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 この部屋にはアルベティーナとルドルフの二人しかいないから、そのため息の主は間違いなくルドルフだ。
「頭をあげて、座れ」
「あ、はい」
 彼の言葉に従い、アルベティーナは再びソファに腰をおろす。緊張していたためか、勢いよく座り過ぎ、ソファに埋もれてしまった。その様子を見ていた彼が、くくっと喉の奥で笑っていた。
「相変わらずだな、お前は」
「あ、ごめんなさい……」
 思わず家族といるときのような言葉遣いが出てしまったため、アルベティーナは両手で口を押さえた。
「気にするな。それに、例の調査の件はむしろお前のおかげで根こそぎ関係者を捕まえることができた。その点はお前に感謝している」
 ルドルフの表情が和らいだため、アルベティーナはつい両眉を上げた。
(だから……。団長のその表情かお……、ずるい……)
 このように時折見せるルドルフの優しい表情が、彼女の心をかき乱していることに彼は気付いていないのだろう。
 それでも昨日の彼は、よほど時間と仕事に忙殺されていたにちがいない。なぜなら昨日は、項垂れたままアルベティーナを見ようとしなかったのだから。
 やっとルドルフの顔を正面から見ることができたような気がした。
「あの日。お前が記憶を失っているのは、恐らく薬のせいだな」
「薬……。あ、ウォルシュ侯爵から手渡された飲み物。やはり、あれに薬が?」
 ああ、とルドルフは大きく頷いた。
 それをきっかけに、あの夜の出来事がアルベティーナの頭の中に蘇り、ぶわっと全身に熱が駆け巡った。まるで体中の血液が沸騰したかのように。
「あ、あのとき……」
 アルベティーナの動揺は間違いなく目の前のルドルフにも伝わっているはずだ。それでも彼は温かな眼差しでアルベティーナを見つめている。
「言っただろう? あれは薬のせいだ」
「で、ですが……」
 夢だと思いたかったあの行為が、鮮明に思い出されてきた。彼に肌を見せ、誰にも見せたことのないような場所に触れられ、舐められ、挙句――。
「なんだ? あのときの続きをして欲しいのか?」
 身を強張らせて手元のカップを見つめていたアルベティーナは、ルドルフの声ではっと顔をあげる。愉悦に満ちた彼の眼差しが、アルベティーナの視線を捉えている。
「ち、違います」
 彼の眼差しから逃げるように、アルベティーナは視線を逸らす。
 くくっと笑う彼の声が耳に入った。
「冗談だ。あまりにもお前が赤くなっていたのでな。揶揄いたくなった。だから気にするなと何度も言っているだろう? あれは薬のせいだ。そう、治療行為の一つだと思っていればいいだろう」
 治療行為と口にされ、再びどのような行為であったかを思い出してしまう。じわっと体の奥が疼く。
「もう。やめてください……」
 羞恥に耐え切れず、アルベティーナは自身の顔を両手で覆い身体を折り曲げた。
「なんだ。お前が気にしているから、気にしなくていい、と俺は言っているだけだ」
「わかりました。もう、気にしません。ですから、団長も忘れてください」
 顔をあげることができないアルベティーナは、そのままルドルフからの言葉を待っていた。だが、聞こえてきたのは彼の笑い声。
「くっ、ふふっ……」
恐る恐る顔を上げて、指の隙間から彼の顔をこっそりと覗く。
「やっと、顔をあげたな」
 指の隙間から見ただけなのに、ルドルフと目が合ってしまった。そのルドルフは右手の小指で目尻を拭っている。もしかして、涙が出るほど笑われてしまったのだろうか。
「ああ、すまない。お前が思った通りの反応をしてくれてだな。ああ、久しぶりにこんなに笑ったよ」
 目の前で大笑いしているルドルフを見ていたら、先ほどまでの羞恥心はどこかに飛んでいってしまった。アルベティーナもやっと顔から手を離し、どこか冷めた目で彼を見つめる。ここまで派手に笑われてしまったら、逆に開き直れてしまう。
「団長、笑い過ぎです」
 先ほどとは違う意味で頬を染め上げているアルベティーナは、ちょっとだけ唇を尖らせてみた。
「ああ。悪かった。だがこれでお前も、もう気にしなくて済むだろう?」
「もう、そのことについては口にしないでください」
 乱暴にカップに手を伸ばした彼女は、勢いよく中身を飲み干した。
「ごちそうさまでした。時間ですから、これで失礼します」
 アルベティーナは立ち上がる。彼女自身も、何に対してこのような苛々とした気持ちになっているのか、よくわからなかった。
「アルベティーナ」
 扉の前に立った彼女の背に、ルドルフの低い声がかけられる。
「明日の朝も、手伝いを頼めるか?」
 扉に手をかけたまま、アルベティーナは振り返らずに「はい」とだけ答えた。
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