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第1話 神田川
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神田川という歌を知っているだろうか?
『かぐや姫』の歌で、昔、とてもヒットしたと聞いている。
僕がその歌を知ったのは、受験勉強の最中に聞いていたFMだった。
受験勉強にウンザリしていた僕は、歌詞に出てくる純愛に憧れた。
貧しくても仲むつまじく暮らす若いふたりの下宿。その部屋の窓の下を流れる神田川。
関西に住んでいたので、神田川の土地勘が無い。どのような川だろうと、想像した。
そして、受験が終われば、(歌のような)愛せる女性に出会えると思い、勉強に励んだ。
大学を卒業して直ぐに、僕は結婚した。相手は二十歳になったばかりの娘だった。
お互いの親から反対されていた(冷静に考えれば、反対ではなく少し待てと言っていただけなのだが)ので、彼女の成人を待ち、自分たちの意思で婚姻届を出した。
書類を提出するだけの結婚だった。いや、区役所の帰りにガストに寄り、ささやかだが、二人で食事をした。
ガストで彼女は僕の手に手を重ね、涙ぐんで「嬉しい」と言ってくれた。
3月の終わりだったので、ガストの窓から見える公園の桜がとても美しかった。
生活は、歌のように貧しかった。
彼女は人と接するのが苦手で、相手の言葉に直ぐに傷ついて籠もってしまうので働きに出るのは無理だった。
当時、大学を出たばかりの給料で、奨学金を返しながら、賃貸に住み、ふたりの生活を賄うのは無理があった。
親の反対を押し切る形で結婚したので、支援は得られなかった。
休みの日には、ふたりして夕方までベッドの中で抱き合っていた。なにせ、外に出ると、お金が掛かる。
僕とのセックスで逝って、躰を離した後も下半身を痙攣させている彼女を、そして意識が戻ると僕を求め、微笑み抱きつく彼女を、僕はとても愛おしいと思った。
その時、彼女を幸せにしたいと真剣に思ったのは、断じてウソでは無い。
そしてこの愛は神田川のような純愛なのだと思っていた。
ただ・・・、お金が無いというのは、人の心を荒ませる。
大事なのはお金では無い、という人もいるが、それは、なんとか生活が維持できている人が言うことだ。
替えのスーツどころか、夏用のスーツも買えない状況、職場で呑みに誘われても、なんとか断れないかと悩む日々・・・。
仕事での交通費の立て替えさへも困った。
あと数万円の収入があれば、まったく状況は違っていたと思う。
生活費の状況は彼女も理解していた。働けない自分に負い目も感じていたと思う。
だから、貧しさ故、少しづつ心が荒んできた僕に、とても気を使って過ごした。
僕は断じて、彼女を責めることなど無かった。
でも気持の底で不満をもっていたのは紛れもない事実だ。
それを敏感に感じ取っていたのだろう。彼女は僕の一挙手一投足にビクビクし始めた。
今なら、大事なものが何なのか、守らねばならないものが何なのか、良く判る。
でも、その時は貧しさ故の苦しさから、そんな事に思いを馳せることなど出来なかった。
そしてその貧しさとイライラの中『神田川』の歌など、すっかり忘れていた。
・・・・
9年後、僕は東京転勤を命じられた。
職場が池袋のサンシャイン60ビルにあったので、僕は歩いて行ける大塚に住んだ。
引っ越しの翌日は日曜日だった。大塚を通る都電(路面電車)が珍しく、早稲田方面の電車に乗ってみた。
面影橋という駅名に惹かれて降り、川沿いを散策した。
川沿いの桜が綺麗だった。花びらが散り、川面を彩っていた。
その川が、神田川だと知り、突然、神田川の歌(それとその歌に憧れていた時の感情)とふたりで婚姻届を出したときの気持が蘇った。
もっと、もっと、優しくすれば良かった。
失ったものは後になって、その大切さに気づくものだ。
僕はその時、ひとりになって数年が経っていた。
第1話 完
『かぐや姫』の歌で、昔、とてもヒットしたと聞いている。
僕がその歌を知ったのは、受験勉強の最中に聞いていたFMだった。
受験勉強にウンザリしていた僕は、歌詞に出てくる純愛に憧れた。
貧しくても仲むつまじく暮らす若いふたりの下宿。その部屋の窓の下を流れる神田川。
関西に住んでいたので、神田川の土地勘が無い。どのような川だろうと、想像した。
そして、受験が終われば、(歌のような)愛せる女性に出会えると思い、勉強に励んだ。
大学を卒業して直ぐに、僕は結婚した。相手は二十歳になったばかりの娘だった。
お互いの親から反対されていた(冷静に考えれば、反対ではなく少し待てと言っていただけなのだが)ので、彼女の成人を待ち、自分たちの意思で婚姻届を出した。
書類を提出するだけの結婚だった。いや、区役所の帰りにガストに寄り、ささやかだが、二人で食事をした。
ガストで彼女は僕の手に手を重ね、涙ぐんで「嬉しい」と言ってくれた。
3月の終わりだったので、ガストの窓から見える公園の桜がとても美しかった。
生活は、歌のように貧しかった。
彼女は人と接するのが苦手で、相手の言葉に直ぐに傷ついて籠もってしまうので働きに出るのは無理だった。
当時、大学を出たばかりの給料で、奨学金を返しながら、賃貸に住み、ふたりの生活を賄うのは無理があった。
親の反対を押し切る形で結婚したので、支援は得られなかった。
休みの日には、ふたりして夕方までベッドの中で抱き合っていた。なにせ、外に出ると、お金が掛かる。
僕とのセックスで逝って、躰を離した後も下半身を痙攣させている彼女を、そして意識が戻ると僕を求め、微笑み抱きつく彼女を、僕はとても愛おしいと思った。
その時、彼女を幸せにしたいと真剣に思ったのは、断じてウソでは無い。
そしてこの愛は神田川のような純愛なのだと思っていた。
ただ・・・、お金が無いというのは、人の心を荒ませる。
大事なのはお金では無い、という人もいるが、それは、なんとか生活が維持できている人が言うことだ。
替えのスーツどころか、夏用のスーツも買えない状況、職場で呑みに誘われても、なんとか断れないかと悩む日々・・・。
仕事での交通費の立て替えさへも困った。
あと数万円の収入があれば、まったく状況は違っていたと思う。
生活費の状況は彼女も理解していた。働けない自分に負い目も感じていたと思う。
だから、貧しさ故、少しづつ心が荒んできた僕に、とても気を使って過ごした。
僕は断じて、彼女を責めることなど無かった。
でも気持の底で不満をもっていたのは紛れもない事実だ。
それを敏感に感じ取っていたのだろう。彼女は僕の一挙手一投足にビクビクし始めた。
今なら、大事なものが何なのか、守らねばならないものが何なのか、良く判る。
でも、その時は貧しさ故の苦しさから、そんな事に思いを馳せることなど出来なかった。
そしてその貧しさとイライラの中『神田川』の歌など、すっかり忘れていた。
・・・・
9年後、僕は東京転勤を命じられた。
職場が池袋のサンシャイン60ビルにあったので、僕は歩いて行ける大塚に住んだ。
引っ越しの翌日は日曜日だった。大塚を通る都電(路面電車)が珍しく、早稲田方面の電車に乗ってみた。
面影橋という駅名に惹かれて降り、川沿いを散策した。
川沿いの桜が綺麗だった。花びらが散り、川面を彩っていた。
その川が、神田川だと知り、突然、神田川の歌(それとその歌に憧れていた時の感情)とふたりで婚姻届を出したときの気持が蘇った。
もっと、もっと、優しくすれば良かった。
失ったものは後になって、その大切さに気づくものだ。
僕はその時、ひとりになって数年が経っていた。
第1話 完
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