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第四章:新しいお仕事ですか?(10)
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そう、マリアンヌと同じだ。
イリヤはそう思って、手にしたチョコレートをクライブの口の中に放り込んだ。その瞬間、彼はイリヤの指ごとパクリと食べる。
「あ、ちょっと。私の指まで食べてます」
指を舐めているクライブから変な色気が漂ってきた。イリヤは慌てて指を引き、ナプキンで指を拭く。
「もう。もっと食べたいのであればご自分でどうぞ」
ぷんすか怒りながらも、イリヤは包装されたままのチョコレート菓子をクライブの前に差し出した。
「なんだ。もう、食べさせてはくれないのか?」
彼は笑いながらそう言って、もう一つだけチョコレートを手にした。それを長い指でくるりと包装を開けると、今度はイリヤの口の前で見せつける。
「ほら」
「え?」
「いいから、口を開けろ」
「ええ? んぐっ」
驚いている隙に口の中に放り込まれた。唇が少しだけ彼の指に触れた。
その指を、クライブはぺろりと舐め取った。
「やっぱり甘いな」
とにかく、先ほどからイリヤの心臓はうるさい。これではまるで、想いが通じ合っている恋人同士のような、そんな甘い空間ではないか。
それを断ち切るかのように、イリヤは声を張り上げる。
「閣下。それで、悩み事とはいったいなんでしょう?」
「ああ、そうだった。忘れていた」
眼鏡の奥の目は笑っている。だからこれはわざとこのようなことを言って、イリヤの反応を見て楽しんでいる。だが、その目が鋭くなった。となれば、これから彼は真面目な話をする。
「最近、魔物の出現が多くなっているという話はしただろう?」
彼の声色もかわった。
「そうですね。そのための聖女召喚であったと、そうおっしゃっていましたね」
イリヤの言葉に頷いたクライブは言葉を続ける。
「聖女召喚は成功した。だが、それは一部の者しか知らない機密事項だ。だから、他の者たちからみれば」
「まだ聖女はいない?」
「そういうことになる」
クライブは腕を組んだ。
「だから、聖女を求める声があがってきている」
「つまり、もう一度聖女召喚の儀を?」
「マリアンヌを召喚したときの儀式も、一部の者しか知らない。そもそも聖女召喚の儀はひっそりと行われるものだからな。いつ行われたかなんて、普通の人間は知らないんだ」
イリヤだってそのような儀式が行われているのを知らなかった。ただ、魔物が多く出現した時代には、どこからか聖女が現れたと、そういった文献を目にしたくらい。
クライブはイリヤの顔色をうかがってから、言葉を続ける。
「だが、聖女はもうここにいる。だから、召喚の儀を行っても新たな聖女は現れない。それでも周囲は聖女を望んでいる」
望まれた聖女は存在するのに、その聖女が望まれた聖女ではなかった。成人した女性ではなく、赤ん坊であるからだ。マリアンヌに瘴気を払って魔物を蹴散らせとお願いしても、彼女には言葉が通じない。
クライブの悩みを理解した。
「では、どうされる予定なのですか? マリアンヌではない聖女を召喚する?」
そうイリヤも口にしたが、それは不可能であるとクライブは何度も口にしている。
「そういう意見もあがっている。実は……マリアンヌを元の世界に戻せば、次の聖女を召喚することができるらしい」
喪失感がイリヤを襲った。手足が急にしびれるような、心臓がバクバクと激しく打つような、呼吸もうまくできないような。
「……え?」
「落ち着け。まだ、それが決まったわけではない。なによりも、陛下がそれを拒んでいる」
イリヤの味方が身近にいた。エーヴァルトのマリアンヌ溺愛ぶりは気持ち悪かったが、今になっては心強いとさえ思う。
「そうですか……陛下が。そう、そうですよね……」
ゆっくりと息をする。そのとき、膝の上においてある手に、熱が重なった。はっとすると、クライブがやさしく手を握っていた。
「イリヤ……震えている……」
「ごめんなさい。マリアンヌを失うかと思ったら、少し」
目頭が熱くなり、涙がこぼれそうになる。力強い腕が、イリヤの身体をとらえて引き寄せた。
「オレも同じだ。マリアンヌを失いたくないと思っている」
クライブの落ち着いた声が、イリヤの耳をなでた。同じ想いを持つ者が近くにいるだけで、励まされる。
「だから、イリヤ。オレと陛下で考えたことがある。だがこれには、イリヤの協力が必要だ」
もしかして、それが本当の悩み事だったのではないだろうか。
クライブは腕の力を弱めてイリヤを解放すると、彼女のラベンダー色の目を食い入るように見つめた。
とくんと胸が高鳴る。これは、緊張か期待か。
「いいか? よく聞いてくれ。もし、いやだったら断ってもらってもかまわない」
これほど真剣な眼差しのクライブを見たことがない。いや、初めて顔を合わせて、マリアンヌの母親になってほしいと言われたとき依頼だ。
「……イリヤ。君に聖女マリアンヌの代わりになってもらいたい」
イリヤはそう思って、手にしたチョコレートをクライブの口の中に放り込んだ。その瞬間、彼はイリヤの指ごとパクリと食べる。
「あ、ちょっと。私の指まで食べてます」
指を舐めているクライブから変な色気が漂ってきた。イリヤは慌てて指を引き、ナプキンで指を拭く。
「もう。もっと食べたいのであればご自分でどうぞ」
ぷんすか怒りながらも、イリヤは包装されたままのチョコレート菓子をクライブの前に差し出した。
「なんだ。もう、食べさせてはくれないのか?」
彼は笑いながらそう言って、もう一つだけチョコレートを手にした。それを長い指でくるりと包装を開けると、今度はイリヤの口の前で見せつける。
「ほら」
「え?」
「いいから、口を開けろ」
「ええ? んぐっ」
驚いている隙に口の中に放り込まれた。唇が少しだけ彼の指に触れた。
その指を、クライブはぺろりと舐め取った。
「やっぱり甘いな」
とにかく、先ほどからイリヤの心臓はうるさい。これではまるで、想いが通じ合っている恋人同士のような、そんな甘い空間ではないか。
それを断ち切るかのように、イリヤは声を張り上げる。
「閣下。それで、悩み事とはいったいなんでしょう?」
「ああ、そうだった。忘れていた」
眼鏡の奥の目は笑っている。だからこれはわざとこのようなことを言って、イリヤの反応を見て楽しんでいる。だが、その目が鋭くなった。となれば、これから彼は真面目な話をする。
「最近、魔物の出現が多くなっているという話はしただろう?」
彼の声色もかわった。
「そうですね。そのための聖女召喚であったと、そうおっしゃっていましたね」
イリヤの言葉に頷いたクライブは言葉を続ける。
「聖女召喚は成功した。だが、それは一部の者しか知らない機密事項だ。だから、他の者たちからみれば」
「まだ聖女はいない?」
「そういうことになる」
クライブは腕を組んだ。
「だから、聖女を求める声があがってきている」
「つまり、もう一度聖女召喚の儀を?」
「マリアンヌを召喚したときの儀式も、一部の者しか知らない。そもそも聖女召喚の儀はひっそりと行われるものだからな。いつ行われたかなんて、普通の人間は知らないんだ」
イリヤだってそのような儀式が行われているのを知らなかった。ただ、魔物が多く出現した時代には、どこからか聖女が現れたと、そういった文献を目にしたくらい。
クライブはイリヤの顔色をうかがってから、言葉を続ける。
「だが、聖女はもうここにいる。だから、召喚の儀を行っても新たな聖女は現れない。それでも周囲は聖女を望んでいる」
望まれた聖女は存在するのに、その聖女が望まれた聖女ではなかった。成人した女性ではなく、赤ん坊であるからだ。マリアンヌに瘴気を払って魔物を蹴散らせとお願いしても、彼女には言葉が通じない。
クライブの悩みを理解した。
「では、どうされる予定なのですか? マリアンヌではない聖女を召喚する?」
そうイリヤも口にしたが、それは不可能であるとクライブは何度も口にしている。
「そういう意見もあがっている。実は……マリアンヌを元の世界に戻せば、次の聖女を召喚することができるらしい」
喪失感がイリヤを襲った。手足が急にしびれるような、心臓がバクバクと激しく打つような、呼吸もうまくできないような。
「……え?」
「落ち着け。まだ、それが決まったわけではない。なによりも、陛下がそれを拒んでいる」
イリヤの味方が身近にいた。エーヴァルトのマリアンヌ溺愛ぶりは気持ち悪かったが、今になっては心強いとさえ思う。
「そうですか……陛下が。そう、そうですよね……」
ゆっくりと息をする。そのとき、膝の上においてある手に、熱が重なった。はっとすると、クライブがやさしく手を握っていた。
「イリヤ……震えている……」
「ごめんなさい。マリアンヌを失うかと思ったら、少し」
目頭が熱くなり、涙がこぼれそうになる。力強い腕が、イリヤの身体をとらえて引き寄せた。
「オレも同じだ。マリアンヌを失いたくないと思っている」
クライブの落ち着いた声が、イリヤの耳をなでた。同じ想いを持つ者が近くにいるだけで、励まされる。
「だから、イリヤ。オレと陛下で考えたことがある。だがこれには、イリヤの協力が必要だ」
もしかして、それが本当の悩み事だったのではないだろうか。
クライブは腕の力を弱めてイリヤを解放すると、彼女のラベンダー色の目を食い入るように見つめた。
とくんと胸が高鳴る。これは、緊張か期待か。
「いいか? よく聞いてくれ。もし、いやだったら断ってもらってもかまわない」
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「……イリヤ。君に聖女マリアンヌの代わりになってもらいたい」
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