金曜の夜、駅前に座る少年は彼女たちを癒しているのかもしれない

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水沢 美園

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翌日は最悪だった。
DMを見てからずっと、大学時代の嫌な思い出が頭から離れなくなってしまい、木曜日は1日中仕事が手につかなかった。
「大丈夫ですか?」
なんて後輩にまで心配されるほどに。

来週に仕事を持ち越したくなかった私は、いつもはほぼ定時に帰る金曜日にめずらしく残業した。
「はぁ・・・だめだな・・・」
2時間近く残業しても終わらせることができず、結局来週に持ち越して疲れ切った心を引きずるように会社を出た。

「駅、ついた・・・」
アパートのある町田駅の改札を出ても、心が晴れることはなかった。
いつもの週末なら多少の開放感はあるのに・・・
乗換客と一緒に広い通路を歩いていくと、どこからかピアノらしき音が聞こえてきた。
「えっ・・・」
それは真奈ちゃんとの思い出の曲だった。

思い出の曲だとはっきりわかった瞬間から、私はそこを動けなくなってしまった。そして私の視線は、演奏を続けるピアニストに固定されてしまった。
「・・・男の子?」
髪の毛はショートボブくらいの長さだろうか。
男性というにはまだ華奢な体つきの高校生くらいだろうその男の子は、体型に似合わない力強さで私たちの思い出の曲を弾いていた。
「まな、ちゃん・・・」
気づくと私の口がそう呟いていた。
しばらくすると激しかった曲が終わり、少し間を置いて次の曲を弾き始めた。
どこかで聴いたことがあるような、静かな優しい曲だった。
「そ、奏!その曲、今日のCDに入ってないわよ!」
ピアノの隣に座っていた美しい顔立ちの男性が立ち上がり、ピアニストに向かって訴えかけた。よく見ると、近くの高校の制服を着ていた。
が、当のピアニストはそんなことお構いなしに、淡々と演奏を続けてゆく。
「この曲って?」
諦めて座った男性に、さらにその隣にいた制服の女の子が話しかけた。
「ドビュッシーの『月の光』よ」

『月の光』って言うんだ・・・
ゆっくりとした柔らかなメロディーが通路に響く。

「月、見えてきそう・・・」
どうやら曲順のことなど気にしていない女の子は、柔らかな音色を聴きながらうっとりした顔でピアニストを見つめていた。
間に挟まれる形なにった男性は、その視線にも苛ついているようだ。
やがて「月の光」が終わり、また一呼吸おいて次の演奏が始まると、美しい男性はほっとため息をついた。
「この曲、きらきら・・・」
そう、私はこの曲をよく知っている。
「5番」と真奈ちゃんが教えてくれた、私が大好きだった曲。
5曲目だから5番。
ずいぶん安直な名前をつけるものだなと、当時の私は思った。
こんなにキラキラして綺麗な曲なのに・・・
いつからか私たちの間では、この曲を「きらきら」と呼ぶようになった。

それからも思い出の曲ばかり続き、結局、演奏が終わるまで動くことができなかった。
女の子が片付け始めるのを見てふと我に帰った私は、まだ座ったままの男性の方にゆっくりと近づいて行った。
彼の前にはテーブルがあり、そこにはCDらしきプラスチックのケースと、小さな黒板があった。
黒板には
CD「Chopin Etudes Op10」 ¥1000
Op10-1
Op10-2
・・・
OP10-12
と書かれていた。

「あ、あのすいません。このCDのタイトルって・・・」
私は、不思議に女性のような美しさを感じさせる男性に話しかけた。
「ショパンのエチュードって言うの。今日演奏してた曲よ。一曲だけ別のが混ざり込んだけど」
言いながら、彼はまたピアニストをひと睨みした。
「それ以外の曲は、このCDに入ってるわ」
「さっき『月の光』って言った後に弾いてた曲も入ってますか?」
「あら聞こえてたの?月の光の次なら・・・これよ」
美少年はCDケースを裏返して、Op10-5と書かれたところを指差した。
「『黒鍵』なんて呼ばれたりもしてるわね。お気に召したかしら?」 
どことなく気品を感じさせる口調だった。
「はい。一枚下さい」
「じゃあ1000円ね・・・ありがとう」
涼やかな目で見つめられた私は、なぜだか慌ててお財布から1000円札を取り出し、彼に渡した。
「い、いえ、こちらこそ!」
年下の男の子相手に何舞い上がってるの、私!
「毎週金曜日の9時過ぎにここでやってるから、よかったらまた聴きに来て」
またも流し目。まるでホストのよう・・・
「は、はい」
私は頬が熱くなるのを感じながら、足早にその場を離れた。
「なんで智さんがファン増やしてんですか!」
遠くで女の子の声が聞こえた・・・
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