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水沢 美園
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「朝・・・」
最悪の目覚めだった。
ずっと忘れようとしていたはずのことを鮮明な夢で見た朝。
私の心は昨日より重くなった。
なのに私は、朝から思い出の曲たちを聴き続けている。
思い出したくないはずだし、聴きたくもないはず・・・なのに止められなかった。
その週末は、最低限の家事をしただけで終わってしまった。
招待状とエチュード。
この2つのおかげで、私は真奈ちゃんとの辛い思い出にとらわれてしまった。
今までずっと思い出さずにいられたのに・・・
たくさんあるはずの楽しかった思い出はなりをひそめ、ことあるごとにあの悲しそうな目が私の心に浮かんでくる。
結局週明けからも能率は上がらず、しまいには上司にまで心配されながら毎日のように残業をして、なんとか週末を迎えたのだった。
「今週も遅くなっちゃったな・・・」
金曜日の夜9時過ぎ。
今週はなんとかやるべき仕事をやり終えた後、くたくたになりながら町田駅で電車を降りた。
改札を出るとまたピアノの音色が聞こえてきた。
「あっ・・・」
そしてまた真奈ちゃんとの思い出の曲だった。
一週間ですっかり慣れてしまった重たい気持ちのまま小さな黒板を見ると
CD「Chopin Etudes Op25 & 3 Nouvelles Etudes」¥1000
と書かれていた。
「これもエチュードだったんだ・・・」
今週は余計な曲は入らず、聞き覚えのある曲たちが次々に奏でられてゆく。
「・・・真奈ちゃんが一番好きだって言っていた曲」
静かでゆっくりとした単音のメロディから始まったその曲は、
一瞬の静寂の後、激しく物悲しいメロディーを奏でていった。
当時の私には、中学生の女の子が好きになる曲とは思えなかった。
「あれ?これで終わりじゃ・・・」
だんだん思い出しつつある私の記憶では、真奈ちゃんの曲のあとにもう一曲激しい曲があって終わりのはずだった。
でもその後も3曲続いた。
手放しに「明るい」というほどではないが、少し心が落ち着くような柔らかな曲で、その日の演奏は終わった。それは私の知らない曲だった。
「最後の曲もエチュードなんですか?」
気づくと私はまた、流し目の美少年に話しかけていた。
「?あら、先週の。また聴いてくれたの?」
「はい、今週も残業でこの時間になったものですから」
「そう、社会人って大変なのね・・・最後の3曲もエチュードよ。『新練習曲』って呼ばれてるわ」
「そうなんですか。悲しいまま終わらなくてよかったです」
「言われてみるとそうね。25の最後ってちょっと辛い感じよね。ねえ奏!あんた、それ考えて3曲も追加したの?」
奏さんと呼ばれたピアニストは、先週と同じように椅子に座ったまま、こくんとうなずいた。
「そうなの。この子ね、水曜日にいきなり3曲追加するとか言ってきたのよ。こっちは焼くのも印刷も終わってたっていうのに。おかげで全部作り直し」
と少年は呆れ顔でピアニストを見たが、その表情さえも美しく感じられた。
「大変なんですね」
「でも、そんなこと全然知らないお客様に『よかった』って言ってもらえるなら、苦労した甲斐もあったってものよ」
と言いながら、智さんがウィンクした。
「今日はどうするの?」
思わぬウィンクに私が動揺しているなんてまるで気づかないように、彼は尋ねてきた。
「買い、ます」
結局先週と同じように、慌てながら彼に1000円札を手渡した。
「ありがとう。またお願いね。
そうだ!CDの裏にメールアドレスあるでしょ?」
言われて裏返すと、確かに小さく書かれていた。
「2回以上買ってくれたお客様限定なんだけど、リクエストも受け付けてるの。だからあなたも何かの記念日とかあったら連絡ちょうだい。この時間にここで演奏するから」
「そうなんですか・・・機会があったら」
「ええ。来週もやるから、よかったらまた聴きに来て」
「はい、では」
私は会釈してその場を離れた。
最悪の目覚めだった。
ずっと忘れようとしていたはずのことを鮮明な夢で見た朝。
私の心は昨日より重くなった。
なのに私は、朝から思い出の曲たちを聴き続けている。
思い出したくないはずだし、聴きたくもないはず・・・なのに止められなかった。
その週末は、最低限の家事をしただけで終わってしまった。
招待状とエチュード。
この2つのおかげで、私は真奈ちゃんとの辛い思い出にとらわれてしまった。
今までずっと思い出さずにいられたのに・・・
たくさんあるはずの楽しかった思い出はなりをひそめ、ことあるごとにあの悲しそうな目が私の心に浮かんでくる。
結局週明けからも能率は上がらず、しまいには上司にまで心配されながら毎日のように残業をして、なんとか週末を迎えたのだった。
「今週も遅くなっちゃったな・・・」
金曜日の夜9時過ぎ。
今週はなんとかやるべき仕事をやり終えた後、くたくたになりながら町田駅で電車を降りた。
改札を出るとまたピアノの音色が聞こえてきた。
「あっ・・・」
そしてまた真奈ちゃんとの思い出の曲だった。
一週間ですっかり慣れてしまった重たい気持ちのまま小さな黒板を見ると
CD「Chopin Etudes Op25 & 3 Nouvelles Etudes」¥1000
と書かれていた。
「これもエチュードだったんだ・・・」
今週は余計な曲は入らず、聞き覚えのある曲たちが次々に奏でられてゆく。
「・・・真奈ちゃんが一番好きだって言っていた曲」
静かでゆっくりとした単音のメロディから始まったその曲は、
一瞬の静寂の後、激しく物悲しいメロディーを奏でていった。
当時の私には、中学生の女の子が好きになる曲とは思えなかった。
「あれ?これで終わりじゃ・・・」
だんだん思い出しつつある私の記憶では、真奈ちゃんの曲のあとにもう一曲激しい曲があって終わりのはずだった。
でもその後も3曲続いた。
手放しに「明るい」というほどではないが、少し心が落ち着くような柔らかな曲で、その日の演奏は終わった。それは私の知らない曲だった。
「最後の曲もエチュードなんですか?」
気づくと私はまた、流し目の美少年に話しかけていた。
「?あら、先週の。また聴いてくれたの?」
「はい、今週も残業でこの時間になったものですから」
「そう、社会人って大変なのね・・・最後の3曲もエチュードよ。『新練習曲』って呼ばれてるわ」
「そうなんですか。悲しいまま終わらなくてよかったです」
「言われてみるとそうね。25の最後ってちょっと辛い感じよね。ねえ奏!あんた、それ考えて3曲も追加したの?」
奏さんと呼ばれたピアニストは、先週と同じように椅子に座ったまま、こくんとうなずいた。
「そうなの。この子ね、水曜日にいきなり3曲追加するとか言ってきたのよ。こっちは焼くのも印刷も終わってたっていうのに。おかげで全部作り直し」
と少年は呆れ顔でピアニストを見たが、その表情さえも美しく感じられた。
「大変なんですね」
「でも、そんなこと全然知らないお客様に『よかった』って言ってもらえるなら、苦労した甲斐もあったってものよ」
と言いながら、智さんがウィンクした。
「今日はどうするの?」
思わぬウィンクに私が動揺しているなんてまるで気づかないように、彼は尋ねてきた。
「買い、ます」
結局先週と同じように、慌てながら彼に1000円札を手渡した。
「ありがとう。またお願いね。
そうだ!CDの裏にメールアドレスあるでしょ?」
言われて裏返すと、確かに小さく書かれていた。
「2回以上買ってくれたお客様限定なんだけど、リクエストも受け付けてるの。だからあなたも何かの記念日とかあったら連絡ちょうだい。この時間にここで演奏するから」
「そうなんですか・・・機会があったら」
「ええ。来週もやるから、よかったらまた聴きに来て」
「はい、では」
私は会釈してその場を離れた。
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