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第2話
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王宮に着くと、すでに大勢の若い女性たちが長い列をなしていた。
その光景は、まるで即席の舞踏会のようだった。
皆、丁寧に化粧を施し、繊細なレースや刺繍のドレスに身を包んでいる。
髪は宝石のような飾りで結い上げられ、香水の匂いが風に乗って漂ってくる。
庶民の娘ですら華やかなドレスをまとい、貴族の娘ともなれば、もはやどこかの王女と見紛うほどだった。
今すぐそのまま舞踏会へ出ていっても、誰も違和感を覚えないだろう。
その中に立つクララは、明らかに浮いていた。
落ち着いた紺のワンピース。機能重視のケープ。結い上げていない髪。化粧どころか香りもない。
ひと目で「目的が違う」とわかる出で立ちだ。
(……美しく装って、結果が変わるわけではないでしょうに)
思わず心の中で呟いたが、それを口に出せば、姉たちにはきっとこう言われるに違いない。
「乙女心がわからないなんて! 一生お嫁に行けないわよ!」
……たぶん、その通りなのだろう。
仕方がないので、さっさと終わらせよう。
そう心に決めたクララは、ためらうことなく一番最後尾に並んだ。
列はゆっくりと、けれど確実に前へと進んでいく。
その間、女性たちは落ち着きなく鏡を覗き込み、髪を整えたり、化粧を直したりしていた。
クララは特にすることもないので、それを観察することにした。
(……口紅を直す人が多いわね。やっぱり“口付け”だからかしら)
前の人の唇に口紅がついていて、そこに自分の唇を重ねる――
想像しただけで、少し顔が引きつる。
(……これ、順番が後ろのほうが損じゃない?)
呪いを解くどころか、違う病が移りそうだ。
と、別の列の女性に目をやれば、今度は小瓶から何かを指先に垂らして唇に塗っている。
(……聖水?)
おそらく、神聖な力で呪いを打ち払おうという意図なのだろう。
でも、そんな手段などとっくに誰かが試しているはずだ。
皆が皆、一生懸命に“自分こそが選ばれる運命”を信じ、工夫を凝らしている。
クララだけが、その中でぽつんと、淡々と順番を待っていた。
やがて扉の前にたどり着き、兵士に名を告げると、無表情なまま言われた。
「……順番です」
クララは小さく頷き、案内されるままに王太子が眠る部屋へと足を踏み入れた。
扉が閉まると、外の喧騒は嘘のように消えた。
張りつめた静寂が部屋全体を包み込む。まるで、時までもが眠っているかのようだった。
寝台の横には、老齢の聖職者と見える男性が一人。
今まさに、儀式用の香油で王太子の額にそっと印を描き終えたところだった。
「……どうぞ、こちらへ」
促されるまま、クララは王太子のすぐそばへと歩み寄った。
そして見た。
そこに眠っていたのは、あまりに整いすぎた、まるで作り物のような美しさをもつ青年だった。
豊かに波打つ黄金の髪。
睫毛に縁取られた瞼の奥にどんな色の瞳が隠されているのか、見えないのが惜しいと思えるほど、輪郭までもが完璧だった。
その容姿は人間の域を超えていた。
神が地上に降り立ったとすれば、こういう姿をしているのではないか――
そんな錯覚を覚えるほどに、神々しく、美しかった。
(……やっと意味がわかったわ)
あれほどまでに人々が熱狂していた理由が、ようやく腑に落ちた。
この顔を一目見るためなら、自分のすべてを差し出す者がいても不思議ではない。
(……これが、魔性の男って言うのかしら)
冷静に観察しているつもりだった。
けれど、気づけばクララの視線は、王太子の顔に吸い寄せられていた。
黄金の髪、整った顔立ち、閉じたままの長い睫毛。
そのあまりに静かな美しさが、まるで重力のようにクララの心を引き寄せる。
――そして、唇も。
自分の意思で動いているはずなのに、身体はゆっくりと、自然と彼の方へ傾いていった。
(どうか……目醒めますように)
もう、修道女の誓いも、王妃になるかもしれない未来も、頭の中からすっかり消えていた。
ただこの人を――助けたい。それだけだった。
かすかに唇が触れ合う。
その瞬間、何かが胸の奥でふわりと震えたような気がした。
クララはそっと身を引き、王太子の顔を見つめた。
(……呪いは、解けていない)
目は閉じたまま、まるで眠り続けているようだった。
クララは小さく息を吐き、肩の力を抜いた。
そして背を向け、部屋を出ようとした――そのときだった。
「……殿下!?」
背後から、老齢の聖職者の驚きの声が飛んだ。
振り返ると、王太子の瞼が、わずかに震えている。
「……奇跡じゃ……!」
老聖職者はその場に跪き、両手を組んで天を仰いだ。
感極まった祈りの声が、部屋に響く。
クララは一瞬、安堵の息をついた。
――けれど、すぐに我に返った。
(ま、まずい……非常に、まずい!)
顔から血の気が引いていくのが、自分でもはっきりわかった。
心臓の鼓動がやけに大きく、身体の内側で響いている。
「……ここは……? 私は……助かったのか?」
耳に届いたのは、よく通る、涼やかな男の声。
まるで澄んだ風が吹き抜けるような声だった。
ゆっくりと身を起こした王太子は、眠気を払うようにまばたきしながら周囲を見回す。
やがて、クララの存在に気づき、その翠色の瞳と目が合った。
その瞬間、クララの身体がピクリと跳ねた。
喉がごくりと鳴る。
「……長い夢を見ていた気がする」
「殿下……ようございました……!」
老齢の聖職者が感極まり、頬に涙を伝わせながら王太子の手を取った。
王太子はゆっくりとその手を握り返すと、再びクララの方へ視線を向けた。
そして、まるで夢の続きを見ているように、じっと彼女を見つめる。
「彼女は……?」
クララはまたもや王太子と目が合い、金縛りにあったようにその場から動けなくなった。
「――あの女性こそが、殿下の運命。殿下を救った“真実の花嫁”にございます」
聖職者が神々しい口調で宣言する。
王太子の顔に、ふっと朱がさした。
「……君が……」
「ち……ち……ち、違いますっ! ぐっ……偶然です! 本当に、ただの偶然……!」」
クララは顔を真っ赤にしながら、意味不明なほどの早口で否定した。
その騒ぎを聞きつけたのか、扉が勢いよく開かれ――国王夫妻が飛び込んできた。
「フィリクス……!」
王妃の震えるような喜びの声が室内に響いたと同時に、クララは反射的にその場を飛び出した。
背後では王妃が王太子の名を呼び続け、何人もの足音が混ざり合って迫ってくる。
クララは王宮内の長い回廊を駆け抜け、広場へ、そして待たせていた馬車へと身を投げ込んだ。
(早く……早くっ……!)
御者に声をかける余裕すらなく、息も絶え絶えに座席へ倒れ込む。
軽い気持ちで来た自分を何度呪ったかわからない。
こんなにも王宮から屋敷までの道のりが長く、心臓の音が煩わしいと感じたことなど、かつてなかった。
ようやく自邸にたどり着くと、クララはスカートの裾を抱えて一気に部屋へ駆け上がった。
「クララ!? なにをしているの!」
姉が廊下から顔をのぞかせて叫ぶが、クララは無視して衣装棚に向かい、必要最低限の荷物だけをまとめ始めた。
持参金はあとで父に頼むしかない。今はただ、ここを出ること――それだけが最優先だった。
扉の向こうから足音が近づく。
「クララ!どこ行く気なの!?」
「……お姉様、お願いです、離してください。時間がないんです」
クララは乱れた息のまま、姉セレナの手をふりほどく。
「落ち着きなさい。あなたらしくないわ」
「違う……今の私は“らしく”してる余裕なんてないの! 早く……早くしないと、王宮から追手が――!」
そのとき――屋敷の外から、馬車の車輪の音と、甲冑の軋むような足音が、重たく迫ってくるのが聞こえた。
セレナはすべてを察したようだった。
「……こっちへ」
クララの手を引いて、屋根裏部屋へと急いだ姉は、彼女を中に押し込み、素早く外から鍵をかけた。
「お姉様!? なにを――」
「しっ! 静かに。絶対に声を出してはダメよ」
「……お姉様……」
「大丈夫。私が守ってあげるわ」
その言葉を残して、セレナは階下へと戻っていった。
その光景は、まるで即席の舞踏会のようだった。
皆、丁寧に化粧を施し、繊細なレースや刺繍のドレスに身を包んでいる。
髪は宝石のような飾りで結い上げられ、香水の匂いが風に乗って漂ってくる。
庶民の娘ですら華やかなドレスをまとい、貴族の娘ともなれば、もはやどこかの王女と見紛うほどだった。
今すぐそのまま舞踏会へ出ていっても、誰も違和感を覚えないだろう。
その中に立つクララは、明らかに浮いていた。
落ち着いた紺のワンピース。機能重視のケープ。結い上げていない髪。化粧どころか香りもない。
ひと目で「目的が違う」とわかる出で立ちだ。
(……美しく装って、結果が変わるわけではないでしょうに)
思わず心の中で呟いたが、それを口に出せば、姉たちにはきっとこう言われるに違いない。
「乙女心がわからないなんて! 一生お嫁に行けないわよ!」
……たぶん、その通りなのだろう。
仕方がないので、さっさと終わらせよう。
そう心に決めたクララは、ためらうことなく一番最後尾に並んだ。
列はゆっくりと、けれど確実に前へと進んでいく。
その間、女性たちは落ち着きなく鏡を覗き込み、髪を整えたり、化粧を直したりしていた。
クララは特にすることもないので、それを観察することにした。
(……口紅を直す人が多いわね。やっぱり“口付け”だからかしら)
前の人の唇に口紅がついていて、そこに自分の唇を重ねる――
想像しただけで、少し顔が引きつる。
(……これ、順番が後ろのほうが損じゃない?)
呪いを解くどころか、違う病が移りそうだ。
と、別の列の女性に目をやれば、今度は小瓶から何かを指先に垂らして唇に塗っている。
(……聖水?)
おそらく、神聖な力で呪いを打ち払おうという意図なのだろう。
でも、そんな手段などとっくに誰かが試しているはずだ。
皆が皆、一生懸命に“自分こそが選ばれる運命”を信じ、工夫を凝らしている。
クララだけが、その中でぽつんと、淡々と順番を待っていた。
やがて扉の前にたどり着き、兵士に名を告げると、無表情なまま言われた。
「……順番です」
クララは小さく頷き、案内されるままに王太子が眠る部屋へと足を踏み入れた。
扉が閉まると、外の喧騒は嘘のように消えた。
張りつめた静寂が部屋全体を包み込む。まるで、時までもが眠っているかのようだった。
寝台の横には、老齢の聖職者と見える男性が一人。
今まさに、儀式用の香油で王太子の額にそっと印を描き終えたところだった。
「……どうぞ、こちらへ」
促されるまま、クララは王太子のすぐそばへと歩み寄った。
そして見た。
そこに眠っていたのは、あまりに整いすぎた、まるで作り物のような美しさをもつ青年だった。
豊かに波打つ黄金の髪。
睫毛に縁取られた瞼の奥にどんな色の瞳が隠されているのか、見えないのが惜しいと思えるほど、輪郭までもが完璧だった。
その容姿は人間の域を超えていた。
神が地上に降り立ったとすれば、こういう姿をしているのではないか――
そんな錯覚を覚えるほどに、神々しく、美しかった。
(……やっと意味がわかったわ)
あれほどまでに人々が熱狂していた理由が、ようやく腑に落ちた。
この顔を一目見るためなら、自分のすべてを差し出す者がいても不思議ではない。
(……これが、魔性の男って言うのかしら)
冷静に観察しているつもりだった。
けれど、気づけばクララの視線は、王太子の顔に吸い寄せられていた。
黄金の髪、整った顔立ち、閉じたままの長い睫毛。
そのあまりに静かな美しさが、まるで重力のようにクララの心を引き寄せる。
――そして、唇も。
自分の意思で動いているはずなのに、身体はゆっくりと、自然と彼の方へ傾いていった。
(どうか……目醒めますように)
もう、修道女の誓いも、王妃になるかもしれない未来も、頭の中からすっかり消えていた。
ただこの人を――助けたい。それだけだった。
かすかに唇が触れ合う。
その瞬間、何かが胸の奥でふわりと震えたような気がした。
クララはそっと身を引き、王太子の顔を見つめた。
(……呪いは、解けていない)
目は閉じたまま、まるで眠り続けているようだった。
クララは小さく息を吐き、肩の力を抜いた。
そして背を向け、部屋を出ようとした――そのときだった。
「……殿下!?」
背後から、老齢の聖職者の驚きの声が飛んだ。
振り返ると、王太子の瞼が、わずかに震えている。
「……奇跡じゃ……!」
老聖職者はその場に跪き、両手を組んで天を仰いだ。
感極まった祈りの声が、部屋に響く。
クララは一瞬、安堵の息をついた。
――けれど、すぐに我に返った。
(ま、まずい……非常に、まずい!)
顔から血の気が引いていくのが、自分でもはっきりわかった。
心臓の鼓動がやけに大きく、身体の内側で響いている。
「……ここは……? 私は……助かったのか?」
耳に届いたのは、よく通る、涼やかな男の声。
まるで澄んだ風が吹き抜けるような声だった。
ゆっくりと身を起こした王太子は、眠気を払うようにまばたきしながら周囲を見回す。
やがて、クララの存在に気づき、その翠色の瞳と目が合った。
その瞬間、クララの身体がピクリと跳ねた。
喉がごくりと鳴る。
「……長い夢を見ていた気がする」
「殿下……ようございました……!」
老齢の聖職者が感極まり、頬に涙を伝わせながら王太子の手を取った。
王太子はゆっくりとその手を握り返すと、再びクララの方へ視線を向けた。
そして、まるで夢の続きを見ているように、じっと彼女を見つめる。
「彼女は……?」
クララはまたもや王太子と目が合い、金縛りにあったようにその場から動けなくなった。
「――あの女性こそが、殿下の運命。殿下を救った“真実の花嫁”にございます」
聖職者が神々しい口調で宣言する。
王太子の顔に、ふっと朱がさした。
「……君が……」
「ち……ち……ち、違いますっ! ぐっ……偶然です! 本当に、ただの偶然……!」」
クララは顔を真っ赤にしながら、意味不明なほどの早口で否定した。
その騒ぎを聞きつけたのか、扉が勢いよく開かれ――国王夫妻が飛び込んできた。
「フィリクス……!」
王妃の震えるような喜びの声が室内に響いたと同時に、クララは反射的にその場を飛び出した。
背後では王妃が王太子の名を呼び続け、何人もの足音が混ざり合って迫ってくる。
クララは王宮内の長い回廊を駆け抜け、広場へ、そして待たせていた馬車へと身を投げ込んだ。
(早く……早くっ……!)
御者に声をかける余裕すらなく、息も絶え絶えに座席へ倒れ込む。
軽い気持ちで来た自分を何度呪ったかわからない。
こんなにも王宮から屋敷までの道のりが長く、心臓の音が煩わしいと感じたことなど、かつてなかった。
ようやく自邸にたどり着くと、クララはスカートの裾を抱えて一気に部屋へ駆け上がった。
「クララ!? なにをしているの!」
姉が廊下から顔をのぞかせて叫ぶが、クララは無視して衣装棚に向かい、必要最低限の荷物だけをまとめ始めた。
持参金はあとで父に頼むしかない。今はただ、ここを出ること――それだけが最優先だった。
扉の向こうから足音が近づく。
「クララ!どこ行く気なの!?」
「……お姉様、お願いです、離してください。時間がないんです」
クララは乱れた息のまま、姉セレナの手をふりほどく。
「落ち着きなさい。あなたらしくないわ」
「違う……今の私は“らしく”してる余裕なんてないの! 早く……早くしないと、王宮から追手が――!」
そのとき――屋敷の外から、馬車の車輪の音と、甲冑の軋むような足音が、重たく迫ってくるのが聞こえた。
セレナはすべてを察したようだった。
「……こっちへ」
クララの手を引いて、屋根裏部屋へと急いだ姉は、彼女を中に押し込み、素早く外から鍵をかけた。
「お姉様!? なにを――」
「しっ! 静かに。絶対に声を出してはダメよ」
「……お姉様……」
「大丈夫。私が守ってあげるわ」
その言葉を残して、セレナは階下へと戻っていった。
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