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大学
第54話
アーク連環の国籍付与。それが実行されれば、ヒノモトの一市民が「不可侵の外交特権」を持つ存在へと変貌する。
が、それ自体は最悪の事態ではない。外交上の力関係を抜きにしても、ヒノモトが干渉できる問題ではないのだから。
だが――その『アーク連環への国籍移動者』という前例が、よりによってヒノモトから、世界で初めて生まれてしまうこと。それだけは、何としても避けねばならなかった。
国籍変更についてはアーク連環との合意によって、まず当人による所属国への申請、その後アーク連環による承認、と手順を踏むこととなっているが、合理的な理由がなければ申請を不受理にはできない。
世界初の前例を作りたくない、という理由による不受理をアーク連環が認めるかと言えば、非常に厳しいと言わざるを得ない。
もっともらしい理由をつけたところで、彼らに嘘やごまかしは通用しないのだ。
アーク連環側が国籍変更に前向きな今回のケースでは、当人から申請が出ればほぼ確実に実現してしまうだろう。
(……他国で前例さえあれば、我々も『国際社会の趨勢』として追随できるものを……何故、最初がよりによって我が国なのだ!)
大臣は、内側に渦巻く憤りと焦燥を必死に押し殺した。
ここでもし本当に彼に国籍が付与されれば、ヒノモトは国際社会において「勝手に防波堤を崩した国」として、凄まじい政治的追及を受けることになる。
ヒノモトの落ち度ではない、不可抗力だという釈明はできるだろう。だが、たとえ理屈で他国が理解を示したとしても、それは「理解」であって「容認」ではない。
一度でもアーク連環への国籍変更という穴を空けてしまえば、以後、国際会議の場で永遠に引き合いに出され続けてしまう。
「リリス様、それは……あまりに前例が過ぎます。どうか、それだけは……」
「あら? それはアーク連環に対する内政干渉ではないのかしら?」
リリスは冷たい笑みを湛えたまま、突きつけた通知書を指先で叩いた。
「お分かり? お互いに相手の都合を考えず主権を行使すれば、結果はこうなる。
それをどうにかして回避するのが、外交担当たるあなたの責務でしょう?」
「なるほど……本来、国籍を付与するというのは我々に確認の必要のないことですからな。
それをわざわざここへ持ってきたということは、条件次第では国籍付与を用いない、と」
「その通りよ。ヒノモトのルールを曲げろとは言わない。どうぞ、彼への課税を決定なさい。
事実確認も、税額の算定も、すべて通常の手続き通りに進めればいい」
「課税を……認める、と仰るのですか?」
「ええ。ただ、『徴収』ができるかどうかは別の話。私はそう理解している」
つまり――
『課税は決定し、手続きも正当である。
ただし当該課税については、徴収に至る各段階で重大な外交上の支障が想定され、現時点では法執行の前提条件が成立していない。
ゆえに、徴収は事実上不可能、もしくは無期限の保留と判断される』
要は外交上の配慮という、今までに何度も行なってきた形で処理しろということだ。
この形であれば、ヒノモトは「特別な前例」を作らずに済む。
書類上はあくまで「通常の案件」として処理しつつ、実務上は「触れてはいけない案件」として棚上げすればいい。
「……なるほど。課税は行うが、徴収は行わない。いえ、『できない』という扱い……ですか」
「理解が早くて助かるわ。課税の記録が残れば、あなたたちの面目も立つでしょう?」
「……」
言葉を選ぶ時間も、逃げ道も、最初から用意されていない。
椅子の背に伝う冷たい感触だけが、現実だった。
「わかりました……。外務省より国税庁に対し、本件については『外交上の配慮を要する事情』により、実務上の執行条件が整わない旨を強く申し入れます。
……これが、ヒノモト政府としてできる最大限の対応です」
「結構よ。……賢明な判断に感謝するわ」
リリスは優雅に会釈を返すと、音もなく身を翻した。
彼女が去った後、大臣はしばらくの間、今までの出来事を反芻していた。
漆原玖朗――アーク連環が、そこまでして守ろうとする人間だと?
「いったい……何者なのだ、この青年は」
が、それ自体は最悪の事態ではない。外交上の力関係を抜きにしても、ヒノモトが干渉できる問題ではないのだから。
だが――その『アーク連環への国籍移動者』という前例が、よりによってヒノモトから、世界で初めて生まれてしまうこと。それだけは、何としても避けねばならなかった。
国籍変更についてはアーク連環との合意によって、まず当人による所属国への申請、その後アーク連環による承認、と手順を踏むこととなっているが、合理的な理由がなければ申請を不受理にはできない。
世界初の前例を作りたくない、という理由による不受理をアーク連環が認めるかと言えば、非常に厳しいと言わざるを得ない。
もっともらしい理由をつけたところで、彼らに嘘やごまかしは通用しないのだ。
アーク連環側が国籍変更に前向きな今回のケースでは、当人から申請が出ればほぼ確実に実現してしまうだろう。
(……他国で前例さえあれば、我々も『国際社会の趨勢』として追随できるものを……何故、最初がよりによって我が国なのだ!)
大臣は、内側に渦巻く憤りと焦燥を必死に押し殺した。
ここでもし本当に彼に国籍が付与されれば、ヒノモトは国際社会において「勝手に防波堤を崩した国」として、凄まじい政治的追及を受けることになる。
ヒノモトの落ち度ではない、不可抗力だという釈明はできるだろう。だが、たとえ理屈で他国が理解を示したとしても、それは「理解」であって「容認」ではない。
一度でもアーク連環への国籍変更という穴を空けてしまえば、以後、国際会議の場で永遠に引き合いに出され続けてしまう。
「リリス様、それは……あまりに前例が過ぎます。どうか、それだけは……」
「あら? それはアーク連環に対する内政干渉ではないのかしら?」
リリスは冷たい笑みを湛えたまま、突きつけた通知書を指先で叩いた。
「お分かり? お互いに相手の都合を考えず主権を行使すれば、結果はこうなる。
それをどうにかして回避するのが、外交担当たるあなたの責務でしょう?」
「なるほど……本来、国籍を付与するというのは我々に確認の必要のないことですからな。
それをわざわざここへ持ってきたということは、条件次第では国籍付与を用いない、と」
「その通りよ。ヒノモトのルールを曲げろとは言わない。どうぞ、彼への課税を決定なさい。
事実確認も、税額の算定も、すべて通常の手続き通りに進めればいい」
「課税を……認める、と仰るのですか?」
「ええ。ただ、『徴収』ができるかどうかは別の話。私はそう理解している」
つまり――
『課税は決定し、手続きも正当である。
ただし当該課税については、徴収に至る各段階で重大な外交上の支障が想定され、現時点では法執行の前提条件が成立していない。
ゆえに、徴収は事実上不可能、もしくは無期限の保留と判断される』
要は外交上の配慮という、今までに何度も行なってきた形で処理しろということだ。
この形であれば、ヒノモトは「特別な前例」を作らずに済む。
書類上はあくまで「通常の案件」として処理しつつ、実務上は「触れてはいけない案件」として棚上げすればいい。
「……なるほど。課税は行うが、徴収は行わない。いえ、『できない』という扱い……ですか」
「理解が早くて助かるわ。課税の記録が残れば、あなたたちの面目も立つでしょう?」
「……」
言葉を選ぶ時間も、逃げ道も、最初から用意されていない。
椅子の背に伝う冷たい感触だけが、現実だった。
「わかりました……。外務省より国税庁に対し、本件については『外交上の配慮を要する事情』により、実務上の執行条件が整わない旨を強く申し入れます。
……これが、ヒノモト政府としてできる最大限の対応です」
「結構よ。……賢明な判断に感謝するわ」
リリスは優雅に会釈を返すと、音もなく身を翻した。
彼女が去った後、大臣はしばらくの間、今までの出来事を反芻していた。
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