このたび聖女様の契約母となりましたが、堅物毒舌宰相閣下の溺愛はお断りいたします! と思っていたはずなのに

澤谷弥(さわたに わたる)

文字の大きさ
44 / 88

第四章:新しいお仕事ですか?(10)

しおりを挟む
 そう、マリアンヌと同じだ。
 イリヤはそう思って、手にしたチョコレートをクライブの口の中に放り込んだ。その瞬間、彼はイリヤの指ごとパクリと食べる。

「あ、ちょっと。私の指まで食べてます」

 指を舐めているクライブから変な色気が漂ってきた。イリヤは慌てて指を引き、ナプキンで指を拭く。

「もう。もっと食べたいのであればご自分でどうぞ」

 ぷんすか怒りながらも、イリヤは包装されたままのチョコレート菓子をクライブの前に差し出した。

「なんだ。もう、食べさせてはくれないのか?」

 彼は笑いながらそう言って、もう一つだけチョコレートを手にした。それを長い指でくるりと包装を開けると、今度はイリヤの口の前で見せつける。

「ほら」
「え?」
「いいから、口を開けろ」
「ええ? んぐっ」

 驚いている隙に口の中に放り込まれた。唇が少しだけ彼の指に触れた。
 その指を、クライブはぺろりと舐め取った。

「やっぱり甘いな」

 とにかく、先ほどからイリヤの心臓はうるさい。これではまるで、想いが通じ合っている恋人同士のような、そんな甘い空間ではないか。
 それを断ち切るかのように、イリヤは声を張り上げる。

「閣下。それで、悩み事とはいったいなんでしょう?」
「ああ、そうだった。忘れていた」

 眼鏡の奥の目は笑っている。だからこれはわざとこのようなことを言って、イリヤの反応を見て楽しんでいる。だが、その目が鋭くなった。となれば、これから彼は真面目な話をする。

「最近、魔物の出現が多くなっているという話はしただろう?」

 彼の声色もかわった。

「そうですね。そのための聖女召喚であったと、そうおっしゃっていましたね」

 イリヤの言葉に頷いたクライブは言葉を続ける。

「聖女召喚は成功した。だが、それは一部の者しか知らない機密事項だ。だから、他の者たちからみれば」
「まだ聖女はいない?」
「そういうことになる」

 クライブは腕を組んだ。

「だから、聖女を求める声があがってきている」
「つまり、もう一度聖女召喚の儀を?」
「マリアンヌを召喚したときの儀式も、一部の者しか知らない。そもそも聖女召喚の儀はひっそりと行われるものだからな。いつ行われたかなんて、普通の人間は知らないんだ」

 イリヤだってそのような儀式が行われているのを知らなかった。ただ、魔物が多く出現した時代には、どこからか聖女が現れたと、そういった文献を目にしたくらい。

 クライブはイリヤの顔色をうかがってから、言葉を続ける。

「だが、聖女はもうここにいる。だから、召喚の儀を行っても新たな聖女は現れない。それでも周囲は聖女を望んでいる」

 望まれた聖女は存在するのに、その聖女が望まれた聖女ではなかった。成人した女性ではなく、赤ん坊であるからだ。マリアンヌに瘴気を払って魔物を蹴散らせとお願いしても、彼女には言葉が通じない。
 クライブの悩みを理解した。

「では、どうされる予定なのですか? マリアンヌではない聖女を召喚する?」

 そうイリヤも口にしたが、それは不可能であるとクライブは何度も口にしている。

「そういう意見もあがっている。実は……マリアンヌを元の世界に戻せば、次の聖女を召喚することができるらしい」

 喪失感がイリヤを襲った。手足が急にしびれるような、心臓がバクバクと激しく打つような、呼吸もうまくできないような。

「……え?」
「落ち着け。まだ、それが決まったわけではない。なによりも、陛下がそれを拒んでいる」

 イリヤの味方が身近にいた。エーヴァルトのマリアンヌ溺愛ぶりは気持ち悪かったが、今になっては心強いとさえ思う。

「そうですか……陛下が。そう、そうですよね……」

 ゆっくりと息をする。そのとき、膝の上においてある手に、熱が重なった。はっとすると、クライブがやさしく手を握っていた。

「イリヤ……震えている……」
「ごめんなさい。マリアンヌを失うかと思ったら、少し」

 目頭が熱くなり、涙がこぼれそうになる。力強い腕が、イリヤの身体をとらえて引き寄せた。

「オレも同じだ。マリアンヌを失いたくないと思っている」

 クライブの落ち着いた声が、イリヤの耳をなでた。同じ想いを持つ者が近くにいるだけで、励まされる。

「だから、イリヤ。オレと陛下で考えたことがある。だがこれには、イリヤの協力が必要だ」

 もしかして、それが本当の悩み事だったのではないだろうか。
 クライブは腕の力を弱めてイリヤを解放すると、彼女のラベンダー色の目を食い入るように見つめた。

 とくんと胸が高鳴る。これは、緊張か期待か。

「いいか? よく聞いてくれ。もし、いやだったら断ってもらってもかまわない」

 これほど真剣な眼差しのクライブを見たことがない。いや、初めて顔を合わせて、マリアンヌの母親になってほしいと言われたとき依頼だ。

「……イリヤ。君に聖女マリアンヌの代わりになってもらいたい」
しおりを挟む
感想 33

あなたにおすすめの小説

巻添え召喚されたので、引きこもりスローライフを希望します!

あきづきみなと
ファンタジー
階段から女の子が降ってきた!? 資料を抱えて歩いていた紗江は、階段から飛び下りてきた転校生に巻き込まれて転倒する。気がついたらその彼女と二人、全く知らない場所にいた。 そしてその場にいた人達は、聖女を召喚したのだという。 どちらが『聖女』なのか、と問われる前に転校生の少女が声をあげる。 「私、ガンバる!」 だったら私は帰してもらえない?ダメ? 聖女の扱いを他所に、巻き込まれた紗江が『食』を元に自分の居場所を見つける話。 スローライフまでは到達しなかったよ……。 緩いざまああり。 注意 いわゆる『キラキラネーム』への苦言というか、マイナス感情の描写があります。気にされる方には申し訳ありませんが、作中人物の説明には必要と考えました。

二度目の召喚なんて、聞いてません!

みん
恋愛
私─神咲志乃は4年前の夏、たまたま学校の図書室に居た3人と共に異世界へと召喚されてしまった。 その異世界で淡い恋をした。それでも、志乃は義務を果たすと居残ると言う他の3人とは別れ、1人日本へと還った。 それから4年が経ったある日。何故かまた、異世界へと召喚されてしまう。「何で!?」 ❋相変わらずのゆるふわ設定と、メンタルは豆腐並みなので、軽い気持ちで読んでいただけると助かります。 ❋気を付けてはいますが、誤字が多いかもしれません。 ❋他視点の話があります。

老聖女の政略結婚

那珂田かな
ファンタジー
エルダリス前国王の長女として生まれ、半世紀ものあいだ「聖女」として太陽神ソレイユに仕えてきたセラ。 六十歳となり、ついに若き姪へと聖女の座を譲り、静かな余生を送るはずだった。 しかし式典後、甥である皇太子から持ち込まれたのは――二十歳の隣国王との政略結婚の話。 相手は内乱終結直後のカルディア王、エドモンド。王家の威信回復と政権安定のため、彼には強力な後ろ盾が必要だという。 子も産めない年齢の自分がなぜ王妃に? 迷いと不安、そして少しの笑いを胸に、セラは決断する。 穏やかな余生か、嵐の老後か―― 四十歳差の政略婚から始まる、波乱の日々が幕を開ける。

【完結】そうは聖女が許さない〜魔女だと追放された伝説の聖女、神獣フェンリルとスローライフを送りたい……けど【聖水チート】で世界を浄化する〜

阿納あざみ
ファンタジー
光輝くの玉座に座るのは、嘘で塗り固められた偽りの救世主。 辺境の地に追いやられたのは、『国崩しの魔女』の烙印を押された、本物の奇跡。 滅びゆく王国に召喚されたのは、二人の女子高生。 一人は、そのカリスマ性で人々を魅了するクラスの女王。 もう一人は、その影で虐げられてきた私。 偽りの救世主は、巧みな嘘で王国の実権を掌握すると、私に宿る“本当の力”を恐れるがゆえに大罪を着せ、瘴気の魔獣が跋扈する禁忌の地――辺境へと追放した。 だが、全てを失った絶望の地でこそ、物語は真の幕を開けるのだった。 △▼△▼△▼△▼△ 女性HOTランキング5位ありがとうございます!

巻き込まれ召喚された賢者は追放メンツでパーティー組んで旅をする。

彩世幻夜
ファンタジー
2019年ファンタジー小説大賞 190位! 読者の皆様、ありがとうございました! 婚約破棄され家から追放された悪役令嬢が実は優秀な槍斧使いだったり。 実力不足と勇者パーティーを追放された魔物使いだったり。 鑑定で無職判定され村を追放された村人の少年が優秀な剣士だったり。 巻き込まれ召喚され捨てられたヒカルはそんな追放メンツとひょんな事からパーティー組み、チート街道まっしぐら。まずはお約束通りざまあを目指しましょう! ※4/30(火) 本編完結。 ※6/7(金) 外伝完結。 ※9/1(日)番外編 完結 小説大賞参加中

聖女やめます……タダ働きは嫌!友達作ります!冒険者なります!お金稼ぎます!ちゃっかり世界も救います!

さくしゃ
ファンタジー
職業「聖女」としてお勤めに忙殺されるクミ 祈りに始まり、一日中治療、時にはドラゴン討伐……しかし、全てタダ働き! も……もう嫌だぁ! 半狂乱の最強聖女は冒険者となり、軟禁生活では味わえなかった生活を知りはっちゃける! 時には、不労所得、冒険者業、アルバイトで稼ぐ! 大金持ちにもなっていき、世界も救いまーす。 色んなキャラ出しまくりぃ! カクヨムでも掲載チュッ ⚠︎この物語は全てフィクションです。 ⚠︎現実では絶対にマネはしないでください!

積みかけアラフォーOL、公爵令嬢に転生したのでやりたいことをやって好きに生きる!

ぽらいと
ファンタジー
アラフォー、バツ2派遣OLが公爵令嬢に転生したので、やりたいことを好きなようにやって過ごす、というほのぼの系の話。 悪役等は一切出てこない、優しい世界のお話です。

召喚とか聖女とか、どうでもいいけど人の都合考えたことある?

浅海 景
恋愛
水谷 瑛莉桂(みずたに えりか)の目標は堅実な人生を送ること。その一歩となる社会人生活を踏み出した途端に異世界に召喚されてしまう。召喚成功に湧く周囲をよそに瑛莉桂は思った。 「聖女とか絶対ブラックだろう!断固拒否させてもらうから!」 ナルシストな王太子や欲深い神官長、腹黒騎士などを相手に主人公が幸せを勝ち取るため奮闘する物語です。

処理中です...