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第五章(4)
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その日はどうやって部屋に戻ってきたのかも覚えていない。クローディアに突き付けられた言葉は、じわじわと心の奥を蝕んでいった。早々にベッドへと潜り込んで、込み上げてくる涙をこらえる。
夕食は断った。何かを食べる気にはならなかった。
これからどうしたらいいのかと、そればかり考えていた。
補佐官の仕事を、このような中途半端な形で終えることになるとは思ってもいなかった。自分に不甲斐ないのはわかっている。社交の場は醜い欲望と嫉妬にまみれているのだ。それをうまく対処できなかった自分が悪い。
そうやってぐるぐると考え込んでいるうちに、眠ってしまったようだ。人の気配を感じ、目を開ける。
「殿下……?」
なぜかイライアスがベッドの側に座っていた。シェリルは慌てて身体を起こした。
「具合が悪いのか? 夕食を断ったと聞いた」
「あっ……いえ……」
そう声を出しただけなのに、なぜか胸の奥がぎゅと締め付けられる。
「そうか……」
沈黙が落ちた。だが、口を開いたのはイライアスだ。
「クローディアについていくのか?」
「え?」
また、ずきりと胸が痛む。
「クローディアから言われた。シェリルをあきらめろと」
先ほど、補佐官はクビだと言われたばかりだ。
「補佐官ではなく、専属の侍女になってほしいと、クローディアはそう言っていた」
あの言葉にそういった意味が隠されていたとは思わなかった。
そこでクローディアが、ワルリス公爵領についてきてほしいと口にしていたことを思い出す。
「だが、俺はシェリルをあきらめたくない。行かないでほしい」
アイアンブルーの瞳が、シェリルを捉える。
その視線にシェリルはたじろいだ。
「え? この婚約は、陛下との約束を守るための偽装ですよね?」
「それは……悪かった……と思う。俺の言葉が足りなかった。おまえに断られたくなくて、命令だと言った……」
つまり、あの言葉はイライアスの本音ではなかったということだろうか。
「あの言葉がシェリルを追い詰めているとは思ってもいなかった。すまない」
「いえ……」
胸が痛い。どうしたらいいかがわからない。どう気持ちを言葉にしていいかもわからない。
「シェリルに触れてもいいか? 嫌だったら、断ってくれてかまわない」
「大丈夫、です……」
イライアスはそっと手を伸ばし、シェリルの手を握った。
「俺の気持ちを聞いてほしい」
真剣な眼差しで真っすぐに見つめられ、シェリルはおもわずコクリと頷いた。
「俺がシェリルと出会ったのは、学園に入学してすぐだ」
そう言われてもシェリルには、記憶がない。よくよく思い出してみても、そのときのイライアスの姿が思い浮かばないのだ。
それが顔に出ていたのだろう。イライアスは自嘲気味に笑う。
「……やはり、覚えていないか。入学したての俺は、今と同じくらいの体重があったからな」
十歳の子どもが二十歳の大人と同じ体重。その体型を想像してみると、まるまると太った子どもしか出てこない。
「おい、今、想像しているだろ。顔に出ている」
「も、申し訳ありません」
「謝らなくていい。シェリルの想像したとおりだ。あのころの俺は、太っていたからな。王子という立場があっても、誰も近づいてこなかった。醜い何かを見るような、冷たい視線を投げかけられたものだよ」
イライアスはこの国の王子だ。太っていようが痩せていようが王子という身分に変わりはない。だが、下手に近づき、イライアスを刺激するようなことをしてはならないとでも思ったに違いない。
見目がよければ、それを褒めそやしておけば間違いないが、簡単にそれができない容姿。
それなのに王子。幼い子らには葛藤があったはずだ。学園に通うような子らは、変に自尊心の高いところがある。
「だけどな。シェリルだけは別だった。シェリルは、昔から分け隔てなく人と接していた」
それはきっと、学園は勉強をする場だと割り切っていたためだ。勉学に励み、将来は王城で文官として勤めたいと思っていた。
人間関係をどう築こうとか、そういう駆け引きも得意ではない。
「だけどシェリルは俺と接するたびに、ほかの者から暴言を受けていた。わかるか? あいつらは俺に直接言えない言葉を、シェリルに向かって吐いていたんだ。醜い、汚らわしい、そんな言葉だったかな。あいつらは、それをシェリルに言うことで、俺に対する劣等感などを吐き出していたんだろうな」
イライアスは入学したときから成績は一番だった。それはシェリルだって覚えている。
「まぁ、太っていようが王子は王子だ。身分に変わりはない」
シェリルに対する嫌がらせは、イライアスから引き離すための手段。それは今も昔も変わりはない。だが、その求められる結果は異なっている。
昔は、醜い王子を孤立させるために、シェリルに嫌がらせをし、シェリルがイライアスから離れることを狙っていた。
そして孤立した王子が、自主的に学園に来なくなれば、彼らは手を汚すことなくイライアスを蹴落とすことができる。
彼らは直接イライアスに何かをしたわけではない。シェリルに嫌がらせをすることで、間接的にイライアスにダメージを与え、学園から追い出そうとしていたのだ。
なにも学園は義務ではない。学びたい者が自由に通える場所。イライアスのような立場の者が通っていることを面白くないと思っていた者すらいるかもしれない。
「……わたしは学園に通っていた頃から、ずっと嫌がらせをされておりましたが、それは殿下のせいではありません。あれはわたし自身のせいです」
嫌がらせをされて、それに対処しようとしなかった自分にも非がある。黙って受け入れていれば、相手を増長させてしまうのに。
彼女たちの相手をするのは、ただただ面倒だった。
「間接的に俺もかかわっていた。違うか? 媚を売っているとかなんとか、言われたことはないか? 誰も近づかない、太った醜い王子に好かれようと必死だって。だから、俺が太っていて醜いから、シェリルに迷惑をかけているんじゃないかと、そう思っていたんだ」
別にイライアスに媚を売ったつもりもない。同じ学園に通う者として、学友として話をしただけ。
「……だから俺は、好きなものも我慢して、見た目も整えなければと思った。シェリルにふさわしい男になりたかった」
夕食は断った。何かを食べる気にはならなかった。
これからどうしたらいいのかと、そればかり考えていた。
補佐官の仕事を、このような中途半端な形で終えることになるとは思ってもいなかった。自分に不甲斐ないのはわかっている。社交の場は醜い欲望と嫉妬にまみれているのだ。それをうまく対処できなかった自分が悪い。
そうやってぐるぐると考え込んでいるうちに、眠ってしまったようだ。人の気配を感じ、目を開ける。
「殿下……?」
なぜかイライアスがベッドの側に座っていた。シェリルは慌てて身体を起こした。
「具合が悪いのか? 夕食を断ったと聞いた」
「あっ……いえ……」
そう声を出しただけなのに、なぜか胸の奥がぎゅと締め付けられる。
「そうか……」
沈黙が落ちた。だが、口を開いたのはイライアスだ。
「クローディアについていくのか?」
「え?」
また、ずきりと胸が痛む。
「クローディアから言われた。シェリルをあきらめろと」
先ほど、補佐官はクビだと言われたばかりだ。
「補佐官ではなく、専属の侍女になってほしいと、クローディアはそう言っていた」
あの言葉にそういった意味が隠されていたとは思わなかった。
そこでクローディアが、ワルリス公爵領についてきてほしいと口にしていたことを思い出す。
「だが、俺はシェリルをあきらめたくない。行かないでほしい」
アイアンブルーの瞳が、シェリルを捉える。
その視線にシェリルはたじろいだ。
「え? この婚約は、陛下との約束を守るための偽装ですよね?」
「それは……悪かった……と思う。俺の言葉が足りなかった。おまえに断られたくなくて、命令だと言った……」
つまり、あの言葉はイライアスの本音ではなかったということだろうか。
「あの言葉がシェリルを追い詰めているとは思ってもいなかった。すまない」
「いえ……」
胸が痛い。どうしたらいいかがわからない。どう気持ちを言葉にしていいかもわからない。
「シェリルに触れてもいいか? 嫌だったら、断ってくれてかまわない」
「大丈夫、です……」
イライアスはそっと手を伸ばし、シェリルの手を握った。
「俺の気持ちを聞いてほしい」
真剣な眼差しで真っすぐに見つめられ、シェリルはおもわずコクリと頷いた。
「俺がシェリルと出会ったのは、学園に入学してすぐだ」
そう言われてもシェリルには、記憶がない。よくよく思い出してみても、そのときのイライアスの姿が思い浮かばないのだ。
それが顔に出ていたのだろう。イライアスは自嘲気味に笑う。
「……やはり、覚えていないか。入学したての俺は、今と同じくらいの体重があったからな」
十歳の子どもが二十歳の大人と同じ体重。その体型を想像してみると、まるまると太った子どもしか出てこない。
「おい、今、想像しているだろ。顔に出ている」
「も、申し訳ありません」
「謝らなくていい。シェリルの想像したとおりだ。あのころの俺は、太っていたからな。王子という立場があっても、誰も近づいてこなかった。醜い何かを見るような、冷たい視線を投げかけられたものだよ」
イライアスはこの国の王子だ。太っていようが痩せていようが王子という身分に変わりはない。だが、下手に近づき、イライアスを刺激するようなことをしてはならないとでも思ったに違いない。
見目がよければ、それを褒めそやしておけば間違いないが、簡単にそれができない容姿。
それなのに王子。幼い子らには葛藤があったはずだ。学園に通うような子らは、変に自尊心の高いところがある。
「だけどな。シェリルだけは別だった。シェリルは、昔から分け隔てなく人と接していた」
それはきっと、学園は勉強をする場だと割り切っていたためだ。勉学に励み、将来は王城で文官として勤めたいと思っていた。
人間関係をどう築こうとか、そういう駆け引きも得意ではない。
「だけどシェリルは俺と接するたびに、ほかの者から暴言を受けていた。わかるか? あいつらは俺に直接言えない言葉を、シェリルに向かって吐いていたんだ。醜い、汚らわしい、そんな言葉だったかな。あいつらは、それをシェリルに言うことで、俺に対する劣等感などを吐き出していたんだろうな」
イライアスは入学したときから成績は一番だった。それはシェリルだって覚えている。
「まぁ、太っていようが王子は王子だ。身分に変わりはない」
シェリルに対する嫌がらせは、イライアスから引き離すための手段。それは今も昔も変わりはない。だが、その求められる結果は異なっている。
昔は、醜い王子を孤立させるために、シェリルに嫌がらせをし、シェリルがイライアスから離れることを狙っていた。
そして孤立した王子が、自主的に学園に来なくなれば、彼らは手を汚すことなくイライアスを蹴落とすことができる。
彼らは直接イライアスに何かをしたわけではない。シェリルに嫌がらせをすることで、間接的にイライアスにダメージを与え、学園から追い出そうとしていたのだ。
なにも学園は義務ではない。学びたい者が自由に通える場所。イライアスのような立場の者が通っていることを面白くないと思っていた者すらいるかもしれない。
「……わたしは学園に通っていた頃から、ずっと嫌がらせをされておりましたが、それは殿下のせいではありません。あれはわたし自身のせいです」
嫌がらせをされて、それに対処しようとしなかった自分にも非がある。黙って受け入れていれば、相手を増長させてしまうのに。
彼女たちの相手をするのは、ただただ面倒だった。
「間接的に俺もかかわっていた。違うか? 媚を売っているとかなんとか、言われたことはないか? 誰も近づかない、太った醜い王子に好かれようと必死だって。だから、俺が太っていて醜いから、シェリルに迷惑をかけているんじゃないかと、そう思っていたんだ」
別にイライアスに媚を売ったつもりもない。同じ学園に通う者として、学友として話をしただけ。
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