【R18】魔力を失った少女は婚約者から逃亡する

澤谷弥(さわたに わたる)

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8.また来てもいいですか(1)

 レインが祖母の元へ来てから、約十日が経とうとしていた。こちらの生活にもすっかり慣れ、とまではいかないが、祖母に教えてもらいながらなんとか自分のことは自分でできるようになった。掃除も洗濯も料理も。できるようになるのが何よりも楽しいし、祖母は事あるごとに褒めてくれる。それが何よりも嬉しかった。

 思い返せば、学園のときも、そして魔導士団に入団した後も、何かできてもそれが当たり前という風潮で誰も褒めてくれなかった。
 魔力無限大なんだから、当たり前だろ、と。前魔導士団長の娘なんだから、当然だろ、と。
 それを思い出し、レインはふぅと息を吐いた。

「あら、レインちゃん。疲れたかい?」
 祖母は穏やかな笑みを浮かべている。

「いいえ、大丈夫です。ちょっと考え事をしていて……。こちらのお掃除ももう少しで終わります」

「そうかい、そうしたら今日は集落まで行ってみるかい?」

 集落。つまり、他の人たちが住んでいるところ。
 祖母はけして集落の人たちと仲違いをしたからこんな山奥の辺鄙な場所に住んでいるわけではない。薬草を採るのに便利だから、という理由。だから、たまには集落にまで足を伸ばすこともあるらしい。

「はい」
 レインは嬉しくなって、力いっぱい頷いた。ここには自分のことを知っている人はいないはず。
 祖母が集落にまで足を伸ばすのは、食料や日常生活品の調達の他に、彼らに頼まれた薬を届けるためでもある。

「頼まれた薬を持ってきたよ」
 と声をかけながら一軒一軒その家を訪れる。するとその家の者は隣にいるレインに気付き声をかける。
「私の孫だよ」
 祖母が言うと、レインは「レインです」と少しだけ頭を下げる。姓を名乗らないのは、ここにその名は不要であると思っていたから。

「おばあちゃんに、こんなかわいいお孫さんがいたの?」
 三件目に訪れた家は、若い夫婦と幼い子供がいる四人家族の家だった。父親は仕事へ行っていて不在だと言う。今は母親と子供たちだけ。

「どうぞどうぞ、入って入って」
 この家の母親が明るくレインたちを迎え入れてくれた。幼い子供たちは、五歳と七歳の女の子だった。もじもじとしながら「こんにちは」と挨拶をしてくれた。レインも腰を曲げて、目の高さを彼女たちに合わせて「こんにちは」と言うと、二人はニコッと屈託のない笑顔を向けてくれた。そして、二人はレインの右手と左手の袖をそれぞれぐいっと引っ張る。

「遊んで欲しいんだよ」
 祖母は言う。
「遊ぶ?」レインは首を傾けた。「どうやって?」
 ああ、この孫は遊び方も知らないのか、と、祖母は思った。どのような暮らしがそうさせたのか、追究してはならないのかもしれない。

「これじゃ、どっちが遊んでもらっているのか、わからないね」
 幼い子供たちに囲まれながら、その子たちと同じような笑顔を浮かべているレイン。

「おばあちゃんの跡継ぎ?」
 母親は目を細めて、言う。

「そんな立派なもんじゃないよ。今はここに勉強にきているだけだ」

「そういえば、ニコラは元気かしら」
 この母親は、昔からのニコラとの知り合い。

「元気も何も無いね。昔からの放浪癖で、今でもこうやって娘を置いて放浪してるさ。子供たちに聞いたら、ときどき手紙は届くらしいよ。この大陸のどっかにはいるって。私には一つも寄越しやしないのにね」
「この大陸のどこかって。もう、ニコラらしいわね」
 母親はぷっと笑った。
「私も、たまには娘たちを置いて、どこかに放浪したくなるときもある。一日中、この娘たちと一緒にいると、気が滅入ってしまうときもあるの」
 だから、祖母はこの母親に薬を渡していた。気持ちが穏やかになるような薬を。

「ねえ、レインちゃん」
 母親がレインの名を呼んだ。「よかったら、また遊びに来てくれない?」

「え、いいんですか?」
 レインの顔がぱーっと輝いた。

「お姉ちゃん、また来てくれるの?」
「おねーちゃん、またきてね」
 二人の姉妹、姉がアニーで妹がシャリー、が、交互にそんなことを言う。その言葉に、ついついレインが顔をほころばせる。
「なんか、よくわからないけど。嬉しいです」

「お姉ちゃん、泣いてる?」
 アニーに指摘され、目尻を小指でぬぐった。ちょっとだけ濡れている。

「あら、本当。どうしてでしょう?」

「おめめに、ごみー」
 シャリーが目にゴミが入ったのではないか、と言って、レインの瞳を覗き込む。

「えっと。シャリーさんは私のことを心配してくれたのでしょうか?」
 うん、と力強く頷く。アニーもうん、と言う。
 なぜか目尻にたまっていた涙が溢れそうになるが、それをぐいっと食い止めようとしたため鼻の奥が痛い。
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