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第七章
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河川敷ではチームメイトがコーチの笛に合わせてアップをしているところだった。松葉杖で土手に佇み、しばらくその光景を見下ろした。「早く声、掛けたら?」とせっつく母が鬱陶しくて車に追いやる。挨拶に行くタイミングを取れずにいたら、チームメイトの一人が気付いてくれた。
「……樹生、樹生じゃん!」
一人が声を上げると次々に振り向いて、もうアップどころではなかった。コーチですら一緒になって、一斉にこちらに向かってくる。こんなに歓迎されると思わず、嬉しいというより恥ずかしかった。
「大谷が教室に来てくれたって聞いて、ちょっと顔出してみようかと思って……」
「出歩けるようになったんだなぁ、来てくれて嬉しいよ、よかった、本当によかった」
涙目になってコーチが喜んでくれている。この人はこんなに生徒思いだっただろうか。
樹生はチームメイトに取り囲まれて、しばらくあちこちから質問を受けた。いつどこで、どうやって事故に遭ったのか、切断したあとはどうやって過ごしたのか。中学生にもなるとある程度気遣いができる年齢なので、あけすけな質問はされなかったが、それでも中には興味津々に詳しく聞きたがる奴はいた。樹生はここでも詳細は伏せて、明るく努めてみせた。
ある程度落ち着いた頃、タイミングを窺っていたハヤトが寄ってきた。少し前から離れたところでこちらを見ていることに気付いていたが、あえて目を合わせないようにしていた。ハヤトとは病院で追い払って以来である。おう、と短く挨拶されて、樹生は気まずさと申し訳なさと、声を掛けてくれたことの有難さに俯いた。ハヤトが来たことで樹生への関心が失われたであろう他の連中はあっさりと退いていく。
「来ると思わなかった」
「俺も来るつもりはなかったんだけど……」
ハヤトは視線を落として樹生の足を見た。見舞いに来てくれた時は車椅子だったのできちんと見せたことはない。
「病院で樹生に足がなくなった気持ちなんて分かんねーだろって言われた時はムカついた。こっちは本気で心配してんのにさ」
「あれは……その、ごめん……」
「でも今、お前の足を見たら、あの時のお前の気持ちが分かったというか……いや、分かんないけど、自分だったら同じように思うかも。俺はプロになりたいわけでも強豪校に行きたいわけでもないけど、そんなんでもずっとやってきたからサッカーは俺の特技でもあるし、それがなくなったって考えるだけで辛いもん」
振り返るといつの間にか車から降りていた母がコーチと話し込んでいた。
「……祐樹は?」
「あそこ」
ハヤトは河のほうで一人でリフティングをしている彼を指差した。土手から離れたところでわざとらしく孤独にいる姿が、樹生への怒りを表している。
「色紙見た? あいつの」
「見た」
「ガキだよなー」
ハヤトは声を張り上げて祐樹を呼んだ。一度は振り向いたが、無視をする。ハヤトが何度か名前を呼んで「拗ねてんのダセェから!」と煽ると、ようやく観念したようだった。ボールを地面に思いきり叩きつけ、バウンドしながらよそへ転がるのを放置して走って来る。土手に駆け上がってきた祐樹は渋面で樹生を睨み付けた。ハヤトもそうだが、暫く見ないうちに二人とも随分逞しくなった。日に焼けた肌、筋肉に恵まれた均整の取れた身体。やぶからぼうに問われる。
「どうすんの、サッカー。やめんの?」
「……ってか、普通に無理だし」
「パラではやんないの」
「今のところ考えてない」
祐樹はふん、と鼻を鳴らしてそっぽを向いた。
「あの……この前はお見舞いありがとう。あと、ごめん」
祐樹は顔をしかめたまま言った。
「俺、樹生からまたサッカーしたいって言ってくんの待ってたんだけど」
「……」
「見舞いのことはもういいよ。でも足なくなっても、またサッカーやりたい、くらい言えよ。推薦貰おうとしてたくせに、そんな簡単にやめれんの」
樹生も足がなくなってもサッカーをしたいと思いたかった。というより、そう思うくらいサッカーが好きだと思っていた。だが、実際は違った。パラスポーツが嫌だというのではなく、単純にそこまでしてまでサッカーがしたいと思えなかったのだ。リハビリをするうちに気持ちが戻るかと期待したが、それもない。樹生の中でうすうす浮かんでいた本音が、今、祐樹の言葉であきらかになる。口ごもっているとハヤトが気を利かせて「もういいだろ」と取り持ってくれた。
「熱血青春ドラマじゃあるまいし、サッカーをやる理由もやらない理由も、できるできないも人それぞれだろ」
「でも俺だったら、絶対やりたいと思うし! パラでもサッカーあるんだろ!? ほら、杖使うやつ! やろうと思えばできるじゃん!」
「みんながみんな祐樹みたいな奴じゃないんだってば。俺は高校でもサッカーやるつもりだけど、もしかしたら気が変わって野球やってるかもしれない。その時も祐樹はサッカーやめるなって怒るのか?」
「ハヤトはいいんだよ! 最初からプロ目指してるわけじゃなかったんだから!」
「プロ目指してたらどんな理由があっても続けなきゃいけないのかよ! そもそも樹生はプロを目指してるって言ってたか!?」
二人が一斉にこちらを見る。困惑した樹生は二人の顔を交互に見て、咄嗟に「俺のために争うなよ」と的外れなことを言った。しかしそんな間抜けが功を奏して空気が和んだ。「可愛くねーヒロイン」と言って笑い出す。表し方は違っても、二人が樹生のことに必死になってくれている。それが嬉しかった。
「………祐樹、俺さ、プロになりたいって思ったこと、実はないんだよね」
「はあ!?」
「体育以外成績ダメダメだし、サッカーしかなかったから、プロになりたいって言うより、それを目指すしか道が残ってなかったっつーか。学力ないからスポーツで高校行くしかねぇ、くらいのつもりだった。だからサッカーができなくなって考えたのは、プロになる夢を絶たれて悲しいっていうより、俺に残ってるものはなんだろう、だった」
サッカーで生きていく未来がなくなったことはショックだったが、サッカーそのものへの執着はなかった。それは樹生自身もたった今、自覚したことだ。これまで樹生は一緒にプロを目指しているのだと思い込んでいた祐樹には薄情な話かもしれない。だが、誤魔化さずに正直に言うことが、真剣に怒ってくれる祐樹への誠意だと思った。祐樹は怒っているとも悲しんでいるとも言えない、ただ憮然とした面持ちで項垂れ、草が生い茂る法面に腰を下ろした。
「祐樹の気持ちは嬉しいけど、今はサッカーをしたいと思えないんだ。……ごめん」
祐樹は膝を抱えてうずくまる。鼻をすする音が聞こえて、樹生はいい友人に恵まれたなと呑気に思った。
コーチと母はまだ話し込んでいるようだが、他のチームメイトはそれぞれ練習を始めている。樹生もそろそろ病院に戻らなければならない。
勢いよく立ち上がった祐樹は樹生に振り返ると、
「お前みたいな奴、足があったってそのうち辞めてらぁ!」
少しだけ赤くなった目でそう叫んで、河川敷にいるチームメイトたちの元へ駆け下りて行った。すかさずハヤトがフォローを入れる。
「あいつも分かってるけど寂しいんじゃない?」
「……かな」
「受験終わったらさあ、遊ぼうな!」
祐樹のあとを追って、ハヤトも去った。樹生はしっかりした両足で力強く走っていく二人の背中を羨望の眼差しで見送った。
祐樹の言う通り、もし事故に遭わずに順調に推薦をもらって高校、大学に進んだとしても、こんな生半可な志ではいつか駄目になっていただろう。サッカーに限らず何かを極めることは難しい。才能か、環境か、経済力か、健康か、何かが原因で諦めざるを得なくなる人間はたくさんいる。樹生もそのうちの一人で、乱暴な方法で早々にふるいにかけられたと思うしかなかった。
西に傾きかけた太陽が、沈む前の悪あがきと言わんばかりに存在感を増している。河川敷もチームメイトたちも橙色に染まって、河の水面は金色に揺れていた。眩しさのあまり目を細めた。眩しいのは照り付ける太陽なのか、当たり前のように走り回る彼らなのか分からない。少し前まで自分もあの中にいたことがもう信じられない。夢だったような気さえした。
温かく迎えてくれた彼らには感謝している。だけどその裏で「自分じゃなくて良かった」という気持ちが垣間見えた。樹生はこれからそんな状況を、いろんな場所で、目の当たりにしなければならない。ここはもう自分の居場所じゃない。それを実感してようやく以前の生活への執着心から解放された。それだけでも進歩だと思うことにする。寂しさはない。この現実を自ら受け止めに来た自分を褒めてやりたい。
樹生はしばらくその場で佇んでいたが、誰も樹生に振り向きはしなかった。
「……樹生、樹生じゃん!」
一人が声を上げると次々に振り向いて、もうアップどころではなかった。コーチですら一緒になって、一斉にこちらに向かってくる。こんなに歓迎されると思わず、嬉しいというより恥ずかしかった。
「大谷が教室に来てくれたって聞いて、ちょっと顔出してみようかと思って……」
「出歩けるようになったんだなぁ、来てくれて嬉しいよ、よかった、本当によかった」
涙目になってコーチが喜んでくれている。この人はこんなに生徒思いだっただろうか。
樹生はチームメイトに取り囲まれて、しばらくあちこちから質問を受けた。いつどこで、どうやって事故に遭ったのか、切断したあとはどうやって過ごしたのか。中学生にもなるとある程度気遣いができる年齢なので、あけすけな質問はされなかったが、それでも中には興味津々に詳しく聞きたがる奴はいた。樹生はここでも詳細は伏せて、明るく努めてみせた。
ある程度落ち着いた頃、タイミングを窺っていたハヤトが寄ってきた。少し前から離れたところでこちらを見ていることに気付いていたが、あえて目を合わせないようにしていた。ハヤトとは病院で追い払って以来である。おう、と短く挨拶されて、樹生は気まずさと申し訳なさと、声を掛けてくれたことの有難さに俯いた。ハヤトが来たことで樹生への関心が失われたであろう他の連中はあっさりと退いていく。
「来ると思わなかった」
「俺も来るつもりはなかったんだけど……」
ハヤトは視線を落として樹生の足を見た。見舞いに来てくれた時は車椅子だったのできちんと見せたことはない。
「病院で樹生に足がなくなった気持ちなんて分かんねーだろって言われた時はムカついた。こっちは本気で心配してんのにさ」
「あれは……その、ごめん……」
「でも今、お前の足を見たら、あの時のお前の気持ちが分かったというか……いや、分かんないけど、自分だったら同じように思うかも。俺はプロになりたいわけでも強豪校に行きたいわけでもないけど、そんなんでもずっとやってきたからサッカーは俺の特技でもあるし、それがなくなったって考えるだけで辛いもん」
振り返るといつの間にか車から降りていた母がコーチと話し込んでいた。
「……祐樹は?」
「あそこ」
ハヤトは河のほうで一人でリフティングをしている彼を指差した。土手から離れたところでわざとらしく孤独にいる姿が、樹生への怒りを表している。
「色紙見た? あいつの」
「見た」
「ガキだよなー」
ハヤトは声を張り上げて祐樹を呼んだ。一度は振り向いたが、無視をする。ハヤトが何度か名前を呼んで「拗ねてんのダセェから!」と煽ると、ようやく観念したようだった。ボールを地面に思いきり叩きつけ、バウンドしながらよそへ転がるのを放置して走って来る。土手に駆け上がってきた祐樹は渋面で樹生を睨み付けた。ハヤトもそうだが、暫く見ないうちに二人とも随分逞しくなった。日に焼けた肌、筋肉に恵まれた均整の取れた身体。やぶからぼうに問われる。
「どうすんの、サッカー。やめんの?」
「……ってか、普通に無理だし」
「パラではやんないの」
「今のところ考えてない」
祐樹はふん、と鼻を鳴らしてそっぽを向いた。
「あの……この前はお見舞いありがとう。あと、ごめん」
祐樹は顔をしかめたまま言った。
「俺、樹生からまたサッカーしたいって言ってくんの待ってたんだけど」
「……」
「見舞いのことはもういいよ。でも足なくなっても、またサッカーやりたい、くらい言えよ。推薦貰おうとしてたくせに、そんな簡単にやめれんの」
樹生も足がなくなってもサッカーをしたいと思いたかった。というより、そう思うくらいサッカーが好きだと思っていた。だが、実際は違った。パラスポーツが嫌だというのではなく、単純にそこまでしてまでサッカーがしたいと思えなかったのだ。リハビリをするうちに気持ちが戻るかと期待したが、それもない。樹生の中でうすうす浮かんでいた本音が、今、祐樹の言葉であきらかになる。口ごもっているとハヤトが気を利かせて「もういいだろ」と取り持ってくれた。
「熱血青春ドラマじゃあるまいし、サッカーをやる理由もやらない理由も、できるできないも人それぞれだろ」
「でも俺だったら、絶対やりたいと思うし! パラでもサッカーあるんだろ!? ほら、杖使うやつ! やろうと思えばできるじゃん!」
「みんながみんな祐樹みたいな奴じゃないんだってば。俺は高校でもサッカーやるつもりだけど、もしかしたら気が変わって野球やってるかもしれない。その時も祐樹はサッカーやめるなって怒るのか?」
「ハヤトはいいんだよ! 最初からプロ目指してるわけじゃなかったんだから!」
「プロ目指してたらどんな理由があっても続けなきゃいけないのかよ! そもそも樹生はプロを目指してるって言ってたか!?」
二人が一斉にこちらを見る。困惑した樹生は二人の顔を交互に見て、咄嗟に「俺のために争うなよ」と的外れなことを言った。しかしそんな間抜けが功を奏して空気が和んだ。「可愛くねーヒロイン」と言って笑い出す。表し方は違っても、二人が樹生のことに必死になってくれている。それが嬉しかった。
「………祐樹、俺さ、プロになりたいって思ったこと、実はないんだよね」
「はあ!?」
「体育以外成績ダメダメだし、サッカーしかなかったから、プロになりたいって言うより、それを目指すしか道が残ってなかったっつーか。学力ないからスポーツで高校行くしかねぇ、くらいのつもりだった。だからサッカーができなくなって考えたのは、プロになる夢を絶たれて悲しいっていうより、俺に残ってるものはなんだろう、だった」
サッカーで生きていく未来がなくなったことはショックだったが、サッカーそのものへの執着はなかった。それは樹生自身もたった今、自覚したことだ。これまで樹生は一緒にプロを目指しているのだと思い込んでいた祐樹には薄情な話かもしれない。だが、誤魔化さずに正直に言うことが、真剣に怒ってくれる祐樹への誠意だと思った。祐樹は怒っているとも悲しんでいるとも言えない、ただ憮然とした面持ちで項垂れ、草が生い茂る法面に腰を下ろした。
「祐樹の気持ちは嬉しいけど、今はサッカーをしたいと思えないんだ。……ごめん」
祐樹は膝を抱えてうずくまる。鼻をすする音が聞こえて、樹生はいい友人に恵まれたなと呑気に思った。
コーチと母はまだ話し込んでいるようだが、他のチームメイトはそれぞれ練習を始めている。樹生もそろそろ病院に戻らなければならない。
勢いよく立ち上がった祐樹は樹生に振り返ると、
「お前みたいな奴、足があったってそのうち辞めてらぁ!」
少しだけ赤くなった目でそう叫んで、河川敷にいるチームメイトたちの元へ駆け下りて行った。すかさずハヤトがフォローを入れる。
「あいつも分かってるけど寂しいんじゃない?」
「……かな」
「受験終わったらさあ、遊ぼうな!」
祐樹のあとを追って、ハヤトも去った。樹生はしっかりした両足で力強く走っていく二人の背中を羨望の眼差しで見送った。
祐樹の言う通り、もし事故に遭わずに順調に推薦をもらって高校、大学に進んだとしても、こんな生半可な志ではいつか駄目になっていただろう。サッカーに限らず何かを極めることは難しい。才能か、環境か、経済力か、健康か、何かが原因で諦めざるを得なくなる人間はたくさんいる。樹生もそのうちの一人で、乱暴な方法で早々にふるいにかけられたと思うしかなかった。
西に傾きかけた太陽が、沈む前の悪あがきと言わんばかりに存在感を増している。河川敷もチームメイトたちも橙色に染まって、河の水面は金色に揺れていた。眩しさのあまり目を細めた。眩しいのは照り付ける太陽なのか、当たり前のように走り回る彼らなのか分からない。少し前まで自分もあの中にいたことがもう信じられない。夢だったような気さえした。
温かく迎えてくれた彼らには感謝している。だけどその裏で「自分じゃなくて良かった」という気持ちが垣間見えた。樹生はこれからそんな状況を、いろんな場所で、目の当たりにしなければならない。ここはもう自分の居場所じゃない。それを実感してようやく以前の生活への執着心から解放された。それだけでも進歩だと思うことにする。寂しさはない。この現実を自ら受け止めに来た自分を褒めてやりたい。
樹生はしばらくその場で佇んでいたが、誰も樹生に振り向きはしなかった。
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