双子の番は希う

西沢きさと

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執着心と独占欲

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 高校生になってから初の夏休み。
 連日の猛暑のせいで外出する気力をなくしていた翼と翠は、冷房の効いたリビングで揃ってだらけていた。
 流行りのテレビゲームを翠がプレイし、翼がその画面を眺めながら茶々を入れる。そんないつもの日常を過ごす中、隣から噎せ返るような匂いが漂ってきたのは本当に突然だった。

「……翠?」
「っ、こんな、急にくるんだ……っ」

 手にしていたコントローラーを落としながら、翠が荒い息を吐く。衝動に耐えるため体を丸める兄を横目に、翼は迷うことなくソファから立ち上がり足早にその場を離れた。キッチンにある発情用の抑制剤を用意するためだ。
 翠がΩであることを、家族は全員知っている。同様に、翼がαであることも。
 番っていないαがヒート中のΩと同じ空間にいれば、身内であろうと関係なく、発情を誘発されてΩを襲ってしまう可能性が高くなる。そのため、いつかくる発情期に備え、抑制剤の置き場はあらかじめ家族全員に周知されていた。

間違い・・・で噛むわけにはいかねぇ)

 それは、翠にΩであることを告げられてから抱え続けている思いだ。

 この国では、第二の性の確認検査を必ず小学校卒業までに行うことが義務付けられており、結果は本人に直接通達される仕組みだ。
 また、成人するまでは、己のバース性を告げないことで生活に支障が出る相手──要するに家族などの同居人──以外には公表しないよう国から推奨されており、翼たちもそのように教育されていた。
 だから、友人同士であろうと互いのバース性は把握していない。知っているのは家族だけだ。
 そもそも、効果が高く副作用の少ない抑制剤が安価で出回っている昨今、プライバシーの極みである自分のバース性を意味もなく声高に触れ回る者はほとんどいなかった。薬のおかげで、社会に迷惑をかけずβと同じように暮らしていけるのだ。わざわざ不特定多数に明かす意味がない。

 けれど、αやΩであるという自分ではどうしようもない生まれを、隠さなければならないものとして扱うように指導されているわけでもなかった。バース性の違いにより差別が起こらないよう、法整備も進んでいる。
 一番わかりやすい例は、Ωに対するヒート休暇だ。Ωであることを会社や学校に申告しておけば、ヒート期間の欠勤欠席は特別休暇扱いとなる。また、番った相手がいる場合はパートナーのαにも適用されるため、あらかじめ登録しておく番たちも多かった。

 だが、隠したい人のために、申告をしない自由も与えられている。様々な事情により、自分が特殊な体であることを秘匿したい人間も少なくはないのだ。

 このように、第二の性の公表については完全に自己判断に委ねられており、制度を使ってより良いサービスを受けるも良し、秘めたままβのような日常を送るも良し、というスタンスで社会全体が落ち着いていた。

 昔は不当に虐げられていたΩもいたようなので、母親や翠が生きづらい価値観が残っていない世の中で本当に良かった、としみじみ思う。真堂の一族が代々開発してきた薬の影響も大きいらしく、今もバース性による不便を減らそうと日夜仕事に励んでいる両親は、翼の自慢の家族だった。

 しかし、世の中が良い方向に向かっていようと、多感で不安定な時期に第二の性を他者に知られることで起こる問題は昔から後を立たない。ならば、せめて本人の意向が固まる成人までは身内のみで留めておくほうが安全だという保護の観点から、今のように未成年は己のバース性を他人にみだりに教えない、という風潮になったらしい。

(自分たちだけの秘密だって、昔はわくわくしてたな。運命の番にも夢見てたし)

 確認検査を受けるよりずっと前。小学校に上がるくらいの幼い自分を思い出し、翼はひっそりと苦笑を浮かべる。
 運命としか呼べないほど強い魂の結びつきを感じるαとΩ──いわゆる運命の番として出会い結婚した両親の話を、お伽噺の読み聞かせのように毎日語られていた幼少期だった。幼心への影響は大きく、その希少な間柄に憧れを抱いていた時期もあったのだ。

 物心ついた頃から、ずっと翠が好きだった。

 きっかけは『自分の片割れで、けれど自分ではないもの』として兄を認識したことだ。
 似ていない自分たちを見て、双子なのに、と不思議そうに首を傾げる大人が昔から多かった。もちろん、悪気があってのことではない。けれど、どこか残念がられていることは幼心にも察していた。
 大多数の人間が思い浮かべる双子は、鏡で写したかのようにそっくりであるらしい。似ていない、と言われる度に両親が一卵性と二卵性の違いを説明していたから、なぜ自分と翠が同じ顔をしていないのかは理解していたが、他人がそれを惜しがる気持ちがわからなかった。

 生まれる前から寄り添い、生まれた時から一緒にいる自分の片割れ。

 違う顔、違う性格というだけで、彼は間違いなく翼の半身だった。この世で最も近しく、それでいて自分ではないとはっきりわかるからこそ、一番大切に思える存在。
 お日様みたいに笑う翠は、翼には持ちえないものを沢山持っている。母親似の可愛らしい顔、朗らかで優しい性格、自分のほうがお兄ちゃんだからしっかりしないと、と何に対しても努力する姿勢。それら全てを一番近くで見て、感じて、いざとなればすぐに守ることができる双子という立場に、翼は心の底から喜んでいた。
 多分これは、同じ繭の中で育ちながら、二卵性双生児として異なる遺伝子情報を持って生まれたがゆえの感情だ。

 だから、もし自分と翠がαとΩで、父と母のように運命の番だったなら。似ていない双子であることこそが、唯一無二の絆で結ばれている証左になるのだとしたら。
 第二の性の存在を知った翼がそう考えてしまったのは、仕方のないことだと思う。
 しかも、成人するまでは自分たちだけの秘め事なのだ。もし、仮定が真実運命の番だったなら、これ以上に心躍る秘密はない。

 けれど、幼い翼を興奮させたその夢想は、大きくなるにつれ不満に変わっていった。たとえ、本当に運命の番だったとしても、運命だから翠のことを好きになったとは思われたくなかったのだ。

『運命じゃなかったら、翼はおれのそばからいなくなる?』

 いつだったか、翠がぽつりと零した言葉だ。これが決定打だった。
 自分たちが運命の番だったら、両親のようにずっと一緒にいられる。絵本替わりの寝物語として語られる親たちの幸福な話を聞いて、幼い翼は単純にそう考えていた。

 でも、自分たちは運命の番などではなく、それどころかαとΩでもなかったら?

『そんなわけない! なんであろうと、おれは翠の隣にいる。絶対に離れない!』

 愚問だった。自分が何であろうと、翠が何であろうと、この片割れの手を離すつもりは一切ない。
 即答した翼に対し、翠が嬉しそうにふにゃり、と頬をゆるませたのを覚えている。その、花がほころぶような笑顔を見た瞬間、自覚したのだ。

 自分だけのものにしたい。
 誰にも渡したくない。
 そんな、家族愛とは到底呼べない独占欲を。

 この贅沢な場所を誰にも譲りたくない。翠の隣は自分だけのものだ。そう強く願ったことが、今に至る執着の始まり。

 血の繋がった兄弟とは結婚できないことを知った後も、近親相姦という単語を覚えた後も、この気持ちを消すことなどできなかった。色欲を自覚した時ですら、揺らぐことはなく。ああそうか、と納得すらしたのだ。
 家族愛や兄弟愛と一緒に、恋心も育まれていただけだ。愛と名のつく感情全てに独占欲と執着心が付随し、恋心があるゆえに性欲もついてきた。

 あらゆる感情が全て翠に注がれているだけのこと。全てを注ぐ存在が、自分の片割れだっただけのことだ。

 だが、この言い分では納得してくれない者が大多数であることも知っている。
 自分たちが世間から跡継ぎを求められている立場であること、同性であることは特に大きな問題ではない。そんなもの、どうとでもなる。
 一番の問題は、血の繋がった兄弟であることだ。
 近親相姦は罪ではないが、禁忌だ。あってはならないものとして扱われている。世間に知られればバッシングは避けられず、本来ならば忌避する類のものの一つ。

(だからなんだ、って思う俺のほうが狂ってるんだよな)

 一応、これでも悩みはしたのだ。翼としては問題がなくとも世界にとってはそうではないという事実を、受け止めて噛み砕こうとした。無駄に終わったが。
 何をしても絶対に消えない想いと世間の目を天秤にかけたら、迷う余地もなく前者のほうに傾いた。間違っていると断じられようと、心に確かに存在するものをどうやって、どこに捨てろというのか。
 すでに、翼という人間を形成する芯のひとつとなっている想いだ。消すことなどできるはずがない。

 そうやって、長年に亘り煮詰め続けた執着だ。今更、運命などという言葉で簡単に片付けられたくはなかった。だからこそ、運命の番に対する憧れはとうの昔に捨てている。
 考えるべきは、これから直面する現実についてだ。

(俺はさして葛藤がなかったし、これは諦められないものだって割り切れたからまだいい)

 きっと、しんどいのは翠のほうだ。

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