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俺の、普通の幸せ
しおりを挟むガタンゴトン、と揺れる車窓の向こう側には、長閑な田園風景が広がっている。田舎のローカル線ならではの美しくも単調な景色とまばらな乗客のおかげで、電車内には落ち着いて物事を考えるのにぴったりな空気が流れていた。それは同時に、眠気を誘う状況でもある。
隣で気持ちよさそうに眠る桃瀬を眺めながら、俺は小さく息を吐いた。
電車での旅を何より好んでいる彼が、居眠りをしてしまうほど疲れている。明らかに俺のせいなので申し訳ない気持ちになるものの、心は満足感でいっぱいだった。
焦燥と後悔と迷いで頭痛を感じるほどだった行きの電車とは大違いだ。桃瀬と二人で電車旅をしているというシチュエーションと交わす会話は楽しかったが、内心で渦巻く葛藤が大きすぎてそれを隠すことで精一杯だったのだ。もちろん、完全に自業自得なのでどうしようもない。
どんな手段を使ってでも、桃瀬を抱きたかった。
我ながらひどい欲望だと自嘲する。それでも、初めて肌を重ねる相手──契約を結ぶ人間は彼以外考えられなかった。他の誰かを選んで命を繋ぐくらいなら、恨まれても構わないから桃瀬に触れたかった。
相手のことを考えれば、本当に最低最悪の思考だ。許されないことを覚悟の上で行動に移そうとした俺とは違い、桃瀬は友情を裏切られた挙句、身体を好き勝手に扱われるところだったのだ。傷つける、なんて生易しい表現では足りないほどの非道だろう。
だから、企みが失敗してほっとしている自分もいる。
ひどく勝手な話だと思う。欲求が抑えられなくて桃瀬を騙してでも抱こうとしたのに、止めてもらえて安心するなんて。けれど、どちらも間違いなく自分の気持ちだった。
だからこそ、少しだけ戸惑ってもいる。
こんな幸せな現実が、俺に許されていいんだろうか。
代償が頬への平手打ちを一発だけなんて甘すぎる。桃瀬が俺に説いたことは全て正しく、虚偽による誘拐からの脅迫と強姦は未遂であっても犯罪だろう。
それを、直接本人に指摘してくる桃瀬の強さには、純粋に感動するが。
桃瀬は自分のことを平凡だと思っているようだが、俺からすれば『容姿に限る』という注釈がついて初めて頷くことができる話だった。見た目こそごく一般的ではあるが、桃瀬の中身は飛び抜けて強靭だ。
彼にとっての『普通』も『当たり前』も、真っ当で強いからこそ持ち得るものだ。
みんな、嫌われたくないから相手に合わせる。好かれたいから肯定する。間違ったことに直面しても、周囲から浮かずに済むのなら正しさを押し殺してでも周りに合わせるのが一般的な人間というものだ。
特に、対象が好きな相手なら尚のこと。
だから、桃瀬が俺のことを好きだと知って本当に驚いたのだ。彼はいつでもどこでも誰にでも、──俺に対してですら、常に桃瀬聡のままだったから。
惚れた相手であろうと、間違っていれば叱ってくれる。そんな彼の強さが俺には眩しかった。
それでいて、好きだからこそ甘やかしてもくれるのだからたまらない。平手打ちだけで済んだのもきっと、俺に好意を抱いてくれていたからだろう。もちろん、反省も謝罪もしない男ならば即座に見捨てただろうが。
罪を犯せば叱り、真摯に謝罪すれば許す。当たり前のようでいて安易ではないことを、桃瀬は間違えずに行える。
他では得難いこの安心感を、手放せるはずがなかった。
普通ではない環境で育った自分だからこそ余計に、強さゆえの『普通』を持ち続けている桃瀬に惹かれたのだろう。
しかも、触れれば可愛いところも見せてくれるなんて、どこまでこちらを翻弄するつもりなんだろうか。あちらにはそんな気などさらさらないとはわかっていても、体を重ねた際に見せた素直で可愛らしい反応は、俺の胸をダイレクトに殴ってきた。目も眩むほどの興奮状態を必死で隠していたことに、彼は気づいていただろうか。
行為中の桃瀬を思い出し、俺は無意識にごくり、と唾を飲み込んでいた。食欲に似た飢えと腰の当たりから湧き上がる熱を感じ、うっすらと口を開ける。
触れたい、舐めたい、入れたい、……食べたい。
人としての欲と鬼人としての欲が混ざり合った、厄介な衝動が湧き上がってくる。それを理性で何とか抑えながら、肩口にある桃瀬の黒髪に唇を寄せた。
すやすやと眠る彼に、口にするのもはばかられる俺の酷い欲求をぶつけたらどうなるだろう。
鳴かせて泣かせて、俺以外のことを考えられなくなるまでずぶずぶに溺れさせたい。俺なしではいられないくらい、どろどろに甘やかして依存させたい。誰にも見せず、誰とも話さず、俺だけを見て俺だけを欲しがるように作り替えたい。
そんな、相手の人権を無視した身勝手な妄想を、今でも捨てることができないでいる。
けれど、そんな桃瀬は桃瀬ではないし、きっと彼の強さは俺のこんな醜い欲など、普通に撥ね退けてしまうのだ。
そう信じられることが、本当に嬉しかった。
人と鬼。
大事にしたい気持ちと、隅々まで食べ尽くして自分だけのものにしたい衝動。そのどちらの欲も捨てられない俺たち鬼人の根本にあるのは、相手への愛おしさだ。
愛おしいから生涯大切にしたい。愛おしいから今すぐにでも喰らいたい。
相反するようでいて複雑に混ざり合ったこれらの感情を切り離すことは、とても難しい。
こんな厄介で重い執着を、それでも桃瀬は受け入れてくれたから。
肩に感じる重みとぬくもりに、思わず頬がゆるむ。
きっとこれから自分たちには、乗り越えなければいけないことが沢山待ち構えているのだろう。全てが順風満帆に進む、なんて能天気に考えることはできない。
けれど、電車が進む先にはきっと幸せな日々があるのだ、と。そう信じられる相手を唯一と定めることができた己の幸運に、俺の心は満ちていた。
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