双子の番は希う

西沢きさと

文字の大きさ
4 / 15

抑制剤

しおりを挟む

 見つめ続けてきた兄の瞳には、翼だけが映り続けていた。同じ熱量の視線が交わり、離れ、再び絡み合う。そんなことを日々繰り返しているのだから、双子のシンパシーなどなくても、どんな馬鹿でも気づくというもの。

 自分たちは結局ずっと、お互いのことしか見ていなかった。

(ほんと、よく我慢してるよな、俺)

 伸ばしかけて引っ込められた腕を、何度掴んでやろうと思ったことか。
 けれど、彼は常識を捨てられず、世間体を軽んじることができない。翼のようには割り切れない。
 勿論、翠自身の中に育っている社会性──禁忌への忌避感もあるのだと思う。だが、おそらくそれが理由ではない。きっと、耐えられないのだ。家族が世間にバッシングされることが。
 翼も、家族に害が及ぶことは避けたい。当たり前だ。けれど、ならば世間にバレないように動こうと思考を切り替えることはできる。しかし、翠にはそれが難しいのだ。どうしても、もし露見してしまったら、という恐れを拭うことができないでいる。
 それを臆病だと批難することはできなかった。寧ろ、当たり前の反応だろう。

 翠が双子の弟に恋焦がれ、葛藤し、結果なにも捨てられずに苦しんでいることを、そばで見てきた翼が一番よくわかっていた。だからこそ、兄を欲しがる己を押し留められている。

(なのに、勢いに任せた間違い・・・なんかで番になったら、翠が本気で絶望する)

 双子として生まれたから翠を好きになり、双子だからこそ兄に手を出せない。
 そのジレンマがひどく歯痒かった。

 せめて、翠が納得できるくらいの安心材料を確保してからでないと、捕まってはくれないだろう。せっかく、抑制剤という理性を保てる手段があるのだ。それが効いている内は、後先のない状況に追い込むことはしたくなかった。

(このまま番にならず、二人きりで生きて死ねれば、それが一番なんだろうけど)

 年老いてしまえば可能かもしれないが、現時点では現実味のない案でしかなかった。抱きたいという欲求を、どうしても捨てられない。そして、抱いてしまえば最後、最中の自分がうなじを噛まずにはいられないことを翼は自覚していた。きっと、欲に溺れて理性など弾け飛んでしまうから。
 だからこそ、キスすら仕掛けられなかった。
 一度でも翠に触れたら、ギリギリのところで保てている我慢など吹き飛んでしまう。箍が外れた自分に対する信頼は、ゼロだ。これまで抑え込んでいた欲望を暴走させこそすれ、すぐに制御できるようになるとは到底思えなかった。
 今のぬるま湯のような関係を維持するためには、うっかり理性を手放す可能性がある不用意な言動は慎むほうがいい。

(抑制剤があって、マジでよかった)

 翠への欲望とΩに対するαの本能。その両方を抑え込まなければならない翼にとって、片方を担ってくれる薬には感謝の念しかない。おかげで、なんとか理性が勝っている状態だった。

 日常使用の抑制剤は、バース性の特徴であるフェロモンの分泌を抑えるためのものだ。翼も翠も、第二の性が判明した時から欠かさず服用している。
 だが、発情したΩが発する強い誘惑フェロモンに対してはさすがに効き目が弱く、いま翼が取りに動いている発情時専用の抑制剤が必要となってくる。

 発情用の抑制剤は、現在認可されている抑制剤の中で最も強い効き目を発揮するものだ。Ω用だけでなく、α用も開発されている。万が一、Ωの発情期ヒートに当てられても、それをすぐに服用すればαの発情期ラットにならぬよう抑えてくれる優れものだった。日常用よりは副作用が出やすいというデメリットはあるが、望まぬ事故を防ぐための最適薬として使われている。

 発情用の抑制剤が出たおかげで、Ωのヒート期間も昔より短くなっていた。今では、番がいれば平均で一日、番のいない者でも二日から三日程度で症状が治まっている。
 その上、理性を失うほど増幅されるヒート中のセックス願望や誘惑フェロモンが格段に薄まるため、発情期のΩであっても外に繰り出し日常を送れるようになっていた。

(この薬がなきゃ、今もまだΩは苦労してたかもな)

 ただ、運命の番だけは例外で、抑制剤などなんの役にも立たないらしい。
 発情の際、そばに相手がいれば、どうしても求めずにはいられないのだという。研究者であり、自身も研究対象として治験に参加している母親が、困ったように笑っていた。

『絶対に無理なのよ。薬が効いてくれなくて。日数については他と同じように改善が見られるんだけど、欲求についてはもうほんと駄目』
『だが、これ以上効き目を強くすると、今度は副作用が怖いからな』

 そう言って頭を抱える父親に、まずは現時点で運命の番として成立しているαとΩが何組いるのかって調査から始めないと、と翠が口にしていた。悩む両親への慰めでもあっただろうし、そもそも奇跡と呼ばれるほど希少な者たちのためにどこまで研究費が使えるのかという問題の提示でもあった。

 そんなことを考えながらたどり着いたキッチンで、α用の発情抑制剤を水と一緒に飲み込む。そこでようやく、翼は大きく息を吐いた。

「マジでやべぇな、あれ……」

 つらつらと思考を巡らせていたのは、そうしないと先程嗅いだフェロモンの威力に呑まれそうだったからだ。

(馬鹿みたいに良い匂いだった)

 気づいてすぐ離れたというのに、驚くほどはっきりと影響が出ている。
 家の構造的にリビングとキッチンは別室となるため、ここまでフェロモンが届くことはない。にもかかわらず、翠の匂いが脳内を埋めつくし、彼の体を暴きたい衝動に駆られ続けていた。
 Ωの発情に居合わせたのは初めてだが、発情抑制剤を飲んでいない状態だとこんなにもきついものなのかと驚愕する。誘発され、ラットを起こしかけている可能性すらあった。
 翼は、翠に惚れている。だからこそ余計に、彼のフェロモンに対して反応しているのかもしれないが。

 今すぐ抱いて噛んで番いたい。自分だけのものにしたい。
 けれど、苦しめたくはない。

(難儀だな、本当に)

 何もかもを振り切るように勢いよくコップに水を注ぎ、足早にリビングへと戻る。こちらの足音に気づいたのか、ソファで蹲っていた翠がゆっくりと顔を上げた。

「翠、薬と水」
「ありがと……」

 念の為、なるべくフェロモンを吸わないよう息を最小限にしながら、翠が薬を飲むのを見守る。
 発情抑制剤は即効性だ。すぐに効いてくるはず、──だった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

あなたと過ごせた日々は幸せでした

蒸しケーキ
BL
結婚から五年後、幸せな日々を過ごしていたシューン・トアは、突然義父に「息子と別れてやってくれ」と冷酷に告げられる。そんな言葉にシューンは、何一つ言い返せず、飲み込むしかなかった。そして、夫であるアインス・キールに離婚を切り出すが、アインスがそう簡単にシューンを手離す訳もなく......。

年下幼馴染アルファの執着〜なかったことにはさせない〜

ひなた翠
BL
一年ぶりの再会。 成長した年下αは、もう"子ども"じゃなかった――。 「海ちゃんから距離を置きたかったのに――」 23歳のΩ・遥は、幼馴染のα・海斗への片思いを諦めるため、一人暮らしを始めた。 モテる海斗が自分なんかを選ぶはずがない。 そう思って逃げ出したのに、ある日突然、18歳になった海斗が「大学のオープンキャンパスに行くから泊めて」と転がり込んできて――。 「俺はずっと好きだったし、離れる気ないけど」 「十八歳になるまで我慢してた」 「なんのためにここから通える大学を探してると思ってるの?」 年下αの、計画的で一途な執着に、逃げ場をなくしていく遥。 夏休み限定の同居は、甘い溺愛の日々――。 年下αの執着は、想像以上に深くて、甘くて、重い。 これは、"なかったこと"にはできない恋だった――。

流れる星、どうかお願い

ハル
BL
羽水 結弦(うすい ゆずる) オメガで高校中退の彼は国内の財閥の一つ、羽水本家の次男、羽水要と番になって約8年 高層マンションに住み、気兼ねなくスーパーで買い物をして好きな料理を食べられる。同じ性の人からすれば恵まれた生活をしている彼 そんな彼が夜、空を眺めて流れ星に祈る願いはただ一つ ”要が幸せになりますように” オメガバースの世界を舞台にしたアルファ×オメガ 王道な関係の二人が織りなすラブストーリーをお楽しみに! 一応、更新していきますが、修正が入ることは多いので ちょっと読みづらくなったら申し訳ないですが お付き合いください!

ヤンキーΩに愛の巣を用意した結果

SF
BL
アルファの高校生・雪政にはかわいいかわいい幼馴染がいる。オメガにして学校一のヤンキー・春太郎だ。雪政は猛アタックするもそっけなく対応される。  そこで雪政がひらめいたのは 「めちゃくちゃ居心地のいい巣を作れば俺のとこに居てくれるんじゃない?!」  アルファである雪政が巣作りの為に奮闘するが果たして……⁈  ちゃらんぽらん風紀委員長アルファ×パワー系ヤンキーオメガのハッピーなラブコメ! ※猫宮乾様主催 ●●バースアンソロジー寄稿作品です。

今日もBL営業カフェで働いています!?

卵丸
BL
ブラック企業の会社に嫌気がさして、退職した沢良宜 篤は給料が高い、男だけのカフェに面接を受けるが「腐男子ですか?」と聞かれて「腐男子ではない」と答えてしまい。改めて、説明文の「BLカフェ」と見てなかったので不採用と思っていたが次の日に採用通知が届き疑心暗鬼で初日バイトに向かうと、店長とBL営業をして腐女子のお客様を喜ばせて!?ノンケBL初心者のバイトと同性愛者の店長のノンケから始まるBLコメディ ※ 不定期更新です。

ウサギ獣人を毛嫌いしているオオカミ獣人後輩に、嘘をついたウサギ獣人オレ。大学時代後輩から逃げたのに、大人になって再会するなんて!?

灯璃
BL
ごく普通に大学に通う、宇佐木 寧(ねい)には、ひょんな事から懐いてくれる後輩がいた。 オオカミ獣人でアルファの、狼谷 凛旺(りおう)だ。 ーここは、普通に獣人が現代社会で暮らす世界ー 獣人の中でも、肉食と草食で格差があり、さらに男女以外の第二の性別、アルファ、ベータ、オメガがあった。オメガは男でもアルファの子が産めるのだが、そこそこ差別されていたのでベータだと言った方が楽だった。 そんな中で、肉食のオオカミ獣人の狼谷が、草食オメガのオレに懐いているのは、単にオレたちのオタク趣味が合ったからだった。 だが、こいつは、ウサギ獣人を毛嫌いしていて、よりにもよって、オレはウサギ獣人のオメガだった。 話が合うこいつと話をするのは楽しい。だから、学生生活の間だけ、なんとか隠しとおせば大丈夫だろう。 そんな風に簡単に思っていたからか、突然に発情期を迎えたオレは、自業自得の後悔をする羽目になるーー。 みたいな、大学篇と、その後の社会人編。 BL大賞ポイントいれて頂いた方々!ありがとうございました!! ※本編完結しました!お読みいただきありがとうございました! ※短編1本追加しました。これにて完結です!ありがとうございました! 旧題「ウサギ獣人が嫌いな、オオカミ獣人後輩を騙してしまった。ついでにオメガなのにベータと言ってしまったオレの、後悔」

幼馴染みのハイスペックαから離れようとしたら、Ωに転化するほどの愛を示されたβの話。

叶崎みお
BL
平凡なβに生まれた千秋には、顔も頭も運動神経もいいハイスペックなαの幼馴染みがいる。 幼馴染みというだけでその隣にいるのがいたたまれなくなり、距離をとろうとするのだが、完璧なαとして周りから期待を集める幼馴染みαは「失敗できないから練習に付き合って」と千秋を頼ってきた。 大事な幼馴染みの願いならと了承すれば、「まずキスの練習がしたい」と言い出して──。 幼馴染みαの執着により、βから転化し後天性Ωになる話です。両片想いのハピエンです。 他サイト様にも投稿しております。

断られるのが確定してるのに、ずっと好きだった相手と見合いすることになったΩの話。

叶崎みお
BL
ΩらしくないΩは、Ωが苦手なハイスペックαに恋をした。初めて恋をした相手と見合いをすることになり浮かれるΩだったが、αは見合いを断りたい様子で──。 オメガバース設定の話ですが、作中ではヒートしてません。両片想いのハピエンです。 他サイト様にも投稿しております。

処理中です...