嘘月の夜

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8章

138話 閉じ込めた記憶

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 「……ふざけるなよ……」

 

 声がかすれ、喉が焼けた。
 でも、止まらなかった。

 

 俺は、墓石の前で泣き喚いていた。

 

 母の名前は、どこにもなかった。
 高槻沙華という名は、この立花家の墓には刻まれていなかった。

 

 それもそのはずだ。

 彼女は嫁いだ身だった。
 ここに眠る資格すら、なかった。

 

 その遺骨も、海に流されたと聞いた。

 どこかの潮に溶け、もうどこにも“形”は残っていない。

 

 ——この家にも、あの家にも、もうどこにも。

 

 「なんで、俺だけ……」

 

 言葉にならない怒りが、喉の奥を焦がしていく。

 

 握り拳を振り下ろす。

 

 立花家の墓石を、拳で叩いた。

 何度も、何度も。

 

 指が裂け、血が流れても、やめられなかった。

 「母さんの名前もない墓になんて、価値あるわけないだろ!」

 

 叫びながら、俺は指で、石を削るように彫った。

 指の関節から血がにじみ、石にすり込まれていく。

 

 そして、ある瞬間——。

 

 何かが浮かび上がってきた。

 

 

 古びた石の奥から、微かに刻まれた文字。
 それは、苔と土の奥に隠れていた。
 だが、確かにそれはあった。

 

 母の筆跡だった。

 忘れもしない、あの優しくも整った、少し古風な字。

 

 それは、ある日付から始まっていた。

 

 「年 三月一日」

 

 それが20年前の日付であることに、すぐには気づかなかった。

 

 だが、次に見つけたのは——墓石の下に、石板のように埋められていた金属製の箱だった。

 

 錆びついていて、ふたは硬かった。

 でも、力いっぱい引き抜くと、それは確かに“日記”だった。

 

 革のカバー、焼けたような端、湿気で少し膨れたページ。

 それでも、それは確かに母が残した最後の言葉たちだった。

 

 俺は震える指で、ゆっくりとページを開いた。

 


 

 最初のページには、こう書かれていた。

 

 > ——この日記は、もしものとき、私の記憶の代わりになってくれるように書いておきます。

 

 綺麗な字だった。
 読みやすく、丁寧で、凛とした文体。

 

 そこには、政略結婚で高槻家に嫁いだ日のことが、詳しく書かれていた。

 

 > 「最初から、彼は少し変わっていた」
 > 「目的が曖昧で、視線が冷たく、時折“観察者のような目”をする」

 

 > 「実験の話を何度もされた」
 > 「“人間は限界まで追い詰めれば、どこまで従順になれるのか”」
 > 「私が対象になるなど、当時は冗談だと思っていた」

 

 ——冗談じゃなかった。

 

 ページをめくるごとに、空気が変わっていった。

 

 最初はまだ、希望もあった。

 

 > 「すぐに子どもができなくて、“不妊の女”と言われてつらかった」
 > 「でも、やっと授かれた。私の中に命がある。奇跡みたい」
 > 「この子を、“連理”と名付けたい。二本の枝が絡まり合うように、誰かと繋がっていてほしい」

 

 涙が出そうになった。

 

 > 「“ママ”って言ってくれた」
 > 「公園に行った。滑り台が怖かったみたい。でも笑ってくれた」
 > 「ごはんを作って、一緒に食べるだけで、幸せだった」

 

 ——でも、そのあとから。
 文字の形が少しずつ、乱れていく。

 

 日付は飛び飛びになり、言葉は短くなった。

 

 > 「冬真様が怒った」
 > 「理由がわからない」
 > 「れんちゃんの前では笑わなきゃ」

 

 > 「殴られた。頬が腫れて痛い」
 > 「眠れない。耳がずっと響いてる」
 > 「怒鳴られた。“機械になれ”って言われた」

 

 字は乱れ、殴り書きになっていった。

 ページを開くのが、怖くなってきた。

 

 俺は、そのままページを閉じた。

 これ以上は、“知りたくない自分”と、
 “知ってしまった自分”が、戦い始めそうだった。

 

 ……でも。

 きっと、もう一度、読まなきゃならない。

 俺が、母を救えなかったのなら。
 せめて、母の苦しみをこの手で引き取らなきゃならない。

 

 俺は、日記を抱きしめた。

 

 風が吹いた。

 墓地の空に、雲が重なっていく。

 

 だけど、俺はまだ立っていた。

 

 ——母さん。
 俺は、もう感情を殺すことはできないよ。
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