心の面影

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1章 いびつなこころ

10話 無意味

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10話 無意味
「ノナ、ルキルスです」
「……」
 相変わらず、ノナは何も話さない。うんともすんとも言わない。殻に閉じこもって、人や声をシャットアウトしている。使用人への当たりの強さは、2年ほど前からずっと言われている。どれだけ注意しても直らず、嫌だと拒絶し続けて今に至る。
 この屋敷に住み始めて8年経つが、乱暴なところは年々悪化している。何をしても彼女の地雷を踏んでしまう。怖気づいて、やりたいこともできない。結婚前も、結婚した後も、こんな人じゃなかった。彼女は優雅で、品が良く、笑顔の素敵な人だった。共に食事を楽しみ、休憩時間には風に吹かれ、眠れない日は抱き合って寝た。原因はわかっている。が、対処法がわからない。国中の本を漁っても、「問題を解決して実体を抹殺する」としか書かれていない。その人に合った対処法なんて、皆違うから正解なんてない。彼女の回復を待ち、好きなようにさせた。散歩、小旅行、軽い運動、思いつく限りのヒーリングを試した。効果があるのかと言われれば、正直微妙なところ。今は手話を勉強し、読書や絵を描いて1日を過ごしている。これ以上のことができるというのか。使用人がお手上げのように、私の両手も塞がってこれ以上何も持てなかった。
「嫌だと言っても食べていただきます」
「……」
 戻したテーブルに1枚の皿。さっきシェフが持ってきてくれた、程よく温かいじゃがいものスープ。彼女の隣の椅子に座り、スプーンで一口分すくう。全然熱くない。そのまま彼女の口に近づけたら、勢いよく手が伸びてきた。手首を掴まれ、スプーンが床に落ちる。拾おうと顔を動かしたら、どこかに痛みが走った。
「いっ……」
「……」
 噛まれることはしょっちゅうなのに、いきなりのことに驚きを隠せない。明らかな拒絶。彼女は歯を出して、私の右腕に噛みついた。慌てて引っ込めようとしたら、顔がついてきて振りほどけない。仕方ないから、諦めるまで動くのをやめた。
「いくらでも私を噛んだり殴ったりしてください。ですが、私以外の人に当たるのはやめていただけませんか?」
「……」
 ノナは歯を口の中にしまい、私の腕から顔を離す。そして、聞こえないふりだというように、ボコボコになった壁を見た。右腕にはくっきりと歯形がつき、ピンク色に腫れる。一瞬でスプーンを拾い、新しいスプーンに目を向けた。いや、まだ早いか……。
「ノナが勉強していると聞いて、手話を……」
「……」
 本の見様見真似で練習してみた。名前と簡単な挨拶。完璧ではないから、ぎこちなく手が動く。ノナは顔を動かして、確かに私を見ていた。拒絶から驚きへと変わる。ハチミツ色の瞳は丸くなり、瞬きさえも忘れていたようだったが……。
 再び右腕に噛み付く。それがノナの答えだった。
「お願いです、ノナ……」
「……」
「ノナは何をしたいのですか?」
「……」
「私に何をしてほしいのですか?」
「……」
 ノナは、噛んだまま私を見つめるだけだった。
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