3 / 15
執着心と独占欲
しおりを挟む高校生になってから初の夏休み。
連日の猛暑のせいで外出する気力をなくしていた翼と翠は、冷房の効いたリビングで揃ってだらけていた。
流行りのテレビゲームを翠がプレイし、翼がその画面を眺めながら茶々を入れる。そんないつもの日常を過ごす中、隣から噎せ返るような匂いが漂ってきたのは本当に突然だった。
「……翠?」
「っ、こんな、急にくるんだ……っ」
手にしていたコントローラーを落としながら、翠が荒い息を吐く。衝動に耐えるため体を丸める兄を横目に、翼は迷うことなくソファから立ち上がり足早にその場を離れた。キッチンにある発情用の抑制剤を用意するためだ。
翠がΩであることを、家族は全員知っている。同様に、翼がαであることも。
番っていないαがヒート中のΩと同じ空間にいれば、身内であろうと関係なく、発情を誘発されてΩを襲ってしまう可能性が高くなる。そのため、いつかくる発情期に備え、抑制剤の置き場はあらかじめ家族全員に周知されていた。
(間違いで噛むわけにはいかねぇ)
それは、翠にΩであることを告げられてから抱え続けている思いだ。
この国では、第二の性の確認検査を必ず小学校卒業までに行うことが義務付けられており、結果は本人に直接通達される仕組みだ。
また、成人するまでは、己のバース性を告げないことで生活に支障が出る相手──要するに家族などの同居人──以外には公表しないよう国から推奨されており、翼たちもそのように教育されていた。
だから、友人同士であろうと互いのバース性は把握していない。知っているのは家族だけだ。
そもそも、効果が高く副作用の少ない抑制剤が安価で出回っている昨今、プライバシーの極みである自分のバース性を意味もなく声高に触れ回る者はほとんどいなかった。薬のおかげで、社会に迷惑をかけずβと同じように暮らしていけるのだ。わざわざ不特定多数に明かす意味がない。
けれど、αやΩであるという自分ではどうしようもない生まれを、隠さなければならないものとして扱うように指導されているわけでもなかった。バース性の違いにより差別が起こらないよう、法整備も進んでいる。
一番わかりやすい例は、Ωに対するヒート休暇だ。Ωであることを会社や学校に申告しておけば、ヒート期間の欠勤欠席は特別休暇扱いとなる。また、番った相手がいる場合はパートナーのαにも適用されるため、あらかじめ登録しておく番たちも多かった。
だが、隠したい人のために、申告をしない自由も与えられている。様々な事情により、自分が特殊な体であることを秘匿したい人間も少なくはないのだ。
このように、第二の性の公表については完全に自己判断に委ねられており、制度を使ってより良いサービスを受けるも良し、秘めたままβのような日常を送るも良し、というスタンスで社会全体が落ち着いていた。
昔は不当に虐げられていたΩもいたようなので、母親や翠が生きづらい価値観が残っていない世の中で本当に良かった、としみじみ思う。真堂の一族が代々開発してきた薬の影響も大きいらしく、今もバース性による不便を減らそうと日夜仕事に励んでいる両親は、翼の自慢の家族だった。
しかし、世の中が良い方向に向かっていようと、多感で不安定な時期に第二の性を他者に知られることで起こる問題は昔から後を立たない。ならば、せめて本人の意向が固まる成人までは身内のみで留めておくほうが安全だという保護の観点から、今のように未成年は己のバース性を他人にみだりに教えない、という風潮になったらしい。
(自分たちだけの秘密だって、昔はわくわくしてたな。運命の番にも夢見てたし)
確認検査を受けるよりずっと前。小学校に上がるくらいの幼い自分を思い出し、翼はひっそりと苦笑を浮かべる。
運命としか呼べないほど強い魂の結びつきを感じるαとΩ──いわゆる運命の番として出会い結婚した両親の話を、お伽噺の読み聞かせのように毎日語られていた幼少期だった。幼心への影響は大きく、その希少な間柄に憧れを抱いていた時期もあったのだ。
物心ついた頃から、ずっと翠が好きだった。
きっかけは『自分の片割れで、けれど自分ではないもの』として兄を認識したことだ。
似ていない自分たちを見て、双子なのに、と不思議そうに首を傾げる大人が昔から多かった。もちろん、悪気があってのことではない。けれど、どこか残念がられていることは幼心にも察していた。
大多数の人間が思い浮かべる双子は、鏡で写したかのようにそっくりであるらしい。似ていない、と言われる度に両親が一卵性と二卵性の違いを説明していたから、なぜ自分と翠が同じ顔をしていないのかは理解していたが、他人がそれを惜しがる気持ちがわからなかった。
生まれる前から寄り添い、生まれた時から一緒にいる自分の片割れ。
違う顔、違う性格というだけで、彼は間違いなく翼の半身だった。この世で最も近しく、それでいて自分ではないとはっきりわかるからこそ、一番大切に思える存在。
お日様みたいに笑う翠は、翼には持ちえないものを沢山持っている。母親似の可愛らしい顔、朗らかで優しい性格、自分のほうがお兄ちゃんだからしっかりしないと、と何に対しても努力する姿勢。それら全てを一番近くで見て、感じて、いざとなればすぐに守ることができる双子という立場に、翼は心の底から喜んでいた。
多分これは、同じ繭の中で育ちながら、二卵性双生児として異なる遺伝子情報を持って生まれたがゆえの感情だ。
だから、もし自分と翠がαとΩで、父と母のように運命の番だったなら。似ていない双子であることこそが、唯一無二の絆で結ばれている証左になるのだとしたら。
第二の性の存在を知った翼がそう考えてしまったのは、仕方のないことだと思う。
しかも、成人するまでは自分たちだけの秘め事なのだ。もし、仮定が真実だったなら、これ以上に心躍る秘密はない。
けれど、幼い翼を興奮させたその夢想は、大きくなるにつれ不満に変わっていった。たとえ、本当に運命の番だったとしても、運命だから翠のことを好きになったとは思われたくなかったのだ。
『運命じゃなかったら、翼はおれのそばからいなくなる?』
いつだったか、翠がぽつりと零した言葉だ。これが決定打だった。
自分たちが運命の番だったら、両親のようにずっと一緒にいられる。絵本替わりの寝物語として語られる親たちの幸福な話を聞いて、幼い翼は単純にそう考えていた。
でも、自分たちは運命の番などではなく、それどころかαとΩでもなかったら?
『そんなわけない! なんであろうと、おれは翠の隣にいる。絶対に離れない!』
愚問だった。自分が何であろうと、翠が何であろうと、この片割れの手を離すつもりは一切ない。
即答した翼に対し、翠が嬉しそうにふにゃり、と頬をゆるませたのを覚えている。その、花がほころぶような笑顔を見た瞬間、自覚したのだ。
自分だけのものにしたい。
誰にも渡したくない。
そんな、家族愛とは到底呼べない独占欲を。
この贅沢な場所を誰にも譲りたくない。翠の隣は自分だけのものだ。そう強く願ったことが、今に至る執着の始まり。
血の繋がった兄弟とは結婚できないことを知った後も、近親相姦という単語を覚えた後も、この気持ちを消すことなどできなかった。色欲を自覚した時ですら、揺らぐことはなく。ああそうか、と納得すらしたのだ。
家族愛や兄弟愛と一緒に、恋心も育まれていただけだ。愛と名のつく感情全てに独占欲と執着心が付随し、恋心があるゆえに性欲もついてきた。
あらゆる感情が全て翠に注がれているだけのこと。全てを注ぐ存在が、自分の片割れだっただけのことだ。
だが、この言い分では納得してくれない者が大多数であることも知っている。
自分たちが世間から跡継ぎを求められている立場であること、同性であることは特に大きな問題ではない。そんなもの、どうとでもなる。
一番の問題は、血の繋がった兄弟であることだ。
近親相姦は罪ではないが、禁忌だ。あってはならないものとして扱われている。世間に知られればバッシングは避けられず、本来ならば忌避する類のものの一つ。
(だからなんだ、って思う俺のほうが狂ってるんだよな)
一応、これでも悩みはしたのだ。翼としては問題がなくとも世界にとってはそうではないという事実を、受け止めて噛み砕こうとした。無駄に終わったが。
何をしても絶対に消えない想いと世間の目を天秤にかけたら、迷う余地もなく前者のほうに傾いた。間違っていると断じられようと、心に確かに存在するものをどうやって、どこに捨てろというのか。
すでに、翼という人間を形成する芯のひとつとなっている想いだ。消すことなどできるはずがない。
そうやって、長年に亘り煮詰め続けた執着だ。今更、運命などという言葉で簡単に片付けられたくはなかった。だからこそ、運命の番に対する憧れはとうの昔に捨てている。
考えるべきは、これから直面する現実についてだ。
(俺はさして葛藤がなかったし、これは諦められないものだって割り切れたからまだいい)
きっと、しんどいのは翠のほうだ。
25
あなたにおすすめの小説
あなたと過ごせた日々は幸せでした
蒸しケーキ
BL
結婚から五年後、幸せな日々を過ごしていたシューン・トアは、突然義父に「息子と別れてやってくれ」と冷酷に告げられる。そんな言葉にシューンは、何一つ言い返せず、飲み込むしかなかった。そして、夫であるアインス・キールに離婚を切り出すが、アインスがそう簡単にシューンを手離す訳もなく......。
年下幼馴染アルファの執着〜なかったことにはさせない〜
ひなた翠
BL
一年ぶりの再会。
成長した年下αは、もう"子ども"じゃなかった――。
「海ちゃんから距離を置きたかったのに――」
23歳のΩ・遥は、幼馴染のα・海斗への片思いを諦めるため、一人暮らしを始めた。
モテる海斗が自分なんかを選ぶはずがない。
そう思って逃げ出したのに、ある日突然、18歳になった海斗が「大学のオープンキャンパスに行くから泊めて」と転がり込んできて――。
「俺はずっと好きだったし、離れる気ないけど」
「十八歳になるまで我慢してた」
「なんのためにここから通える大学を探してると思ってるの?」
年下αの、計画的で一途な執着に、逃げ場をなくしていく遥。
夏休み限定の同居は、甘い溺愛の日々――。
年下αの執着は、想像以上に深くて、甘くて、重い。
これは、"なかったこと"にはできない恋だった――。
流れる星、どうかお願い
ハル
BL
羽水 結弦(うすい ゆずる)
オメガで高校中退の彼は国内の財閥の一つ、羽水本家の次男、羽水要と番になって約8年
高層マンションに住み、気兼ねなくスーパーで買い物をして好きな料理を食べられる。同じ性の人からすれば恵まれた生活をしている彼
そんな彼が夜、空を眺めて流れ星に祈る願いはただ一つ
”要が幸せになりますように”
オメガバースの世界を舞台にしたアルファ×オメガ
王道な関係の二人が織りなすラブストーリーをお楽しみに!
一応、更新していきますが、修正が入ることは多いので
ちょっと読みづらくなったら申し訳ないですが
お付き合いください!
ヤンキーΩに愛の巣を用意した結果
SF
BL
アルファの高校生・雪政にはかわいいかわいい幼馴染がいる。オメガにして学校一のヤンキー・春太郎だ。雪政は猛アタックするもそっけなく対応される。
そこで雪政がひらめいたのは
「めちゃくちゃ居心地のいい巣を作れば俺のとこに居てくれるんじゃない?!」
アルファである雪政が巣作りの為に奮闘するが果たして……⁈
ちゃらんぽらん風紀委員長アルファ×パワー系ヤンキーオメガのハッピーなラブコメ!
※猫宮乾様主催 ●●バースアンソロジー寄稿作品です。
今日もBL営業カフェで働いています!?
卵丸
BL
ブラック企業の会社に嫌気がさして、退職した沢良宜 篤は給料が高い、男だけのカフェに面接を受けるが「腐男子ですか?」と聞かれて「腐男子ではない」と答えてしまい。改めて、説明文の「BLカフェ」と見てなかったので不採用と思っていたが次の日に採用通知が届き疑心暗鬼で初日バイトに向かうと、店長とBL営業をして腐女子のお客様を喜ばせて!?ノンケBL初心者のバイトと同性愛者の店長のノンケから始まるBLコメディ
※ 不定期更新です。
ウサギ獣人を毛嫌いしているオオカミ獣人後輩に、嘘をついたウサギ獣人オレ。大学時代後輩から逃げたのに、大人になって再会するなんて!?
灯璃
BL
ごく普通に大学に通う、宇佐木 寧(ねい)には、ひょんな事から懐いてくれる後輩がいた。
オオカミ獣人でアルファの、狼谷 凛旺(りおう)だ。
ーここは、普通に獣人が現代社会で暮らす世界ー
獣人の中でも、肉食と草食で格差があり、さらに男女以外の第二の性別、アルファ、ベータ、オメガがあった。オメガは男でもアルファの子が産めるのだが、そこそこ差別されていたのでベータだと言った方が楽だった。
そんな中で、肉食のオオカミ獣人の狼谷が、草食オメガのオレに懐いているのは、単にオレたちのオタク趣味が合ったからだった。
だが、こいつは、ウサギ獣人を毛嫌いしていて、よりにもよって、オレはウサギ獣人のオメガだった。
話が合うこいつと話をするのは楽しい。だから、学生生活の間だけ、なんとか隠しとおせば大丈夫だろう。
そんな風に簡単に思っていたからか、突然に発情期を迎えたオレは、自業自得の後悔をする羽目になるーー。
みたいな、大学篇と、その後の社会人編。
BL大賞ポイントいれて頂いた方々!ありがとうございました!!
※本編完結しました!お読みいただきありがとうございました!
※短編1本追加しました。これにて完結です!ありがとうございました!
旧題「ウサギ獣人が嫌いな、オオカミ獣人後輩を騙してしまった。ついでにオメガなのにベータと言ってしまったオレの、後悔」
幼馴染みのハイスペックαから離れようとしたら、Ωに転化するほどの愛を示されたβの話。
叶崎みお
BL
平凡なβに生まれた千秋には、顔も頭も運動神経もいいハイスペックなαの幼馴染みがいる。
幼馴染みというだけでその隣にいるのがいたたまれなくなり、距離をとろうとするのだが、完璧なαとして周りから期待を集める幼馴染みαは「失敗できないから練習に付き合って」と千秋を頼ってきた。
大事な幼馴染みの願いならと了承すれば、「まずキスの練習がしたい」と言い出して──。
幼馴染みαの執着により、βから転化し後天性Ωになる話です。両片想いのハピエンです。
他サイト様にも投稿しております。
断られるのが確定してるのに、ずっと好きだった相手と見合いすることになったΩの話。
叶崎みお
BL
ΩらしくないΩは、Ωが苦手なハイスペックαに恋をした。初めて恋をした相手と見合いをすることになり浮かれるΩだったが、αは見合いを断りたい様子で──。
オメガバース設定の話ですが、作中ではヒートしてません。両片想いのハピエンです。
他サイト様にも投稿しております。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる