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第五章(7)
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朝から絵に描いたような青空が広がっていた。筆で白をすっと走らせた雲も浮かんでいる。
マンサナ公爵令嬢キャサリン主催のお茶会の日。
シェリルは豪奢な馬車に揺られ公爵邸へと向かっていた。介添えの侍女はついてきているが、今日のシェリルは王太子イライアスの婚約者として茶会に参加するのだ。
茶会用のドレスは、清んだ湖のような明るめの青色を選んだ。くすんだ金髪を、イライアスはイチゴのようなストロベリーブロンドだと言う。さらに、手触りがいいとか、真っすぐでシェリルの心のようだとか。
「結婚しろ!」と命令してきたイライアスだったのに、正直な気持ちをシェリルに打ち明けてからは、そういった甘い言葉をささやくようになった。
シェリルをつなぎ止めておきたい一心なのだろう。
だけどまだ、シェリルにはそれを受け止めるだけの気持ちの余裕がなかった。
馬車から下り、茶会の会場である庭園へと向かう。少なくとも、シェリル一人では絶対に参加しようとは思わなかった。クローディアから誘われたから来た。
だというのに、残念なことに隣にクローディアの姿はない。急な公務が入ってしまい、お茶会は欠席とのこと。
それでも会場に足を向ける。心臓は、変にドキドキとしていた。
苦手な人物というのは、遠くから見てもよくわかるものだ。
(キャサリン様……こっちを見ている……)
彼女の視線を受けただけで、足がすくむ思いがした。会場の入り口までついてきた侍女は、これ以上は先に進めない。彼女には戻ってもらい、シェリルは一人、歩を進める。
「キャサリン様。本日はお招きいただきありがとうございます」
「シェリル様。わざわざ足を運んでくださって、嬉しゅうございますわ。王太子殿下の婚約者ですもの。お近づきになりたいと思っていたのよ」
わざとらしいその言葉に辟易する。
「シェリル様。どうぞ、こちらに」
キャサリンがささっとシェリルを席へと案内する。お茶会の席順は、たいてい決まっているし、そこにはシェリルも見知った顔が並んでいた。
「シェリル様ったら、クローディア殿下がいらっしゃらないと、本当に何もできないのね。そんなんで、王太子妃なんて務まるのかしら? どうしてイライアス殿下はシェリル様をお選びになったのでしょうね? 女性を見る目がないのかしら?」
こそりとキャサリンが耳打ちしてきた。
いつものシェリルであれば、その言葉を耳にしても、ぐっと気持ちを押し込めていただろう。だけど、この言葉はイライアスのことも馬鹿にしているのだ。自分だけならまだしも、彼を侮辱するのは許せない。
そんな怒りがひしひしと込み上げてきた。
「キャサリン様。お言葉ではございますが、それはイライアス殿下に対する侮辱でしょうか? そのお言葉、しっかりと覚えましたのでイライアス殿下にお伝えいたしますね?」
シェリルが反論するとは思ってもいなかったようだ。テーブルへと向かう歩みがゆっくりになった。
「まぁ、シェリル様。冗談ですわ。このような冗談を真に受けてイライアス殿下に告げ口だなんて。あなたの育ちが疑われるのではなくて?」
「では、誤解されるような冗談は、お控えなさったほうがよろしいのではありませんか?」
それ以上、キャサリンは何も言わず、席につく。
うまく言い返せたと、シェリルもほっとする。それでもまだ気は抜けない。むしろこれからが本番だ。
「みなさん。さっそく始めましょう」
キャサリンの言葉に、集まった者たちが笑みを浮かべる。そのメンバーを見て、ここにシェリルの味方は誰もいないと、瞬時に悟った。
適当なところで切り上げるのが無難だろう。
キャサリンもシェリルに向かってほほ笑む。だが、このほほ笑みの裏には何かが隠されている気がする。
「シェリル様はイチゴがお好きだとお聞きしましたの。ワルリス公爵領はイチゴの栽培に力を入れ始めましたでしょう? 以前は、なかなか手に入らなかったけれども、ワルリス公爵のおかげでこうやって身近なものになりつつありますから。シェリル様のために準備しましたのよ?」
これは好意と受け取るべきなのか、嫌がらせと解釈すべきなのか。
悩むところではあるが、意地の悪いキャサリンの笑みを見て、後者であると判断した。
(もしかして……わたしの秘密が知られてしまった? どうして? どこから……?)
テーブルの上にはイチゴそのものも用意されているが、イチゴを使ったであろうお菓子も並べられている。
「お気遣いいただき、ありがとうございます」
「では、いただきましょう」
さわりと風が吹くと、テーブルの上の菓子類が、甘やかな香りをそこらじゅうに漂わせる。にこやかに微笑み合い、おもいおもいに菓子やお茶に手を伸ばすものの、ここにはシェリルの弱みをにぎろうとしている思惑もひしひしと感じていた。
「とてもいい香りですわね」
白磁のカップを手にし、口元へとゆっくりと近づける。淡いピンク色の液体は、イチゴを使った紅茶だ。見た目もそうだが、何よりも香りでわかる。
「ストロベリーティーですか? 香りもとてもよいですね」
笑顔でシェリルが問いかける。
「えぇ。この紅茶、最近の私のお気に入りですの。ぜひ、みなさんにも味わっていただきたいと思いまして」
ゆるりと口角をあげるキャサリンは、シェリルの失態を待っている。
(やはり、キャサリン様はわたしの体質を知っている? でもこれは、イライアス様とも飲んだお茶……。ゆっくりと飲めば、反応は出ないはず……)
シェリルは優雅にカップを傾け、紅茶を一口、コクンと飲む。
イチゴの甘みが口腔内に広がり、爽やかな香りは鼻からすっと抜けていく。
「まぁ、本当に美味しいですわ」
笑顔のシェリルに、キャサリンがギリリと奥歯をかみしめている。
マンサナ公爵令嬢キャサリン主催のお茶会の日。
シェリルは豪奢な馬車に揺られ公爵邸へと向かっていた。介添えの侍女はついてきているが、今日のシェリルは王太子イライアスの婚約者として茶会に参加するのだ。
茶会用のドレスは、清んだ湖のような明るめの青色を選んだ。くすんだ金髪を、イライアスはイチゴのようなストロベリーブロンドだと言う。さらに、手触りがいいとか、真っすぐでシェリルの心のようだとか。
「結婚しろ!」と命令してきたイライアスだったのに、正直な気持ちをシェリルに打ち明けてからは、そういった甘い言葉をささやくようになった。
シェリルをつなぎ止めておきたい一心なのだろう。
だけどまだ、シェリルにはそれを受け止めるだけの気持ちの余裕がなかった。
馬車から下り、茶会の会場である庭園へと向かう。少なくとも、シェリル一人では絶対に参加しようとは思わなかった。クローディアから誘われたから来た。
だというのに、残念なことに隣にクローディアの姿はない。急な公務が入ってしまい、お茶会は欠席とのこと。
それでも会場に足を向ける。心臓は、変にドキドキとしていた。
苦手な人物というのは、遠くから見てもよくわかるものだ。
(キャサリン様……こっちを見ている……)
彼女の視線を受けただけで、足がすくむ思いがした。会場の入り口までついてきた侍女は、これ以上は先に進めない。彼女には戻ってもらい、シェリルは一人、歩を進める。
「キャサリン様。本日はお招きいただきありがとうございます」
「シェリル様。わざわざ足を運んでくださって、嬉しゅうございますわ。王太子殿下の婚約者ですもの。お近づきになりたいと思っていたのよ」
わざとらしいその言葉に辟易する。
「シェリル様。どうぞ、こちらに」
キャサリンがささっとシェリルを席へと案内する。お茶会の席順は、たいてい決まっているし、そこにはシェリルも見知った顔が並んでいた。
「シェリル様ったら、クローディア殿下がいらっしゃらないと、本当に何もできないのね。そんなんで、王太子妃なんて務まるのかしら? どうしてイライアス殿下はシェリル様をお選びになったのでしょうね? 女性を見る目がないのかしら?」
こそりとキャサリンが耳打ちしてきた。
いつものシェリルであれば、その言葉を耳にしても、ぐっと気持ちを押し込めていただろう。だけど、この言葉はイライアスのことも馬鹿にしているのだ。自分だけならまだしも、彼を侮辱するのは許せない。
そんな怒りがひしひしと込み上げてきた。
「キャサリン様。お言葉ではございますが、それはイライアス殿下に対する侮辱でしょうか? そのお言葉、しっかりと覚えましたのでイライアス殿下にお伝えいたしますね?」
シェリルが反論するとは思ってもいなかったようだ。テーブルへと向かう歩みがゆっくりになった。
「まぁ、シェリル様。冗談ですわ。このような冗談を真に受けてイライアス殿下に告げ口だなんて。あなたの育ちが疑われるのではなくて?」
「では、誤解されるような冗談は、お控えなさったほうがよろしいのではありませんか?」
それ以上、キャサリンは何も言わず、席につく。
うまく言い返せたと、シェリルもほっとする。それでもまだ気は抜けない。むしろこれからが本番だ。
「みなさん。さっそく始めましょう」
キャサリンの言葉に、集まった者たちが笑みを浮かべる。そのメンバーを見て、ここにシェリルの味方は誰もいないと、瞬時に悟った。
適当なところで切り上げるのが無難だろう。
キャサリンもシェリルに向かってほほ笑む。だが、このほほ笑みの裏には何かが隠されている気がする。
「シェリル様はイチゴがお好きだとお聞きしましたの。ワルリス公爵領はイチゴの栽培に力を入れ始めましたでしょう? 以前は、なかなか手に入らなかったけれども、ワルリス公爵のおかげでこうやって身近なものになりつつありますから。シェリル様のために準備しましたのよ?」
これは好意と受け取るべきなのか、嫌がらせと解釈すべきなのか。
悩むところではあるが、意地の悪いキャサリンの笑みを見て、後者であると判断した。
(もしかして……わたしの秘密が知られてしまった? どうして? どこから……?)
テーブルの上にはイチゴそのものも用意されているが、イチゴを使ったであろうお菓子も並べられている。
「お気遣いいただき、ありがとうございます」
「では、いただきましょう」
さわりと風が吹くと、テーブルの上の菓子類が、甘やかな香りをそこらじゅうに漂わせる。にこやかに微笑み合い、おもいおもいに菓子やお茶に手を伸ばすものの、ここにはシェリルの弱みをにぎろうとしている思惑もひしひしと感じていた。
「とてもいい香りですわね」
白磁のカップを手にし、口元へとゆっくりと近づける。淡いピンク色の液体は、イチゴを使った紅茶だ。見た目もそうだが、何よりも香りでわかる。
「ストロベリーティーですか? 香りもとてもよいですね」
笑顔でシェリルが問いかける。
「えぇ。この紅茶、最近の私のお気に入りですの。ぜひ、みなさんにも味わっていただきたいと思いまして」
ゆるりと口角をあげるキャサリンは、シェリルの失態を待っている。
(やはり、キャサリン様はわたしの体質を知っている? でもこれは、イライアス様とも飲んだお茶……。ゆっくりと飲めば、反応は出ないはず……)
シェリルは優雅にカップを傾け、紅茶を一口、コクンと飲む。
イチゴの甘みが口腔内に広がり、爽やかな香りは鼻からすっと抜けていく。
「まぁ、本当に美味しいですわ」
笑顔のシェリルに、キャサリンがギリリと奥歯をかみしめている。
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