その魔法が解ける前に

hayama_25

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第32話

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「そうだな」  

 短い返事が落ち着いた声で返される。  

 それは特別な感情を含んでいるわけではなく、ただ会話を流すための一言。  

「ねぇ、偶には私とも遊んでよ」  

 彼女の声が弾む。

 軽やかで、自分の願いを当然のように伝える響き。  

 冗談めかした響きの中に、どこか甘えた感情が混じっている気がする。  

 ナイフを持つ手がわずかに止まる。  

 壱馬様はなんて答えるんだろう…

 私が気にする必要なんて、ないはずなのに。

 ただ、目の前にある食事を進めることだけが、今の自分にとって必要な動作に思えた。  

「今年受験だろ?」  

 会話の流れは途切れることなく続く。  

 この話題になった途端、空気が少し変わったような気がした。  

「もうっ。分かってますよーだ」  

 軽く拗ねるような調子の彼女の声。  

 彼女の甘えた言葉に、壱馬様はそっけなく応じる。

 それが、彼らにとっての自然な会話なのだろうか。

 このまま、二人の会話が流れていくのをただ聞いていればいいのかな。

 自分がこの場にいることが、なんだか不自然に思えてくる。  

「どこの大学行くか決めたのか?」  

 問いかける声は淡々としている。  

 話す口調には余計な感情が含まれず、ただ確認するような響き。  

 それでも会話が流れていく。  

 壱馬様と彼女は、何の違和感もなく言葉を交わし続ける。  

 目の前の皿を眺めながら、ふと胸の奥にかすかな孤独が広がるのを感じた。  

 まるで、自分だけがその輪の外にいるかのような感覚。  

「したい事とかないから、とりあえずお父さんと同じとこ行くつもり」  

 その言葉が耳に入ると、指先にわずかな力が込められるのを感じた。  

 ——とりあえず。  

 そんな簡単に決めてしまっていいものなのだろうか。  

 自由でいいな。
 なんて思ってしまった。

 彼女のことをよく知らないのに。

 ただ、今この場で語られている言葉の軽さに、なぜか胸の奥がざわついた。  

 大学に行くのをただひとつの手段としか考えてない、そんな彼女が羨ましく思えたからかな。

 大学に行くことがただの選択肢にすぎない彼女と違って、

 私は、そんなふうに進学を軽く考えたことはなかった。  

 私にとっては、それが何よりも重要でそれ以外の道は許されなかった。

 いい大学に行かなければ——

 その続きを、あの頃はいつも考えないようにしていた。  

 口にすれば現実になってしまいそうで、ただ目の前の課題だけをこなして進むしかなかった。  

 それが正しかったのかどうかなんて、今さら考えたところで意味はない。  

 目標の大学に合格した時でさえ、達成感よりもこれで安心していいのかという不安の方が大きかった。  

 むしろ…勉強だけをしていた時間が終わることが、怖かった。



 “したいこととかないから”  

 そんな風に言えるのは、余裕があるからなのだろうか。  
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