サクササー

勝瀬右近

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第1章 第18話 歓声と響動の中で

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 王城の東側のすぐ近く。
 城壁通路でたどり着ける神殿はノスユナイア王国が祀っている神々が鎮座する場所でした。
 太陽は創造の神である主神(男神)、月神は豊穣の神(女神)、星神(女神)は国民一人一人に宿るとされる守護神、これらがノスユナイア王国の祀る神々です。月神だけには守護精霊である水の精がついていますが、これはノスユナイア王国建国後にセノン族を登用するようになり、彼等の精霊信仰が融合したからです。このことはセノン族と王国との深い関わりをよく表していました。(水の精霊は男性)
 ちなみにトスアレナ教皇国では太陽は主神であるアドラーミスの使徒のひとりで、戦いと力の象徴でもありましたが、ノスユナイア王国には明確な戦いの神はいません。
 ノスユナイア王国人は戦いに赴くときに星神に武運長久や守護を願うことはしましたが、勝利を願うことはしません。彼らにとって戦いは神々が与える試練だからです。
 与えられた試練に覚悟と決意をもって立ち向かい、勝利は  ―神が人に与えるものでも人が神に請うものでもなく―  人が努力し血を流して獲得するもので、勝利が神頼みの結果などと決して考えないのがノスユナイア人の宗教観でした。


 神殿の祭壇は座席のある東側に向かって大きく口を開けた扇形で、一段高くなっているその壇の奥には三人の神々とひとりの精霊の巨大な彫像が立っていました。
 壇の前には座席側を向いた近衛兵が一人分の隙間も無く、歴史の一ページを飾る式典にふさわしい色鮮やかな制服をまとってずらりと並び、4万人余り収容できる会場に緩やかな角度で並ぶ座席には新国王の即位戴冠を待ちわびる人々がまだかまだかとざわめいていたのはまだ陽も昇らない早朝のことでした。
 突然楽隊のラッパの音が高らかに鳴り響き、まずは力の象徴ともいえる在国の師団長が礼装に身を包んで現れ定位置に立ちます。次いで王下院代表と元老院代表の面々、続いて三賢者が入ります。
 カーヌ=アーが王冠を予め設置してあった台座に安置すると数歩下がってほかの二人の賢者と共に定位置につきました。
 ややあって最後に王妃に伴われたアレスが祭壇の中央にある王座に座ると会場を埋め尽くした人々が一斉に起立し、真剣な眼差しで壇上を見つめます。
 シンと静まり返った神殿の壇上を静かに進み出た三賢者のひとりディオモレス=ドルシェの声が響き渡りました。
「本日。我々ノスユナイア王国国民は王国の新しい日の出を迎えることとなる」
 彼が両手を高々と上げると松明の明かりに照らされた、背後の壁面に描かれた神々の彫像の影が揺らめきます。
「畏くも国王陛下の御言葉である」
 ディオモレスが控えると、代わってアレスが王座から立ち上がり数歩前に進み出、大きな声で言いました。
「ここに同席している代表者たちと今日というこの日を迎えられたことを神々に感謝し、亡き父に歓びを伝えたく思う。余は今日国王となった!」
 緊張からか、やや棒読みに彼がそう言い終わると満場の拍手が起こり、そして東をむいて開かれている壇上にレノア山脈の北寄りの東方向から昇り始めた陽光が差し込み始めました。そこにいた人々は奇跡でも見たかのような感覚で心が満たされてゆくのを感じ、陽の光が神々の彫像を照らし出すと、それを合図に様々な音程が調和した音が奏でられます。長く、そして厳粛に。
 神官でもあるディオモレスが恭しく王冠を手に携え、アレスの背後に回ると高々と天空に捧げます。するとそこに朝日が反射して王冠の宝石を輝かせました。会場全体からため息のような感嘆が漏れると、静かに王冠はアレスの頭に載せられ、それと同時に会場からは割れんばかりの拍手と、惜しみない称賛がアレスに送られたのです。
 「新国王に神の祝福と精霊の恵みのあらんことを」
 新しい国王が君臨した瞬間に感激の涙を流す者もいれば、手を挙げて叫んでいる者もいます。その熱狂の様にアレスは戸惑ってしまいました。ローレルがそんな彼の耳元で何かを囁くと、アレスは一歩前に進み出ます。にこやかな表情の母ローレルに肩を抱かれ、片手をぎこちなく上げると、拍手も歓声も一層大きくなったのです。
 朝日が完全に昇り切るまで拍手が止むことはありませんでした。

 創世歴3734年1月7日。即位の報せが早馬で王国各地へと散ってゆき、新しい国王が誕生したその日から数日あまりの間、国中が大変な賑わいに包まれたのでした。
  全ての国民がノスユナイア王国の新時代の幕開けを喜び合ったのです。






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 即位戴冠式から二日後、未だ祝賀の雰囲気冷めやらぬ城下町では時折花火の音が響き渡ります。
「明日よね」
「ん・・・ああ。うん・・・」
 食卓を挟んでエデリカはローデンが終始ぼんやりしているのを心配そうに見ていました。
「お父さん」
「ん?・・・ああごめん、パンもう一枚?」
「・・・」
 エデリカはもう一度声をかけ直します。
「お父さんったら・・・もぅ」
「え?」
 顔を上げて改めて娘の顔を見たローデンは、それが心配そうにしているのに気がついてハッとしました。
「大丈夫?明日よ?後見人の任命式」
「あ、・・・はは」はあっと息を吐きます。「覚悟はしているんだけど、ね。いざとなると気が重いな・・・」
 困ったようににこっと笑うエデリカ。
「大丈夫よきっと。私が近くにいるんだからきっとなんとかなる。ね?」
 屈託のないエデリカの笑顔にいくらか救われ、無理矢理に笑顔を作ったローデンはなんども頷きました。
「そうだな。うん・・・うん・・・」
「いるだけだもんね」
「エデリカ・・・」
「うふふふ」
「・・・確かにそのとおりだ。・・・けどね言われるこっちとしちゃ傷つくんだけどな」ふうっと息を吐いたローデンはあと言ってエデリカに視線を送ります。「ああ、そういえば任命式の立会いにお許しが出たそうだね?」
「うん。アレスが・・・じゃなくて、陛下が王妃様に言ってくれたの」
 モルドの渋面が思い浮かぶ。そう思いながらローデンは。
「・・・エデリカ」
「?」
「ここにいるのは私たちだけなんだし、親子の会話でなら陛下のことをお名前で呼ぶのは構わないだろ?」
「うん・・・アレスも王妃様からそんな感じで言われたって」
「そうか・・・なら今は・・・」
 エデリカはその時の様子を思い出してました。ローデンと話していたにもかかわらず意識が飛んでしまったのです。



 それはカーヌの授業を久しぶりに受けたあとのこと。エデリカの任命式への立合いを許可することを母である王妃に頼むとアレスが言ってくれたのです。
「ほんとに?」
 エデリカは顔をまん丸にしてアレスを見て聞き返しました。アレスはにこりとしてこくんと頷きます。
「僕がそうして欲しいっていえばきっと母上だってわかってくれるよ」
「ありがとうアレス!!・・・・・あ」
「なに?」
「・・・・へ・・・陛下っていったほうがいいのかな・・・と思って・・・」
 首をちぢこめてエデリカは言いました。アレスは少し憂鬱そうな目でため息混じりに笑います。
「母上がね。公式の場ではそう呼ばせろって」
「・・・そう」
 やっぱりと思いつつも、エデリカは現実を受け入れるつもりでした。
「でもこういう・・・二人きりの時とかは構わないって」
 その言葉でアレスとの関係をどこまで知っているかはわからないけど、王妃は自分のことを知っているのだ、と悟ると少し不安を覚えました。
 それを振り払うようにエデリカはニッコリとしました。
「じゃあ今はいいのねアレス」
「うん」
 頷くアレスを見てエデリカは、これからは今までと違っていろいろ面倒になるんだなと、ハアっと息を吐きました。
「ね、アレス」
「?」
「私に出来ることがあったらなんでも言って。大変なんでしょ?疲れてそうだし・・・」
「ありがとう。色々ありすぎて確かに疲れてるかも・・・。ほとんど毎日謁見の間に将軍たちや元老院議員の貴族たちが訪ねてきて挨拶をしていくんだ。受け答えは母上で、僕は聞いているだけなんだけど・・・。ご機嫌伺いばっかりで飽きちゃった・・・」
 ふとアレスは鼻から息を吹き出しながら空を落とします。
「アレス?」
 アレスはエデリカの問いかけに視線を返さずにぽつりと言いました。
「・・・父上・・・。どうして死んじゃったのかな」
 エデリカは悲しそうなアレスにハッとして口を引き結びました。
 父親が死んだ。
 もしもそれが自分だったらどうだろうかとエデリカは考え、思わずアレスの手を握ったのでした。
 もしも自分がその立場だったら・・・。
 考えただけでエデリカは悲しく、そして恐ろしくなりました。
 自分だったら耐えられないかもしれない。大好きだった父親がふいにいなくなってしまう。そんな悲しみにアレスは今じっと耐えているのです。エデリカには言葉が見つかりませんでした。
 そしてようやく見つけた言葉。
「あ・・・あたし、早く近衛になりたい・・・」
 やっとのことで出たのはそんな言葉でした。
 そばにいたい。
 ずっとそばにいるという意思表示しかエデリカにはできませんでした。そんな彼女のせつない気持を察したようにアレスは微笑みました。
「エデリカが成人するまであと4ヶ月か。・・・周りが大人ばかりだからエデリカが公式の場でも近くにいてくれる日が待ち遠しいよ」そう言って疲れた顔をエデリカの肩にうずめ、その行為に彼女はホッと心を温め、そして背中に回されたエデリカの手のぬくもりにアレスも安らぎを感じたのです。
「・・・でも」
「なに?」
「その時はアレスのこと陛下って呼ばなきゃだし、話しかける時も敬語なのよね・・・」
 しばらく考えていたアレスはすっと顔を上げると笑って言いました。
「ねぇエデリカ。・・・お芝居してるみたいにしようよ」
「お芝居?」
「うん」
 アレスは楽しそうにうなずきました。
「ほら、お芝居の役者は舞台の上では敵役にだって兄妹にだって、恋人同士になってなれる。だから僕は国王の役、エデリカは近衛兵の役になればいいんだよ」
 いわれたエデリカはしばらくキョトンとしていました。
「ねぇエデリカ。僕は王様。そしてエデリカは近衛兵。許されない二人の間柄を秘密にし続けるなんてどうかな。誰かに知られれば僕たちは引き裂かれてしまうんだ」
「そんな・・・そんなのやだよ」
「だからさ。お芝居さ。他人行儀もずっと一緒にいるための方便。僕もエデリカもずっと一緒にいられるならそんな事ぜんぜん平気。そしてこうして二人きりなった時に確かめ合うんだ」
「うん」
 二人はほほえみ合い、唇を重ね合わせます。
「ずっとそばにいてくれるよね?」
「うん。約束する」
 キュッと手を握り合い、お互いの気持ちを確かめ合た・・・・。


 エデリカはその時のことを思い出していました。
 だからローデンの声に気が付かなかったのは仕方ありません。
「・・・デリカ。エデリカ!?」
 ハッとして顔を上げるエデリカ。
「どうしたんだい。ぼんやりして」
「あ、ううん・・・なんでもない」
 ローデンはなんだかおかしくなって言いました。
「親子そろってぼんやりさんだな。ははは」
 肩をすくめて微笑むエデリカ。「ふふっ」
 ローデンはため息混じりで「それにしても」そう言った後、皿に置いたナイフとフォークがカチャリと音を立てます。「エデリカの成人まであと4か月か、はやいものだな」
 自分がさっきまで考えていたことを見透かされたかのようにエデリカはドキッとしました。
「どうしたの急に・・・」
「いや・・・」
「娘の成長を喜んでくれないの?」
「いや!そんなことは・・・ないさ。ただね・・・」
「ただ?」
 ローデンは心にこびりついていた嫌なものを出すように咳払いをします。
「モルドにはもう少し手加減してほしいね。この前の仕合いの時は・・・憤った気持ちを抑えるのにひと苦労だったよ」
 モルドが自分の娘を蹴飛ばしていたことを知って苦々しい気持ちを味わったことを思い出します。
  そんな父の気持ちを気にもしていないように、エデリカは拳を握って軽くガッツポースを作りました。
「本番の時は大丈夫!今度は蹴り返してやるわっ」
 勇ましい娘の言葉に微笑みかけましたが、ローデンは思い直して頭を振りました。
「おいおい。私の身にもなってくれよ。君が勇ましいことはじゅうぶんわかっているけど、一人娘があんな大男と一戦交えると考えるだけでも冷や汗ものなのなんだぞ。普通の親なら卒倒してるところだ」
 エデリカは大げさな物言いに目玉をくるりと回してため息をつきます。
「お父さんは心配しすぎよ!だいたい大男なんて軍隊に行けば掃いて捨てるほどいるんだから」
「ああ、確かにそうだな。だけど私は君の父親だぞ?心配しすぎってことはないだろ?これでも心配するのを抑えているくらいなんだ」
 ローデンはエデリカが週に二回アローダ=オズ=ノーエル元帥配下の師団で訓練をしていることを知っています。時折小さな怪我をして帰ってくると、顔に怪我をするなとか見えるところに傷を作るなと大騒ぎするのはいつものことでした。
「君は運がいいぞ。こんな名医が父親で」
 屈託のない愛娘の顔を見てもなお鼻を鳴らして曇った表情のローデン。
 彼はエデリカから来るなと言われていたにもかかわらず彼女の訓練の様子を隠れて見に行ったことがありました。が、その時の事は忘れることができませんでした。
 まるで別人。
 気合の一閃とともに大男たちを吹っ飛ばすのは一度二度どころではなく、さらに驚いたことに吹っ飛ばされた大男がむくりと立ち上がると、殺さんばかりにエデリカに剣を振りかざして突撃していくのです。危うく出そうになった「やめろ!」という言葉を口を押えて堪えたのをさっきの事のように思い出し、低く咳ばらいをして胡麻化しました。そこにいたことをエデリカに知られては何日か口をきいてもらえなくなるかもしれなかったからです。
 しかしそれを見た時、わが子の成長を目の当たりにするとはこういう事なのか、とローデンは驚きそして一抹の寂しささえ抱いたのです。もっと別の、女の子らしい成長を喜びたかった、と。
 
「それよりお父さん。後見人の任命式に着て行く服は?用意した?」
「ん?ああ、それなら王室御用達の職人が誂(あつら)えてくれるらしいよ。ひと揃いね。この前寸法を図(と)られた」
「へぇえ」
「こっちとしては楽なんだけど、恐縮だね。服ぐらい自分で用意してもよかったんだが・・・」
「そうかなあ・・・」
 まずは神妙な表情を浮かべるエデリカ。
「うん?」
「だってさ、お父さんの勝手な見立てより確かそうじゃない?」
 そして今度は愉快そうに微笑みます。
「言ったな」コツンとエデリカの頭を小突く手振りをしながらローデンは笑います。
「だって~」
「まあ、そのとおりだけどな。わからないことは慣れた人に任せるのが一番、か・・・」
「そうよ。なんたってお父さんはこれから王国評議会の一員なんだから」
 それを聞いたローデンは吐息して肩を落とします。「やれやれ・・・わたしはごく普通の医者のままでいたかったんだがね・・・」
 モルドのせいで、王妃様のせいで・・・・いやいや今は言うまい。5年。5年の辛抱だ。5年したら普通の医者に戻れる。ローデンはそう言って自分の気持ちを無理に納得させ、娘に微笑んで見せました。
「頑張って名医さん」




 そして翌日。
 ローデンの思いをよそに元老院議会場では着々と準備が進められ、午後になると元老院議員が三々五々と集まり始めました。
 既に三賢者や王下院の代表者たちは控え室にいて、ローデンを輪に入れての歓談の場を作っていました。
「確かにエノレイル殿の心中は察してあまりありますが、名誉なことには違いない」
 そう言ってローデンに視線を向けたのは王国軍の兵站を管理するネスレ=ジェフトです。
「王妃様の心の支えにと申し出を受けた身ですが、・・・どこまでお役に立てるか・・・。みなさんにご迷惑をかけないようにと考えるのが精一杯ですよ」
「陛下は既にご即位され、そして聡明なる王妃様もご健在。・・・とあればご心配には及びますまい!。のう公爵閣下」
 ディオモレスは穏やかな顔で頷きます。「後見人とはそもそも王権を保持するために存在するもの。初めてのことゆえ不安もありましょうが、あまり深刻に考えずに勉強するつもりでおられればよいのです」
「はぁ・・・」
 ローデンは笑顔を作りながら”あまりアテにされていなそうだな”とホッとする気持ちと、やはり場違いだという不安な気持ちを心に同居させました。
「勉強は結構」そう言ったのは、反国家審問委員会の長であるボロギット=カフラーでした。一瞬みんなの視線がカフラーに集まります。「ですが心なさい。あなたは政治の素人です。発言にはじゅうぶん気をつけていただきたい。あらぬ噂や憶測を呼ぶような行動も控えることですな。何事にも慎重さを忘れんことです」
「は・・・はい」
 ローデンには”あらぬ噂や憶測を呼ぶような行動”がどんなもの中も想像ができません。それよりもカフラーという男の持つ雰囲気に恐々としました。
 聞いたところでは、王国評議会の中で一番隠然たる権力を持つ反国家審問委員会。その長であるカフラーからの直々の忠告にローデンは、彼の発する言葉の端々から”私に目を付けられるようなことをしでかすな”という見えざる重圧を感じ、またしても”引き受けるのではなかった”と気持ちを暗くするのでした。
「確かにおっしゃるとおりですわね」そう言って同意を示したのがツェーデルだったことに、ローデンは表情を硬くしました。
「そのあたりのことは重々心に留め置いて頂きたいと私も思いますが、王国評議会でエノレイル先生に発言する機会が訪れるのはおそらくずっと先のことでしょう。カフラー委員長も色々とご心労が有りましょうが、今のところはお気を楽にしていただくことをお勧めしますわ。常に気を張っていては体がもちませんでしょう?」
 そう言ってニッコリとし、それに対してカフラーは表情を変えずに極浅く頭を下げただけでした。
 ツェーデルは、カフラーの迫力に押されるローデンの気持ちを少しでも和らげようとしただけでしたが、この場のローデンに於いてはモルドと友人でよかった、ツェーデルと見知った間柄でよかったと心の底から思わせる一言だったのです。
「これからは僕ともよく話をすることになると思うけど、よろしく願いしますよエノレイルさん。いやエノレイル先生といった方がいいのかな?」そう言って握手を求めてきた男にローデンは少しびっくりました。というのも誰かが自分の隣にいた事にほとんど気がつかなかったからです。
 
「僕は王国情報部長のマリウス。メルク=マリウスです。よろしく」
 つくり笑顔に幾分恐れをなしながらローデンは握手に応じました。
「は、よ、よろしく・・・マリウス長官」
 情報部の長という事はマリウスはそのトップである長官です。
「長官はやめてくださいよ。呼びにくいなら階級付きで読んで下されば」
「階級?」
「ええ、実は僕これでも大佐なんですよ」
 モルドと同じ階級です。
「いや・・・でも・・・暫く長官と呼ばせてください。もう少しすればその・・・」
「そうですね。慣れない組織で自分の立ち位置がわからない不安はお察ししますよ。大丈夫私はあなたの味方ですから」
 この男の人懐こい笑顔には隙がない。笑顔なのに油断できない。何も話していないのに心を見透かされそうな気がする。そんなおかしな感情に襲われたローデンはぎこちない笑顔を返すことしか出来ませんでした。
 そこへ少し慌てた様子で部屋に入ってきた男がありました。その男を見るや、やや呆れた表情でネスレ=ジェフトは。「やれやれ、やっと来おったか」とため息をつきました。その言葉が聞こえたのか男はすまなそうに居住まいを正して頭を浅く下げました。
「申し訳ありません皆さん。公用が忙しく・・・」
 きっちりとした身なりと、白い頭髪はかっちりとした七三分け、年齢は自分の父親が健在ならこれぐらいだろうという感じ。ローデンはこの男を見るなり、奇妙にも親近感を感じたのです。
「レズン。今日は来ないかと思ったぞ」気安い感じでジェフトが言うと。
「何を言うんだネスレ。遅れたのは君のせいだぞ」非難めいた口調ですが、どことなく軽い感じです。
「なんと?人のせいにする気か?」
「そうだとも。君から言われた兵糧と装備調達の予算と実際の費用の計算が合わなかったんだ。部下たちが再確認に大わらわだよ」
「なんだって?部下たちにしっかり計画を立てさせたはずだぞ?」
「本当か?あとでもう一度確認してくれよ?」
「師団は?」
「第四師団だ。頼むぞ」
「うむ。承った」
 不服そうでありながらも力強く2~3回頷きます。「無駄は敵以上の敵なんだ。しっかり確認してくれ。何度か計算し直したがどうしても費用が3%足りない」
「わかったわかった」手を挙げて頭を下げたジェフトは「それよりレズン、君は初対面だったな」
「ん?」
 名前で呼び合う二人を見てある者は微笑み、ある者はため息をついている様子をローデンは不思議な気持ちで見ていましたが、「こちらが国王陛下の後見人のローデン=エノレイル殿だ」自分の名前が呼ばれたことでハッとしました。
「おお、すみませんな内輪仕事の話をこんなところで」ジェフトからレズンと呼ばれていた男は笑顔でそう言ってローデンに握手を求めてきました。
「私は王国財務担当のバターレと申します。レズン=バターレ。よろしく」
「ローデン=エノレイルです」握手を返すローデンは、「あの・・・お二人は・・・」あまりの馴れ馴れしい会話に思わず質問してしまいました。するとバターレはまいったなという笑顔で応えます。
「ああ。いやいや、この男とは30年来の友人。年齢こそ40年近く離れていますが、言うなれば竹馬の友というやつでしてな。腐れ縁です」
 種族が違えばこういった年齢差はよくある事でした。
「レズン。腐れ縁だと?よく言ったな」
「まあ自分でも認めたくはないがね」
 目を丸くしてフンというとジェフトは言いました。「エノレイル殿。どうかね。普通40も歳が離れていたら少しは目上の者に対する敬意というものがあろう?ところがこの男はそんなことを全く気にしないんだな・・・」
「はあ・・・」
「ネスレ。そんな小さいことを気にしてはいかんな。だいたいジェミン族は300年以上生きられるんだから、マシュラ族の年齢と換算すれば君はまだ30歳そこそこだぞ?いやいやもっと若いかも・・・」
 ジェフトはやれやれといった感じでローデンに言います。
「この男は計算が大好きでな。しかも金のことになるとかなり口うるさい。だが、金の流れは人の流れ、ひいては歴史の流れとも合致する。よく話を聞くといい。参考になる」
「よくわかってるじゃないかネスレ大臣。さすがはジェミン族だな」
 朗らかにイヤミを言う辺りに旧来の友であることを伺わせます。もういいというように手を振るジェフトにニヤリとしてバターレはローデンに視線を移し肩をすくめました。
「エノレイル殿。財務管理というのは骨が折れる仕事でしてね。無いところには出し、出しすぎたところからは返してもらう、という簡単なことではないのですよ。なるべく有効活用すべきなのが金という存在だのに、この国の軍人共と来たら金は天から降ってくるとでも思っているのか、放漫な者が少なくなくてね」
「そうなのですか」
「まあ詳しいことは今は言わんでおきましょう。とにかく私がこの役職についてから気が休まったことがないのです」
 矍鑠(かくしゃく)とした口調に年齢を感じさせないバターレの言葉に微笑み返すローデン。
「言うなれば金は国家の血液。無駄に使えばあっという間に貧血です。国が倒れてしまう」
「血税とはよく言ったものじゃな」とネスレ。
「まさに」
 ネスレ=ジェフトの軽い受け答えを聞きながらローデンは、ああそれでかと納得しました。最初に彼に感じた親近感は、医者である自分と同じ感性を持っているからなのだ、と。
 国家を人の体とすれば、各種の組織は筋肉であり骨格、そして金は血液。それを偏(かたよ)ることなく循環させるのは健康維持に欠かせない、こういう考え方をする人物ならば気が合うかもしれない、と考えたのです。ローデンは初対面なのに自分と同じ匂いを嗅ぎつけたということが我ながらおかしくなって苦笑いを浮かべてしまいました。
 しかしそうなってくると、話しやすそうな人物像とも相まってローデンの知識欲が疼き始めます。
「バターレ大臣。いろいろご教示いただければありがたいです」
「もちろんですとも。ただ最近どこぞの兵站担当官に手を焼いていましてね。時間が取れるといいんだが」
 悪戯っぽい笑いを浮かべながらジェフトを横目で見やる初老は、妙に楽しげです。
「私だって努力はしてる」
 ジェフトが苦笑いをしながらそう言うと同時に控え室のドアのひとつが開き、皆が注目する中、アレスと王妃が現れました。
 一同はまるで示し合わせたかのように一列に並び、ローデンもそれに倣って列の末尾に身を置きます。普段王妃やアレスとは診療などで顔を合わせていましたが、いつもとは違う場の雰囲気に思わず襟元を正します。
 アレスが首座に着くと、その隣に立った王妃ローレルが穏やかな表情で全員に視線をすすっと走らせ、最後にローデンを見て口を開き、ゆっくりとした口調で話を始めました。
「今日が生まれ変わったノスユナイア王国の門出の日となります。この日をここにいるあなた方と迎えられることを私も、そしてここに坐(おわ)す国王陛下も心から歓んでいらっしゃいます」
 アレスを見てひと呼吸の間が開きます。
「既に聞き及んでいらっしゃいましょうが、改めて」王妃はローデンに向かって手を差し出し、それに応えたローデンは息を一息吸ってから前に進み出て王妃の傍らに立ちました。「改めてご紹介しておきましょう。ソルネイド=ローデン=エノレイル、男爵です」
 ローデンを含めた全員が、え、という顔をします。
「王妃様」
「なんでしょうツェーデル魔法院長」
 ツェーデルは用心深く口調を柔らかくして言いました。
「エノレイル先生に爵位を?」
 ニコリとして王妃は頷きました。「ええ。爵位としては最下位となりますが、やはり陛下の後見人という立場上ある程度の権威を与えておく必要があると私は考えました」
 確かに王妃の言うこともうなずけなくはありません。例えば公式の場で敬称が「様」だとか「殿」ということになると一般人となり、どうしても王国評議会の一員としてはふさわしからぬ響きになります。しかしだからといっていきなり爵位を与えるのはどうなのだろうか。ツェーデルは冷静にそう思い、そして。
「王妃様。甚だ失礼だということを承知の上で、ご進言差し上げたいのですが」
 ローレルはかすかに頷いて続きを促しました。
「わが国には既に男爵位を持った方が多数いらしゃいます。しかしそのどなたをとっても、名門をはじめとしてその末端に至るまで、貴族の家柄です」
「それは後ろ盾のお話かしら?」
「そうは申しませんが、王家が血筋を大切にしているように、貴族も普段は口にこそしませんが血筋に誇りを持っています。それらを差し置くというのはともすれば不評を買ってしまうかもしれません」
 ローデンはほとほと困ったという顔をして、ただでさえ胃が痛くなる役割を担わされるのに、これ以上の厄介事は勘弁して欲しいと内心でつぶやきます。
「ツェーデル院長はエノレイル先生に爵位を授与させることに反対なのですね?」
「恐れながら。・・・しかし今は。と申し上げておきます。しかるべき時が来た時に爵位を授与させる方が私は良いと考えます」
 しかるべき時。ツェーデルの思うそれは後見人として賞賛を受けた時、です。しかしアレスが成人するまで賞賛されない可能性もあります。
 不透明な未来を考えたとき、どんなことでもより実害が少ない選択をするのが政治的判断というもの。ディオモレスもツェーデルの忌憚無きその意見に賛成したのか小さく頷きました。
 王妃はまたすすっと一同に視線を走らせて言いました。
「みなさんの中にツェーデル院長と同じお考えをお持ちの方はいらっしゃって?」
 いの一番に口を開いたのはローデンでした。「王妃様」
「あら?」
「大変申し訳ない。しかし・・・そのつまりわたしは・・・」
「いいんですよ先生。遠慮なくおっしゃって」
 にこやかに王妃は促し、ローデンはまいったなあという感じで頭を掻いて。「ああ、いやあ。正直なところを申し上げると、私は男爵と呼ばれたいとは・・・それにみなさんの手前と言うより、男爵という呼ばれ方が自分に似合っているとは、とても・・・」
 なんとも真率(しんそつ)で素朴な答えに思わず軽く握った拳を口にあてたのはカーヌです。バターレもジェフトも口元が笑っています。
「なん回も男爵呼ばれて、やっと、その・・・気がつくということもあるかもしれませんし・・・そうなってはかえって失礼になるかと・・・」
 ローデンは何とかこの事態を収束させたいと必死です。
「母上」
 そんなエデリカの父親の姿を見かねたのかアレスが母に言いました。
「僕は今までどおりにエノレイル先生と呼んだ方がいいと思うよ」
「あら。そう?」
 機を見るに敏。
 アレスのこの発言にはそこにいた誰もがそう思い、同時に感心しました。そこにいた全員に違った考えがあるのでしょうが、結局反対なのは明らかです。それをわざわざひとりひとり聞くことは悪いことではありませんが、あまり気分の良いことでもありません。
 アレスの一言は実に間が良かったのです。これに国主たる者の片鱗を見たものは少なくありませんでした。
「きっとエデリカも笑う。」
「私もそう思います。陛下」渡りに船とばかりにローデンが言うとアレスは笑顔を返します。
 王妃ローレルは笑顔で頷いて皆の方に向き直って言いました。
「わかりました。どうやら私の勇み足だったようですね。ではこの件は保留、ということでよろしいかしら?」
「恐れ入ります」ツェーデルが言うと、みんなも同じく頷いて同意を示しました。ローデンもホッと胸をなでおろします。
 ローレルは頷き返して言いました。
「それではみなさん。本日只今より暫くの間ではありますが、この部屋にいるわたくしたち全員がノスユナイア王国を営むこととなります。それについて何か異論がある方はここで申し出てください」
 皆しばらく沈黙します。
 異論がいないことと受け取った王妃ローレルは穏やかに続けました。
「では・・・ここにノスユナイア王国評議会の発足を宣言します」
 王妃ローレルの宣言は一同の拍手によって承認がなされ、出だしをまずまずの雰囲気で迎えることができたのでした。



 半円形に作られた元老院の議場の椅子に既にすべての議員が着座し、任命式のはじまりを待つ人々のサワサワとした話し声が聞こえる中、特に王弟派の集まっている一角は異様な雰囲気を醸し出していました。
 そして議場の外周部に3つある出入口にはそれぞれ近衛の兵隊が3人ずつ立っていて、そのうちのひとつの扉の前にはカレラ=ドルシェとふたりの近衛兵の姿がありました。
「特別・・・という言葉は大佐が一番嫌いなんだけど、国王陛下直々の願い出、とあってはね。渋々という大佐の顔が浮かんでくるわ」
 そう言ってカレラがふふっと笑って隣の近衛兵に視線を送ります。長身のカレラを見上げる兵士のその顔は。「なんだか、恥ずかしい・・・」照れくさそうに笑ったエデリカだったのです。彼女は近衛の制服を着ていました。

 エデリカを後見人任命式に同席させたいというアレスの願い出は王妃を通じてモルドに伝えられました。モルドは当然ながら難色を示しましたが王妃の、そして国王であるアレスのたっての願いとあればむげに断ることも難しく、渋々条件付きで承服したのです。
 モルドの提示した条件は近衛の制服を着用、カレラが必ずそばにいるという二つともう一つ、議場外周の警備に紛れ込ませること。これは議員が背を向けている限り、この事実が看破される確率が低いという思惑からでした。
「よかったわね。こんな形でも出席が認められて」
 エデリカは頷いて硬い表情をニコリとさせます。
「あまり緊張しないでね」
 場慣れしているカレラはエデリカにとって心強い存在でした。
「まだ早いかもしれないけど」
 ハッとしてカレラの顔を見上げました。
「教えておくわね。・・・我々が常に注意を払わなければいけない対象は王妃様や陛下に近づく無頼の輩だけじゃなく、ここにいる元老院議員たちと、そして私と同じ近衛兵たちよ」
「え?」
 エデリカは驚きました。
 無頼の輩は当たり前ですが、議員や仲間であるはずの近衛兵までとはいったいどういう事なのかと。
「私たちは信頼で結ばれている。だけど裏切りというのはそれを越えた部分で起こる。・・・ってモルド大佐は言ってるわ。嫌な話だけど仕方ないのよね。近衛ってそういう組織なの。大佐は身内の敵もあるものと思えって」
「・・・」
 エデリカはこの矛盾した言葉に言い表しようの無い厳しさと共に怖さも感じました。信頼しあっていながら監視しあわなければならない。近衛の仕事は自分の想像していたものとは違うのだと不安すら覚えました。
 それを思うとなおさらエデリカにはカレラの青年のような表情、立ち居振る舞いは頼もしく、存在が大きく感じられたのです。
「いい?おかしな気配を感じたり、誰かが怪しい動きをしたら決して目を離さないでいつでも動けるようにしておくのよ」
「はい」
「その制服を着て私たちといる以上自分が近衛兵と思いなさい。何かあったらまず私に知らせて。いいわね?」
「はい!」
 エデリカは改めて背筋を伸ばし、議場をぐるりと見渡します。ほとんどが自分の隣や周りにいる議員と何かしらヒソヒソと話していましたが、モゾモゾ動いたり首をコキコキ動かしていたり、中には居眠りしている議員もいます。
「あ、今の助言については内緒よ。余計な事を言うなって大佐に叱られちゃうから」
 そういってウィンクするカレラにエデリカは微笑みながら「はい」頷きました。


 控えの間では王妃が、今日が新しい王国の出発を記念する日となることを予感しながら議場への扉を手のひらで指し示し、王国評議会の面々に言いました。
「みなさん。あの扉は議場への扉ではなく、王国の輝かしい未来に向かって開く扉です。共に参りましょう」
 評議会議員が決意を、そしてローデンは覚悟を、それぞれがそれぞれの思いを胸に扉へと向かい、それは左右に大きく開かれました。
 王妃たちが入場するや議場は万来の拍手に包まれました。壇上の奥に臣下が横一列に並び、その前に王妃ローレルとアレスが並んで立ちます。
 しばらく続いた拍手が自然に止むと、舞台の袖にあたる部分の議長席に立った進行役のツェーデルが。「これより後見人任命式、及び承認の儀を始めます。全員着席してください」そう言うと、ガタガタと椅子の音をさせて全員が座りました。それを確認し、ローレルに目配せをすると、静かに話し始めます。
「元老院のみなさん。この度はご足労をありがとうございます」
 王妃が浅く頭を下げ、それに応えるように議員たちが波のさざめきのように頭を下げて応えると、ローレルはひと呼吸おいてから口を開きます。
「私たちは前国王陛下の死という悲しみに直面し、そして此度は新しい国王陛下のご即位という歓びを共にして参りました。しかしながら、今持ってわが国は困難の真っ只中にあるといって良いでしょう。従って王国の困難を乗り越えるのにはまだまだ時間を費やさねばなりません。それは元老院のみなさんの協力なくしてそれは到底成し得ないことなのです。どうか皆さんのお力添えをお願いしたく存じます」
 また拍手が起こり、それが止むとしばらく沈黙が続きました。その沈黙は遂に任命の宣言がされるのだという思いからなのか、議場内はまるで山深い森林の中にでもいるような静けさです。
 王妃は静かな口調で、それでも議場の隅々にまで響き渡る声で言いました。
「わたくしドミニア=ローレル=テラヌスの名において、ソルネイド=ローデン=エノレイルを国王ルディアン=アレス=テラヌス陛下の後見人に任命いたします」
 それを聞いたローデンは、100人以上居る元老院議員の前で身も心も縮こまる思いでした。
 敵意、羨望、嫉妬。人間の持つ負のエネルギーが目に見えない圧力となって襲い掛かってくるような錯覚で、何とか倒れないようにするのが精一杯でした。
 やはり場違いだ。こんな事を引き受けるのではなかった。
 しかし今すぐに飛んで帰りたいとさえ思う彼の心の内などお構い無しに既に運命の歯車は回り始めていたのです。

 議場からは様々な反応が見られました。
 ため息、感嘆、うなり声。
 すると国王の実弟であるハムラン=ケネス=ライジェン侯爵の周りにいた王弟派の議員が何かを言おうと立ち上がりかけます。が、ライジェン公爵がその人物の肩に手をかけて制し、すぐに立ち上がります。ローレルとライジェンの視線が合うと、ライジェンは大声で言いました。
「ノスユナイア王国に永遠の繁栄と栄光あれ!」
 その声は70歳を超える痩身の老人とは思えない声量でした。日々怒号飛び交う議会での発言をしているからとはいえ、その迫力は一瞬皆の度肝を抜き議場をシンとさせました。しかしすぐに親王妃派議員を皮切りに、全ての人々が立ち上がって王妃とローデンに向けて拍手を送ったのです。称賛の声と共に。
「ローレル王妃に神々の祝福と歓びを!」
「我ら国王陛下と共にあらん!」
「テラヌス王朝に栄えあれ!!」
 手を打ち合わせながら口々に祝福と歓びを叫ぶ議員たち。当然ローデンに対する称賛はありませんでしたが、立ち会っていた評議会の人々や三賢者、そしてモルドも一様に表情は厳しいながらも安堵しているようでした。

 ほっとしたような表情の王妃が半身を捻ってローデンを振り返り、隣に来るように促すとローデンは立ち上がって、精一杯の虚勢を張るように背筋を伸ばして王妃の隣へと歩を進めます。
 後見人着任の挨拶をするはずでした。
 しかし。
 ローデンが王妃の隣にたどり着いた瞬間。王妃の体がまるで操り人形の糸が切れてしまったかのように崩れ落ちたのです。






◆歓声と響動の中で◆



「母上!!?」

 アレスの叫び声と共に議場内は騒然としました。
 振り返ったモルドは驚愕しましたがすぐに壇上に飛び上がり、出入口に居た部下たちに指差しで指示を出します。
 出した指示は

 誰もここから出すな。
 
 でした。
 近衛兵たちは指示のとおりにドアを封鎖するように立ちました。
 議場の壇下では舞台に上がろうとしている議員を屈強な近衛兵が押さえ、モルドが急いで王妃の倒れた場所に駆けつけると、既にカーヌが、そしてローデンが必死の形相で魔法による治療をしていました。
 アレスは母の倒れた姿を見て、そして何かを訴えかけるように議場の扉の前にカレラと共に立っているエデリカに視線を送りました。その目は不安と悲しみが入り混じっています。
 その様子に気がついたカレラは言いました。
「行きなさい!」
 ハッとしてカレラを見上げるエデリカ。
「行って!」
 カレラに強く促されたエデリカは走り出しました。

「王妃様・・・」
 ローデンは王妃の胸の上に手をかざして自分の持っているすべての魔法力を注ぎ、治癒術を施していました。カーヌは安定した魔法力が途切れないようにローデンに魔力譲与の詠唱をし続けます。
 二人とも額からジワリと汗を浮き上がらせています。

”助けなければ。助けなければ。助けなければ。助けなければ。助けなければ。”
 ローデンの耳には議場内の響動(ざわめき)が全く聞こえませんでした。
 魔法によって紡がれた治癒の糸を王妃の体の隅々にまで行きわたらせ、原因を探りだそうと懸命に手のひらを動かし続けました。
 その様子を呆然と眺めるアレスのもとにエデリカが駆け寄ります。
「アレ・・・陛下」
「エデリカ」
 すがるような眼をしたアレスの手を取って抱きしめたくなるのをエデリカはやっとの思いで堪え、彼の肩を抱いて支えました。
「大丈夫・・・きっとお父さんが助けてくれる」



  半時間ほどがあっという間に過ぎ去り、王妃の体は別室へと移されました。
 ローデンはソファに横たわる王妃のすぐ前に膝を付き、肩で息をしながら放心したようにがっくりとうな垂れ、アレスは倒れた王妃にすがり付いて何度も母を呼び続けていました。エデリカは不安と悲しみをいっぱいにした面持ちでアレスに寄り添い、父ローデンの横顔を見ています。

バカな バカな バカな バカな バカな バカな バカな そんなバカな!
何があったと言うのだ・・・。
こんなことがあっていいわけがない!
こんなバカなことがあっていいわけがない!

 ローデンはブツブツと口の中で叫び続けています。評議会の者たちも平静など保てるものではありませんでした。全ての人が椅子に座り込んで何も話そうとしませんでした。只々、目の前に横たわる現実に対して何も出来ない己の無力を呪うか絶望するしかなかったのです。


 議場では元老院議員たちが大声で説明を求めたり、様子を教えろと叫んでいます。
「お集まりの皆さんには大変申し訳ないが、暫くの間ここにとどまってもらいたい!ご着席を!」
 壇上からそう言ったあとディオモレスは振り返り、モルドに近づきました。
「大佐」
「ハ」
「いつまでも議員たちをここに閉じ込めておくわけにも行かない」
 その意を受けてモルドはローデン達のいる別室へと向かいます。ドアを開けると部屋の中から重い空気が押し寄せてくるようでした。アレスは亡骸にすがって時折小さな声で母を呼び、ローデンは椅子に座ってテーブルに腕をついて呆然とし、他の者たちも一様に絶望的な表情でした。
「大佐・・・」
 ツェーデルはモルドに悲しみをたたえた眼差しを向けました。モルドはそれを見、そしてローデンに歩み寄ると耳元で。「ローデン」
 ローデンはまだ茫然自失で王妃の亡骸を見おろしています。
「ローデン。しっかりしろ」
 モルドは小声でローデンを叱咤するように言い、彼の肩を揺さぶります。ローデンはゆっくりとモルドに顔を上げ、そして何度か目を瞬(しばたた)かせると震える吐息を漏らしました。
「ああ・・・モルド・・・」
「お前の見立てを聞きたい。死因はわかるか?」
 そのモルドの質問にローデンは怒りとも驚きとも取れる色を眼に浮かべます。
「今すぐに?・・・そんな無茶な・・・・」
「無茶は承知の上だ。お前の医者としての意見を、最小限でかまわない」
 顔色を変えないモルドにローデンは憤りを感じました。
「君はなんとも思わないのか!?たった今、目の前で王妃様が・・・それを・・・」ローデンはハッとしてアレスが近くにいることを思い出しました。そしてなんとか憤りを抑えると隣の部屋へ歩いて行ったのです。そのあとにツェーデルたち三賢者をはじめとした評議会の人々が続きました。
「モルド。君にこれほど・・・いや、これも職務だから仕方ないのだろうな。それはわかるが・・・だが・・・だがもっと人間らしくしたらどうだ!」
 モルドと視線を合わせることなく吐き出された言葉には怒りがこもっていることが明らかに見て取れました。モルドはローデンをじっと見てそして辛そうに眉間にシワを寄せるとすっと視線を外します。
 ローデンの怒りはもっともだと当のモルドも思っていました。しかし場所が元老院議会の議場という密室で、今なおその密室は保たれているのです。死因をある程度調べなければ議員たちを開放するわけには行かない。モルドは口を強く引き結び、ぐっと目を閉じました。
「こんな・・・こんな状態で。・・・こんな状況で、・・・検死などできるものか!」
 自分の隣で、それもあろうことか息子の前で、王妃ローレルは突然絶命した。今自分がいる場所が本当に存在するのか、夢なのか現実なのかなど知りたくもない気持ちだったのです。
 ローデンは何もかもが虚ろなことに思え、近くの椅子に座り込むとただただ頭を抱える事しかできませんでした。
「エノレイル先生」
 ツェーデルがローデンの前に近寄り、膝を突きます。
「お辛いのは我々とて同じです。でも王妃殿下の死因を特定できるのはあなたしかいないのです。議場から議員たちを開放してしまい、そのあとにもしも万が一の事実が判明したら取り返しがつかなくなってしまうかもしれない」目を固く閉じたままうつむいているローデンを見ます。「私からも、お願いします」
 一瞬言葉を詰まらせたツェーデルを見たローデンは目を閉じたまま天を仰ぎ見るようにしてから鼻から息を吸い込むとまたそのまま俯いてから目を開け、一歩二歩と一同から離れる方向へ歩いて振り返りました。
 そして顔を上げて全員を見てからゆっくりと話し始めたのです。
「私は王妃様のすぐ隣にいました。だからこれだけは言える。何らかの攻撃的な魔法が発動した気配など全くなかった。お体もひと通り見聞しましたが、傷などどこにもありませんでした・・・」そう言って少し間をおいて手の甲で額を拭います。
「現時点では病死・・・そうとしか・・・考えられません」
「暗殺の可能性は」
 ローデンは首を左右に振って否定しました。
 しかし、ローデンは典医になってからずっと王妃の体調を事細かに記録していましたが、体力の無さから疲れやすかったとは言うものの王妃はまだ40代半ばを迎えたばかりで、このような死に方をするのはどう考えても不自然としか言いようが無いと思わざるを得ませんでした。
 もっと詳しく調べることができるのなら原因がはっきりとするかもしれない。しかし王族の体を解剖することは決して許されない。ローデンは医者としてすべきことが出来ないことに苦悶しました。
 「暗殺なら何らかの傷跡が体に残る。私は手術などしなくとも相手の体内外の事は手に取るように探ることが出来るが傷はどこにもなかった。だが疾患がどのようなものだったかを知るには解剖の必要がある。それができないのであれば、現状では病死としか言えない」
 ローデンの言葉を信じるなら何らかの疾患であることは明らかでした。
「倒れ方からするとおそらく脳内に何らかの異常が突如として起こったと思われます。心臓の疾患なら苦しさから涙を流したり胸をかきむしるなどの動作が伴いますがそれも皆無となれば、脳であることは間違いないでしょう」
「脳・・・」
 ローデンはフッと息を吐きます。「脳という器官は微弱ながら電気的な波動を発しています。いわば生命の波動ともいえるそれはどのような怪我の治療の時でも重要な目安になります。しかし倒れてすぐであったにもかかわらず、王妃様からその波動を読み取ることができなかった」
 ローデンは目を閉じて俯き、言いました。
「つまり・・・即死です」
 モルドは信じられないという表情でしたが、それはそこにいた全員がそうでした。
 続けざまと言って良いほど時をおかず、国王と王妃が病に倒れるなどありえない。と。
 ローデンはそばにあったソファに座り込むと固く目を閉じて膝に突っ伏しました。悲しみと悔悟に苛まれます。
「また・・・また助けられなかった・・・」


■■◆■◆■◆■◆■◆■



 ローデンたちのいる部屋の隣室では大きなソファの背もたれに深く体を沈め、無言で母の遺体を眺め続けるアレスがいて、その隣にはエデリカが寄り添ってました。
 アレスの目にはまるで生気がありません。悲しみや不安、そう言った普通の感情が全くなく、心の中が空っぽになっていたのです。涙も出ませんでした。
 最後に母と交わした言葉はなんであったろう。
 ぼんやりとそんなことを考えていると、目の前に横たわっている母が起きだして、こちらに歩み寄ってくるような錯覚に囚われましたが、すぐにその錯覚は消え去り、心が暗闇に覆われてゆくのを感じました。
「母上が・・・」
 ぽつりとそれだけ言うとまた黙り込むアレス。エデリカはアレスに何をしてよいのかわからずただ彼の肩を抱いて彼の代わりに涙を流したのです。
 こんな酷いことがあるだろうか・・・。
 今日から何もかもが新しく始まるはずだった・・・。
 そうならなかったことをとても悲しく思いましたが、それさえも些細なことのように思えました。
 悲しいことが悲しい。ただただ悲しいのです。


 その後、近衛による綿密な身体検査を行った後に議員たちを解放しましたが、それによって見つけられたものは何もなく、その日の夜遅くまで三賢者たちはこれからの事について話し合いを続け、いくつかの結論を出しました。
 ひとつは王妃の宣言によって後見人任命は確定していて、ローデンが後見人になった事は疑いがないこと。元老院議会で宣言された以上これについては誰も文句の着けようがありません。
 二つ目は再編された王国評議会の発足は既に宣言されていることは現在の王国評議会議員の全員が承認している以上この事実についても異論を挟む余地はないこと。
 そして三つ目。
 これが一番の問題といって良いことでした。それはローデン=エノレイルが後見人として執政代理が出来るかどうか。
 答えは否。
 では誰が実際の執政を行うのかというとすぐには答えを見出せない、王国評議会で討議して結果を出すしかないというのが最終的な結論でした。当然アレスに国政を任せるなど今の時点では期待すべくもありません。
 両親をあっという間に失い、失意の底に落とされてしまったアレスには隣町への買い物さえ難事といえますました。そして後見人になってしまった事に苦悩するローデン。
 この尋常ならざる事態に三賢者たちも暗雲が広がってゆくのを感ぜずにはいられませんでした。





■◆■◆■◆■◆■◆■◆■
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     ■◆■◆■◆■◆■◆■◆■


■葛藤


 ここは窓から国境が望めるレアン共和国派兵軍駐屯基地。
 国境で任についている師団のもとに首都に控えている非番の師団の司令官がやって来るのは、異例でした。
 今の非番は第七師団。
 司令官からの口伝えでの報告は本国からの重要案件であることを物語りましたが、通常国境にいる司令官を共和国首都にいる司令官が呼んで伝達するのです。
 このような異例な形でドリエステルが数人の部下と本国からの伝令を伴ってやって来たことにロマは胸騒ぎを覚えて急いで待たせてある部屋に入りました。
 そしてドリエステルの口から王妃ローレル死去の言葉を聞いたのです。

 国王崩御からたったのひと月足らず。その報はロマを愕然とさせました。椅子から立ち上がってテーブルに手を付き声を震わせました。
「王妃様が・・・そんな・・・そんなバカな!」
 ドリエステルは言葉もないという感じで視線を落として押し黙っています。しかしロマは国王の時と違って王妃が急逝したことに対しては悲しみより不安の方が大きかったのです。
「ドリエステル閣下!帰国しましょう!これは緊急事態・・・国家の非常事態です!帰国すべきです!」
「私もできればそうしたい」
 ドリエステルの言葉には帰国しないという意思が篭められていました。信じられない、本気で言っているのか。ロマはの目はそう言っているようでした。
「なぜです!こんな続けざまに、陛下はご高齢ゆえ急逝もありえましょうが、今回は違います!王妃殿下は突然死するような年齢ではない!もし万が一・・・」
「万が一?」
 ロマは言葉をいったん飲み込んでから、ゆっくりと吐き出しました。
「万が一、・・・暗殺であったとしたら!」
「貴殿は謀略とでも?」
「ええ。考慮に入れて余りあると思われます」
「報告書には、後見人である典医のエノレイル殿は病死と判断しているとあるが?」
「それがなんだというのですか!」
 ロマはの不安はまさにこの一点にありました。医者が何と言おうといくらなんでも不自然すぎる。どう考えても何かあるようにしか思えない。と。
「ガーラリエル少将。私も貴殿の気持ちはよーくわかる。帰国できるものならばわたしも帰国したい。だが帰国は出来ん。理由は君が一番よく知っているはずだ。数日前、国境線において帝国軍が増強され、しかも軍事演習という示威行動までも行なっているのを連絡してきたのは貴公ではないか」
 窓の外を指差していうドリエステルにロマは言葉が出ませんでした。
 
 それは五日ほど前。国境線の向こう側で不穏な空気が流れ始めたのです。
 国境に配備されているデヴォール帝国の軍事力が増強されているのような気がした派兵軍からの連絡を受けたレアン共和国評議会はフスラン王国で商いをしているジェミン族たちに密書を送って調べさせたところ、サホロ公国国境に配備されていた帝国軍の四個師団のうち半数にあたる二個師団がどういうわけかレアン共和国国境に配置替えになったという驚くべき報告がされたのです。
 軍事情勢の定期調査はレアン共和国で常に行われいていることで、これまで200年間はこういったことがなかった為、元首評議会が驚いたのです。しかし先般のノスユナイア国王の急逝を原因とした国情不安を考えれば予想の範疇でしたが、レアン元首評議会では、世継ぎもいて政治的機能の喪失もない状態で事を起こす確率は非常に低いだろうという結論を出していたので、まさか。元首評議会にはそういう空気が流れたのです。
 元首のマンドルは更に商人たちに状況を探るよう通達を出しました。ところが帰ってきた答えは通常の軍事訓練らしいというものでした。それを鵜呑みにできないのは派兵軍も共和国評議会も同じで、高まる緊張は解かれることなく今でも続いていたのです。

 そして当然この事実は本国であるノスユナイア王国にも通達されます。フスラン領を抜けてサホロ公国に至る道筋を隊商警備に紛れて密かに伝令が本国へと向かいました。が、未だ冬季を脱していないため、それに対する返答が来るのは当分先であることは明白です。つまりノスユナイア王国派兵軍は現在ある二個師団という兵力のみでの対処を迫られていました。そんな事態の中、王妃死亡の報です。
 ロマを恐慌させるには十分でした。
 しかしロマの恐慌とは裏腹にドリエステルは冷静でした。
「帝国側は既に知っているのだろう。陛下が亡くなられ、既に新しい国王陛下が即位されたことも」
 きっとそうだろう。ロマは内心で思い、そしてそれだからこそ、帰国はできないことだとじゅうぶんにわかってもいました。
 しかしだからといって祖国の一大事に他国で悠々と構えていることが正しいとは思えない。それがロマの心を葛藤させているのです。
「確かに国境での変事は重大です。しかしせめて確認のための使者だけでも!」
「無論だ。ここに来る前に既に手配し、出発させている。貴殿がそれに気がつかなかったというのなら使者の通過はうまく国境を通り抜けたと見て間違いない」
 ロマはその言葉で、あまりの悠長さに危うく机に拳を叩きつけるところでした。

 ”どうして南周りで?・・・到着に何日かかると思っているのか。どうしてレノア山脈を越えないのだ。”

 既に手配済み。しかし彼女のいら立ちは安堵よりもやり方に対する苛立ちでとても今の気持ちを収めることはできなかったのです。
 ドリエステルは鼻息を吐き出しながらグっと目を閉じます。「・・・使者はわたしが信頼をおいている者で編成した。だからきっと正しい情報を細大漏らさず伝えてくれるだろう。我々にできることは国境を守り、待つことだけなのだ。わかってくれ少将。使者が帰り次第、貴殿には一番に知らせよう」
 ロマはドリエステルに半ば無理やりに説得され、首都での軍備を整える為に急いで戻ると言う彼を見送ると兵舎の司令官執務室に戻りました。そこで待っていたデルマツィアと旅団長でイサーニとゼンとゼンに同行していたナバに状況報告をしたのです。
 事実を聞かされた男たちの反応はまったく予想を裏切らないものでした。
「王妃様が!?」
「バカな!」
「信じられない・・・」
「帰国すべきです閣下!」
 皆の顔には一様に不安の色が浮かんでいます。
 司令官として部下には勇気づけの言葉の一つでもかけなくてはならないのに、ロマは司令官という立場にこれほど葛藤したことはなく、つい口走ってしまったのです。
 ロマは突然ナバを見ていいました。「ナバ」
「は?」
「司令官になってくれないか」
「は?え?!」
 ナバは思わず防御の姿勢を取りました。喧嘩千人のときの”そんなに私が嫌ならお前が司令官になれ!”その言葉が出るときは必ずロマが怒りをあらわにしたからです。
 しかしロマは力なく呟いただけでした。「冗談だ・・・」今すぐ帰りたい。真実を自分の耳で聴き、この目で確かめたい。祖国で皆と同じ様に嘆き悲しみたい。それが彼女の正直な気持ちであり、そこにいた全員が考えていたことでした。しかしロマは私情を抑え、出来る限り司令官として振舞おうと努めて言いました。
「本国より追って知らせがあるまで現状のまま任務を続行する。王妃様がお亡くなりになられた事と任務続行の旨、アレス様が即位した事、そして後見人が決まった事を兵たちに伝えておいてくれ。以上だ」
「閣・・・」
 それに対して何か言おうとするナバをゼンが肩を抑えてとめます。
「任務は通常通りだ。空いた時間で追悼の議を執り行うが気を抜くな。解散」
 全員が敬礼してロマの執務室から引き上げてゆきました。
「なんてことだ・・・」最初にゼンが呟き、それに応えるようにイサーニが言います。「すぐにでも帰国命令を出したいであろうな・・・・」
「だったら帰ればいいじゃねぇか・・・・閣下は何を迷っ・・・・」
 ゼンが突如ナバの胸ぐらをつかみます。
「な・・・なんだよ・・・・」
 顔中に厳しさを貼り付けたゼンに詰め寄られて、うっと身を引くナバ
「司令官である以上、戦線を放棄するなんて馬鹿な真似はできないことぐらいお前だってわかるだろう?」
「それはそうだけどよ・・・。司令官がいないときのために旅団長や参謀がいるんじゃねぇの?」
「それは緊急時のことだ」
「今は緊急時じゃねぇのか?」
 ゼンは鼻から息を吐き出して首を振りました。「それは、そうだが・・・」確かにナバの言うとおりでもあります。
「葛藤だよ。ナバ」
 イサーニがそう言ってナバを見ました。
「カットウ?」
「ん。心の中に相反する欲求や感情があった時にどちらをとるか誰でも悩むだろう?」
 わかっているのかいないのか、ナバは曖昧な表情をしています。
「閣下がここからいなくなった後で、国境で万が一のことが起こった場合、誰が責任を取る?」
「そりゃ・・・」気がついたのか口調が萎みます。「ガーラリエル閣下・・・かな?」
 イサーニは頷き、続けました。
「我々同様、閣下も辛いのだ。それは分かって差し上げなくてはな」
 どうにもやりきれない。ナバはそんな表情で天井を見上げます。
「どうなっちまうんだ。いったい・・・」

 旅団長たちはそれぞれの配下に今回の詳細を知らせ、現状維持の命令を下しました。
 その時に帰国を願い出た者もいました。国を思ってという者もいれば、家族が心配だという者もいます。それでも盟約の名のもとに派兵された以上、国王から下された命令に背く事は許されないなど様々に説得され、不安を持ちながらも全員が気持ちをひとつにしたのです。
 誰もがそうせざるを得ませんでした。




第19話へつづく






設定情報◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆



【姓名】
高位の者(王族や貴族、高位の軍人、政治家、僧侶、神官など)であればほとんど以下のような構成の姓名となっている。
[貴賜名(きしめい)]+[名前]+[家門名(姓)]

例)
貴賜名↓  名前↓    家門名(姓)↓
ユリアス  ロマ     ガーラリエル
デルス   ラットリア  ツェーデル
ボルド   ロフォカッレ モルド


●貴賜名(きしめい):神より賜った貴い名という意味
ノスユナイア王国では通常公式の場で在位の王族が臣下配下に対して呼びかける時に貴賜名を使用する。
位の高いものであれば親が、そうでない場合は自分で考える。ただし、王族から名前を呼ばれる事はあまりあることではないため、一般人で貴賜名を持っている者は極々少数。一般の人々は名前か家門名(姓)で呼び合い、必要になった時には神官から授けられる。
この文化はマシュラ族特有のもので、セノン族、ジェミン族、アカ族の名前には貴賜名は存在しない。ハーフセノンは生い立ちによるがカレラは持っていない。
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