妻の彼氏

高橋 カノン

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安易な決断

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 それは唐突なハグだった。

 夕食と入浴を済ませ、リビングのソファで寛いでいる時だった。いきなり、ソファの背もたれ越しに、私の身体を覆うように後ろから夫が抱きしめて来た。

「きゃあ!」
悲鳴をあげると、夫はすぐさま私の身体から両手を離した。

「あ、ご、ごめん!」
振り向いた私の目の前に彼の驚いた顔があった。

「え、あ、いや。こちらこそごめん!」

私は動揺した。心臓がバクバクしている。

「あ、え、と。今からナオトとマッサージに入るから、挨拶しようと思って。あの、おやすみ」

 夫は、早口でそう言うと直ぐに自分の部屋に行ってしまった。彼も動揺しているようだ。

 後ろからいきなり抱きしめられたら、そりゃ驚くだろう。新婚の頃なら、四六時中スキンシップをしてるので、おそらく後ろから抱きしめられた位で悲鳴はあげない。

 だが、私が夫から触れられたのは多分、三年ぶり位だ。私は自分を抱きしめるように、両腕を自分の身体に回した。

悲鳴なんかあげて、夫に悪いことをしたという気持ちと、まるで他人に触れられたような感覚に自分でも驚いていた。



 夫は、良い人だった。いや、今でも良い人だ。こんな人と結婚できたらいいな、と誰もが思うような夫だ。

取り立てて目立つ容姿ではないが、運動が趣味なので体型も整っており、服の趣味も悪くない。落ち着いた好感の持てる姿だ。

一言で言えば、親族や友人に自信を持って紹介出来る人だと言える。


夫と初めて会ったのは、友人とのバーベキューだった。大勢の人がいる中で、爽やかな人がいるな、という程度の印象だった。当時の私には彼氏がいて、他のどの異性にも興味はなかった。

だから、すっかり夫の事は忘れていた頃に、夫が私と会いたがっていると言われた時は、少なからず驚いた。

「なぜ?」
仲を取り持とうとしてくれている、友人に
そう聞いた。

「サクラが気に入ったんだって」
「ええ?何で今頃になって?」
「彼氏と別れた事を、あの時のメンバーの誰かに聞いたらしいよ」

そうなのだ。私は四年付き合った彼氏と、別れたばかりだった。

「あれから一年だよ?」
「そうなんだよねー。どうする?断る?」

「うーん、良い人そうだったよね?」
「うん!皆んな口を揃えてそう言うのよね」
「そんな人が彼女もいないなんて」
「だから、ラッキーって事じゃないの?」

そうか。ラッキーなのか。

私はとりあえず、彼と会う事にした。何度か会ううちに、休みの日には、必ず彼と会うようになった。午後の早い時間に待ち合わせて、ランチの後に軽く話をしてディナーの前には解散する。

だからといって、恋人として付き合い出したわけではなかった。取り立てて二人で行きたい場所もないし、私は誘われると用事がなければ出掛けて行く、というような付き合いだった。

彼氏もいないし、好きな人もいない。一人で過ごしてもいいが、長く付き合った彼氏の空席に何となく夫がはまった、という感じだった。

それ位、彼は付き合いやすい人だった。水曜日頃に週末の誘いがあり、私がよく行く場所や、出やすい場所を待ち合わせに指定してくる。

長い時間の拘束もなく、二人きりになりたがるわけでもない。本当に気軽な、安心出来るいい男友達が出来た感覚だった。

だから、プロポーズされた時は本気で驚いた。

最初は、私に女性としての興味から近づいて来たのだと思っていたが、あまりにも淡白な付き合いだったし、手を繋いだ事もない。交際を求められる事もなかったので、すっかり、そんな彼を私は友達認定していた。

 正直、友達との結婚がありかなしかと言われれば、それは微妙だ。人物や交友関係が明白で、共通点が多いのが友達だ。共同生活の絵は簡単に描けた。いい人と安定した、安心できる暮らし。何の問題もない。

 夫は本当にいい人で、周りの祝福がセットになって付いてくる。愛していない事など問題にならない程だ。

 また、この愛というのが曲者だった。愛って何なのか。愛する人とは?

 以前の恋人たちの事は、本当に好きだった。一緒にいられるだけで心が浮き立ち、恋している時は何もかも輝いて見える。誰しもがそうだろう。

だが、結局、そんな感情があったとしても、うまく結婚に繋がるとは限らない。

まあ、してみてもいいかな、と私はあっさり彼との結婚を決めた。昔の人は顔も見ずに、周りの勧めで結婚したというではないか。まあ、私の曽祖母の話だが。

そして、この安易な結婚は皆の祝福を受けて、信じられない程スムーズに行われた。何しろ夫は万事手際のいい人だから。

だからこそ、結婚後にこんな悩みが出来るなんて、私は想像もしていなかった。


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