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第1章 第7話 仮面バザール
しおりを挟む創世歴3733年4月。
ノスユナイア城が見おろすアシア湖畔の城下町では4ヶ月に一度、3日間に渡ってバザールが開かれます。このバザールの趣旨は誰でも平等に物を売り買い出来るところにあり、仮面さえつければ貴族であろうと庶民であろうと、危険なものでない限りは売買の楽しみを味わうことが出来ます。
このバザールの起源はノスユナイア王国建国以前、レアン山脈北方に隠れ住んでいるジェミン族の始祖たちが、商売の楽しさを広めようとして始めた小さな催し物でした。
その小さな催し物の時にジェミンの人々がしていた事が現在ではこのお祭りの呼び物ともなっているのですが、このバザールに販売者として参加する者は例外なく必ずしなければならないことがあります。
それは仮面をつけること。
理由は身分の違いが売れ行きの違いになってはならないからということであったらしいのですが、時を経ていくうちに華やかな仮面をつけることに人々が興じるようになり、いつからか売り手も買い手も仮面をつけるようになりました。今ではバザールと言うより仮装行列の変形とも言える奇祭として国内はもとより世界中に知られています。
今日はお祭りの初日。あちらこちらから競売や、駆け引きの声が聞こえてきます。仮面をつけていれば声で誰だかわかってしまうのですがそこはご愛嬌。中には相手が誰かを知っていながらふざけるような売買取引をしている人もいました。
そんな中を仮面をつけた二人が耳打ちしたり、キョロキョロしたりしながら歩いてきます。
「この前のバザールの時には見たんだよ。その時は閉店間際まであったから残ってるはずさ。絶対次のバザールのときは買おうって決めてたんだ」
「なんでその時に買わなかったのよ。お金なんてたくさんあるんでしょ?」
「それって王族に対する嫌味?」
「そうよ」
「ちぇ。エデリ・・・」
「しー!名前言ったらだめだって」
「ご、ごめん・・・・」
どうやらアレスとエデリカのようです。二人ともいつもとは違う服装で派手な色使いの仮面をつけています。
「思い立った時が買いどきっていうのを知らないの?」
「この前の時と今とじゃ事情が・・・・・それにお金の問題じゃないんだ」
エデリカは仮面の下でフウッと息を吐き出します。
「今日は初日なんだから絶対あるはずさ」
「初日だけど・・・」
アレスの不安そうな様子をよそにエデリカは周りを見回して肩をすくめます。
「何を買いたいのか知らないけどきっともう売れちゃってるわよ。こんなに人がいたんじゃ可能性は薄いわね・・・」
「そんなことあるもんか。いいよもう。僕一人で探す!」
「ちょっとアレ・・・・」
あわてて仮面の上から口を押さえ、名前を聞かれなかったかとオドオドしている隙にアレスは人ごみに紛れてしまい、いくら探しても周りは仮面だらけ。とうとう見失ってしまいました。
その様子を2階のテラスから眺めている人影がありました。
「あらあら。はぐれちゃったのね・・・。そこを左に行けば会えるのになぁ・・・」
クスッと笑ったのはカレラでした。もちろん彼女も仮面をつけています。公式のお祭りであるバザールとはいえ王族が、しかも王位第一継承者がお忍びで来ているとなれば近衛の出番です。カレラの他にも数人の近衛たちが仮面の下で目を光らせていました。
彼女は誰かに合図をすると、テラスから裏路地へ飛び降りて人ごみに紛れてゆきます。
アレスはエデリカそっちのけで露店の列を人ごみに揉まれながら目を皿のようにして、違う違うとぶつぶつ言いながら、そして誰かにぶつかるたびに謝りながら歩いています。
やがて前回のバザールのときと同じ仮面をつけている店主を見つけ出し仮面の下の顔がぱっと明るくなります。
「いらっしゃいい!」
威勢のいい店主の声に一瞬身を引いたアレスでしたが、怯んではいられません。早速並んでいる、というより乱雑においてある商品を店主の顔色を伺いながらそろそろと遠慮がちに、掻き分け始めました。ひとつの箱を取りのけたときに弾みでいくつかの商品が崩れます。
ヒヤッとしたものの、その崩れた中にあったものを見ると・・
「あっ」
アレスの表情が明るくなりました。間違いない、この前のバザールで見たあれだ。
それに手を伸ばそうとしたとき。
「あらぁ。素敵ねこの髪飾り」
「えっ!?」
アレスは自分が手に取ろうとしていたものが目の前でつまみ上げられたのに驚き、それを眺めている背の高い仮面の女を見上げました。
「ちょっとまっ・・・・」
「おっ。お客さんお目が高いねぇ。それはレアンの有名な宝飾職人が作った髪飾りでね。珍しい発光クリスタルが仕込んであるのさ。魔法力を篭めると変化する色数は65500色って話だ。安くしとくよ♪」
仮面の女は言われたとおりに花をかたどった髪飾りを陽にかざして見ました。「ふうん。綺麗ねぇ♪」クリスタルが光を通して実に美しいグラデーションを作り出しています。
「あんたならそうだな。どうだい、これぐらいで」
店主はメモ帳に値段を書き入れて仮面の女に差し出します。売る気満々ですが、あわてたのはアレスです。
「そんな!それを先に見つけたのは僕だよ!」
その声に女も店主も仮面づらをアレスに向けます。アレスはまた少し身を引きましたが引き下がるわけにはいきません。
「ぼ・・・・僕が探してたのはそれなんだ・・・・。先に、見つけたんだ!」
女は仮面の下でニヤリとして言いました。
「へぇ。これを探してたんだ」
「うん・・・」
見かねた店主が言いました。
「よぉし。それじゃこうしちゃどうかな。ここで簡単な競売をするのさ。高い値をつけたほうが買い取れる・・・・ってのは!」
女はその言葉を聞いて考えあぐねているようでした。アレスにしてみれば少し不本意ではありましたが、店主が言うようにオークションになれば絶対に獲得できるという自信がありました。何しろ彼は王族です。糸目をつける金額なんてありません。
ところが仮面の女はそれをはねつけたのです。
「いいえ。だめよ。競売なんてお断り。先に手に取ったのは私だもの。早い者勝ちでしょこういうのって。ねぇ」
「そりゃまあそうだが・・・・。そうだ!なぁ坊や、こっちの髪飾りはどうだい。こっちだって綺麗なもんだぜっ。ん?」
アレスはそんな提案を受け容れる気はさらさらありませんでした。
「僕はそれが欲しかったんだ!」
困った表情の店主、そして仮面の女も髪飾りを手放す気はまったくないようでした。追い討ちをかけるように腹立たしいまでに諭すような口調で更にこうも言ったのです。
「ねぇ坊や。これも社会勉強だと思ってあきらめなさい。こういう事は遅いか早いかがすべてなのよ。今回は私があなたより早く手に取った。そういうことなの。悪いわね。これくださる?」
アレスはその言葉に取り乱し、そして彼が口走った言葉に仮面の女自身も店主も驚いたのです。
「そ!そんな事いわないで譲ってよカレラ!」
「え・・」
思わず名前を叫んで、しまったと口に手をあてるアレス。呼ばれた方も驚いているようで、絶句しています。
店主も驚いて仮面の女の顔をまじまじと見始めました。
「カ・・・カレラ・・・って。まさか・・・近衛のカレラさん?!」
「そんな・・・どうして・・・・・・・・」
唖然としながらカレラはアレスの顔を見下ろしました。実は彼女は自分の変装が完璧だったと自負していたのです。
服装を変えているのはもちろんですが、口の部分には仕掛けを施して少し声が変わるようにしていたし、目のところも外から表情が読めないように編み目にしています。自分のような髪型の女はいくらだっている。絶対にわかるはずがない。今日は彼女のトレードマークの鎖つきの武器だって持っていません。
それなのにどうして自分のことがわかったんだろう。半ば呆然とした彼女はとぼけるという選択肢をすっかり忘れて仮面を取り去っていました。
驚きの表情のカレラ。それを見た店主がいきなり勢い込んで叫び始めます。
「やっぱりカレラさんだ!実はおれぁあんたの大ファンなんだ!いやぁ~感激だぁ~・・・おいらの店にきてくれるなんて!あんたにだったら何でも只であげるよ!好きなものを持ってってくれ!ええぃ!店ごと持ってけぇ!」
店主は仮面で自分の顔が見えないのをいいことに言いたい放題です。
「店ごとって・・・そんな・・・」
アレスは絶望的な表情で店主を見ます。カレラはふうっと息を吐いて微笑むと、店主に向かって言いました。
「只で店ごとはうれしいけど、バザールは平等じゃなくっちゃね・・・・。まったく。どこの坊やか知らないけど、ずるいわ。これで私が買い物したらとんだ卑怯者になっちゃう」
そういうと持っていた髪飾りでアレスのおでこをつついて「これは譲ってあげる。でも」くるりと背を向けて手を振りました。「今日のことは忘れませんからね」
「え・・・あ・・・」
カレラは背を向けて歩き去りました。
「あ・・・ありがとう!」
実はカレラはもともと髪飾りを手に入れるつもりなど毛頭ありませんでした。これは彼女の性格で、ちょっと意地悪をしたくなったというのが真相だったのです。
肩越しに微笑むカレラにアレスが手を振り続けていると。
「ちょっと・・・どうしたのよ」
後ろを振り返ると目の前の仮面があって驚きましたが、すぐにエデリカだと気が付きました。
「あ・・・。う、うん」
「何よそれ」
「え・・・・あ。・・お、おじさんはいお金!」
歩き去るカレラに見とれながら手を出した露店主にアレスは代金を払うとエデリカの手を引いて走り出しました。
カレラの姿が見えなくなって握った手のひらを開いて吃驚仰天した店主。
「1000テル・・・き・・・金貨ぁ!?べらんめぇ!こんなん釣りがねぇ…あれ?おい?坊や!?」
あの子供はいったい誰だったのか。店主が周りを見回してももちろんアレスたちは影も形もありませんでした。
息を切らせて走り続け、ようやく祭りの喧騒が届かなくなった公園のようなところで仮面を取り去ってひと心地ついた二人。アレスはハアハアと息を白くしながらも手に持った髪飾りを見て喜色満面でした。
その髪飾りをエデリカに渡したのです。
「・・・くれるの?」エデリカは少し驚いたようにアレスを見つめます。
「うん」
「でも誕生日でもなんでもないのにどうして・・・・」
エデリカはなんともいえない複雑な気持ちでした。どんな顔をしたらのかもわかりません。
「去年はね・・・。こ、こういうの思いつかなかった。去年もエデリカとバザールには来たけど今年はなんだか違ったんだ。エデリカに贈り物をしたいって思って・・・・そうしたら去年のバザールで見かけたそれを思い出したんだ・・・・。その時はただ綺麗だなってあって思ってただけだったのに。なんでか自分でもわからないけど・・・」
照れくさそうにアレスは頭をかき、エデリカから視線をはずします。彼女は照れているのか戸惑っているのかわからない顔をしながらやっとのことでアレスにその髪飾りを手渡します。
「・・・エデリカ・・・」
思わずつき返されたかと思ったアレスは一瞬悲しげな表情になりましたが、エデリカは言いました。
「つ・・・つけて・・く、くれる?」
アレスはぎこちない手つきで何度か失敗しながら、こうじゃないかなどとぶつぶつ言いながら髪飾りをエデリカの髪につけます。
「ついた?」
「ちょっ・・と待って・・・」
そして何とかつけることが出来るとそっと手を離して一歩下がりました。
「どう?」
頬を少し赤くしたエデリカ。彼女は自分が女の子扱いされたことがうれしくもあり、照れくさくもあったのですが、どうしてなのか自分でもわかりませんでしたが、拗ねたような表情をアレスに向けることしか出来ませんでした。
「う・・・うん・・・・」
「なによ・・・うんて・・・」
「いい・・・」
「え?」
アレスは目の前にいる少女を見て自分の鼓動が早まるのを感じると胸の辺りから首筋にかけてカアッと熱くなり思わずその場から逃げるように駆け出していました。
「ちょっ・・・と!アレス!?」
少しはなれたところからアレスが叫びます
「すごくいい!!」
そう叫ぶとそのままアレスは走っていってしまいました。
「もう・・・・」
エデリカはアレスから初めてもらった贈り物に指先で触れると「・・・・すごく・・・・いい・・・・・・・」クスッと笑いました。
■■■■■
・・・その日の夕方
父の未だ帰らない家の中で、エデリカは貰った髪飾りをつけた自分の顔を鏡で見つめながらアレスの事を考えていました。
きっと明日も何も起こらないいつもと同じ一日。
学校に行ってカーヌと話し、ツェーデル先生の授業を受けて、兵舎に行って剣術の修行をして、家に帰るまで王城でアレスと過ごして・・・。
いつか王となる愛する人。まだ子供だけど、自分も子供だけど、そう遠くない未来、きっと毎日この人のそばに居るであろう日々。
私はそれでいい。
それがあれば何も望むものはない。
日が昇っては沈み、夜には美しい月が輝くように、当たり前のことを最上の幸福と思える日々。
もっともっとゆっくりと時が流れればいい・・・。
一日一日をもっとゆっくりすごせたらどんなにいいだろう。
穏やかな陽光に照らされたアレスの笑顔・・・。
私を呼ぶ声。
頬をなでる風。
安らかな日々。
満たされたように微笑み、髪飾りに触れたとき、玄関の方から声が聞こえました。
「ただいま。エデリカ、いるのかい?」
居間に鞄を置くとエデリカの部屋の方へ向かってローデンが言いました。
「エデリカ?」
部屋をノックするとエデリカの返事が聞こえ、ゆっくりとドアを開けます。するといくらか照れくさそうに立っているエデリカが視界に入ってきました。「これはこれは・・・」その姿を見てローデンは一瞬驚き、そして微笑みます。
「はじめまして。何処のステキなお嬢さんかな?」
口元を微笑ませ、頬が薄っすらと紅色に染まっているエデリカ。ゆっくりと一回転します。
「どうしたんだいエデリカ。髪飾りなんて・・・」
「もらったの・・・。あ」
エデリカは口に手をあてると、首を振りました。
「殿下から拝領しました」
おどけてそう言い、クスッと笑います。
「アレス様から?」
ローデンは、ああとすぐに思い当たったように何度か頷きます。
「そうか。今日はふたりでバザールへ行って来たんだったね」
「うん」
「良く似合ってるよエデリカ。若かった頃のフィアラを思い出すなぁ・・・・」
フィアラとはローデンの妻、つまりエデリカの母の名でした。しみじみとした表情でエデリカに目を細めます。
「ホントに?」
「うん。彼女も髪飾りが好きでね。私もいくつか贈ったよ」
「そうなんだ」
「ずいぶん凝ってるなあ。発光クリスタルか。どれ・・・」
ローデンがそう言って指先から魔法力を「じっとして・・・」髪飾りにふわりと与えます。
「見てごらん」
エデリカは言われるままに自分の姿を鏡に映すと表情をパッと明るくしました。髪飾りに散りばめられた数個のクリスタルがまるで生きているかのように様々な色を明滅させ、キラキラと輝いています。
「綺麗・・・」
「これに合うドレスを作らないとね」
「え・・・」
「ん?ドレスもアレス様に選んでもらうかい?」
笑顔で言うローデンにエデリカは口を尖らせて言いました。
「ううん。・・・でもお父さんの選んでくれるドレスかあ・・・」
「あ。私の見立てを疑ってるな?」
「そんなこと無いけどぉ」
「こいつ」悪戯っぽく笑うエデリカのおでこを突くローデン。
二人は顔を見合わせてまた笑いあいました。
笑い終えたエデリカが椅子に座って煌く髪飾りを見ながら、ふっと表情に翳りを作ります。
「どうした?」
ローデンが背中から鏡越しにエデリカを見ます。
「ね。お父さん」
「ん?」
「ずっと、ずっとこのままで居たいって思うのはいけないことなのかな・・・・当たり前の一日が過ぎるたびに、どうしようもなく怖くなる事があるの・・・・どうしてだろう」
ローデンは暫く黙ったまま歩いていましたが、ふとさびしそうな顔をするとポツリと呟くように言いました。
「フィアラもエデリカと同じことを言っていたよ」
「え?」
驚いて振り返るエデリカに微笑みながら頷くローデン。
「・・・予測できない時の流れの中で一瞬先を思う人はまるで風に舞う木の葉のようだ。自分がどこへ舞い降りるのか、どこへ導かれるのか。風は優しく自分を包んでくれるけどとても気まぐれだ・・・と言って笑ってた」
エデリカは父の言葉に耳を傾けます。ローデンの妻でエデリカの母であった人はエデリカが5歳の頃病に倒れました。彼女には母の記憶がほとんどありません。
「不思議に思うことが今でもたくさんある。どうして私たちは惹かれあったんだろう。どうして一緒に居ると心が安らぐのだろうってね。だけどそれはわからないでもいいんだ。暖かな気持ちになれる存在がすぐ近くに居る。お互いがお互いを求め合っていることがはっきりとわかる。それだけでいい。その理由を考えるという事にどれほどの価値があるのかなんて考える必要はなかった。目の前に彼女が居るだけで全て解決する。少なくとも私はそうだった」
父の落とした視線の先に母が浮かび上がるような気がしました。実際ローデンの心の視界には愛した人が微笑んでいたのでしょう。
医師として国王に仕え、自分を育ててくれた優しい父。エデリカはローデンの頼りなげなところがとても好きでした。
ローデンは悲しみと喜びを同居させるような表情でエデリカの肩に手を置いて言います。
「エデリカ」
「なに?」
「ありがとう。君が居てくれて本当に良かった。一人ではとても生きていられなかった」
「お父さん・・・」
「ずっとこのままでいたい。私もそう思っていた。でもとても残念な事にそうならなかった・・・」
エデリカは振り返って父の手を取りました。表情は悲しげです。自分はもしかすると言ってはいけないことを父に言ってしまったのだろうか。と。
愛娘の不安そうな顔を見ながらローデンは言葉を続けます。
「エデリカ。・・・怖いのは誰でも同じだ。だからこそ寄り添って生きていく事に大きな意味がある。その価値も・・・自然とわかるようになる」
「理由を考える事はいけないこと?」
「いけないことなんかじゃないさ。罪でもない。だけど理由がなくたって感じる事は出来るはずだよ。それが良い事なのか、そうでないか」
微笑みかける父に娘も自然と微笑を返しました。
「うん。なんとなくわかる」
「自分が嬉しいと思うことを誰かにも分けてあげたいと思うのは誰にでもある事だけど、特別な誰かと想いを分かち合えたら・・・」
「きっと素敵ね」
親子は心が通じた事を喜び合うように頷きあいました。
「ねぇお父さん」
「んん?」
「お母さんの事を話して・・・。あ、でもいっぺんにはだめよ。少しずつでいいの」
優しく微笑みながらローデンは何度か頷きます。
「安息日の前日にひとつずつ話そう。それでいいかい?」
「うん」
母と父の若い頃。
エデリカは今の自分のアレスに寄せる想いのどれかひとつでもその中で重ね合わせられるかもしれないと、少しばかり心を躍らせ、ローデンは娘の成長振りに立ち会えなかった亡き妻の事を考え、複雑な思いに駆られながらも、自分が今幸せである事をかみ締めていました。
突然。ローデンは、あ、と言うと口に手をあてます。
「どうしたの?」
「ドレス」
「ドレス?」
「やっぱり新調しないといけないな」
「どうして?」
ローデンは神妙な顔つきでウンと言ってから頭を掻きました。
「受勲式があるんだ」
「受勲式?」
「ロマさんが受けることを決めたんだよ。国王陛下からの勲功を。ずいぶん悩んでいたようだが・・・」
エデリカは知っていました。ユリアス=ロマ=ガーラリエルがグナス=タイアに大打撃を与えた1ヶ月ほど前の討伐を。
ロマはエデリカにとって、よい意味で刺激を与え続けている人物でした。自分と同じ女でありながら初めて国王軍の師団長に抜擢され、そして今回の大活躍。その人物を間近に見ることが出来る。
「式はいつなの?」
「それが今度の安息日の前日なんだ。すぐに出かけよう。エデリカ、準備しなさい。今からならまだ間に合うと思うんだが・・・あそこの仕立て屋なら多少無理を聞いてくれるかなぁ・・・」
ブツブツと言いながらローデンが部屋を出て行くと、エデリカは早速髪飾りの出番が来たとロマを見られる事以上に胸を躍らせました。
■ラットリア=ツェーデル
静かな部屋の中には重厚な調度。暖炉の炎とペンが紙の上を滑る音だけが部屋を支配していました。
ペンを取っているのは年のころは30代半ばいくかどうかという感じの女。暗い赤を基調にした長い法衣をまとっていて、表情はなく、ペンを止めては思案し、そしてまたペンを滑らせるという動作を繰り返していました。
ドアをノックする音がペンの動きを止めます。
「ツェーデル魔法院長。お忙しいところを申し訳ない」
部屋に入ってきた人物を見たラットリア=ツェーデルの表情は賢者の威厳に満ちていました。
「そろそろいらっしゃる頃だと思っていましたよ。アガレス国務大臣」立ち上がってソファをすすめるとアガレス国務大臣はフウフウと息を吐きながら腰を下ろし、風船のような体を揺さぶりながら体の大きさに似合わない小さなハンカチで汗を拭いています。
「取り急ぎのご相談と聞いておりますが?」
「左様。実はその・・・レアン共和国への派兵交代の時期ということは既にご承知でしょうが・・・。今月中には派兵される二師団決めねばなりません」
ツェーデルは頷きます。
「仰るとおりですがなぜ私の所へ?派兵については元老院で協議したのでは?」
アガレスの汗を拭く速度が上がります。
「しょ…少々の厄介ごとがありましてな。いやいや、厄介ごとといっても些細な事です。今期派兵するのは第一師団と第七師団の予定だったのですが・・・」
「ドリエステル元帥とゼーゼス元帥・・・・ですか」
些細。とは言いかねる。ツェーデルは幾分頭が重くなりました。ふうっと息を吐き出します。
「左様・・・。既にご存知かと思いますが、あのおふた方は非常に仲がよろしくない。そこで派兵の時期を別の旅団にして繰り上げようという事になったんですが、かねてからの予定に兵たちは既にその気であったために、双方が譲りませんでな。どうしたものかと・・・・」
その気であった。聞こえは良い言い方でしたが、どちらかと言えば面子の問題であることはツェーデルは百も承知でした。
「情けない限りですね。陛下のお膝元、挙国一致こそが為されて当然というのに個人的な感情で争い事とは・・・」
アガレス大臣は汗を拭くことをやめられないようです。
「そう申されますな院長。しかしまったく仰る通り、言葉もありません。お恥ずかしい限りなのだが、元帥とて人間。陛下が行けと言えば何があろうとレアン共和国に赴くのでしょうが、しかしそれが元で問題が起こればわが国の恥、ひいては陛下の面目が立たなくなってしまいます。不安の種は取り除けるうちに何とかしたいところです。はい・・・」
ツェーデルは鼻から軽く息を吐き出すと、暫くの間思案をめぐらせていました。
「では慣例どおりにまずは元老院の代表者数名の同席の下に元帥会議を開いて、それでも決定しないのなら元老院での討議を行いましょう。日取りのほうは魔法院で決める事としますがいかがですか?」
「いやいやいやそうして頂けると非常に助かります。いやはや申し訳ないですな。お忙しい時にお手を煩わせてしまって」
「お気になさらずに。・・・・・時に」
「は?」
「アガレス大臣はそのお二方の問題について何か解決のための策は何か講じていらっしゃいましたか?」
またまた汗が噴出すアガレス。
「ざ、残念ながら、国王陛下から軍の管理を仰せつかっているとは言え、相手は軍人、しかも元帥です。一筋縄でいくようなら私も苦労しませんよ。皆、国王陛下には忠実であっても、我々官僚の言う事を素直に受け容れるのは極稀です。もっとも・・・・」
ツェーデルの視線がピクリと動きます。
「戦争でも起これば挙国一致も成し易いのですがね。ほっはっは」
軽薄な笑顔で汗を拭くバラムにツェーデルは睨むような視線を投げかけました。
「滅多な事を申されませんように」
「これは失礼。しかし私は真実を言ったまで。歴史を省みればそういうことは珍しくありませんからな」
「だとしてもです。・・・とにかくこの一件がこれから先も続くのは問題です。先送りせず今後の事も踏まえて綿密に話し合うのが良いでしょう」
「左様。然るべき事です。では日取りの件よろしく頼みましたぞ」
大きな体を揺さぶるように歩き去るアガレスの姿を見送りながら、ツェーデルは顎をペンのお尻でトントンと突いていました。
何を以(も)って国王軍を統率する力とするのか。それが国王陛下への忠誠心ではなく敵対者がいなくては為しえないというのはあまりにもお粗末です。お粗末どころか脆さすら感じさせる憂いごとでした。
確かに戦争があれば話は単純です。
アガレス国務大臣の言うように、それまであった解決できない問題が戦争によって霧散霧消することは歴史上珍しいことではありませんでした。友軍と協力して敵を倒すために手を取り合えばいいのですから何も難しい事はありません。
人間という愚かな生き物は、戦争をするための力を放棄しようとしない。それこそが戦争を呼び寄せる道具になるとわかっていても手放さない。いや手放せないのだ。人間とはなんと臆病な生き物なのだろう。
そう考えながらため息をつくツェーデル。しかし国体を保つためにそれが必要である事は彼女もじゅうぶんわかっていました。
レアン共和国への派兵。
これはノスユナイアとレアンの間で結ばれた条約でした。この条約は200年前のデヴォール帝国との連合を断ってノスユナイアと結んだ時に締結された相互安全保障条約で、趣旨はもちろんデヴォール帝国の侵略に対する備えです。
レアン共和国はその名のとおり君主制ではなく元首を頂点とする共和制国家です。
原料を仕入れて物を作る、そして作ったものを売るという、必然的に他者を必要とする”商売”という行為を生業とするジェミン族ですから、当然定期的に商旅団がたくさんの商品を持って頻繁にノスユナイア王国はもとより各国へ派遣されていました。交易はどこの国もしていることで、そのための通商条約もほとんどの国同志が結んでいます。そしてその中心になっているのがジェミン族でした。
しかし、いつの時代にも楽をして稼ごうとする不貞の輩、つまり略奪行為をする賊や知能の高い怪物達は存在していて、それらの横行にジェミン族たちは頭を悩ませていました。
ジェミン族も対抗措置を講じてはいたものの、略奪に屈することもありました。そのときに丹精篭めて作った武器を奪われ、次にはその武器を使ってまた襲撃されれば、いかに創造の熟達者と言えどもなかなか撃退できるものではありません。
そしてそういったことが起これば略奪された分だけ次の商旅団を派遣するときには品物の値を上げざるを得なくなる、または旅団の人員を減らしたりして経費を削減しなければなりません。そうなれば売り上げにも響きますし、マシュラ族の商売敵に水をあけられるのは明らかでした。
ジェミン族たちは賊から大切な商品を守るためにどこの国でも軍隊が警護するというのが慣例となっていたのですが、ノスユナイア王国との連合が成立する前のレアンには軍隊がありこそすれ自国を守るので手一杯で商旅団の警護にまわす人員が極端に少なく、傭兵を雇えばそれだけ経費がかさんでしまうというジレンマに頭を悩ませていました。
ジェミン族の中には戦うために生まれてきたではないかと言う程の者いましたが、それだけではとても追いつかなかったのが事実でした。
しかし彼等はノスユナイア王国と連合を組む事で、ようやくこの問題に終止符を打つことに成功したのです。連合がこのために結ばれたことではないにしても。
商旅団警備である以上、当然戦争行為をするわけではないのですが、他国の警備兵すなわち兵隊が同行するとなれば入国には厳しい審査があるなど面倒この上ないと不評を招く事もしばしばでしたが、ジェミン族たちにしてみれば商品が盗まれたり奪われたりする事に比べれば多少の面倒など些細な事でしたから結局この体制は広く普及しているのです。ですから逆にノスユナイア王国に他国の兵士が来ることも珍しくありません。
そしてこの慣習が生む2次的な産物として、経済的な効果は勿論、実際に略奪者たちとの戦いがあれば戦争でなくとも実戦経験をつむ事も出来るという事がありました。なによりも『何かを守る』という事が連帯感を生んで、協力する事で得られる結果を喜び合う実体験をするのは何事にも変えがたい。つまり協力して敵を倒すのが仕事である兵士達の育成に一役買っていることでもあったのです。
レアン共和国への派兵はほとんどこのためにあるといっても良いほどで、レアンにしても警護の人員、装備はほぼノスユナイア王国に依存しているというのが現状です。二国間の利害はこの部分では完全に一致していました。
しかしツェーデルが頭を悩ませているのはこのことではなく、そこから派生した別の問題でした。
商旅団の道程は、略奪者のほかに凶悪な化物や組織的に襲ってくる怪物も出没するので、普段から警備には優秀な兵員を選出するようにしていましたが、同じ商旅団でも実は格と言うものがあって、より貴重な品々を運ぶときにはそれなりに信用の出来る(ここで言う信用というのは、強い軍人、頼れる軍人という意味)精鋭兵に警備を願い出るのが普通でした。
人選はジェミン族たちが行いましたが、面子に固執する元帥であれば自分の旅団から兵を出したがるのは頷けないことではありません。実際は実力伯仲なので誰を選択しても問題はないくらいだったのですが、選ばれることに功名心を持つ元帥や将官もいたのです。
今回派兵予定だったドリエステル元帥とゼーゼス元帥のように個人的に仲が悪いと、こういったときに思わぬ諍いが起こってしまう可能性があります。こんな事で王国の統率力が同盟国から疑われてしまう事ほど恥ずかしい事はありません。王国としての威厳などあったものではないし、同盟の行く末にも暗い影を落としかねません。
この二人の師団が派兵されれば、見栄と意地の張り合いが起こるのは目に見えています。
以前商旅団護衛の任獲得のために賄賂などの不正行為も起こったことがあります。もちろんそういったことはすぐに露見し厳しく処罰されました。免職、降格や罰金はもとより、過去には処刑を宣告された例もあったようです。
そういった厳しい取り締まりの網の目をくぐってなんとか正々堂々かつ実質を伴った決着のつけ方はないかと考えあぐねた末に一部の元帥たちは『決闘をする』という方法を思いついたのです。厳しい法律のためにジェミン族を買収できないのなら実力でカタをつけようというわけです。
無論それが商旅団の警護を勝ち取るため、などとしたら不正行為をしているわけではないですが本国に知れたときになにかと厄介です。彼らはそれを誤魔化す為に『誰それの恋人の取り合い』とか、『すれ違った時に剣がぶつかったから』とか適当な理由をつけて決闘という名目で商旅団の警備を勝ち取るための雌雄を決していたのです。
それはやがて習慣化されてしまうのですが、それにはジェミン族の性癖も一因していました。
お祭り好きです。
この困った雌雄の決し方も、強い軍人の選出が主旨といえなくも無いのですから、ジェミン族達にしてみれば決闘による選出というのはむしろ願ったり叶ったりでした。
それに元来お祭り好きなジェミン族は、この商旅団警備争奪戦の決闘を半ば見世物のように楽しむようになってしまい、たちまちのうちに習慣化してしまいました。そしていまやレアン共和国では、そのためわざわざこしらえられた闘技場の外周で飲食露店などのバザールまで開かれるほど盛況を見せる大祭として定着してしまっているのです。
しかしいくら決闘するとはいえ、実際に殺し合いをしたのでは不正云々どころの話ではなくなってしまいます。ですから決闘は未研刀による模擬的なものでした。もちろんルールもけっこう細かく決められていました。が、戦う兵士は血気盛んで筋骨逞しい軍人です。そしてこのイベントに出たがるのは当然若い兵士が多かったので怪我など当たり前。そして格上の荷物は定期的に出るものですから、その時期が近づくとそれはそれは賑やかな国を挙げてのお祭り騒ぎになりました。
レアン共和国元首もこの楽しみを奪われたくないがために、ノスユナイア王国の元帥たちと決して口外しないという約束を密かに交わしているほどです。
ところがそんな努力の甲斐も無く、ノスユナイア本国の一部の者は実はこの事実を知っていました。知っていたのですが、事実関係をレアン側に問いただしても案の定とぼけられてしまい、共和国側が隠し立てしているものの不正な行為をしているわけではないので手の打ちようもなく、結果的には黙認しているのが現状でした。
いままで大事に至った事はありませんでしたが、王国評議会に知られればどういうことになるかは火を見るより明らか。無論国王に知らされる事もなく、結局この馬鹿騒ぎはずーっとノスユナイア王国の軍人とレアン共和国のジェミン族たちによって公然の秘密として続けられているのです。
「これも平和だからこそ・・・・という事なのかしらね。・・・・・こっちの気も知らずにいい気なものだわ」
このお祭り騒ぎを知っている一部の者であるツェーデルはふうっと息を吐いて窓の外に瞬く星を見上げ、ポツリと呟きました。
「さて・・・。勲功授与式・・・。もう少し早く決断して欲しかったですね。ガーラリエル少将閣下」
続く・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・>>>
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