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1章 いびつなこころ
2話 失声
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2話 失声
まだ現実とは思えなかったし、嘘だと信じたかった。だが、医者の話を聞いて現実に目が覚めた。妻のノナが怪我を負ったこと、お腹の中にいた子どもが亡くなったこと。ショックで言葉も出なかった。仕事なんて放り出して、ノナのところにいればよかったと後悔して、唇を噛み拳を握った。ノナのいる部屋とは違うところで、なんて声をかければいいか迷う。彼女はまだ目覚めていないが、お腹の子どものことを話さなければいけない。たとえ「面影」の影響が増しても……。
「奥様は『心の面影』に影響されています。なるべく早く対処していただきたいのですが……原因はわかりますか?」
「いいえ」
「そうですか」
「安静にしていてください。無理は禁物です。お薬は用量を守り――」
医者の言葉が言葉として認識されない。ぼやけて色を失って消えていく。やはり、あの事故は嘘だったのでは? お腹の子は生きていて、必死に息をしているのでは……?
「ノナ……」
いや、それは――ない。夫の私よりも、ノナがよくわかっているから。
医療室でノナが目覚めるのを待ちながら、なんて声をかけようか迷った。正解はないが、間違いが多すぎる。どんな言葉であっても彼女を傷つけてしまう。傷口に塩を塗って、熱湯をかけるようなものだ。
カーテンを閉め、窓を閉じ、ドアに鍵をかけた。閉め切った部屋は冷えていき、温度が下がっていくのを感じる。冬の木枯らしを思わせる冷たさ。ほかにだれもいないから、ノナと私の息がよく聞こえる。彼女の表情は無だった。死人と間違われてもおかしくない。彼女の頬を撫で、手を握った。温かさはある。お腹が動いているから、息もしている。だが――心は冷えていき、身体におもりを付けられたような重さがある。
「……」
「ノナ?」
「……」
彼女が目覚めたとき、嬉しさで手を強く握ってしまいそうだった。力を抜き、前のめりになっていたから姿勢を正す。彼女の手は細く、折れそうなほど脆い。沈黙の目覚め。生気の宿っていない瞳に、私は映っていなかった。
「何があったのか教えていただけますか?」
「……」
「ノナ?」
「……」
呼びかけても反応なし。手足や顔が動かない。瞬きも止める。やり方を忘れてしまったようで、ただ、死に近づいて息をするだけだった。
「聞こえてますか?」
その日以降、ノナが口を開いて、言葉を発することはなかった。
まだ現実とは思えなかったし、嘘だと信じたかった。だが、医者の話を聞いて現実に目が覚めた。妻のノナが怪我を負ったこと、お腹の中にいた子どもが亡くなったこと。ショックで言葉も出なかった。仕事なんて放り出して、ノナのところにいればよかったと後悔して、唇を噛み拳を握った。ノナのいる部屋とは違うところで、なんて声をかければいいか迷う。彼女はまだ目覚めていないが、お腹の子どものことを話さなければいけない。たとえ「面影」の影響が増しても……。
「奥様は『心の面影』に影響されています。なるべく早く対処していただきたいのですが……原因はわかりますか?」
「いいえ」
「そうですか」
「安静にしていてください。無理は禁物です。お薬は用量を守り――」
医者の言葉が言葉として認識されない。ぼやけて色を失って消えていく。やはり、あの事故は嘘だったのでは? お腹の子は生きていて、必死に息をしているのでは……?
「ノナ……」
いや、それは――ない。夫の私よりも、ノナがよくわかっているから。
医療室でノナが目覚めるのを待ちながら、なんて声をかけようか迷った。正解はないが、間違いが多すぎる。どんな言葉であっても彼女を傷つけてしまう。傷口に塩を塗って、熱湯をかけるようなものだ。
カーテンを閉め、窓を閉じ、ドアに鍵をかけた。閉め切った部屋は冷えていき、温度が下がっていくのを感じる。冬の木枯らしを思わせる冷たさ。ほかにだれもいないから、ノナと私の息がよく聞こえる。彼女の表情は無だった。死人と間違われてもおかしくない。彼女の頬を撫で、手を握った。温かさはある。お腹が動いているから、息もしている。だが――心は冷えていき、身体におもりを付けられたような重さがある。
「……」
「ノナ?」
「……」
彼女が目覚めたとき、嬉しさで手を強く握ってしまいそうだった。力を抜き、前のめりになっていたから姿勢を正す。彼女の手は細く、折れそうなほど脆い。沈黙の目覚め。生気の宿っていない瞳に、私は映っていなかった。
「何があったのか教えていただけますか?」
「……」
「ノナ?」
「……」
呼びかけても反応なし。手足や顔が動かない。瞬きも止める。やり方を忘れてしまったようで、ただ、死に近づいて息をするだけだった。
「聞こえてますか?」
その日以降、ノナが口を開いて、言葉を発することはなかった。
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