絶対働かないマン

奥田恭平

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この程度で諦める無職がいるかよ!

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「ぬうう。そんな馬鹿なっ! これは夢か? 夢なのか!?」

 俺はパソコンに向かって叫んでいた。

「どうしたのお兄ちゃん? 画びょうでも踏んだ?」

 愛する兄の叫び声を聞いて、夏葉が俺の部屋に飛び込んで来る。
 心配そうな顔。

「画びょうは踏んでいない。そもそも画びょうを踏んだくらいで『夢か?』までは言わん」
「よかった。画びょうを踏んでないんだね。じゃあ、なに?」
「これだ……」

 俺はノートPCのモニターを夏葉に向ける。
 そこに表示されていたのは、lineスタンプの売り上げであった。
 lineのスタンプを販売することができる、ラインクリエーターズマーケット。
 自分のアカウントでログインすればいつでも販売の状況が確認できるようになっている。
 俺が苦労して作ったlineスタンプ無職ックマ。販売を開始して一週間になる。
 その成果が……。
 
――売り上げ、62円。

ご丁寧に折れ線グラフで表示してあるが、要するに二件しか売れていない。
最初からバンバン売れるなどとは思っていなかったが……。
少ないあまりにも少ない……。
 先ほどまで心配げな顔をしていた夏葉も険しい表情に変わっている。

「お兄ちゃん……。62円って……なに?」
「我が無職ックマの売り上げだ。二件売れて62円ってことだ」
「全然売れてないってことだよね……」
「売れているとは言い難いな。逆にどこの誰が買ったのか知りたいくらいだ。世の中には変わった人もいるもんだな」
「なんで買ってくれた人を変わった人呼ばわりしてるのぉ! お兄ちゃんのバカッ! 画びょう踏んじゃえばよかったのにぃ!」

 二件しか売れなかったことは夏葉にとってもショックだったらしい。
そのショックをぶつけるべく、ポカポカと俺の肩を叩く。

「おいおい、気持ちはわからんでもないが、叩くのはやめろ。お兄ちゃんだって、悲しいんだから」
「だって、だって、私たち無職なんだよ。60円だよ。どうやって60円で……、どんな節約術でも60円じゃ……」
「慌てるな。そしてあんまり60円を連呼するな。恥ずかしくなってくるだろ」

俺は夏葉の肩を両手でしっかりと掴み、気持ちを落ち着けさせる。
 非力なポカポカでも、あまり連打されるとさすがに痛い。
 肩を掴んで、真っすぐに夏葉の目を見る。俺の目にはいまだ力がこもっている。自信と余裕に満ちた眼差しは60円ショックでもいささかも揺らぎはしない。
 完全に取り乱していた夏葉だったが、俺の目を見て、ようやくポカポカをやめてくれる。

「ご、ごめん、ビックリしちゃって」

 手を引っ込めると、頬をほんのりと赤らめる夏葉。
 どうやらわかってくれたらしい。

「いいか。世の中そこまで甘い話はない。なにせこの俺が無職なんだからな。世の中は甘くない一番の証拠だ。だからそう簡単にスタンプも売れない。それは想定内だ」
「そ、そうだよね。いきなりはね……でもいくらなんでも60円は……」
「そう不安になるな。そして60円を強調するな。大丈夫だ。ちゃんと次の矢は用意してある」
「え、なに次の矢?」
「lineスタンプ第二弾だ」

 そう、俺はすでに新しいlineスタンプを作り終えていた。
 夏葉には秘密にしていたが、無職ックマをリリースした直後からすでに新たなるスタンプ作りに取り掛かっていたのだ。
 慣れとは恐ろしいもので、前回は三日ほどかかったが、今回はまる二日ですべての作業を完了していた。

「もう一個スタンプ作ってたの?」
「そうだ。この程度で諦める無職がいるかよ!」
「なんだぁ、それだったら、早く言ってよ。思わず大好きなお兄ちゃんに暴力を振るっちゃったよぉ」

 夏葉はそう言うと、もう一度俺の肩を叩く。
 先ほどまでと違って随分と優しいタッチだ。

「ならば見せてやろうじゃないか。絶対働かないマンの二の矢を」

 俺はそう言うと、ラインクリエーターズマーケットのサイトのメニューをクリックする。
 売り上げのページから、スタンプの販売のページへ。

「これがお兄ちゃんのスタンプ第二弾……」

 俺は無職ックマをリリースしたときにひとつの課題を感じていた。
 
――俺は絵が下手すぎるのだ。

他の人が出しているスタンプに比べれば圧倒的に下手だ。
 通常なら絵を練習するところだが、そんなことをしても多少絵が上手くなる程度、とてもプロのレベルには到達しない。ならば下手なまま突き進むしかない。
 俺は考えに考えた。
絵心がなくても描けるスタンプはなにか?
 それでいて愉快でかわいいキャラクターは……?
 ありとあらゆる方向から検討を重ね、俺はあるひとつの結論に達した。
それが俺のlineスタンプ第二弾。
その名も……。

――『虚無』だ。




「虚無って!」

 夏葉は俺のパソコンのモニターに表示された新スタンプを見て驚きの声を上げている。
 そう、逆に虚無なのだ。
 虚無とはなにも存在しないこと。
 なにもないものをスタンプにする。このオリジナリティ! 
斬新なアイディアとしかいいようがあるまい。

「お兄ちゃん。なんで虚無なの……?」
「なにかあるから、絵心を問われるんだ。虚無ならば絵の上手い下手も関係あるまい。なにせ虚無なのだからな!」

 俺は力強くそう断言する。
 俺にとっては完璧なアイディアなのだが、どうにも夏葉にはこの高邁なコンセプトが理解できないらしい。
 ひたすら首を傾げ続けている。

「そっか、虚無か……。ゴメンね。ちょっと私の理解を超えちゃってるよ」
「いまはわからずとも、いずれわかる日が来る。この虚無スタンプの素晴らしさが。ジワジワ来るタイプだからな」
「ジワジワ来る……。自分で言っちゃうんだね。でもお兄ちゃんの自信満々な態度を見てたら、いい気がしてきたよ。この虚無スタンプ。可愛いような気がしないでもないよ!」
「ふふ、そうだろう。我ながらまさか虚無をキャラクター化するとはね。line社もさぞ驚いていることだろうよ。おそらく上場以来のインパクトだろうな……」

 俺は脳裏にはすでにバカ売れする虚無スタンプの姿が浮かんでいる。
 JKがJCが、そしてJDが……俺の虚無スタンプを使用する。そんな未来がはっきりと見える。

「これ、かわいくね? めっちゃ虚無くね?」
「マジ虚無くね?」
「やべえ、虚無いね」

 lineスタンプのいいところは買った人がスタンプを使用することそれそのものが宣伝であること。
 使ってもらえさえすれば、あとは虚無の虜である。

 ――いま、十代の女性の間で虚無がブーム。

 そんな虚無ブームの到来すらある。

「夏葉、時代は虚無だ」

 俺ははっきりとそう断言する。

「お兄ちゃん、虚無だね」

 深くうなずく夏葉。
 どうやら納得してくれたようだ。
 ならば販売開始しようじゃないか。虚無スタンプを。
 俺はリリースボタンをクリックし、承認されたてほやほやの虚無スタンプのステータスを「承認」から「販売中」へと変更する。
 これで数分後にはクリエーターズマーケットでスタンプが販売されることになる。
 満を持して、俺のlineスタンプ第二弾、虚無スタンプがネットの海へと解き放たれたのだ!

 
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