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第三章(1)
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今日のすべての視察を終え、ランドルフたちは領主館へと戻ってきた。
「だから、ジェイ。おまえ、顔が怖い」
部屋に入るや否や人払いをし、ジェイラスだけを呼び入れたランドルフの第一声がそれだ。
「俺の顔はもともとこういう顔です」
「そして私を見下ろすな。怖い。そこに座れ」
ランドルフが顎で示された席に、ジェイラスは渋々と腰をおろした途端、疲れ果てたように背中を丸めて頭を抱え込んだ。
「それで、どうだった?」
「殿下……わかってて、聞いてますよね?」
今日の視察先はモンクトン商会が力を入れている養護院兼学校であった。子どもたちが勉強できる環境は整っていたが、それがじゅうぶんとは言えず、教師の数が明らかに不足していた。女性教師が一人で、さまざまな年代の子の学習をみていたのだ。そして剣術まで。
「……間違いなく、アリシア・ガネルです。髪は切ってしまったようですが」
「剣術だって、素人ではないだろう? あれは訓練された動きだ。しかし、三年も民間人をやっていたとは思えないような動きだったな」
「彼女は身が軽い分、動きが速いんですよ。基礎を怠っていない証拠です。力で負かそうと思っている奴らは、昔からやられていましたね」
ジェイラスは、たまに訓練中の彼女の様子をのぞきにいった。同じような女性騎士に囲まれれば、特別目立った容姿もしていないアリシアだったが、遠目であってもすぐに彼女を見つけられた。
「それで……? 愛しの恋人と再会できたおまえは、なぜ、そんなに落ち込んでいる?」
ランドルフの言葉の節々からは、試すような含みを感じる。
「落ち込みますよね? 殿下も気づいたでしょう?」
「何をだ?」
「彼女は記憶を失っている。俺のことを覚えていない」
その事実に胸が締めつけられるように痛んだ。その痛みに耐え、ジェイラスはやっと顔をあげた。脱力した表情でランドルフを見るが、彼の眼差しは真剣そのもので「そのようだな」と呟く。
「シアという女性教師については、モンクトン会長からも話を聞いた。どうやら、夫人が王都で暴漢に襲われていたところ、助けてくれたのが彼女らしい。その縁で、サバドまで一緒に来たようだ」
モンクトン商会関係者と行動を共にしたのであれば、王都で乗り合い馬車を使わなかった理由にも納得がいく。だから名簿にも彼女の名前は残されていなかったのだ。
「あれが演技だとしたら大した女優だ。よほどおまえのことを忘れたいんだろうな」
くくっと喉で笑うランドルフは、肩を揺らしてジェイラスの反応を楽しんだ。
「それで? 私が会長たちと話をしているときに、おまえを好きにさせただろう? 彼女とは話ができたのか?」
「うっ……」
ジェイラスは身を硬くした。先ほどのやりとりがまざまざと思い出される。
「うぁあああああ」
大きな声をあげて頭を抱えるジェイラスに、ランドルフは呆れたように大きく息を吐いた。
「うまくいかなかったのか? いったい、何があった?」
まるで諭すかのようなやさしげなランドルフの声に導かれるようにして、ジェイラスはぽつぽつと話し始めた。
「いや、うん。まぁ、彼女に、結婚を前提としたお付き合いを申し込んだ。だが、振られた」
「すまない。どこからどう突っ込んだらいいかがわからないが……なぜ、彼女にそのようなことを?」
ランドルフはいたって冷静だ。
「ここはやはり……順番を守ってと思ったからだ!」
「その順番が間違えている!」
ジェイラスが声を荒らげれば、それに負けぬようランドルフも声を張り上げる。
「まずは彼女の素性を確認するのが先だろう? 何を先走っている」
「彼女はアリシアに間違いない。それに……男がいたし……子どももいたんだ……それを見たら、とにかくアリシアを手に入れなければと思って……どう声をかけたらいいかがわからず、付き合ってくれと言っていた」
「わかった、わかった。わかったから落ち着け」
ランドルフが暴れ馬をなだめるように、両手をゆっくりと振った。
「だから、ジェイ。おまえ、顔が怖い」
部屋に入るや否や人払いをし、ジェイラスだけを呼び入れたランドルフの第一声がそれだ。
「俺の顔はもともとこういう顔です」
「そして私を見下ろすな。怖い。そこに座れ」
ランドルフが顎で示された席に、ジェイラスは渋々と腰をおろした途端、疲れ果てたように背中を丸めて頭を抱え込んだ。
「それで、どうだった?」
「殿下……わかってて、聞いてますよね?」
今日の視察先はモンクトン商会が力を入れている養護院兼学校であった。子どもたちが勉強できる環境は整っていたが、それがじゅうぶんとは言えず、教師の数が明らかに不足していた。女性教師が一人で、さまざまな年代の子の学習をみていたのだ。そして剣術まで。
「……間違いなく、アリシア・ガネルです。髪は切ってしまったようですが」
「剣術だって、素人ではないだろう? あれは訓練された動きだ。しかし、三年も民間人をやっていたとは思えないような動きだったな」
「彼女は身が軽い分、動きが速いんですよ。基礎を怠っていない証拠です。力で負かそうと思っている奴らは、昔からやられていましたね」
ジェイラスは、たまに訓練中の彼女の様子をのぞきにいった。同じような女性騎士に囲まれれば、特別目立った容姿もしていないアリシアだったが、遠目であってもすぐに彼女を見つけられた。
「それで……? 愛しの恋人と再会できたおまえは、なぜ、そんなに落ち込んでいる?」
ランドルフの言葉の節々からは、試すような含みを感じる。
「落ち込みますよね? 殿下も気づいたでしょう?」
「何をだ?」
「彼女は記憶を失っている。俺のことを覚えていない」
その事実に胸が締めつけられるように痛んだ。その痛みに耐え、ジェイラスはやっと顔をあげた。脱力した表情でランドルフを見るが、彼の眼差しは真剣そのもので「そのようだな」と呟く。
「シアという女性教師については、モンクトン会長からも話を聞いた。どうやら、夫人が王都で暴漢に襲われていたところ、助けてくれたのが彼女らしい。その縁で、サバドまで一緒に来たようだ」
モンクトン商会関係者と行動を共にしたのであれば、王都で乗り合い馬車を使わなかった理由にも納得がいく。だから名簿にも彼女の名前は残されていなかったのだ。
「あれが演技だとしたら大した女優だ。よほどおまえのことを忘れたいんだろうな」
くくっと喉で笑うランドルフは、肩を揺らしてジェイラスの反応を楽しんだ。
「それで? 私が会長たちと話をしているときに、おまえを好きにさせただろう? 彼女とは話ができたのか?」
「うっ……」
ジェイラスは身を硬くした。先ほどのやりとりがまざまざと思い出される。
「うぁあああああ」
大きな声をあげて頭を抱えるジェイラスに、ランドルフは呆れたように大きく息を吐いた。
「うまくいかなかったのか? いったい、何があった?」
まるで諭すかのようなやさしげなランドルフの声に導かれるようにして、ジェイラスはぽつぽつと話し始めた。
「いや、うん。まぁ、彼女に、結婚を前提としたお付き合いを申し込んだ。だが、振られた」
「すまない。どこからどう突っ込んだらいいかがわからないが……なぜ、彼女にそのようなことを?」
ランドルフはいたって冷静だ。
「ここはやはり……順番を守ってと思ったからだ!」
「その順番が間違えている!」
ジェイラスが声を荒らげれば、それに負けぬようランドルフも声を張り上げる。
「まずは彼女の素性を確認するのが先だろう? 何を先走っている」
「彼女はアリシアに間違いない。それに……男がいたし……子どももいたんだ……それを見たら、とにかくアリシアを手に入れなければと思って……どう声をかけたらいいかがわからず、付き合ってくれと言っていた」
「わかった、わかった。わかったから落ち着け」
ランドルフが暴れ馬をなだめるように、両手をゆっくりと振った。
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