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第一章
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「樹生! 祐樹くんとハヤトくんと喧嘩したんですって!? 二人とも心配して来てくれたのに、どうして追い返したりするの!」
二人が来ているあいだ病院の外に出ていた母は、ことの顛末を見ていた看護師から報告を受けたらしく、病室に入って来るなり樹生を責め立てた。樹生も負けじと反抗する。
「母さんこそ、なんで切断したこと勝手に喋ったんだよ!」
「ちゃんと事故に遭ったことと練習に出られない理由を説明しないと、コーチにもチームにも迷惑かけちゃうんだから仕方ないでしょう!?」
「だからって俺になんの相談もなく喋るなよ! 言うなって言っただろ!」
「心配して下さるコーチやチームには黙っておけないわよ! こんな状態なのに、ずっと待ってて下さい、なんて言えないじゃないの!」
その言葉で母は退団を申し出たのだと察した。みんなと同じように走れないのだからそれが正解かもしれない。けれど、なんでも勝手に進めないで欲しい。樹生はただ、せめて自分に判断させて欲しかっただけだ。
「――もういい! 母さんも出てけよ! 口も聞きたくない! 誰とも話したくない!」
「たつ……」
「みんな他人事だと思いやがって!」
手元にあった枕を勢いよく投げ付けたら、バランスを崩してベッドから落ちてしまった。痛くはなかったが、こんなことでバランスを崩すことも、ベッドから落ちたことも恥ずかしくてたまらない。母はすかさず動いて抱き起そうとしたが、手を思い切り振り払って拒絶した。
「もういいって! 自分でやるから出てけよ!」
それでも母は手を貸そうとしたが、差し伸べかけた手をぎゅっと握り、迷いながら樹生の言う通りに病室から出て行った。
樹生はベッドに両腕をついてなんとか左足一本で立ち上がった。ちょっと立ち上がるにも力が要る。情けなくて涙が出た。どうして俺が、と何度も思った。どうやっても明るい未来を思い描くことができない。樹生はベッドに上がることを諦め、床にへたり込んだ。窓から陽が差し込んで床に日溜まりができた。だけど樹生がいるところに陽は当たらない。ちょうど柱の影に入っている。
――俺じゃん。俺はもう影でしか生きられないじゃん。みんなが頑張っている姿を影から指を咥えて眺めるしかないじゃん。
自虐的になって涙が止まらなかった。駄々っ子みたいに床に這い蹲って泣いた。樹生の声を聞いてか、病室の扉が静かに開かれる。母が戻ってきたのだと思った樹生は「出てけってば!」と声を荒げる。
「一人にしてよ! もうなんにもしたくないんだよ!」
「――じゃあ、義足は要らないってことでいいんだな?」
母だと思っていたのが、低い声でそう言われて樹生は振り返った。古谷が立っていた。
「あれから一週間経ってちょっとは気が変わったかなと来てみりゃ、まだ拗ねてんのかお前は」
樹生は涙の筋を頬に何本もつけたまま、睨み上げた。
「俺の気持ちなんか分かんねーくせに……! もうどうでもいいよ、どうせ歩けないし! 義足なんか着けたところでしれてるだろ!」
「そうやって意地張ったまま、あと何十年も生き続けんのか」
「そもそも生き残ったのが間違いだったんだっ! サッカー以外に取柄のない俺がサッカーまでできなくなって、こんなの生きてる意味ないじゃん! ……もういっそ死にたいよ! 死んだ方がマシだ!」
そして再び左膝を抱えて泣いた。嗚咽がひどくてまともに息もできない。このまま呼吸ができなくなって死ねたらいいのに。古谷が近付いてきたかと思えば、いきなりひょい、と身体を持ち上げられた。
「えっ、なっ、なっ、なに」
「そうか、そうか、そんなに死にてぇのか」
「……はっ!?」
古谷は樹生を肩に担いで病室を出る。「下ろせ」と必死で暴れるも、びくともしない。周囲の好奇の視線を浴びながら古谷に運ばれ、エレベータ―に乗った。最上階に着いたら今度は階段に出る。
古谷が目指した先は屋上だった。扉を開けて一歩外に出ると強烈な風が体を叩きつけた。古谷は樹生を担いだままフェンスに寄る。
「下、見えるか? 見せてやるよ、ホラ」
くるっと回って屋上からの眺めを見せられる。すぐ下は病院の駐車場になっていて、ごまのような人が歩いているのが見えた。樹生は高所恐怖症なわけではないが、誰だって十六階の建物から真下を見たら身がすくむ。しかもフェンスの高さは古谷の身長ほどしかないので、肩にいる樹生はこのまま手を離されたら落ちるんじゃないかとぞっとした。
「そんなに死にたいなら死なせてやるよ。ここから落ちるのが手っ取り早いだろ」
「……え!? は!?」
「俺さー、死にたいって言ってる奴を無理に生かすのは違うと思うんだよな」
「え、ちょ、……」
「だからここから落としてやるよ」
「そ、そんなことしたらオッサン、人殺しになるじゃんか!」
「もちろん、責任持って一緒に死ぬよ。俺も生きててもそんな毎日楽しいわけじゃないしな」
冗談にしてはタチが悪すぎる。でも冗談で言っている顔でもなかった。目が笑っていない。死にたいなんて言ったばかりに、とんでもないことになってしまった。
「し、死にたがってるから死なせるって、アンタそれでも医療従事者かよ!?」
「患者の意思を尊重していると言ってもらいたいね。俺は責任感が強いんで、死なせると決めたら死なせるし、俺も死ぬと言ったら死ぬ。一緒に跳ぶか」
古谷がフェンスに足を引っ掻ける。樹生は本気で殺されると思った。いや、実際死んだ方がマシではある。こんな身体でこの先の人生を生きていける気がしないのだから。でも、こんな状況になった途端にさっきまで腹を立てていた母に会いたくなった。学校やクラブの友人の顔が次々浮かんでくる。死ぬのか? 本当に? この男に、殺されるのか?
「じゃ、そういうことで。――オラ逝くぞ、あばよ!」
「……うっ、わあああああああ!!」
古谷が樹生の身体を掴んで身を傾けると、ガクンと視界が揺れた。その瞬間、樹生は大声を上げていた。古谷の肩に爪を立て、左足を腰に巻き付けてしがみつく。
「いやだああああああ!! やっぱ死にたくない! 死にたくないいいぃいい!!」
事故に遭う瞬間にも頭の片隅に「死」はよぎったが、あの時は一瞬だったのでこれほど現実味を帯びていなかった。じわじわ迫りくる危機を肌で感じて初めて、本気で「死」を覚悟した。こんなに恐怖だと思わなかった。樹生は涙も洟も流しながら、古谷にしがみついて泣き喚いた。
「殺さないでェエ!! 死にたくない! まだ生きたいッ! 生きたいよおぉ!!」
軽率に死にたいなどと言った自分が馬鹿だった。いつまでも現実を受け止める勇気が出ないから逃げていた。どれだけ心配されても励まされても「しょせん他人事なんだろう」と素直に厚意を受け取ることができなかった。それでは駄目だと古谷に叩き起こされた気がした。リハビリもやる。もう死にたいなんて言わない。だから殺さないで欲しい!
「わかった!」
古谷の幾分明るい声が耳元でしたと思ったら、またしても体がぐるんと回転して床に寝かされた。落とされずに済んだ。床に着けるってなんて素晴らしいんだと思った。極度の恐怖と緊張で心臓が口から飛び出そうなほどバクバクと波打っている。よかった、生きている。
空を遮って古谷が樹生の顔を覗き込んだ。
「俺がこれから、お前に生きててよかったって思えるようにしてやる」
「……や、もう充分、思いました……」
「また歩きたいと思わねぇか? 自分の足で」
雲に隠れていた太陽が姿を現し、古谷にまばゆい後光がさした。
やられた、と思った。すべて計算付くだったかのような古谷の勝ち誇った顔。荒療治にも程がある。
「……足……できたら、歩けるようになる……?」
「もちろんだ、俺が作るんだぞ。絶対かっこいいから」
大きな手の平を上から差し出された。太陽光を浴びた古谷の手は少し乾燥していて、分厚くて、血管の目立つ大きな手だ。
本当はまだ足を切断した事実を受け入れたくない。足を着けても以前のように歩けるようになるのか不安だらけだ。でも希望くらいは持ってもいいのかもしれない。
樹生は寝そべったまま目の前の武骨な手を握り返した。古谷の頭上に広がる空は果てしなく群青だった。
二人が来ているあいだ病院の外に出ていた母は、ことの顛末を見ていた看護師から報告を受けたらしく、病室に入って来るなり樹生を責め立てた。樹生も負けじと反抗する。
「母さんこそ、なんで切断したこと勝手に喋ったんだよ!」
「ちゃんと事故に遭ったことと練習に出られない理由を説明しないと、コーチにもチームにも迷惑かけちゃうんだから仕方ないでしょう!?」
「だからって俺になんの相談もなく喋るなよ! 言うなって言っただろ!」
「心配して下さるコーチやチームには黙っておけないわよ! こんな状態なのに、ずっと待ってて下さい、なんて言えないじゃないの!」
その言葉で母は退団を申し出たのだと察した。みんなと同じように走れないのだからそれが正解かもしれない。けれど、なんでも勝手に進めないで欲しい。樹生はただ、せめて自分に判断させて欲しかっただけだ。
「――もういい! 母さんも出てけよ! 口も聞きたくない! 誰とも話したくない!」
「たつ……」
「みんな他人事だと思いやがって!」
手元にあった枕を勢いよく投げ付けたら、バランスを崩してベッドから落ちてしまった。痛くはなかったが、こんなことでバランスを崩すことも、ベッドから落ちたことも恥ずかしくてたまらない。母はすかさず動いて抱き起そうとしたが、手を思い切り振り払って拒絶した。
「もういいって! 自分でやるから出てけよ!」
それでも母は手を貸そうとしたが、差し伸べかけた手をぎゅっと握り、迷いながら樹生の言う通りに病室から出て行った。
樹生はベッドに両腕をついてなんとか左足一本で立ち上がった。ちょっと立ち上がるにも力が要る。情けなくて涙が出た。どうして俺が、と何度も思った。どうやっても明るい未来を思い描くことができない。樹生はベッドに上がることを諦め、床にへたり込んだ。窓から陽が差し込んで床に日溜まりができた。だけど樹生がいるところに陽は当たらない。ちょうど柱の影に入っている。
――俺じゃん。俺はもう影でしか生きられないじゃん。みんなが頑張っている姿を影から指を咥えて眺めるしかないじゃん。
自虐的になって涙が止まらなかった。駄々っ子みたいに床に這い蹲って泣いた。樹生の声を聞いてか、病室の扉が静かに開かれる。母が戻ってきたのだと思った樹生は「出てけってば!」と声を荒げる。
「一人にしてよ! もうなんにもしたくないんだよ!」
「――じゃあ、義足は要らないってことでいいんだな?」
母だと思っていたのが、低い声でそう言われて樹生は振り返った。古谷が立っていた。
「あれから一週間経ってちょっとは気が変わったかなと来てみりゃ、まだ拗ねてんのかお前は」
樹生は涙の筋を頬に何本もつけたまま、睨み上げた。
「俺の気持ちなんか分かんねーくせに……! もうどうでもいいよ、どうせ歩けないし! 義足なんか着けたところでしれてるだろ!」
「そうやって意地張ったまま、あと何十年も生き続けんのか」
「そもそも生き残ったのが間違いだったんだっ! サッカー以外に取柄のない俺がサッカーまでできなくなって、こんなの生きてる意味ないじゃん! ……もういっそ死にたいよ! 死んだ方がマシだ!」
そして再び左膝を抱えて泣いた。嗚咽がひどくてまともに息もできない。このまま呼吸ができなくなって死ねたらいいのに。古谷が近付いてきたかと思えば、いきなりひょい、と身体を持ち上げられた。
「えっ、なっ、なっ、なに」
「そうか、そうか、そんなに死にてぇのか」
「……はっ!?」
古谷は樹生を肩に担いで病室を出る。「下ろせ」と必死で暴れるも、びくともしない。周囲の好奇の視線を浴びながら古谷に運ばれ、エレベータ―に乗った。最上階に着いたら今度は階段に出る。
古谷が目指した先は屋上だった。扉を開けて一歩外に出ると強烈な風が体を叩きつけた。古谷は樹生を担いだままフェンスに寄る。
「下、見えるか? 見せてやるよ、ホラ」
くるっと回って屋上からの眺めを見せられる。すぐ下は病院の駐車場になっていて、ごまのような人が歩いているのが見えた。樹生は高所恐怖症なわけではないが、誰だって十六階の建物から真下を見たら身がすくむ。しかもフェンスの高さは古谷の身長ほどしかないので、肩にいる樹生はこのまま手を離されたら落ちるんじゃないかとぞっとした。
「そんなに死にたいなら死なせてやるよ。ここから落ちるのが手っ取り早いだろ」
「……え!? は!?」
「俺さー、死にたいって言ってる奴を無理に生かすのは違うと思うんだよな」
「え、ちょ、……」
「だからここから落としてやるよ」
「そ、そんなことしたらオッサン、人殺しになるじゃんか!」
「もちろん、責任持って一緒に死ぬよ。俺も生きててもそんな毎日楽しいわけじゃないしな」
冗談にしてはタチが悪すぎる。でも冗談で言っている顔でもなかった。目が笑っていない。死にたいなんて言ったばかりに、とんでもないことになってしまった。
「し、死にたがってるから死なせるって、アンタそれでも医療従事者かよ!?」
「患者の意思を尊重していると言ってもらいたいね。俺は責任感が強いんで、死なせると決めたら死なせるし、俺も死ぬと言ったら死ぬ。一緒に跳ぶか」
古谷がフェンスに足を引っ掻ける。樹生は本気で殺されると思った。いや、実際死んだ方がマシではある。こんな身体でこの先の人生を生きていける気がしないのだから。でも、こんな状況になった途端にさっきまで腹を立てていた母に会いたくなった。学校やクラブの友人の顔が次々浮かんでくる。死ぬのか? 本当に? この男に、殺されるのか?
「じゃ、そういうことで。――オラ逝くぞ、あばよ!」
「……うっ、わあああああああ!!」
古谷が樹生の身体を掴んで身を傾けると、ガクンと視界が揺れた。その瞬間、樹生は大声を上げていた。古谷の肩に爪を立て、左足を腰に巻き付けてしがみつく。
「いやだああああああ!! やっぱ死にたくない! 死にたくないいいぃいい!!」
事故に遭う瞬間にも頭の片隅に「死」はよぎったが、あの時は一瞬だったのでこれほど現実味を帯びていなかった。じわじわ迫りくる危機を肌で感じて初めて、本気で「死」を覚悟した。こんなに恐怖だと思わなかった。樹生は涙も洟も流しながら、古谷にしがみついて泣き喚いた。
「殺さないでェエ!! 死にたくない! まだ生きたいッ! 生きたいよおぉ!!」
軽率に死にたいなどと言った自分が馬鹿だった。いつまでも現実を受け止める勇気が出ないから逃げていた。どれだけ心配されても励まされても「しょせん他人事なんだろう」と素直に厚意を受け取ることができなかった。それでは駄目だと古谷に叩き起こされた気がした。リハビリもやる。もう死にたいなんて言わない。だから殺さないで欲しい!
「わかった!」
古谷の幾分明るい声が耳元でしたと思ったら、またしても体がぐるんと回転して床に寝かされた。落とされずに済んだ。床に着けるってなんて素晴らしいんだと思った。極度の恐怖と緊張で心臓が口から飛び出そうなほどバクバクと波打っている。よかった、生きている。
空を遮って古谷が樹生の顔を覗き込んだ。
「俺がこれから、お前に生きててよかったって思えるようにしてやる」
「……や、もう充分、思いました……」
「また歩きたいと思わねぇか? 自分の足で」
雲に隠れていた太陽が姿を現し、古谷にまばゆい後光がさした。
やられた、と思った。すべて計算付くだったかのような古谷の勝ち誇った顔。荒療治にも程がある。
「……足……できたら、歩けるようになる……?」
「もちろんだ、俺が作るんだぞ。絶対かっこいいから」
大きな手の平を上から差し出された。太陽光を浴びた古谷の手は少し乾燥していて、分厚くて、血管の目立つ大きな手だ。
本当はまだ足を切断した事実を受け入れたくない。足を着けても以前のように歩けるようになるのか不安だらけだ。でも希望くらいは持ってもいいのかもしれない。
樹生は寝そべったまま目の前の武骨な手を握り返した。古谷の頭上に広がる空は果てしなく群青だった。
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