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私はただの使用人です!!

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『……リーナ……サリーナ』


私に向けて手を差し伸べてくれる、幼い男の子。


──ああ、これは夢だ。


彼の幼い頃の姿を見た瞬間、私は直感的にそう思った。


『僕はデュアン・ラミレス。これからよろしくね、サリーナ』

『よろしく……お願いします…!』


天使のように優しい笑顔を浮かべるデュアン様。

これが、私の初恋だった──。











私の1日は、メイド服を着ることから始まる。

他の使用人の子たちと今日の予定を確認し合って、それぞれの割り当てられた仕事をこなしていく。

ちなみに、私は旦那様付きの侍女だから、旦那様のご命令があるまでは、部屋の近くで待機している。


「サリーナ、今日も朝から早いな」

「旦那様、おはようございます」


私が侍女として挨拶をすると、いつものように、少しだけ寂しそうに旦那様は微笑んだ。

私がラミレス公爵家の養子としてこの屋敷にやってきたのは、ちょうど10年前、私が7歳の時だ。

原因は、私の実父のベネット伯爵と、伯爵の妻で私の実母であるベネット夫人が、馬車に乗っている最中に、崖から落ちて亡くなってしまったことだ。

その際、身寄りのいなかった私は、ベネット伯爵とは旧知の中だった、ラミレス公爵(旦那様)に、娘として引き取られることになったのだ。

でも、デュアン様に一目惚れし、どうしても妹にだけはなりたくなかった私は、2年後の9歳になった年に、恩返しをしたいという理由で、旦那様に使用人として働きたいと直談判をして、現在に至るわけである。

私が伯爵家の娘で、養子として公爵家に引き取られたことは、旦那様とデュアン様と、この屋敷で働いて30年以上になる執事のバーンズさんしか知らない。


「では今日は、街へ視察に行ってくるから、ついてきてくれないかな」

「かしこまりました」


そう短く答えると、旦那様にペコリと頭を下げて、外行きのメイド服に着替えるために自分の部屋まで続く廊下を歩き出した。

すると、突然に。


「……サリーナ」


もう何年も間近で聞いてきなかった、それでもすぐにわかる優しい声で、自分の名前が呼ばれた。

振り向いて姿を確認する前に、反射的にその人物の名を呟いた。


「デュアン…様……」


愛しい人の名前を呟きながら、泣きそうになってしまった。

しかし、ぐっと拳を握ると、最初からその表情であったかのように、上品な笑顔を浮かべた。


「何か、ご用ですか?」


デュアン様は、私が侍女になってから、話しかけてくれる回数が減った。

最近では、遠くの方で少し見かけることでさえ、年に数回程度になってしまった。

まともな会話どころか、ちゃんとデュアン様の姿を見るのも何年ぶりだろうか。

初めて会った時は本当に天使かと思うほど愛らしい容姿をしていたが、19歳にもなると、そこに男らしさが加わり、幼い頃よりも見ているとドキドキした。

やっぱり、デュアン様はかっこいい。

しばらく黙っていたデュアン様だったけど、意を決したように口を開いた。


「あのさ、聞きたいことがあるんだ」

「はい、なんでしょう」

「……サリーナ、君は、恋人はいる?」

「………………は?」


キミハ、コイビトハイル?

聞かれた質問の意味が意味がわからず、脳内ではカタカナに変換されてしまった。

そして、使用人としてあるまじき返答をしてしまった。


「ええと……お恥ずかしながら、生まれてこのかた、恋人がいたことは1度もありません」


私はデュアン様一筋ですから、と心の中で付け足す。

だからと言って、彼にアピールをしようとしているわけではないし、彼との結婚を望んでいるわけでもない。

あくまでもひっそりこっそり、デュアン様のことを想い、この恋心が完全に冷め切ってしまうまでは、誰とも付き合わないとと心に決めていた。

しかし、10年経った今でもデュアン様への恋心は健在で、むしろどんどん増していっている気がする。

私のこの答えを聞いた瞬間、デュアン様はニヤリと笑った。

それは、私が初めて見るデュアン様の表情で、ドキン、と私の心臓が大きく高鳴った。

そして、デュアン様は私の近くまで来ると、その場にひざまずき、ごくごく自然に私の手を取った。

あまりに自然すぎて、驚くタイミングを失ってしまった程だ。


「あ、あの…デュアン様……?」


これは一体?と目で訴える。

しかし、デュアン様はそんな私の疑問を瞬時に吹き飛ばしてしまうくらい、熱のこもった瞳で私を見上げ、甘さを含んだ声で私の名前を呼び……。


「サリーナ、どうか俺と結婚してほしい」


オレトケッコンシテホシイ?

またもや脳内でカタカナに変換される。

Whatワッツ???

それ、一体どういう意味ですか?

頭にハテナが飛び交っている私の様子を察したのか、デュアン様が真剣な表情でもう一度言った。


「サリーナ、俺と結婚してほしい。そして、ずっと俺の傍にいてほしいんた」

「──っ!!」


かなり近い距離で顔を覗き込まれて、頬がどんどん赤くなる。

体温が急上昇しているのが自分でもわかった。


(これは……朝の夢の続きなの?)


9割以上がお花畑になってしまった頭で必死に考える。

しかし、僅かに残っていた私の冷静な部分が、これは現実であることを一生懸命伝えてくる。


「……し、しかし、私は使用人の立場です。デュアン様に釣り合うとは、到底思えません」


痛む胸を無視して、デュアン様に伝える。

しかし、そんな私の返事を予想していたかのように、デュアン様が私の手をキュッと握る。


「──!」


すぐに、その部分が熱を帯びた。


「君は、元は伯爵令嬢なんだ。身分だけで見れば、十分釣り合っている。それに、周りを認めさせるためだけに、この数年、様々な勲章を獲得していったんだ」

「……へ?」

私と結婚するためだけに?

何だか、今の発言はちょっとだけ危険だった気がして、思わず聞こえなかったフリをした。


「…………構いませんよね、父上」

「え?……だ、旦那様!?あの、これは……」


視察へ行く準備の整った旦那様が、私とデュアン様を厳しい目つきで見つめていた。

ど、どうしよう!?

早くこの場をしのがないと、最悪、デュアン様が使用人に気まぐれで結婚を申し込んだとして、勘当などになってしまうかもしれない。

私の身がどうなるかよりも、デュアン様が咎められる方が、何倍も辛い。


(もうこの際、私がデュアン様に勝手にまとわりついたことにして……)


しかし、旦那様は私が予想したどれとも違う発言をした。


「ちゃんと幸せにできるのか?」


…………ん?

焦っていて最初は気づけなかったけど、旦那様の厳しい視線は、全てデュアン様に向けられていた。


(ええっと、本当にどういうこと!?)


状況を読み込めない私は、オロオロと2人の様子を見ていたけれど、ついには耐えきれなくなって、つい口出しをしてしまった。


「あの、旦那様、デュアン様は何も悪くはありません!全ては私の責任です!罰ならどうか、私だけに与えてください!」

「サリーナ……」


デュアン様が私の名前を小さく呟いた。

そして、デュアン様はしっかりと旦那様に向き直る。


「サリーナを、必ず幸せにしてみせます」


相当の覚悟を決めていないとできない声で、目で、旦那様に訴えかけた。

するとその瞬間、旦那様の表情は穏やかなものになり、次第に満面の笑みになった。


「──おめでとう、デュアン、サリーナ。2人とも、私の自慢の息子と娘だ」


旦那様の声に、私の目からポロリと1粒の涙が零れた。

思えば、当時働いていた侍女や執事が賛成する中、私が使用人として働くことに1番最後まで反対したのは旦那様だった。

私が使用人になっていたこの8年間も、ずっと家族だと思ってくれていたことが、私にとって純粋に嬉しかった。

すると……。


「「「おめでとうございます、デュアン様、サリーナ様!!」」」

「み、みんな!?」


そこには、ラミレス公爵家に仕える侍女や執事のみんながいた。

まるで、この事を知っていたかのようにお祝いの言葉を言ってくれた。

その中には、長年執事を務めてきたバーンズさんもいる。


「……て、みんな知っていたんですか!?」


私がバーンズさんに驚きながら問いかけると……。


「ええ。デュアン様がサリーナ様のことを、みなにお話したのです」

「デュアン様が……?」


私がデュアン様を見上げると、心なしかデュアン様は真っ黒い笑顔を浮かべて……。


「もし父上が結婚を反対した時に、暴動を起こすための仲間を増やすためにね。あとは、サリーナは俺のものだと、執事たちに知らしめるためさ」


デュアン様の言葉に、何人かの執事のみんながビクッと肩を震わせる。

……どうしたんだろう?


「ということで、無事に父上の許しも得たことだし…………サリーナ」

「はっ、はいっ!」

「改めて、俺と結婚していただけますか?」

「……はいっ!!」


私が大きく頷いて、デュアン様を見つめると、デュアン様も同じように幸せそうな顔をして、私の額にデュアン様の額をくっつけた。


「デュアン様、大好きです」

「俺も大好きだ、サリーナ」




出会ってから、ちょうど10年目の今日。

私はやっと、デュアン様に想いを伝えることができた。

これまで、何度も諦めようとしたし、正直、デュアン様のことが嫌いになりそうな時もあった。

この感情を抱いていることで、傷つくことも何回もあった。

……それでも、デュアン様への想いを捨てきることなんか、できなかった。

でも、今日のこの時この瞬間。

私は、人生で1番、最高の瞬間だった。









──もし、あなたが恋に傷ついて、疲れ果ててしまった時や、その恋をしたことを、後悔している時。


思い出してみてください。


自分が、恋心でキラキラと輝いていた、その瞬間を。


きっと、恋をしてよかったと、そう思えるはずです。


どうか、どうか、自分が恋をしていたという事実をずっと、大切にしてください──。



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