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第九章
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「楽しみですわね、モーゼフ」
モーゼフの隣には、相変わらずフリートという女性がべったりと座っている。
「私とあなたの婚約発表」
モーゼフにはこのフリートの言っている意味がわからなかった。だから、誰と誰が婚約をするのだろうか。
室内には鼻につくような甘ったるい香りが漂っている。
フリートがメイソン侯爵家の令嬢であることを理由に、モーゼフの婚約者として問題ないのではないか、ということが次第に囁かれ始めた。誰が言い出したのか、今となってはわからない。だが、それに便乗する声というものがあって、不思議なことにあれよあれよと話は決まっていく。最初は眉をしかめていた国王であったが、周囲の意見と、そして何よりもモーゼフが見初めた相手、ということで、次第に納得し始める。それは、無理矢理リューディアと婚約させ、失敗したことが根本にもあった。だから、国王がモーゼフとフリートの仲が認めてしまったのは、フリート自身の気持ちというものが一番大きい。
「私に、触らないでくれるか?」
ねっとりと腕を絡ませていたフリートを拒絶するような言葉がモーゼフから飛び出した。それにはフリートも眉をしかめてしまう。
「モーゼフ。どうかしたの? 私とあなたの仲じゃないの」
「それよりも。君は一体、誰なんだ」
チッと、はしたなくフリートは舌打ちをする。どうやらモーゼフにかけている魅了の効果が薄れてきているようだ。彼と会うときは、それを維持するために魔導具で香を焚いていた、というのに。もしかして、長く使い続けたせいで耐性ができてしまったのだろうか。
だが、婚約発表までもう少し。それまでは、このモーゼフにはこのままでいてもらう必要がある。そのために、あのリューディアという憎たらしい娘を蹴落としたのだから。
「ねえ、モーゼフ。私の目を見てちょうだい。あなたが好きなのは、私よ。リューディアなんていう、小娘なんかじゃないの」
一層、甘い香りが強くなる。
モーゼフが好きなのは、この香りではない。春風のような爽やかな香り。リューディアが現れると、ふっと鼻をかすめる石鹸のような香り。
次第にモーゼフの瞼がとろんと重くなっていく。
なぜ、こんなに頭がはっきりとしないのか。モーゼフにはわからない。
彼はそろそろ二十歳の誕生日を迎える。それと同時に立太子の儀が行われるはずなのだが、さらに同時に行われるのがこのフリートとの婚約発表だ。
違う、そうではない、と思いながらも、モーゼフは重くなっていく頭と瞼に抗うことはできなかった。
◇◆◇◆
「いやぁ、どんどんまずいことになってきたなぁ」
という口調は、本当にそう思っているのか疑わしいところだ。
官舎のヘイデン一家が住まう部屋。そこにエメレンスも訪れていた。今日は、現場が一斉休みである休日。それでもお手伝いさんたちが二人の子供を外に遊びに連れ出してくれているため、ここにはいつもの四人しかいない。
「これがシオドリックから届いた」
家族団らんで使用しているリビングルーム。そこのソファには、定位置のように四人が座っていて、そのローテーブルの上にヘイデンが「届いた」と言ったものを置いた。二通の手紙。
「まずは、モーゼフ殿下の立太子の件。これは、前々から決められていたことだから、何も問題はない」
それはエメレンスでさえそう思っていたこと。だから、あの兄を支えるためにと、魔導士団に入ったのだ。
「そして、こっちがモーゼフ殿下の婚約発表の件」
「婚約?」
思わずエメレンスでさえ声をあげてしまった。
「ああ。そろそろエメレンス殿下のところにも連絡が入るんじゃないのか? これは、ミシェルが手に入れた非公式な裏情報だからな。公式よりも早い」
「もう、嫌な予感しかしないのですが。もちろん、兄上の婚約の相手は……」
「ご名答。フリート・メイソンだ。シオドリックからの情報によると、立太子と同時に婚約発表が開かれる予定。となれば、エメレンス殿下ももちろんそれに出席されるだろう?」
「ええ。まだ公式な連絡はきておりませんが、恐らく、というか絶対にそうなりますね」
「それだが。ディアを殿下のパートナーとして連れて、出席してもらいたい」
「え? わたくしが、レンのパートナーとしてですか?」
リューディアは、くりくりっと目を大きく見開いた。眼鏡が無い分、その目の大きさがよくわかる。
「ああ。ディア、お前。その、あれだ。エメレンス殿下とそういう関係なんだろ?」
「どういう関係ですか?」
どうやらこの妹には言葉を濁す、ということが通じないようだ。
「まあ、いい。そういう関係ってことで」
「はい、そういう関係になったと、ボクは思っています。両親にも伝えなければと思ったのですが、もう少し秘密の関係を楽しみたいので、まだ誰にも言ってませんが……」
エメレンスが「秘密の関係」と口にしたときに反応したのはイルメリだけ。
「じゃ。そのときにそういう関係を公にしてきて欲しい。できれば、モーゼフ殿下の婚約発表の前の方がいい。一度、王族関係者から離れたリューディアが、再び関係者の婚約者となったら。恐らくメイソン一家は焦るだろう」
「つまり、リューディアを囮に使うと?」
エメレンスは少しだけ腰を浮かした。
モーゼフの隣には、相変わらずフリートという女性がべったりと座っている。
「私とあなたの婚約発表」
モーゼフにはこのフリートの言っている意味がわからなかった。だから、誰と誰が婚約をするのだろうか。
室内には鼻につくような甘ったるい香りが漂っている。
フリートがメイソン侯爵家の令嬢であることを理由に、モーゼフの婚約者として問題ないのではないか、ということが次第に囁かれ始めた。誰が言い出したのか、今となってはわからない。だが、それに便乗する声というものがあって、不思議なことにあれよあれよと話は決まっていく。最初は眉をしかめていた国王であったが、周囲の意見と、そして何よりもモーゼフが見初めた相手、ということで、次第に納得し始める。それは、無理矢理リューディアと婚約させ、失敗したことが根本にもあった。だから、国王がモーゼフとフリートの仲が認めてしまったのは、フリート自身の気持ちというものが一番大きい。
「私に、触らないでくれるか?」
ねっとりと腕を絡ませていたフリートを拒絶するような言葉がモーゼフから飛び出した。それにはフリートも眉をしかめてしまう。
「モーゼフ。どうかしたの? 私とあなたの仲じゃないの」
「それよりも。君は一体、誰なんだ」
チッと、はしたなくフリートは舌打ちをする。どうやらモーゼフにかけている魅了の効果が薄れてきているようだ。彼と会うときは、それを維持するために魔導具で香を焚いていた、というのに。もしかして、長く使い続けたせいで耐性ができてしまったのだろうか。
だが、婚約発表までもう少し。それまでは、このモーゼフにはこのままでいてもらう必要がある。そのために、あのリューディアという憎たらしい娘を蹴落としたのだから。
「ねえ、モーゼフ。私の目を見てちょうだい。あなたが好きなのは、私よ。リューディアなんていう、小娘なんかじゃないの」
一層、甘い香りが強くなる。
モーゼフが好きなのは、この香りではない。春風のような爽やかな香り。リューディアが現れると、ふっと鼻をかすめる石鹸のような香り。
次第にモーゼフの瞼がとろんと重くなっていく。
なぜ、こんなに頭がはっきりとしないのか。モーゼフにはわからない。
彼はそろそろ二十歳の誕生日を迎える。それと同時に立太子の儀が行われるはずなのだが、さらに同時に行われるのがこのフリートとの婚約発表だ。
違う、そうではない、と思いながらも、モーゼフは重くなっていく頭と瞼に抗うことはできなかった。
◇◆◇◆
「いやぁ、どんどんまずいことになってきたなぁ」
という口調は、本当にそう思っているのか疑わしいところだ。
官舎のヘイデン一家が住まう部屋。そこにエメレンスも訪れていた。今日は、現場が一斉休みである休日。それでもお手伝いさんたちが二人の子供を外に遊びに連れ出してくれているため、ここにはいつもの四人しかいない。
「これがシオドリックから届いた」
家族団らんで使用しているリビングルーム。そこのソファには、定位置のように四人が座っていて、そのローテーブルの上にヘイデンが「届いた」と言ったものを置いた。二通の手紙。
「まずは、モーゼフ殿下の立太子の件。これは、前々から決められていたことだから、何も問題はない」
それはエメレンスでさえそう思っていたこと。だから、あの兄を支えるためにと、魔導士団に入ったのだ。
「そして、こっちがモーゼフ殿下の婚約発表の件」
「婚約?」
思わずエメレンスでさえ声をあげてしまった。
「ああ。そろそろエメレンス殿下のところにも連絡が入るんじゃないのか? これは、ミシェルが手に入れた非公式な裏情報だからな。公式よりも早い」
「もう、嫌な予感しかしないのですが。もちろん、兄上の婚約の相手は……」
「ご名答。フリート・メイソンだ。シオドリックからの情報によると、立太子と同時に婚約発表が開かれる予定。となれば、エメレンス殿下ももちろんそれに出席されるだろう?」
「ええ。まだ公式な連絡はきておりませんが、恐らく、というか絶対にそうなりますね」
「それだが。ディアを殿下のパートナーとして連れて、出席してもらいたい」
「え? わたくしが、レンのパートナーとしてですか?」
リューディアは、くりくりっと目を大きく見開いた。眼鏡が無い分、その目の大きさがよくわかる。
「ああ。ディア、お前。その、あれだ。エメレンス殿下とそういう関係なんだろ?」
「どういう関係ですか?」
どうやらこの妹には言葉を濁す、ということが通じないようだ。
「まあ、いい。そういう関係ってことで」
「はい、そういう関係になったと、ボクは思っています。両親にも伝えなければと思ったのですが、もう少し秘密の関係を楽しみたいので、まだ誰にも言ってませんが……」
エメレンスが「秘密の関係」と口にしたときに反応したのはイルメリだけ。
「じゃ。そのときにそういう関係を公にしてきて欲しい。できれば、モーゼフ殿下の婚約発表の前の方がいい。一度、王族関係者から離れたリューディアが、再び関係者の婚約者となったら。恐らくメイソン一家は焦るだろう」
「つまり、リューディアを囮に使うと?」
エメレンスは少しだけ腰を浮かした。
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