしめた。エマを食い入るように見つめた彼の目が、ふっと泳いだ。彼が手を放すと、エマの体は谷底へと落ちていった。
◇◇◇
目覚めると、わたしはこともあろうに、ランデル家の女中となっていた。あの日、ランデル将軍の率いる軍に滅ぼされた山岳民族の生き残り……慈悲によりランデル家に引き取られ、女中として使えることになった娘……それがわたしであるらしい。
バンティ・マインドと呼ばれている。マインド山から来たバンティという、おざなりの名前だ。エマであったはずのわたしはもうどこにもいない。
驚いた顔と、観念した顔。ルースの二つの顔が目まぐるしく入れ替わる。それが、エマであったわたしの最後の記憶だった。
わたしが薬草を届けることがかなわなかった母は、ついに帰らぬ人となってしまった。おそらく、山に入ったわたしが戻らなかった痛苦が重なったこともあったにちがいない。それはわたしの痛恨だった。
父もがっくりしてしまったか、程なく後を追うように他界したそうだ。すると妹のエミリアは、独り残されてしまったのか。
ああ、もっとエミリアをかわいがっておくのだった。母のことがあったので、ついつい父もわたしも、エミリアをかまってやれなかったと悔やまれる。かわいそうなエミリア……何とか幸せになってくれればよいが……
しかしわたしは耳を疑った。あろうことかそのエミリアが、ランデル家に嫁いでくるのだという。あのルースが夫だなんて、不幸以外の何物でもないではないか。
エマとしての人生は消えてしまったが、わたしがこのランデル家に女中として仕えることになったのは、神様の思し召しなのかもしれない。いや、きっとそうだ。
何としてもエミリアを守ってやらねばならない。わたしはそう強く誓った。
エマは、母を救えるはずの薬草を探しに独りその山に入っていた。その薬草は険しい場所にしか生えないので、運よく目視できたとしても、持ち帰られるかは怪しい。事実、薬草を求めて山に入った幾人もが、そこで命を落としていた。
しかも、彼らは実際には薬草を見つけたわけではなく、その幻を見てしまったのだろうといわれていた。
エマはほんとうに幸運にも薬草を手にしたが、そのために運を使い果たしたのか、足を滑らせてしまい、後は谷底に向かって落ちてゆくばかりだった。
途中でエマを助けようとしたのがルースだ。
彼は咄嗟にエマの腕に手を伸ばした。勢いのままに、エマの腕は彼の手をすり抜けてしまうと思われた。だが最後のところで、エマは彼と手を繋ぐことができ、ぶら下がった。
彼は力を込めて、エマを引き上げようとした。そのとき、彼の父親、つまりランデル将軍が近づいてきて、彼に何やら目配せをした。エマを引き上げようと力を込めるルースの奮闘が小休止した。
ランデル将軍はエマを見下ろし、
「お嬢さん、その手に持っておられるのはもしかして……」
「はい。母の病を治してくれる心岳草です」
「ほう……」ランデル将軍の細い目が鈍く光った。「やはりそうでしたか。ならば落としてしまっては大事ですな。先にこちらによこしなさい」
とランデル将軍は崖に膝をつき、身を乗り出して手を伸ばした。
「ありがとうございます」
エマは素直に従い、心岳草を差し出した。
心岳草を手にしたランデル将軍は立ち上がると、ポンポンと膝の土を払った。ランデル将軍はおもむろに、
「何をしているのだ、ルース。早くその手を放してしまいなさい」
ルースは驚愕の表情を彼の父に向けた。ランデル将軍は焦れたように、
「わからないのか。この心岳草は王妃様への土産とせねばならない」
「しかし……」
「まだわからないか。ランデル家の未来がかかっているのだぞ」
ルースはハッとした顔をし、それから唇をかみしめた。エマを食い入るように見つめた彼の目が、ふっと泳いだ。彼が手を放すと、エマの体は谷底へと落ちていった。
◇◇◇
目覚めると、わたしはこともあろうに、ランデル家の女中となっていた。あの日、ランデル将軍の率いる軍に滅ぼされた山岳民族の生き残り……慈悲によりランデル家に引き取られ、女中として使えることになった娘……それがわたしであるらしい。
バンティ・マインドと呼ばれている。マインド山から来たバンティという、おざなりの名前だ。エマであったはずのわたしはもうどこにもいない。
驚いた顔と、観念した顔。ルースの二つの顔が目まぐるしく入れ替わる。それが、エマであったわたしの最後の記憶だった。
わたしが薬草を届けることがかなわなかった母は、ついに帰らぬ人となってしまった。おそらく、山に入ったわたしが戻らなかった痛苦が重なったこともあったにちがいない。それはわたしの痛恨だった。
父もがっくりしてしまったか、程なく後を追うように他界したそうだ。すると妹のエミリアは、独り残されてしまったのか。
ああ、もっとエミリアをかわいがっておくのだった。母のことがあったので、ついつい父もわたしも、エミリアをかまってやれなかったと悔やまれる。かわいそうなエミリア……何とか幸せになってくれればよいが……
しかしわたしは耳を疑った。あろうことかそのエミリアが、ランデル家に嫁いでくるのだという。あのルースが夫だなんて、不幸以外の何物でもないではないか。
エマとしての人生は消えてしまったが、わたしがこのランデル家に女中として仕えることになったのは、神様の思し召しなのかもしれない。いや、きっとそうだ。
何としてもエミリアを守ってやらねばならない。わたしはそう強く誓った。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
7
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる