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一年目の夏
1. 目覚めると、子供
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ぱっちりと目が覚めた。体の倦怠感はすっかりと消え失せている。24時間ぐらい寝たんじゃなかろうか、と思ってから、慌てて跳ね起きた。寝る前は火曜日だったから、今日は水曜日のはずで……つまりは普通に平日だ。
と。
「……あ、れ?」
起き上がったそこは、自室とは似ても似つかぬ部屋だった。6畳一間の1K、お家賃4万円のぼろアパート……では、ない。広々とした清潔な空間。体を受け止めるベッドはふんわりとしているし、その上にかけられたシーツもぱりっとしており、シミ一つない。長時間寝るとかえって体の節が微妙に痛くなる、愛用の煎餅布団とはえらい違いだ。
「……んんん?」
見たことのない場所にも関わらず、けれど同時に此処を知っている。安心できる自室だと、なぜか『知っている』。
そもそも。
「……なんか変……」
零れ落ちた声音は、思ったよりも高く響いた。まだ変声期を迎えていない、幼い子供の声だ。社会人4年目の声ではないことにぎょっとした。思わず落とした視線の先には、細く頼りない子供の手が映る。
(オレは――誰だ?)
根本的な疑念がよぎる。
名前はささしろけいと。漢字で書けば、笹代計都、となる。普通に大学を卒業して丸3年とちょっと、それなりに働いていた。家族はなし。彼女も今はなし。
だが、同時に、それは違うと囁く声が心のどこかでする。それは『今の』情報ではないと。
「失礼いたします」
何かヒントは落ちていないかともう一度見回したとき、部屋の扉が開いて、ひとりの女性が入ってきた。
まだ若い女性である。計より少し上ぐらいだろうと見積もったが、実際のところはわからない。残念ながら、計都には女性を見ただけでいろいろとあれこれ判別できるような特技はないのだ。
衣服は普通の洋服……とも言い難い衣装である。かっちりとした襟に長袖、スカートは足首ぐらいまでの長さがある。計都が思いついた、一番近い表現は「メイド服」だ。もっとも、メイド喫茶とかでアルバイトのメイドさんが着ているような、フリフリした感じのものとは、少し違う。どちらかというと、ヴィクトリア朝の本職のメイドさんが着ていたのはこんな感じだろうな、といった服装だ。咄嗟に連想したのは、シャーロック・ホームズの時代だったが、それが正しいかどうかは計都には確認するよしもないので、いったん棚上げすることにする。
きちんと纏められた髪の色は、日本人には無い、綺麗な深紫だった。白と黒のモノトーンで仕立てられたメイド服(推定)と相まって、一瞬何かのコスプレかと思う。だが、コスプレにしては、非日常感が無かった。
なんというか、非常に……当たり前のような、印象を受ける。同じスーツ姿でも、就活生と入社5年目の社員とでは、受ける印象が違う、そんな感じだ。たとえが正しいかどうかはわからないが、少なくとも、紫の髪とメイド服という取り合わせに対し、計都の中の常識は非日常と判断しているのだが、女性の姿からはなんの違和感も受けなかった。
「おはようございます、セイリオス様。お加減はいかがですか?」
にこりと笑いかけた彼女が、計都に歩み寄る。自分以外の誰かがいるのかと思い見回すが、ベッドの上には自分しかいない。
(……これってもしかして……)
困惑する計都の様子には気づかないようで、その女性はベッドのそばまで来た。すっと差し伸べられた手が、計都の額にぴたりと当てられる。
「熱も下がられたようですね」
「……えっと……」
「お外に出るのはまだいけませんよ。またぶり返してしまいますからね」
よくわからないが、昨日までの自分は熱を出して寝込んでいた――という設定らしい。自分が見る夢にしては凝っているな、と少し引きつつ、計都はぼんやりとその女性を見上げた。
熱を測り終えた女性は、てきぱきと部屋を片付けていく。重く垂れさがった窓際のカーテンを開き、朝の光を部屋に招き入れる。彼女が窓を少しだけあけると、途端に爽やかな風が入り込んできた。都会特有の、むっとするような熱気はどこにもない。研修と称して登山に連れていかれたことを思い起こさせる、清涼な空気だ。
「すぐに朝食をお持ちしますので、お待ちくださいませね」
そう言い置いて、女性が立ち去る。ぽつんとひとり取り残された計都は、深々とため息をついた。
(夢……だよな? これは……)
そうだよなそうに違いない、と無理やり自分を納得させる。
自分は成人男性だ。子どもではない。名前は笹代計都だ、『セイリオス』なんて名前じゃない。住んでたのは日本のぼろアパートだ、こんな広々とした洋風の謎の部屋ではない。
(……本当に、夢?)
じくりと胸の奥が痛む。その答えを、知っているような気がする。知りたくはないけれども。
ともあれ。
「ごはんか……そういえばお腹減ってるもんな」
夢だとは思うけれど。そうだと思いたいけれども。夢であっても、そうでないとしても、どっちにしても空腹はどうしようもないし、それはそれとして朝食は楽しみだ。それに、「朝食を持ってくる」ということは、もう一度あの女性あるいは別の人間がここに来るということだ。話をする機会もあるに違いない。
「まずは情報収集だよな……」
悪目立ちして暴力沙汰になったりしても困る。夢であれば目が覚めるまで、夢でなければ死ぬまで、ここで生きていくことになるのだ。夢だとは思うけど、と言い訳がましく呟いて、計都はため息をついた。
一体なんなんだこの状況は。空気が読めないくせに順応性が高い、とよく言われる計都だが、こうも突飛な状況だと馴染める気がしない。
「……なんだかなぁ……」
ぺちぺちと頬を叩いてみる。子どもらしい、ふよふよした頬の感触が手に返ってくるだけで、目が覚めそうな気配はなかった。
と。
「……あ、れ?」
起き上がったそこは、自室とは似ても似つかぬ部屋だった。6畳一間の1K、お家賃4万円のぼろアパート……では、ない。広々とした清潔な空間。体を受け止めるベッドはふんわりとしているし、その上にかけられたシーツもぱりっとしており、シミ一つない。長時間寝るとかえって体の節が微妙に痛くなる、愛用の煎餅布団とはえらい違いだ。
「……んんん?」
見たことのない場所にも関わらず、けれど同時に此処を知っている。安心できる自室だと、なぜか『知っている』。
そもそも。
「……なんか変……」
零れ落ちた声音は、思ったよりも高く響いた。まだ変声期を迎えていない、幼い子供の声だ。社会人4年目の声ではないことにぎょっとした。思わず落とした視線の先には、細く頼りない子供の手が映る。
(オレは――誰だ?)
根本的な疑念がよぎる。
名前はささしろけいと。漢字で書けば、笹代計都、となる。普通に大学を卒業して丸3年とちょっと、それなりに働いていた。家族はなし。彼女も今はなし。
だが、同時に、それは違うと囁く声が心のどこかでする。それは『今の』情報ではないと。
「失礼いたします」
何かヒントは落ちていないかともう一度見回したとき、部屋の扉が開いて、ひとりの女性が入ってきた。
まだ若い女性である。計より少し上ぐらいだろうと見積もったが、実際のところはわからない。残念ながら、計都には女性を見ただけでいろいろとあれこれ判別できるような特技はないのだ。
衣服は普通の洋服……とも言い難い衣装である。かっちりとした襟に長袖、スカートは足首ぐらいまでの長さがある。計都が思いついた、一番近い表現は「メイド服」だ。もっとも、メイド喫茶とかでアルバイトのメイドさんが着ているような、フリフリした感じのものとは、少し違う。どちらかというと、ヴィクトリア朝の本職のメイドさんが着ていたのはこんな感じだろうな、といった服装だ。咄嗟に連想したのは、シャーロック・ホームズの時代だったが、それが正しいかどうかは計都には確認するよしもないので、いったん棚上げすることにする。
きちんと纏められた髪の色は、日本人には無い、綺麗な深紫だった。白と黒のモノトーンで仕立てられたメイド服(推定)と相まって、一瞬何かのコスプレかと思う。だが、コスプレにしては、非日常感が無かった。
なんというか、非常に……当たり前のような、印象を受ける。同じスーツ姿でも、就活生と入社5年目の社員とでは、受ける印象が違う、そんな感じだ。たとえが正しいかどうかはわからないが、少なくとも、紫の髪とメイド服という取り合わせに対し、計都の中の常識は非日常と判断しているのだが、女性の姿からはなんの違和感も受けなかった。
「おはようございます、セイリオス様。お加減はいかがですか?」
にこりと笑いかけた彼女が、計都に歩み寄る。自分以外の誰かがいるのかと思い見回すが、ベッドの上には自分しかいない。
(……これってもしかして……)
困惑する計都の様子には気づかないようで、その女性はベッドのそばまで来た。すっと差し伸べられた手が、計都の額にぴたりと当てられる。
「熱も下がられたようですね」
「……えっと……」
「お外に出るのはまだいけませんよ。またぶり返してしまいますからね」
よくわからないが、昨日までの自分は熱を出して寝込んでいた――という設定らしい。自分が見る夢にしては凝っているな、と少し引きつつ、計都はぼんやりとその女性を見上げた。
熱を測り終えた女性は、てきぱきと部屋を片付けていく。重く垂れさがった窓際のカーテンを開き、朝の光を部屋に招き入れる。彼女が窓を少しだけあけると、途端に爽やかな風が入り込んできた。都会特有の、むっとするような熱気はどこにもない。研修と称して登山に連れていかれたことを思い起こさせる、清涼な空気だ。
「すぐに朝食をお持ちしますので、お待ちくださいませね」
そう言い置いて、女性が立ち去る。ぽつんとひとり取り残された計都は、深々とため息をついた。
(夢……だよな? これは……)
そうだよなそうに違いない、と無理やり自分を納得させる。
自分は成人男性だ。子どもではない。名前は笹代計都だ、『セイリオス』なんて名前じゃない。住んでたのは日本のぼろアパートだ、こんな広々とした洋風の謎の部屋ではない。
(……本当に、夢?)
じくりと胸の奥が痛む。その答えを、知っているような気がする。知りたくはないけれども。
ともあれ。
「ごはんか……そういえばお腹減ってるもんな」
夢だとは思うけれど。そうだと思いたいけれども。夢であっても、そうでないとしても、どっちにしても空腹はどうしようもないし、それはそれとして朝食は楽しみだ。それに、「朝食を持ってくる」ということは、もう一度あの女性あるいは別の人間がここに来るということだ。話をする機会もあるに違いない。
「まずは情報収集だよな……」
悪目立ちして暴力沙汰になったりしても困る。夢であれば目が覚めるまで、夢でなければ死ぬまで、ここで生きていくことになるのだ。夢だとは思うけど、と言い訳がましく呟いて、計都はため息をついた。
一体なんなんだこの状況は。空気が読めないくせに順応性が高い、とよく言われる計都だが、こうも突飛な状況だと馴染める気がしない。
「……なんだかなぁ……」
ぺちぺちと頬を叩いてみる。子どもらしい、ふよふよした頬の感触が手に返ってくるだけで、目が覚めそうな気配はなかった。
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