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忙しい無職がいるかよ!
しおりを挟むその店は居酒屋と呼ぶよりは割烹、さらには小料理屋と表現する方がしっくりとする店構えであった。
駅から続くメインストリートから一本入った裏道。
しばらく進むとこじんまりとした和風の趣のある引き戸と年季の入った暖簾が見えてくる。
――家庭料理『ふみ』。
カウンター席以外にはテーブル席が三つ。実にこじんまりとした、常連客向けの落ち着いた店。気取らず、普段使い。どこか昭和を感じる懐かしい雰囲気。
学生飲みの騒がしさや、パーティーピーポーの馬鹿騒ぎとは無縁の空間。
そのカウンターで俺はつけ出しのほうれん草の白和えをつまみにビールを口に運んでいた。
完全に無職にあるまじき行為である。
無職の飲みと言えば、さくら水産か鳥貴族と相場は決まっている。
無職が落ち着いた大人の隠れ家的小料理屋で一杯やるなど、もってのほかである。
よって、当然ながらこの店は俺の行きつけの店ではない。
この店を行きつけとしているのは俺の隣に座る男、野村幸弘であった。
「この年になるとさ、やっぱ家庭的な味がほしくなるんだよな」
幸弘はメニューに目を通さず、カレイの煮つけ、季節の天ぷら盛り合わせ、揚げ出し豆腐のなんたら餡のなんたら添えを注文すると、そう言った。
「これのどこが家庭なんだ。物心ついて以来、俺の家庭でこんなの出たことないぞ。冷凍餃子とかカレーはどこ行った、キングオブ家庭は?」
「いや、まあ、それもそうなんだけど、リアルな家庭じゃなくて、あくまで家庭的だからよ」
幸弘は俺の減らず口に苦笑いを浮かべている。
幸弘は俺の同級生、中学、高校と六年間同じ高校に通った古い友人。そして俺とは違って、無職ではない。厳しい就職試験を潜り抜け、大手出版社に正社員として勤めている。
大手出版社でキャリア十年。
つまりはこういった小料理屋の常連となってもなんの問題もない層。なんだったらちょっとリーズナブルだとすら考えている層に属しているのだ。
「飯田さん、最近はお忙しい?」
幸弘に微笑みかけながら、カレイの煮つけをカウンター越しにそっと差し出す女性。
店の名と同じくふみさんと言うらしい。
年の頃なら、二十四、五。
どうやら母娘で店をやっているらしく、厨房を切り盛りするのがお母さんで、接客担当がその娘さんのようだ。愛嬌があり、それでいて楚々として上品な娘さん。和服が実に似合う和風美人である。
「まあね。そこそこね」
幸弘は本当はとっても忙しいけれど、この程度は俺の日常では普通。なぜなら俺は大手出版社の正社員だから。そう取れる余裕のある態度でもってそう応じる。
「で、お前は?」
幸弘は自分の受けた質問を俺にも横流しする。
……俺が忙しいかだと?
「忙しい無職がいるかよ!」
俺は即答する!
むしろ古い友人からこんな質問をされるなんて心外である。
そもそも俺はこれまでの人生で基本的に忙しくなったことなどないのだ。忙しくするくらいなら、辞める。それが俺のライフスタイルなのだ。
「相変わらずだな、お前は……」
幸弘は俺の減らず口を気に留めた様子もなくカレイの煮つけに箸を伸ばす。
いまさら俺の口が悪いことも、俺が働いてないことも重々承知の間柄なのだ。
昔から、俺の行動にいちいちダメ出しするくせに、なんだかんだで面倒見はいい。
今日もおそらく俺の様子を心配して呼び出してくれたのだろう。
「それでさ、お前いつまでそれ続けるつもりなの?」
幸弘は半ば呆れながらも言葉を続ける。
「もちろん、一生だ」
俺はきっぱりと断言する。
俺は絶対働かないマン。当然ながら一生働くつもりはない。
俺のこの言葉に幸弘は完全に呆れている。半ばではなく完全。フルスロットルで呆れている。
「お前なあ……。もう俺ら三十二だぞ。ガキ見たいなこと言ってんじゃねーよ」
「無職に年齢は関係ない! 働きたくない。その強い気持ちを持ち続けている限り、いつだって新鮮に無職でいられる。エバーグリーン無職だ」
「無職の心得を聞いてんじゃねーよ。いいから、働けよ!」
「なぜだ? なぜ働かなければいけない?」
「なぜだじゃねーよ。いい大人が働いてねーのはおかしいだろ。恥ずかしくないのか?」
酒が回ってきたのか、幸弘の声がやや大きくなっている。
……なるほどいい大人が働かないのは恥ずかしいことか……。
幸弘のやつなかなかベタなことを言う。
しかし、そんな言葉でたじろぐのは初心者の無職である。
絶対働かないマンの精神はその程度のお説教ではまったく揺るがないのだ。
逆に幸弘のことが心配になる。
大手出版社に勤める男がそんなにベタでいいのだろうか。そんな常識に囚われていて、斬新なコンテンツを生み出せるのだろうか……。
「なあ、幸弘。そんな考えはもう古いぞ。いろんな生き方があってもいいだろ。働くヤツもいれば働かないヤツもいる。それぞれがそれぞれの生き方をすればいいじゃねーか」
「いろんな生き方があってもいいけどよ、働くのは大前提じゃねーか。食えなきゃ生き方もなにもないだろ」
幸弘はまたしても親戚のオジさんライクなことを言う。
しかしそんなベタなダメ出しは絶対働かないマンである俺にとっては想定の範囲内。
余裕を持って対応できるのである。
「ははは、お前ともあろう人間が時代に取り残されるとは。いまの時代、就職しなくても食うことは可能になったんだよ。働かざる者食うべからずは過去の話だ。働かざる者も食ってよし、ただし炭水化物は取りすぎるな! これがこれからの時代だ」
「なぜ途中からダイエットの心得になっている……」
「とにかく、いまの時代、就職して、誰かにこき使われなくても食っていける。そういう時代なんだよ!」
「もしかしてアフィリエイトとかそんなのか?」
「アフィリエイトね。ふふっ、素人はそう考えるかもね。まあお前にはいまのところ関係ない世界の話だ。そのうちビックリさせてやるよ」
俺は余裕の笑みを返す。
しかし幸弘はフルスロットルで呆れた態度をキープし続けている。
「まあ、百歩譲ってさ、働かなくても食えるとしても、働くってそれだけじゃねーだろ。生きる意味っていうかさ。言いたかねえけど、やり甲斐とかさ」
幸弘はそう言うと、グラスに残っていたビールを飲み干す。
俺は図らずもそんな幸弘の苦み走った表情からから大人を感じてしまう。
ちょっぴり疲れているものの、どこか余裕と貫録を感じる。
……会社の看板を背負って、いくつもの修羅場を潜り抜けた人間の渋み。大人の男の顔だ。
俺と幸弘は同い年、しかし俺からは一切醸し出されていないであろう。大人の渋み。
本来ならその差に少々打ちひしがれるところだが……。
しかし俺は絶対働かないマン。こんなことで打ちひしがれるわけにはいかないのだ!
引かぬ! 媚びぬ! 働かぬ! それが俺だ。
「仕事で生きがいを感じられるのはお前みたいな勝ち組の特権だ。俺は自分で手に入れるしかねーんだよ。やり甲斐も、生きる意味も、そして生活費も!」
俺もまた残っていたビールを一気に空ける。
渋みのない、年齢にそぐわぬ、つるっとした顔で。
そもそも俺はラノベ作家として、いわゆるやり甲斐のある仕事はした。
そしてやった結果、俺はやり甲斐も失ったのだ。
やり甲斐、それもまた勝ち組の持ち物なのだ。
俺としてはなかなか熱い台詞を放ったはずなのだが、しかし幸弘のリアクションは薄い。
「言わんとしてることはわかんだけどさ。そろそろガキみてえなこと言ってる場合じゃねーぞ。そろそろ真面目にやんねーと将来とか……」
「俺は将来のことなど考えん!」
「なんで?」
「お前らみたいな、勝ち組の考える将来って、いまの状況がずっと続く想定だろ。来年も再来年も、二十年後も、五十年後も、ずっといまみたいな感じで続くと思ってるだろ。俺はそうは思わん!」
「じゃあなにが起こるんだよ」
「知らん。そんなの誰にもわからん! いまから五十年前にいまの社会を予想できたか? 同じように五十年後もどんなのかわからん。破たんするかもよ。お前の堅実な暮らしも」
「なんだよ、その破たんしてほしそうな顔は!」
「……AIが来るぜ。賢い、賢いAIがよお。お前のコジャレた仕事をよお。奪っていくぜ。早く来ねえかな、AIの時代」
「怖えよ! っていうか友達の失業を願ってんじゃねーよ!」
俺の発言を上段だと取ったのだろう、ケラケラと笑う幸弘。
むろん俺は幸弘の失業など願ってはいないが、勝ち組全般の失業は願っている。もし幸弘が勝ち組のカテゴリーに入るのならば巻き込まれるのもやむなしだ……。
そして勝ち組がどうなるかはさておき、俺は心から信じている。
これからの時代、働かなくとも生活ができるようになると。
少なくともいまの時代の〝働く〟とは違う意味での働き方が可能になると。
いい大学に入り、一流企業に就職し、そして激務をこなしながらも、自分が一流企業の社員であることに充実感とプライドを持つ。
そんなライフスタイルとは違う価値観が現れるはずだと。
――お前に気後れを感じなくてもすむ時代が来るんだよ。
俺は心の中で幸弘に話しかける。
認めたくないが、こうして並んで座っていても、ずっと気後れを感じているのだ。
ずっと似たようなもんだと思っていた俺とお前が、いまや、一流企業の社員と無職。
死んでも態度には出さないが、さすがの俺でも少々劣等感を感じるのだ。
万が一、俺が死ぬほど頑張って就職活動して、その後、我慢に我慢を重ねて、毎日会社に通ったとしてもおそらく拭い去れないであろう劣等感。
俺はそれを取り去って、お前と昔のように他愛のない話をしたいのだ。
……だから、だからこそ……、俺は働かない!
お前はいまの時代の勝ち組。
俺は新しい時代の勝ち組になってみせる!
「正直、全然わかねーけどさ。お前はむかしから妙に頑固だからな。やりたいようにやれよ。それで、ダメだったら働け!」
幸弘とはもう十年以上のつき合いだ。無言でも俺の気持ちがなんとなく伝わったらしい。
「言われるまでもなく存分にやりたいようにやる。なにせ無職だからな。やりたいようにやる以外は寝てるしかねえ」
幸弘は俺の言葉にまたケラケラと笑う。
まったく価値観の違う二人。
一人は一流企業で働き、もう一人は無職。
一人は日々の激務に疲労し、もう一人は常時体力MAX。
違いはあるが、俺にとっては数少ない友達の一人だ。
無職を続けるとどうしても友達づき合いが減る。
そもそも世界が違うから話が合いづらいし、なんとなく気後れして、どうしても疎遠になってしまう。そんな中、こうして相変わらずつき合いが続く間柄は貴重なのだ。
貴重な友人と貴重な時間を過ごす……。
なにごとにも代えがたいものであるとはいえ、そのことに対しての対価が発生する。
……お会計である。
もちろん会計は一流企業サイドである幸弘に任せるのであった。
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